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統計試算で判明"幸福度100%"の値段はいくらか…「幸せがお金で買えるというよりお金で不幸せの除去ができる」

プレジデントオンライン / 2023年10月12日 11時15分

“命の値段”の最高はアラブ首長国連邦の8兆5000億円、日本は5兆3000億円。各国の1人当たりGDP額と平均寿命をかけあわせるとこうなる。統計データ分析家の本川裕さんがさらに“幸福度の値段”を算出すると――。

■世界各国の平均寿命 下は50歳台、上は80歳超

本来は、いのちや幸福はお金では買えない。しかし、国際比較上は、所得水準と寿命、あるいは所得水準と幸福度は相関しており、それらがお金で購(あがな)える側面もあると言わざるをえない。今回は、こうした点にかかわるデータを紹介することとしよう。

まず、いのちの値段を探るため世界各国の平均寿命を見ていこう。図表1には、平均寿命の世界マップを掲げた。

大陸ごとに平均寿命の顕著な特徴が見てとれる。

まず、サハラ以南アフリカ、特に熱帯アフリカの短さが目立っている。ほとんどの国で70歳未満であり、赤道付近では50歳台の国もかなりの数存在している。

欧米地域(西欧、中欧、北米、オーストラリア・ニュージーランド)は、すべて75歳以上であり、80歳以上の国も多い。平均して寿命が高い地域である。

南米は70歳代の国が多く、60歳台の国も若干ある(チリだけ例外的に80歳以上)。

アジアは、世界一クラスの長寿国日本、そして韓国も80歳以上と長寿命の国もあるが、他方、アフガニスタン、パキスタン、ミャンマーなどは60歳台とかなり低くなっており、高低差が目立っている。その中間に70歳台後半の中国、70歳台前半のロシア、インドが位置しており、多様さが特徴の地域である。

■所得水準と比例している平均寿命

こうした各国の平均寿命が所得水準とどのくらい相関しているかを確かめるため、2019年について、縦軸に男女計の平均寿命、横軸に経済発展度を示す人口1人当たりのGDP(所得水準)をとった相関図を作成した(図表2)。

【図表】世界各国の平均寿命(2019年)

国により所得水準の差は大きいので横軸は対数目盛としている。2019年の値を使ったのは、新型コロナの影響が襲う前でデータが得られる最新年次であり、平常時の状態を知ることができるからである。

図の中で最も所得水準が高いのはマカオ(12万5002ドル)であり、最も所得水準が低いのは、アフリカのブルンジ(783ドル)である。格差は160倍にもなっている。一方、平均寿命の最も高い国は香港の85.2歳であり、最も低い国はアフリカのナイジェリアの52.9歳である。差は32.3歳もある。

日本の所得は4万3459ドルで世界第32位、平均寿命は84.4歳で世界第3位である。

図を見れば、高所得国ほど平均寿命が長く、低所得国ほど平均寿命が短いという一般傾向、正の相関が認められる。高所得国ほど医療水準が高く、衛生状態、食生活水準もよいため、こうした相関が生じていることは明らかであり、寿命と所得には相関関係だけでなく因果関係もあると言ってよかろう。すなわち寿命(いのち)はお金で買える面があるのである。

■経済発展度の割に平均寿命の長い国、短い国

日本は主要国の中では世界一平均寿命が高い国である。人口1億人の大国としては立派なものであり、このような相関図の中に位置づけると、日本は平均寿命の点では世界から尊敬を受けて然るべき地位にあるということが実感される。

実際、世界中の人々は日本がどうして永遠のいのちという人類の夢に最も近づくことができたのかに注目している。日本食や日本への観光旅行がブームとなっているのもそのせいである。こうした日本で、チェルノブイリ以来の大きな原発事故が起こっただけに世界は強烈なショックを受けたのである。それだけ注目されているのだから、私は、人類の未来を切り拓くリーダーとしての自覚を、日本人はもっと持つべきだと考えている。

他方、平均寿命が50歳台と非常に短い国がサハラ以南のアフリカに多く見られる。図では、平均寿命と経済発展度(所得水準)の相関とともに、経済発展度が低い割に平均寿命の長い国と、その反対に、経済発展度が高い割に平均寿命の短い国があるという点も明確に分かる。

右上がりの傾向線より左上にある国、すなわち日本の他、コソボ、キューバ、ニカラグアといった国は、経済発展度の割には平均寿命が長くなっている。健康優先の国と言えよう。もっとも、ひと頃と比べるとそうした特徴は目立たなくなった。経済より健康優先というのは、新自由主義が主流となった時代には合わなくなってきたせいかもしれない。

逆に右上がりの傾向線より右下にある国、すなわち所得水準の割には平均寿命の短い国としては、ルクセンブルク、米国、カタール、ブルネイ、ボツアナ、赤道ギニア、ナイジェリアなどが挙げられる。産油国や資源国が多く含まれる。米国は、1人あたりの所得では南米チリの2.6倍の水準となっているが、平均寿命は78.8歳とチリの80.3歳を下回っている。医療制度の機能不全、貧富の差や社会不安、薬物依存の問題などが背景にあると考えられる。

サハラ以南アフリカで平均寿命が短いのは、経済発展が遅れているせいだが、資源開発などによる所得向上が保健衛生の向上に結びつきにくい国内事情も要因のひとつである。

アフリカで人口や経済規模が最大で「アフリカの巨人」とも呼ばれるナイジェリアは、平均寿命(52.9歳)は世界最低となっている。同国は、国家歳入の約7割、総輸出額の約8割を原油に依存している資源国でもあるが、広大な国だけに地域ごとに歴史と地理、宗教と部族、石油資源賦存と収入配分などに大きな差異があり、政治的な不安定性や地域間の対立が醸成されやすく、ボコ・ハラムのテロ、牧畜民と農民の争いなどもある。こうした複雑な国情もあって所得水準に見合った平均寿命の伸びを実現することが難しくなっているのだと理解できる。

■いのちの値段をあえて計算してみると…

いのちの値段など本来はない。しかし、死亡交通事故の補償額などは平均余命かける毎年の所得で計算されたりする。そこで、仮に、ここで使った1人当たりGDP額と平均寿命をかけあわせた額をいのちの値段として計算し、その結果を図表3に掲げた。

【図表】いのちの値段には大きな差

これで見ると、最高額はアラブ首長国連邦の583万ドル(1ドル145円で計算すると8兆5000億円、以下同様)となり、最低額はナイジェリアの28万ドル(4000万円)となり、その差は21倍にものぼる。

米国は、寿命は先進国の中でも短いが所得水準が高いので、いのちの値段は513万ドル(7兆4000億円)とアラブ首長国連邦に次いで高い。日本は367万ドル(5兆3000億円)とそこそこである。

ちなみに、人身取引や臓器売買はいのちの値段の低い地域で起こりやすい。また、現在、いのちのやりとりをしているロシア(208万ドル)とウクライナ(97万ドル)はどちらも比較的いのちの値段が安くなっている。とはいえ、両国の戦争で多くの人命が失われている、その総額は莫大なものになる。

■お金で幸せが買えるというより、不幸せの除去ができる

豊かさと幸福度が比例するか、言い換えれば、幸せをお金で買えるかについて多くが論じられている。自由市場経済を万能とは認めない人々は両者の不一致を示す事実に着目する傾向がある。このため「イースタリンの逆説」が引き合いに出されることが多い。

1970年代、米国の経済学者のイースタリンが「第2次世界大戦後に急速な経済発展を遂げた日本における生活に対する満足度は、低下している」という調査結果を基に「経済成長だけでは国民の幸せは量れない」という「イースタリンの逆説」を提唱した。所得水準と生活満足度はある時点の一国内ではゆるく相関しているが、時間を超えた2時点や地域を越えた2地点ではほとんど相関がないとするものである。

ところが近年は所得と生活満足度あるいは幸福度には相関があるとする論文が欧米有力経済誌に紹介されるようになってきた。

そこで、毎期、幸福度を調査している世界価値観調査の最新2017年期の結果と1人当たりGDP(購買力平価PPP換算のドル表示)データで相関図を描いた(図表4参照)。

【図表】幸せはお金で買えるか

相関度を表すR2値は0.1002であり、ゆるい相関が認められる。同じ世界価値観調査の2005年期データでは0.3071、2010年期データでは0.1737だったので、だんだんと相関度は弱くなっている。すなわち、昔ほど幸せはお金で買えなくなっているとも言える。

しかし、相関図を見て、より印象的なのは、所得水準の高い国では幸福度がある一定水準以上に収斂している(不幸と感じている者はそれほど多くない傾向がある)のに対して、所得水準の低い国では、幸福度に大きなばらつきが認められる点である。

比較的所得水準の低いベトナム、キルギス、インドネシア、フィリピンといった中央アジア、東南アジアの諸国は幸福度90%以上であり、所得水準からはこれらの国々と比べ圧倒的に高い米国の幸福度より高いが、他方、これら中央アジア、東南アジアの国と所得面ではそれほど違いがないナイジェリア、イラク、イランでは幸福度が60~70%台と非常に低くなっているのである。

こうした相関パターンは「片相関」として理解できるように思う。2010年発刊の拙著『統計データはおもしろい!』(技術評論社)では「第9章 片相関」にいくつか事例を掲げたが、この相関図もそれに当たると考えられる。

所得水準が高まれば不幸と感じる人の割合が大いに減じるということから、幸せはお金で買えるといえるが、だからといって所得水準の低い国で不幸な者が多いとは限らないのである。お金持ちでも不幸かもしれないよ、という貧乏人の慰めは、事実に反するが、貧乏でも幸せに暮らそうという態度は十分な合理性を持っているといえよう。

また、経済成長が重要なのは幸福を増すからというより、不幸を減じるからであるということも分かる。不幸せの除去はお金で買えるのである。貧しさを経験した者や貧困国の指導者にとって、このことは自明なことだと思われる。

先進国においては経済成長と所得再配分のどちらが優先されるべきかという議論の中で幸福と所得の非相関が主張されるが、途上国側からはこれを途上国に当てはめられても迷惑だという意見の食い違いが生じる。片相関は相関ありと相関なしの同時存在なのでこうした混乱が生じるのだと思われる。

日本は、以前、ドイツと近い位置にあったが、2017年期データでは所得の割に幸福度の高い位置に移動している。韓国、台湾は日本と近い位置にある。

先ほど、いのちの値段を算出したが、幸せの値段はどうなるか。図に示したもっとも当てはまりのよい回帰傾向線の方程式はy=0.000120x+81.6である(yは幸福度、xは所得水準のドル表示)。1ドルが0.00012%に相当するということであり、逆算すると、幸福を感じる人を1%分増やすのに8300ドルの所得増が必要という勘定となる。

従って、幸福度100%の額は83万ドル(1ドル145円で計算すると1兆2000億円)である。あくまで机上の計算だが、これが幸せの値段ともいえよう。

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本川 裕(ほんかわ・ゆたか)
統計探偵/統計データ分析家
東京大学農学部卒。国民経済研究協会研究部長、常務理事を経て現在、アルファ社会科学主席研究員。暮らしから国際問題まで幅広いデータ満載のサイト「社会実情データ図録」を運営しながらネット連載や書籍を執筆。近著は『なぜ、男子は突然、草食化したのか』(日本経済新聞出版社)。

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(統計探偵/統計データ分析家 本川 裕)

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