これができる中高年は強すぎる…蝶野正洋がプロレスに絶好のヒントがあると断言する"成功者の絶対法則"
プレジデントオンライン / 2023年10月16日 17時15分
※本稿は、蝶野正洋『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』(春陽堂書店)の一部を再編集したものです。
■プロレスラーに必要な派閥がとにかく面倒くさかった
俺は人脈って気にしたことがないんだよね。派閥もつくらなかったし。
猪木さんが現役のバリバリの頃から、新日本プロレスには猪木派を筆頭に坂口征二派や藤波派、長州力派、それからUWF派閥なんてのもあったけど、俺に関してはどの派閥にもまともに関わっていなかった。
プロレスラーは、なぜ派閥をつくりたがるのか。
これは政治の世界とまったく一緒で、トップどころの人間や、ゆくゆくトップに就こうと考えている人間というのは、まず人を集めて「勢力」をつくるんだよね。
政治では、「解散風」とか「勢力の風向きが変わった」なんて言い方をするけど、その“風”は独りではどんなにうちわであおいだところで弱すぎる。徒党を組んでうわさを流したりしながら、自分たちが組織の第一党になるべく風向きを変えていくんだ。
プロレスの世界でいえば、派閥という数の力で会社との駆け引きを有利にもっていったり、場合によってはそのまま独立したり。プロレスラーとして天才的なセンスと技量を誇る、あの武藤さんだって“武藤派”をつくったからね。橋本選手にしてもそう。
でも俺は、派閥らしい派閥はつくらなかった。理由は、とにかく面倒くさいから。
プロレスって、最終的にはリングの上で俺自身がどうあるべきかという、そこの勝負でしかないから、リングでの職人の部分と、団体をつくるとか興行をプロモートするという意識は別物だ。
もちろん、俺にしても後者の役割をやってみたいという思いがないわけではなかったけど、どうせやるなら新日本プロレスを超えるコンテンツにしたい。でも、当時の新日本プロレス以上のステージをつくるのは、とんでもなく大変だろうなということは、よくわかっていたからね。
希望はあるけど険しい道を避けたという意味で、俺はラクをしていたのかもしれないね。
■昔から自由が好きだった
俺は昔から束縛されるのが好きじゃなくて、自由な立ち位置をずっとキープしていた。
はるか昔にさかのぼって走り屋のリーダーだった学生時代も、自らやりたかったわけではなく、流れでトップを任されただけだった。
もともと集団行動があまり得意じゃないから、集会に行ってはいたけどピンでの参加。徒党を組む感じじゃなかった。何人かリーダーになりたいヤツがいて、俺はたまにお客さん的に見にいっただけ。それなのに、なぜかリーダーに選ばれてしまった。
おそらく、あちらを立てればこちらが立たずで、誰を選んでも不満分子が出てきてしまう。俺のような、昔でいうノンポリ、つまりノーポリシー、ノープランのような人間がリーダーになれば、立っていた角もとれて丸く収まるんじゃないかと、先輩たちは考えたのかもしれない。
この立ち位置は新日本プロレスでも同じで、ほかにも適任の人間がいたはずなのに、選手会長とか現場監督を長くやらされたんだよね。
■プロレスの経験はすべてのビジネスに活きる
世の中のあらゆるビジネスは千差万別に見えて、「人と人」が行うものであることに変わりはない。だから、そこには共通した商いの法則や成功法則がある。
プロレスとは全然関係のないアパレルの会社を立ち上げたとき、正直、プロレスの経験なんてクソの役にも立たないと思っていた。でも、実際はまったくそんなことはなかったんだ。
それを教えてくれたのが、俺の周りにいる経営者たちだ。
プロレスファンの経営者たちから、プロレス特有の駆け引きや話題のつくり方がすごく参考になると言われたんだよね。
駆け引きや話題というとわかりにくいので、「ストーリー性」とでもいうのかな。
プロレスでは、シリーズを通して、あるいは年間を通じて、それぞれの選手たちの戦いのテーマっていうのがある。メインイベンターや主力選手たちの紡ぐストーリーが団体の中心だけど、それ以外にも抗争や因縁、裏切り、友情など、あらゆるストーリーが張り巡らされていて、そのストーリーを追いたくてファンは見続けているわけだ。
![戦う二人のレスラーと審判](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/9/1200wm/img_a9ac19d2ed0fb288e1db1d857a2d5601208947.jpg)
ストーリーによっては数年、数十年越しの、まさに大河ドラマみたいな物語になることもある。でも、これって実はプロレス業界に限ったことじゃない。
どんなビジネスにも「ストーリー」が大事なんだ。
繁盛しているラーメン店、IT企業なんかでも、ホームページを見てみると創業者がいかにしてこのラーメンのスープの味にたどり着いたか、あるいは思いがけない人との出会いから、これまでにないアイデアが生まれ会社設立に至った……なんていうストーリーが載っていることが多いし、新商品の開発秘話なんかも見る機会がすごく多い。
提供する商品やサービスが似たり寄ったりの場合、そこにドラマチックな物語をプラスすることで価値が上がる。これが今の時代の売れ筋なんだ。
どんな企業も今や“物語”や“ストーリー”に飢えていて、その絶好のヒントがプロレスなんだそうだ。
プロレスだけじゃない。自分が今までしてきた経験、仕事をどれだけストーリー化、ドラマ化できるか。自分のやっていることを、ふだんからちょっと客観的な視点で見るクセをつけておくと、この先、違う業種にいってもそれが大きなヒントになると思う。
酸いも甘いもかみわけた50歳ならなおさらだよ。
■アメリカのレスラーから「自己満足の試合をするな」
自分がどうしたいかじゃなくて、人がどう思うか。
基本的にはこれもすべてのビジネスに通じる考え方だよね。たとえばデザイナーで商業デザイナーと芸術家デザイナーがいたとしよう。芸術家デザイナーは評価は関係ないんだよね。
たぶん物書きなんかもそうだと思うけど、自分で書きたいものを書いている人は、どこに出すとかという設定じゃなくて自分の表現を形として残したい。でもビジネスをやっている以上はそこにはお客さんがあり、必ず“評価”を受けるから。
俺の中にも、若い頃は自分が思うような試合ができていない、前座選手だから評価されない、どうすればいいのかわからないという葛藤があった。
その点、アメリカのレスラーたちは客や同僚のレスラーからズバって言われるよね。ジャックオフしていた。つまり自己満足の試合なんてするなよと。
アメリカではウエートレスもエンターテイナーだよ。自分を見せながらその場を楽しくつくるマインドが根づいている。彼らにくらべたら、日本は人を喜ばせるという文化はそこまで成熟していないのかもしれないね。
プロレスでいうと興行論と道場論。そこが若い頃の俺らにはわからなくて。道場論を持っていないと日本人はダメだなんて言われたものだ。でも道場論だけでやっていたら興行ではない。
そこを上手にブレンドして、お客さんを喜ばせるイベントにつくりあげたのが、UWF系の人たちだ。もともと道場でやっていたような異種格闘技の交流会が興行になっていって大ブレイクした。
■相手の欲求に寄り添ってから、自分の色を出していく
俺もここぞというおいしい場面で、客が喜ぶようなマイクアピールや立ち居ふるまいをするのが苦手。やっとできるようになってきたのが、やっぱりnWo JAPANになってからかな。それまではおいしいのが目の前にあれば単においしく食べればいいのに、「ただおいしく食べるだけじゃ当たり前すぎるな」という感覚だった。
G1クライマックス初優勝(1991年)ではまだ全然。「当たり前すぎることは言いたくない」なんて、それこそジャックオフ状態で、せっかくのチャンスに反応できなかった。
![蝶野正洋『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』(春陽堂書店)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/6/1200wm/img_36de001848a5a95507e7ec8f83c46d3b130688.jpg)
メインイベントとか大きな興行のときほど、その当たり前をお客さんの前でまずやらなきゃいけない。さらにそこに何かオリジナリティーを足すことができて、初めて一流になれる。
でも、ペーペーの頃はその当たり前がなんか照れちゃうんだよ。
当たり前のうれしい、おいしい、という反応を飛ばして「うーん」と考えてるから「あいつどうしたんだ? 今食ったのはうまかったのか、まずかったのか? どっちなんだ?」と見てるお客さんもどう反応していいかわからない。
相手の「これが見たい」「これがほしい」に、まずは寄り添ってみる。自分の「こうしたい」を出すのはそのあと。これって、すべてのビジネスや人づきあいに通じると思う。
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プロレスラー、実業家
1963年9月17日、父の赴任先である米国ワシントン州シアトルで生まれる。2歳のときに日本へ帰国。1984年に新日本プロレスに入門、同年10月5日にデビュー。1987年に2年半にわたる海外遠征に出発。遠征中に武藤敬司、橋本真也と闘魂三銃士を結成する。1991年、第1回G1クライマックスに優勝し、同年マルティーナ夫人と結婚。以後、G1クライマックスでは過去最多(2023年現在)の5回優勝。1992年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にnWo JAPANを設立して大ブームを起こし、その後、TEAM2000を結成。2002年に新日本プロレス取締役に就任した。2010年に新日本プロレスを離れてフリーとなる。2014年に一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を設立。消防を中心に広報啓発の支援活動を行う。
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(プロレスラー、実業家 蝶野 正洋)
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