だから1000円カットに負けない…有楽町で56年続く理容店が3400円で「コスパがいい」とベタ褒めされる理由
プレジデントオンライン / 2023年10月12日 9時15分
※本稿は、野地秩嘉『サービスの達人に会いにいく プロフェッショナルサービスパーソン』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■1970年、理容店の料金は500円だった
髪結い、散髪屋、床屋、理髪店といくつか名称を持つ理容店は、かつて商店街にはなくてはならない存在だった。現在、60代の後半以上の紳士や、あるいは淑女は小学校の頃、近所の床屋さんでカットしてもらった経験があるはず。それは、昭和の中頃まで小学生、あるいは中学生でも男女の区別なく誰もが理容店でカットしていたからだ。
大人の女性でも顔や襟足を剃ってもらうために理容店を使っている人は少なくなかった。美容院は髪の毛をカット、ブロー、パーマをかけるところで、カミソリを使った仕事は理容師しかできなかったこともある。現在でも、美容師ができるのは化粧に付随した軽い程度の顔剃りまでだ。
昭和の後期、大阪万博が開かれた1970年、町の理容店の料金は500円が標準だった。
わたしは世田谷区に住む中学校1年生だった。「はい、これ」と母親から渡された岩倉具視が印刷された500円札(注:500円硬貨の発行は1982年)を持って青と赤のサインボールが回る床屋さんへ行く。すると、おじさんの理容師がバリカンで坊主頭にしようとするので、泣いて抗議して、スポーツ刈りにしてもらった。
■理容店の数は美容室の半分以下に
高校生になると私服だったこともあり、好きなように髪型を変えた。最終学年になってからチリチリのアイロンパーマにして、アロハシャツにプカシェルを首に巻いて登校したら、母親に泣かれた。大学生ともなると美容室だ。その後、高倉健さんから勧められた品川のバーバーショップ佐藤へ行き、今は川淵キャプテンが推奨するニュー東京。また、今でもたまに格安の1000円カット店も使うことがある。これが昭和生まれのおじさんの理容店の利用遍歴である。
さて、2021年の数字になるが、全国の理容店の数は11万4403軒。1980年代から減り続けている。一方、美容室は増えている。理容店よりも多い26万4223軒で、過去最高の軒数になっている(令和3年度 衛生行政報告より)。
理容店が減少している理由は、従事する理容師の高齢化による廃業が多い。男性が美容室でヘアカットするのが普通になったことも影響している。そして、注目すべきは理容室の店舗数のなかには「1000円カット」と呼ばれる短時間に安価でヘアカットをするチェーン店が含まれていることだ。それを勘定に入れると商店街にある町の床屋さんは数字以上に少なくなっている。
今、個人が経営する理容店は「あと何年、続けることができるのか」とあきらめの境地で経営しているのではないか。
ただ、そういった状況下でも、奮闘し、老若の客を集めているのが、有楽町のニュー東京なのである。
■「女の子だけの店にしようと」
ニュー東京のオーナーは純ちゃん、小山純子だ。丸顔で、ころころ笑う人である。
ニュー東京が入っている新国際ビルの竣工(しゅんこう)は1965年。国鉄(当時)山手線有楽町駅から徒歩1分の好立地である。三菱地所が21歳の女子理容師を信用したのは紹介者が大蔵官僚だったこと、そして、保証人に熊本県玉名市の大きな酒販店が立ってくれたからだった。
「お店をつくる時、先生(理容師)は女の子ばかりにしようと決めました。その頃の男の先生は賭け事やパチンコをする人が多かったし、怖かったから、女の子だけの店にしようと思ったんです。
思えば、みなさんが親切にしてくださいました。ヘアクリーム、シャンプー、理容の椅子なんかは材料屋のおばちゃんが安くしてくれました。店を開いた後もお客様を紹介してくれました。みなさんのおかげで店が持てたから、絶対に繁盛させないといけないなと思いました」
純ちゃんは女子だけを雇った。実はそのことがニュー東京の大繁盛に結びついたのである。集めた女子従業員は当初、バラバラの服装でやってきた。理容店の白衣を着てきた人、上はブラウスだけれど下は白いズボン姿の人、遊びに行くような私服姿の人……。服装に統一感がなく、新しい店の一体感が感じられなかった。
■「真っ赤なミニスカ床屋」が大当たり
彼女が思いついたのがユニフォームを作ることである。
20歳から27歳の女子従業員20人全員に真っ赤なミニスカートをあつらえ、それを着用させたのである。ただし、彼女はオーナー兼理容師だから、ひざ下の長さのスカートにした。
「赤いプリーツのミニスカートが大当たりで、『週刊新潮』さんが取材に来て、それからテレビのお昼の番組『アフタヌーンショー』にも出たんです。川崎敬三さんが司会をしていた頃でした。とにかくお客さんが大勢やって来て、てんてこまい。20人の先生で14席の店でしたが、忙しくて、お昼のご飯を食べる時間がないんですよ。
朝、今と同じで午前8時過ぎから始めて、夜は10時頃までやったこともありました。いちばん儲かった時、一日で100万円になりました。ひとりで20人以上の頭を刈ったんじゃないかしら。あまりに忙しかったから、募集をするでしょう。すると、一日働いただけで辞めちゃう子もいたんです。それでも私にとっては、一日でも働いてくれただけで神様だと思いました」
週刊誌、テレビを見た客が大手町、丸の内、銀座界隈から押し寄せてきたから、純ちゃんも従業員も気を抜く暇もなかった。立ったまま食事を済ませて、順番を待っている客の調髪をすることもしばしばだった。それでも先生たちは一切、手を抜かなかった。
客は敏感だ。適当にあしらわれたと思ったら、いくら美女がミニスカートをはいていたからといって我慢してまで通ってくることはなかったのである。
■その当時は「お見合いの場」だった
ただし、ミニスカート着用の威力は大きかった。客は美脚を眺めようというきっかけで来店するのだが、調髪の間の何げない会話でふと恋心を抱いてしまう。時代は1970年代である。景気は悪くない。仕事は忙しく、デートをする時間もままならない。何より、女子との出会いが少ない。
ニュー東京の先生たちは丸の内近辺に勤める独身の男子ビジネスパーソンにとっては花嫁候補だったのである。初回はミニスカートの観賞にやってきた客も、二度目からは交際相手を探すことに目的を変えた。
髪の毛を切ってくれたり、優しくシャンプーやマッサージをしてもらったら、純情な独身男性は家庭生活でも同じことをやってもらえるのではないかという妄想を抱く。現実には誰と結婚しようとも、「夫にやさしくシャンプーやマッサージをする妻」は地球上にはひとりもいない。
それでも男子は一般に利口ではないから「ひょっとしたら」と無意識にバイアスをかけて考えてしまう。
何度も通ってくるようになった客はいつからか美脚の先生よりも、優しく微笑む先生を指名するようになる。そうして、食事に誘い、いつの間にかゴールイン。
ニュー東京の1970年代は出会いの場、お見合いの場にもなっていったのだった。ニュー東京で出会った、先生とお客さんのカップルは10組以上になる。
■ニュー東京は何が新しかったのか
さて、開店早々から繁盛したニュー東京では、サービスの充実に力を入れた。理髪だけでなく、美顔、マニキュアといった紳士向け美容サービスを強化していったのである。
レブロン化粧品の美容部員に来てもらい、顔パックや爪の手入れの講習を受けた。サービスメニューを増やし、客ひとりあたりの単価を上げていく。純ちゃんは15歳から理容師として腕一本で生きてきたが、経営の才能もちゃんと持っていたのだった。
彼女がニュー東京の経営で行ったことは経営学者、ピーター・ドラッカーが説く「顧客の創造」だ。理容師にミニスカートをはかせて、美脚を愛する客を誘導した。次に結婚相手を探す純情な独身男性という顧客を創造した。最後に、調髪以外のサービスメニューを開発して新しい顧客を引き寄せた。ハーバード・ビジネス・スクールのケーススタディにしてもいいような実例がニュー東京の経営といえよう。
新宿住友ビルに新店を出し、2店舗の社長兼理容師となった純ちゃんは働いた。朝8時には有楽町のニュー東京に出勤し、時には新宿の店も見回る。新国際ビルの地下に入っていた料理店と喫茶店が撤退したので、引き継いで、熊本料理店「あづま」を出した。喫茶店も併せて経営することにした。
社長業が忙しくなったこともあって、理容師こそ引退せざるを得なくなったが、空いた時間はニュー東京の掃除をやり、あづまでは皿洗いをやった。
毎日、午後10時まで働いて、働いて、働いた。働きづめの職業人生である。
■「1000カット」の登場で打撃を受けたが…
順調だった社業に変化が訪れたのは1990年代の中頃からだ。
1996年、千代田区神田美土代町に1000円カットのチェーン「QBハウス」の1号店がオープンする。1000円札1枚でヘアカットをする店で、洗髪、マニキュアなどはやらない。カットにかかる時間はおよそ10分。いわゆる「1000円カットの床屋」である。
以後、1000円カット店は瞬く間に全国に進出していく。こうした店には男性だけでなく、女子もまた利用することで客数を増やし、利益を上げた。こちらもまたドラッカーが説く「顧客の創造」を実践した業態だ。調髪それ自体ではなく、安さと時間を前面に出した新業態である。
純ちゃんは「大きな影響を受けた。特に若いお客さんを取られた」とは思ったが、ニュー東京にも生き残る術はあると信じている。
「うちみたいな床屋さんの景気が悪くなったのは1000円床屋さんが出てきた後でした。でも、1000円床屋さんだって儲けを続けるのは大変だと思います。だって、バリカンを入れて、ガーッと刈り上げて、掃除機で髪の毛を吸い取る……。それで10人の頭を刈って1万円でしょう。
郊外ならできるかもしれませんが、うちみたいに高い家賃を払う場所ではとても同じことはやれません。その証拠に有楽町の駅前にも1000円床屋さんが一軒ありましたけれど、もう辞められましたね。地価の高いところでは難しいと思います」
■コロナ禍を乗り越えて「グーグルで星5つ」
「うちの料金は3400円です。頭を刈って顔を剃ってシャンプーして、その値段。この辺のお店だと4800円とか5000円じゃないかしら。有楽町では安いです。
コロナ禍ではほんとにお客さんが減りました。1日に6人しか来なかった日もありました。おかげさまで今はもう戻りましたよ。昔からのお客さんに加えて、若い方もいらっしゃるようになったんです。ほら、あれ、グーグルって言うんでしょう?
あのクチコミでね、褒めていただいていて、星5つですよ。
『料金が安くて、年を重ねたやさしいお姉様方が癒やしてくれる』。そんな、ありがたいコメントがあるそうです。
うちは近所に比べると安いから若い方もいらっしゃることができる。私はね、先生方にはひとりあたり3万円は売り上げないとダメよって言ってるんです。そうですね、ひとりの先生が8人から9人をサービスするとそれくらいになるんです。それくらいの売り上げがないと、とてもお家賃を払っていくことはできません」
■「サービスとはなにか」純ちゃんの答え
理容店のサービスとはなんだろうか。
むろん、ヘアカットの技術がいちばんだ。ヘアカットが下手な店には誰も行かない。
純ちゃんは言う。
「バリカンを入れますよね。それで、髪の毛に段ができないようにカットする。それが基本の技術です。遠くから見て髪の毛に段ができたようなカットでは昔はさんざん怒られたものです」
では、髭剃り、爪の手入れ、シャンプーといった付属技術はどうなのだろうか。うまい下手はどこに表れてくるのだろうか。
「髭剃りでもシャンプーの仕方でも、やっぱり上手下手はありますよね。でも、髪の毛と違い、傍から見ていてわかるものじゃありません。上手下手はお客様に聞いてみるしかないんです。髭剃り、シャンプー、マニキュア、マッサージはお客様の判断なんです」
理容店のサービスとはつまり、これだ。ヘアカット以外は客が判定する。客がいいといったものが上質なサービスだ。技術者同士が評価したものでもないし、コンテストで優勝したからいいわけではない。
■「適当でいい」という言葉から髪型を探っていく
「客の要望を採り入れる。それでいて客に要望と現実との違いを上手に理解させる」
サービスの本質とはこれだ。
客の頭は理容師の「作品」ではない。理容師が自らの技術を誇示して、思うがままにヘアスタイルを整えることは創作行為で、上質なサービスではない。
だからといって客が言った通り、忠実に髪の毛を切ればいいわけでもない。
客は「どういったヘアスタイルが自分に似合うのか」をわかっているわけではない。「どんな髪型にしますか?」そう聞かれて、「短髪のツーブロック」「ソフトモヒカン」「スポーツ刈り」「パンチパーマ」と答える人はまったくの少数だろう。
大半の人は「伸びた分を切ってください」と言う。普通は「適当でいい」「みんなと同じ」がいいのである。
理容師のサービスはここから始まる。
「夏ですから、短めにしませんか?」
客の質問を受け、上手に誘導しながら、客が気に入る髪型を提案し、それに仕上げていく。
客は理容師が提案して初めて、自分の髪形にちゃんと向き合うのである。いい理容師はコンサルタントみたいなものだ。客と一緒に似合う髪型を見つけるのが仕事だから。
純ちゃんはコンサルタントだ。ニュー東京の先生たちもそうだ。4年近く、同店で髪の毛を切りながら、わたしは観察してきた。そのわたしが言うのだから間違いはない。
■1000円カットでは得られないサービスがある
ニュー東京には若い客が増えてきたとはいえ、主流は年配の客である。それも川淵キャプテンのように50年近く通っている顧客たちだ。
それほど長く通っている客に対しても、彼女たちは「どうしますか? ちょっと長めにしてみませんか?」と毎回、提案をする。提案して、そして答えを引き出していく。
なかには、ほぼ毛髪というものが存在しない顧客だっている。毛髪の少ない客に対しても、「サイドを長めにしませんか?」と提案する。てっぺんは少なくとも、サイドには毛髪が存在しているパーセンテージが高いからである。
客は髪の毛を切ってもらうだけでは満足しない。小一時間の間、話を聞いてもらいたいし、世話を焼いてもらいたい。そして、毛髪がなくても「あら、カッコよくなりましたね」と言ってもらいたい。
ニュー東京にあるのはそういうサービスだ。
純ちゃん(わたしは小山さんと呼ぶけど)に聞いたことがある。
「床屋さんって儲かるんですか?」
彼女は断言した。
「昔は儲かりました。今はダメ。昔、景気がいい時、うちは3年に一度は内装を変えてましたよ。ユニフォームも毎年、変えてました。ミニスカートはもうずいぶん前にやめたんですけどね」
「1000円床屋」の隆盛におびえたこともある。コロナ禍で絶望に近い想いを味わったこともある。
■今日も「丸の内の男」が店を訪れる
純ちゃんの私生活は決して順風満帆ではなかったが、今では良き夫、子ども、孫がいる。先生方は6人もいる。川淵キャプテンを始めとする純情な客たちがいる。人に恵まれている。
それが幸せってもんじゃないだろうか。
「はい、そう思います。うちには丸の内の会社を退職した後も、他県からいらっしゃる方、多いんです。奥さんとか娘さんが付き添いでいらして『もう絶対、他の店には行きたくない』っておっしゃる。
うちがいいのもあるでしょうけど、やっぱりみなさん、丸の内にお勤めしてたことに恋しさがあるんでしょうね」
なるほど。
「オレは丸の内で働いてたんだ。丸の内以外の床屋なんかに死んでも行くもんか。そういうことですね」とわたし。
純ちゃんは「はい」と言って腕を組んだ。
「たぶん、そういうことだと思いますね」
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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