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101歳の元ナチス親衛隊を逮捕、禁固5年の刑に…600万人のユダヤ人を見殺しにしたドイツの反省する力

プレジデントオンライン / 2023年10月22日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zodebala

2015年の「欧州難民危機」で、ドイツは難民希望者をすべて受け入れた。ジャーナリストの池上彰さんは「ドイツは、ナチスがホロコーストを起こした責任を認め、謝罪と反省を繰り返してきた。子どもの頃からこうした歴史を学んでいるため、難民を受け入れなければならないと考える国民が多かった」という――。

※本稿は、池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

■ホロコーストを見て見ぬ振りした“共犯者”

第二次世界大戦中、ドイツは占領した地域でユダヤ人狩りを実行します。ユダヤ人を強制収容所に集めて虐殺していったのです。これはホロコーストと呼ばれます。よく知られているのはポーランドにあるアウシュビッツ収容所ですが、それ以外にも各地に収容所を建設しました。総計600万人ものユダヤ人が殺害されたのです。

第二次世界大戦後、この実態が明らかになると、ドイツは世界中から非難を浴びます。

ドイツ国内にも収容所の跡は残っています。つまり加害の証拠が存在しているので、言い逃れはできません。

もちろんドイツ人が全てユダヤ人の殺害に手を貸したわけではありませんが、ユダヤ人たちがどこかに連行されて行く様子は、多くのドイツ人が認識していました。つまり、積極的に関与しなくても、見て見ぬふりをすることで、多くのドイツ人の“共犯性”が問われたのです。

■西ドイツはイスラエルに7兆円超の補償金

この責任をどう取るのか。責任を取らなければ戦後のヨーロッパにドイツの居場所はない。このため旧ドイツは徹底した反省に取り組むのですが、旧東ドイツは、ほとんど取り組みをしませんでした。それが現代のドイツにも影を落としています。まずは西ドイツでの取り組みを見ておきましょう。

たとえば1952年、西ドイツ政府はイスラエル政府との間でナチスの犯罪に関する補償について合意します。2018年末までに約440万人の被害者に483億1200万ユーロ(現在の日本円にして7兆3434億2400万円)の補償金を支払いました。

さらに戦時中ドイツの多くの企業がユダヤ人や外国人に強制労働を行わせた責任を認め、2000年に政府と企業約6500社が強制労働被害者のための基金を創設し、被害者約167万人に44億ユーロ(日本円で6688億円)を支払っています。

■歴代首相や大統領が謝罪を繰り返してきた

それだけではありません。歴代の首相や大統領も謝罪を繰り返してきました。

たとえば1970年、当時の西ドイツのウィリー・ブラント首相は、ポーランドに建てられたユダヤ人の慰霊碑を訪れ、ひざまずいて祈りを捧げました。この映像が世界に流れ、「ドイツの謝罪」として世界の人々の記憶に刻まれました。

また1985年5月8日、ドイツの無条件降伏から40周年の日にリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領はドイツ連邦議会で演説しました。その一部を紹介しましょう(『荒れ野の40年』)。

■「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」

「目を閉ざさず、耳を塞がずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。

しかし、犯罪そのものに加え、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのが現実であります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。(中略)

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。この言葉は歴史に残ります。

さらに2019年、第二次世界大戦のきっかけとなったナチス・ドイツによるポーランド侵攻から80年を迎えた9月1日、ポーランドで行われた式典にドイツのシュタインマイヤー大統領が参列。ポーランド語で「過去の罪の許しを請う。われわれドイツ人がポーランドに与えた傷は忘れない」と述べて謝罪しました。

■101歳の元ナチス親衛隊は禁錮5年に

ドイツ政府は戦時中のナチスの犯罪については時効をなくし、専門に捜査する部局を設置しています。

その徹底ぶりの象徴が、2022年6月に判決が言い渡された裁判です。ベルリン近郊の裁判所で、地元に暮らす101歳の男に禁錮5年の判決が下りました。罪状は3500人の殺人ほう助です。男は第二次世界大戦下の約80年前、ナチス親衛隊の下級隊員で、ユダヤ人が虐殺された強制収容所の看守でした。

アウシュビッツ強制収容所
写真=iStock.com/VisualCommunications
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VisualCommunications

戦後は家族にも過去を語らず平穏な人生を送ってきましたが、ついに追跡の手が伸びて逮捕されたのです。被告は車椅子で出頭しました。たとえ100歳を超えても責任は追及する。これがドイツなのです。

また同年10月には強制収容所の司令官の秘書だった当時18歳で97歳になっていた女性にも有罪判決が言い渡されています。彼女は速記のタイピストだったのですが、ナチスの犯罪に関与した責任が問われたのです。

■ホロコースト否定は言論の自由にあらず

そんなドイツでも、戦後しばらくすると「ナチスによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)はなかった」とする言説が出現します。

これに対しドイツ政府は、こうした言説を違法とする法律を制定します。

「ホロコーストはなかった」「アウシュビッツにガス室はなかった」などの発言は言論の自由には当たらない、これは虚言である、というわけです。これが刑法130条3項です。

この法律は「ホロコーストの矮小(わいしょう)化・否定を行う関係者すべてに適用される。たとえば、ホロコーストの特定局面を否定したり、矮小化するような内容の本を作成し、印刷し、流通させた者たちがいると、その著者もしくは翻訳者のみならず、編者、出版社、書店、さらにはその本を二冊以上所持している者すべてが処罰される」(『〈和解〉のリアルポリティクス』)のです。

学校教育でもドイツの過去について徹底的に学びます。ナチスが政権を取り、ユダヤ人を迫害し、第二次世界大戦を引き起こした歴史について、高校の授業では一カ月をかけて学びます。さらにドイツ国内に残る強制収容所の跡地を訪問することになっています。

■「ナチス式敬礼は禁忌」と子供も知っている

また右手を斜め前方に挙げる挙手はナチス式敬礼として禁止されています。授業中に挙手するときは、右手の人差し指を垂直に立てるのです。

私たちはタクシーを呼び止めるときに右手を斜めに挙げることが多いと思いますが、これもドイツでは禁忌。右手を真横に出して車を止めるのです。

さらにドイツ国内で歩道を歩いていると、「躓きの石」を見つけることもあります。歩道に、目の前の家に住んでいたユダヤ人の名前や生年、殺された場所などが刻まれているのです。歩いていると躓きかねないような形に埋め込まれ、ナチスの蛮行を忘れないようにしているのです。

「躓きの石」
写真=iStock.com/Fortgens Photography
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Fortgens Photography

■ヨーロッパを目指した大量のシリア難民

そんなドイツを2015年、「欧州難民危機」が襲います。2011年末から始まったアラブ諸国の民主化運動は「アラブの春」と呼ばれました。

独裁政権が続いていたアラブ諸国で民主化運動が活発になります。チュニジアのように独裁者が逃亡して民主的な選挙が実施され、とりあえず落ち着いた状態になった国がある一方で、シリアの場合は独裁を続けてきたアサド政権と反政府勢力が内戦状態となります。このため多くのシリア人が国を出て難民となりました。

彼らの多くは、いったんは近隣のヨルダンやトルコに逃げ込み、難民キャンプで生活しますが、やがてヨーロッパを目指して動き出します。2015年9月になって、多くの難民が北を目指しました。まるで「アラブ民族大移動」の様相を呈したのです。

小舟で地中海を渡ってギリシャやイタリアに逃げ込む難民は、さらに陸路ドイツに向かいます。バルカン半島の陸路を選択し、ハンガリーを経由してオーストリアからドイツを目指した難民たちもいました。彼らは、ドイツが難民を迎え入れ、手厚く保護してくれることを、先に逃げ込んだ人たちからのSNSを通じて知っていたからです。

EUのルールでは、難民申請の希望者は、最初に入国した国で手続きをすることになっているため、ギリシャやイタリア、ハンガリーなどEUの外部と国境を接する国に難民が殺到し、負担が増えます。各国とも難民受け入れに消極的になり、押し寄せる難民の波は大きな国際問題となりました。

■メルケル首相「希望者を全員受け入れる」

地中海を小舟で渡る難民たちは、しばしば舟が転覆して犠牲者を出します。とりわけエーゲ海で遭難し、トルコの海岸に打ち上げられた3歳のシリア人男児の遺体写真が世界に配信されると、「難民を受け入れなければ」という機運は高まりますが、各国とも準備が進まないままでした。

このときドイツのメルケル首相は、難民希望者を全て受け入れる決断をします。メルケルは敬虔(けいけん)なプロテスタントのキリスト教徒。キリスト者として難民の苦難を見逃すわけにはいかなかったのです。結果、2015年から16年にかけてドイツで難民申請をした人は120万人を超えました。

ハンガリーでEUに入った難民は、ハンガリーでは難民申請せず、オーストリアに入り、そこから鉄道でドイツに運ばれました。

■ドイツ国民が歓迎した背景にナチスの影

当時、私はこの様子を取材しました。オーストリアのザルツブルクからドイツのミュンヘンに行く国際列車は、車両の一部が難民専用車両に指定されました。終着のミュンヘン駅では、まず一般の乗客が降ろされ、その後、難民たちが待ち構えていたバスに向かいます。バスに乗る前には健康診断を受けることもできました。そこで私が驚いたのは、大勢のドイツ人が難民を歓迎するために集まっていたことです。

ヨーロッパの他の国が難民受け入れに難色を示していたのに、歓迎する人たちが大勢いたからです。難民の子どもたちのためにおもちゃを持参する人も見られました。

EU諸国が難民の存在を迷惑視する中で、なぜドイツは難民を受け入れたのか。そこにも過去のナチスの影がありました。ナチスはユダヤ人を虐殺する前に、まず少数民族のロマ人(かつてはジプシーと呼ばれたが、これは差別語であるとして現在は使用されない)を収容所に入れて虐殺することから始めました。

池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん』(ポプラ新書)
池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん』(ポプラ新書)

ドイツ人は、子どもの頃から学校でこの歴史を習っていたため、アラブからの難民を受け入れなければならないと考える人が多かったのです。彼らはメルケル首相の決断を支持しました。

メルケル政権は、ドイツの各州に、そこの人口とGDPに比例する数だけの難民を割り当てました。各州の企業は自発的に空き倉庫を難民キャンプとして提供したり、アパートの空き部屋を州政府が借り上げて難民を収容したりしました。難民申請中はドイツ国内で働くことができないので、毎月生活費も支給。ドイツ語教育も無料で実施しました。少子高齢化が進み労働力不足に悩むドイツは、アラブ人を「良きドイツ人」にするために受け入れたのです。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。6大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』『新聞は考える武器になる  池上流新聞の読み方』『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』など著書多数。

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(ジャーナリスト 池上 彰)

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