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父のがんを治すのには間に合わない…それでも三木谷浩史が光免疫療法に自腹で7億円を支払ったワケ

プレジデントオンライン / 2023年10月18日 10時15分

4年ぶりに会場で開催された「Rakuten Optimism2023」で基調講演をする楽天グループの三木谷浩史会長兼社長。「チャットGPT」を開発した米オープンAIと協業することを明らかにした(2023年8月2日、神奈川県横浜市のパシフィコ横浜) - 写真=時事通信フォト

アメリカ国立がん研究所(NCI)主任研究員の小林久隆さんによる、がん細胞を狙い打ちする革新的な「光免疫療法」が注目を集めている。この療法の薬剤を手掛けるのは三木谷浩史氏率いる楽天メディカルだ。なぜ三木谷氏は最新のがん治療に関わるようになったのか。ライターの芹澤健介さんの著書『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(新潮新書)より紹介する――。(第2回)

■余命3カ月の父に三木谷がやったこと

三木谷は三木谷で懸命に治療法を探していた。

父の良一がすい臓がんと診断され、医師からは「余命3カ月」と宣告されていた。

すい臓がんは、いまだに極めて生存率の低いがんだ。5年生存率は約11%、10年生存率となると約6%とも言われる。自覚症状が少なく、臓器が胃の裏にあるため検査でも見逃されがちだ。進行も早く、気づいた時にはリンパ節や他の臓器に転移していることもしばしばだという。

良一は日本金融学会の会長も務めた経済学者で、神戸大学で長く教鞭を執り、同大学の名誉教授となっている。三木谷は良一の第三子で末っ子だ。

三木谷はよく知られているように、いまや日本一の規模を誇るインターネット・ショッピングモール「楽天市場」だけでなく、金融、通信、旅行といった事業やサービス群をも運営する巨大な「楽天経済圏」を生み出した。そればかりかプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナーであり、サッカーJリーグのヴィッセル神戸会長でもある。個人資産は5000億円を超えるとも言われる日本屈指の実業家だが、父にはことあるごとに相談してきたという。

■世界中で治療法を探してみたが

親子の対談を収めた『競争力』(講談社)には三木谷の次のような言葉が見える。

「私は子どもの頃、利かん坊で、成績もいい方ではなかったが、父はいつも温かく見守ってくれた。校風が合わず、私立の中学から転学する時も、私の考えを尊重し、サポートしてくれた。一橋大学を卒業して研究者になるかビジネスマンになるか悩んだ時や、日本興業銀行(現みずほ銀行)を辞める時、楽天を創業する時、TBS(東京放送)を買収しようとした時など、人生の岐路に立たされた時、私は必ず神戸にある実家を訪ねて父に相談し、示唆を受けてきた」

そんな父のために、三木谷は専属の医師団まで結成して最善の医療を模索していた。

「小林先生に会う半年ほど前のことでしたね、父のがんが見つかったのは」三木谷は言う。

「進行がすごく早くて……化学療法から始まって、重粒子線治療もやりましたし、そのコンビネーションもやりました。最終的には、抗体にイットリウムという遷移金属の放射性同位元素をつけた治療法も試しました。最先端の治療をほぼぜんぶ試した形です。それから、世界中のありとあらゆる病院を回りました。コロンビア大学、スタンフォード大学、ハーバード大学、パリ大学……世界中、いろんなところに行って調べたけれども、今のところ、すい臓がんに有効な治療法はないと言われたんです。

お医者さんによっては、もう何もしないで自然に任せておくのが本人のためだと言う人もいて。でも、僕は諦めが悪いのでがんの本を買い漁って、手に入る論文を端から端まで読んで、何かあるはずだ、絶対にいい治療法があるはずだと思っていたんです。当然、素人の自分の力だけでは無理なので、お医者さんの先生に集まってもらって、いろんな治療法を探していました。もう完治は難しいと言われても、なんとか延命させてあげたいなと思って」

■小林と三木谷をつないだ不思議な縁

小林のいとこ新保哲也が声をかけてきたのはそんな頃だった。

「これは本当に縁だと思うんですよねえ」と三木谷は振り返る。新保のワッフル・ケーキの店「R.L」は楽天市場の創業期から出店していたのだ。

二子玉川ライズ内、楽天グループ本社ビル「楽天クリムゾンハウス」
二子玉川ライズ内、楽天グループ本社ビル「楽天クリムゾンハウス」(写真=掬茶/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

「楽天市場ができた時からの同志のような存在で、いやあ、三木谷さん、お父様のお話を聞きましたと言うわけですよ。新保さんにはヴィッセル神戸のオフィシャルスポンサーもしてもらっていて、サッカーが好きだった私の父とも交流があったんです。その彼が、実は私のいとこがアメリカでがんの研究をしているので、一度会ってみませんかと言うんですね。聞けば、光でがんを治す治療法だと」

光でがんを治すと聞いても「あまり信じていなかった」と言うが、小林が帰国するタイミングで小一時間ほど時間が取れそうだった。東京・虎ノ門のホテルオークラのステーキ店で小林と会うことにした。

それが2013年4月のことだった。

■「おもしろくねえほど簡単だな」

ステーキ店でひと通り光免疫療法の話を聞いた三木谷は「なるほど」と呟いたまま、しばらく動かなかった。

「正直に言えば、おもしろくねえほど簡単だなと思ったんですよ。動物実験の画像やいろんなデータを見せてもらったんですが、メカニズムは非常にシンプルで、自分としては、何て言うのかな、なるほど、これは人間でもワークしないはずがない、効かないはずがないと思いました。否定のしようがないと思ったんです。

小林先生とはじめてお会いした時は時間もあまりなかったので、いくつか質問をしただけでしたけど、それから3日後だったかな、もう一度話を聞く場をセッティングしてもらいました」

シンガポールに渡っていた小林に三木谷から連絡があった。

「小林先生がアメリカに帰る前にもう一度東京で会えますか」と。

小林は「何の用件だろう」と思ったという。小林が羽田空港に着く時間に合わせて当時品川シーサイドにあった楽天本社社長室での会合がセッティングされた。今度は三木谷の医師団が同席していた。

医師のひとりとして同席していた岡田直美はこの日のことをよく覚えていると言う。岡田は放射線医学総合研究所や量子科学技術研究開発機構で医長として活躍し、現在は独立して都内でがん専門のクリニックを開業している医師だ。

■この治療で時代が変わる

部屋に通された小林が挨拶もそこそこに鞄からノートパソコンを取り出し、始めた光免疫療法のメカニズムの説明はほんの15分くらいだった。だが岡田はその内容に衝撃を受けたという。

「自分の求めていたがん治療法がそこにあった、ようやく見つけた、という感じがしました」と岡田は言う。

「あの時、小林先生の話を聞いていて、大げさではなく、あ、ひとつの時代の幕が上がると思ったんです。光免疫療法は、化学治療や放射線治療や免疫治療というような、これまで別々の縦割りだったものをすべてまとめて横割りにしたような治療法で、それこそがん治療のパラダイムシフトが起こると直感しました」

三木谷は言う。

「確かこの時は、すい臓がんには効くのかとか、副作用のこととか、いろいろ質問をしたと思います」

小林は三木谷の質問は素人レベルではなかったと言う。

「お父様ががんになられて相当に勉強されたのがわかりました。聞いたら英語の論文なども読まれていたらしいので、もう途中からは研究者レベルでの会話になっていたんじゃないかと思います」

三木谷は小林と話していてこう感じたという。

「がんの治療法を求めて世界中を回りましたが、探していたものが足元にあったという感覚ですよね。ただ、この時話を聞いてわかったのは、残念ながら、うちの父親はやはりタイミング的に少し遅かった。がんの進行も早かったですし、当時はまだ光免疫療法も動物実験のフェーズでしたから。承認されるまでには間に合わないだろうと」

2度目の会合はこうして終わった。

■医療の素人だから気付いたこと

三木谷は小林を送り出してから岡田や他の医師たちに光免疫療法の実現可能性を訊ねた。医療関係の研究者の友人や化学療法を専門としている知人の内科医にもメールや電話で感想を求めた。「方向性としては悪くないが、動物実験でうまくいっても、人でとなるとそれほど有効ではないだろう」というのが大方の見方だった。

「否定的な意見を言う人たちにその理由を聞くと、人体のシステムはマウスより複雑だから、とかだいたいそんなことですよね。ただ、僕にはそうは思えなかったんですよ。医療に詳しくない素人だからこそだと思うんですけど、いや、これは効くはずだと思ったんです。

この光免疫療法という治療法は、がんを細胞単位でマーキングして、光エネルギーで破壊するというロジックですよね。人の細胞だろうがマウスの細胞だろうが効き方は変わらないはずだと。逆に言うと、マウスでワークしたのなら、人間でワークしない理由が合理的に説明できなかったんです」

翌日、国立がん研究センターでの講演を終えた直後の小林に「先生がアメリカに帰る前に先生のホテルでいいから、もう一度会えますか」と再度連絡が入った。

初めて顔を合わせてから1週間で3度の会合に小林も戸惑っていた。巨大グループを率いる三木谷のスケジュールは分刻みのはずだ。1週間で3回も同じ人間と会うなど通常、考えられないだろう。

■「そしたら、やってみますか」

小林の泊まるホテルの会議室に医療ベンチャーの人々を伴って現れた三木谷は、会合が終わるなり廊下に出た小林にこう言ったという。

「どのくらいかかりますか?」

治験の第I相試験にいくらくらいかかるのかということだった。

光免疫療法の場合、治験で「IR700とセツキシマブの複合体(のちに「アキャルックス」と名づけられる)」と「近赤外線照射装置(のちに「バイオブレードレーザシステム」と名づけられる)」の承認を得ることが必要だ。万が一、第I相試験で重篤な副作用が出たり、何らかの不具合が見つかったりすれば即刻治験は中止される。そして、治験の際に患者にかかる費用はすべて治験を行う側が負担しなければならない。

「フェーズ1では10名ぐらいの患者さんを集めて治験を行おうと思うんですが、その場合、どうしても600万か650万くらいのお金がかかってしまいます」

「それはドルですか?」と三木谷が聞く。

「はい、円だとざっと7億円か8億円くらいになると思います[当時は1ドル=120円]。患者さん1人につき、だいたい3000万円から5000万円かかるというイメージですね」
「なるほど……」

そう言ってほんの2、3秒考え込んだ後、三木谷はこう言った。

「そしたら、やってみますか」

握手
写真=iStock.com/nuttapong punna
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nuttapong punna

■ひとりの天才だけでは世界は変わらない

思いがけない言葉が、思いのほか軽い調子で返ってきたことに驚いたのを小林は覚えている。

「小林先生、やりましょう、治験」
「え?」
「お金は私が出します」

小林は息を飲んだという。「まさかそういう話になるとは」思っていなかったからだ。

「もちろんうれしかったですよ。あのお金のおかげでその後、研究は一気に5段6段飛び越えて進んだんですから。でも何よりね、三木谷さんにこちらを信用していただけたことがうれしかった」

三木谷は言う。

「インターネットの存在を知った時、ああ、これが世界を変えると思いましたが、何かが世界を変える時って、ひとりの天才がいるだけではダメで、ほんとにいろんなことが組み合わさらないと奇跡って起きないんです。

光免疫療法はもちろん小林先生という天才がいないと誕生しなかった治療法ですが、いろんな人が関わって初めてできるものなんだと思います。途中から参加した僕の役割はお金を出すことだった。資金援助することでプロジェクトを前に進められる」

■なぜ出資することを決めたのか

意地悪な質問だが、それは光免疫療法にビジネスとしての可能性を感じたということだったのだろうか。

「うーん、ビジネスというか、エンジェル投資家といったところですかね。多少カッコをつけさせてもらえば、フィランソロフィーというやつでしょうか」

フィランソロフィー(philanthropy)とは、従来であれば「慈善活動」や「社会奉仕事業」、あるいは「チャリティー活動」などと訳されていたが、近年ではビル&メリンダ・ゲイツ財団に代表されるように、起業家などが社会貢献のために個人資産を投じて行う支援活動を指すことが多い。何のために資産を増やすのか、なぜ事業でお金を儲けるのか、そのことに思いを致すからだろうか。

電気自動車メーカー、テスラ社のCEOイーロン・マスクは個人資産が20兆円とも言われ、世界一、二を争う資産家だ。彼は民間宇宙開発企業スペースX社の共同設立者でもあるが、同社は「人類を多惑星種にする」ことを使命に掲げ、人類の火星移住計画をぶち上げている。マスクはこうも語る。

「この宇宙は何なのかを探る。他の生命がいるのか、とかね。私たちはどうやってここに来たのか。生きる意味とは何だろう。銀河系を探索すれば、これらの疑問を見つけられるのではないか。とてもエキサイティングだよね」(朝日新聞「GLOBE+」より)

■日本屈指の実業家が働き続けるワケ

三木谷はこう言う。

「僕は、イーロンに対抗するわけじゃないですが、人類を火星に送るより、がんを治すことを目標に据えました。父親ががんになったことをきっかけに、少しでもこのプロジェクトを押し進めていくことができたらいいなと思ったんです」

三木谷ははっきりとした意志を感じさせる口調で言葉を継いだ。

「僕は今、お前はなぜ働くのかと聞かれたら、もう僕個人のこととかは割とどうでもよくて、人類社会の発展のためだと考えています。社会にどれだけ貢献できるかというのが大きな理由なんですね。人類が抱えている問題を解決する方向に僕の資産が使えたらいいなと。そういうことのために必死に働いているんだなと思うんですよね。

だからビジネスとしての儲けうんぬんより、自分の家族ががんになったことで、がん患者さんやその家族のお手伝いをしたいと思うようになったんです。これはまあ、父のおかげというか、運命だったのかなと思っています」

そしてほんの少し目を伏せてこう言った。

「それに、親父もきっと、がんばれって言ってくれる気がするんです」

三木谷の父・良一はこの3度目の会合から7カ月後の2013年11月、83歳で他界している。

■600万ドルはポケットマネー

「三木谷さんからやってみましょうという提案があった時、その600万ドルは楽天からではなく、三木谷さん個人のポケットマネーだったんです。これは簡単なお金ではないなという意識が当時からかなりありましたね」

芹澤健介『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(新潮新書)
芹澤健介(著)、小林久隆(医学監修)『がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法』(新潮新書)

3度目の会合の後、小林は三木谷の目の前ですぐさまアスピリアンのCEOミゲル・ガルシア=グズマンに連絡を入れている。アメリカで治験ができるようになった、ミスター・ミキタニがお金を出してくれるそうだと伝えると、ガルシア=グズマンも絶句していたそうだ。

ともあれ経済的なバックアップを得たことで、光免疫療法は動物実験から人間に対する臨床試験へと準備を重ねていくことが可能となった。

「スポンサーとしての三木谷さんは非常に心強い」と小林は言う。

「彼が本気なのが分かりますし、首尾一貫してブレないから。やらしい気持ちで“ちょっと儲けてやろう”と片手間でやってるのとは違います。こないだも、ぼくはこのプロジェクトに命をかけてますなんてメールがきました」

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芹澤 健介(せりざわ・けんすけ)
ライター、編集者、構成作家、映像ディレクター
1973(昭和48)年、沖縄県生まれ。横浜国立大学経済学部卒。著書に『コンビニ外国人』など、共著に『本の時間を届けます』など。

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小林 久隆(こばやし・ひさたか)
米国国立衛生研究所(NIH)主任研究員
1961(昭和36)年生まれ。京都大学大学院医学研究科修了。医学博士。光免疫療法の開発者。

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(ライター、編集者、構成作家、映像ディレクター 芹澤 健介、米国国立衛生研究所(NIH)主任研究員 小林 久隆)

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