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「聡明な女性だから叩かれるんだよ」男女平等を装って実は見下している…"ヨシヨシ爺さん"の罪深さ

プレジデントオンライン / 2023年10月20日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Satoshi-K

目立つ言動をして批判を受けた女性に対して、「聡明な女性だから叩かれる」という言葉が向けられることがある。文筆家の御田寺圭さんは「やさしく紳士的な態度に見えて、結局は女性を“劣等”として見下しているにすぎない。こういった態度こそが女性の主体性や能動性をスポイルしてきたのではないか」という――。

■ジャニーズ会見で「大暴走」した望月衣塑子氏

先日、ジャニーズ事務所の社名変更や今後の事業展開について説明する会見が行われた。会見内容以上に大きな話題となっていたのが、東京新聞記者・望月衣塑子氏の「ルール無視」の大立ち回りであった。

東京新聞の記者でArc Timesのキャスターも務める望月衣塑子記者がルールを破るマイク無しで2連続質問を実施し、順番を守っていた他の記者からは白い目が向けられた。その後も“一社一問”というルールを無視して強引に質問しようとし、司会から「最初に申し上げております。一社一問でお願いします。お願いします。ご協力ください」と静止され、井ノ原快彦も「落ち着いていきましょ。じっくりいきましょ」と暴走する望月記者をなだめていた。
(ORICON NEWS「ジャニーズ事務所会見、望月衣塑子記者が“大暴走” 順番守れず井ノ原快彦がなだめる『落ち着いていきましょ』」より引用)

本来ならばジャニーズ事務所が追及される場であるにもかかわらず、周囲の記者からも白眼視されていたという望月氏の「暴走」を冷静に諫めたジャニーズ事務所側(井ノ原快彦氏)への支持がなぜか集まってしまう一幕があり、会見に参加した関係者のみならず中継を見ていた世間からも批判や呆れの声が多くあがったようだ。

このように、望月氏のスタンドプレーには内外から批判の声が多く集まっていたようだが、SNSを中心にして望月氏を擁護するような声も散見されていた。そうした声のなかでもとくに目を引いたのは、氏が批判された原因について、個人の言動ではなく属性に求めるタイプの論調だ。

■「彼女は聡明な女性だから攻撃されている」の声

ようするに、今回の会見にかぎらずだが望月氏のしばしばアグレッシブでセンセーショナルな態度に対する世間からの批判や冷ややかな視線に対して、「彼女は聡明な女性だから攻撃されている」とか「彼女はモノ言う女性だから叩かれている」などといった観点から擁護的・同情的な態度を示すものだ。

少なくとも今回の会見にまつわる言動とそれに対する批判の声を見るかぎり、望月氏のことを「聡明な女性だから」「モノ言う女性だから」という動機で批判している人はまったくといってよいほど見つけられなかった。私が観測するかぎり、望月氏が批判されているのは「聡明な女性だから」でもなければ「モノ言う女性だから」でもなく、ましてや「女性だから」では断じてない。そうした女性蔑視的な動機をもって望月氏を批判している人は皆無といってよく、端的に望月氏の言動や態度が性別関係なくフェアに批判されているにすぎない。

■「女性だから叩かれている」中高年男性の“かわいがり”

個人的な所感を率直に言わせてもらえば、女性発言者が自身の言動について批判されているときに「聡明な女性だから、モノ言う女性だから叩かれているのだ」などと的外れなことを言いたがる人は、年齢でどうこういうのは個人的には好みではないのだが、高齢者にあまりにも多い。具体的にいえば60歳代よりも上の年代の人びとが、とくにこういう「聡明な女性/モノ言う女性だから叩かれるのだ論」をぶち上げたがる。単純な世代論で説明したくはないのだが、こればかりは「世代的な慣習」としか言いようがない。世代に特有の習い性のようなものを共有しているように見える。

この年代の、とりわけ文化人や知識人などに位置するインテリ系の男性には、客観的にはどう好意的に解釈してもヒステリックに盾突いているだけに見える人物をさえ、やれ聡明だの利発だの男まさりだのとおだてて「かわいがる」のを是とする風潮があった(あった、というか現在進行形であるのだが)。ようするに、吠えかかる仔犬を「ヨシヨシ、そんなに吠えて可愛い奴よのお」と余裕しゃくしゃくにあやすような、そういうしぐさである。

あくびをしている小型犬
写真=iStock.com/fstop123
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fstop123

この年代の人びとが若かりし頃は、そういう「ヨシヨシ」しぐさをすることが「女性に対しても寛容で、女性だからといって話を聞かないような頑迷な保守的態度からは訣別した、次世代のリベラルでスマートな男性のあるべき姿である」といった評価でもって持て囃されていた。そして彼らはその当時の時代精神を今日もそのまま温存して実践するお年寄りとして世間の各所に君臨している。

■日本の伝統的家父長しぐさの反動ではないか

「女の話なんぞ聞かんでいい」という日本の伝統的家父長しぐさの反動として、「物言う女性に耳を傾けてあげる殊勝な(男女平等でフェミニストな)俺たち」というリベラルな態度を取るようになった――というのが実情なのだろう。だが、はっきり言ってしまえば、そういう態度もまた2023年現在においては時代遅れというか、かつて彼らが唾棄した伝統的保守しぐさと大差ない性差別主義的(女性蔑視的)な態度であるとして、とくに若年層の男性からは白眼視されている。

望月氏が今回批判されているのは「聡明」や「モノ言う」とはほど遠い言動であったからこそだ。彼女を批判している人びとは、彼女が女性だから叩いているわけではない。男女など関係なく言っていることとやっていることだけを客観的に見て、フェアに判断しているに過ぎない。

望月氏のことを「聡明な女性/モノ言う女性だから叩かれているのは気の毒だ」などと言ってヨシヨシと慰める言説を取っている人の方が――当の本人は自身のことを「男女平等」と自負しているのかもしれないが――女性の発言や態度を、性別抜きで正当かつ客観的に判断する観点をもっていない女性蔑視的な人物であるとすらいえるだろう。

望月氏を「女だから」などとゲタを履かせたり甘やかしたりせず、男性に対して行うのと同じ厳しさで、その言動だけを見て批判している側の人びとの方がよほどフェアネスを遵守している、本当の意味での男女平等主義者であるとさえいえる。

■女性自身の成長の機会すらも奪っている

そもそも望月氏にかぎらずだが、女性ジャーナリストだろうが女性学者だろうが女性作家だろうが女性言論人だろうが、SNSを含むメディアやオピニオンの世界でリベラル・インテリ系中高年男性から「聡明だ」「理知的だ」「モノ言う女性だ」などと寵愛を受けがちな女性がしばしばオーディエンスから批判されているのは、「女性だから」ではない。そうではなくて、端的に言っていることがおかしいからフェアに批判されているのだ。ひとつの例外なく全てがそうだとまでは断言しないが、それがほぼすべてであるとはいえる。

黒板に描かれた拡声器を持つ手
写真=iStock.com/marrio31
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/marrio31

にもかかわらず、女性だからとヨシヨシしたがるインテリぶった中高年男性だけが後からしゃしゃり出てきて「女性だからと叩く風潮はけしからん(私は君たちと違い、このお嬢さんの言っていることにも耳を傾けてあげられるような進歩的価値観と男としての度量があるのだよ)」と、まったくわけのわからないことを言って得意になっている構図がある。

その女性への批判をする人びとをまるごと「ミソジニスト」や「性差別主義者」としてラベリングして封殺してしまうばかりか、それによって批判を受けていた女性自身の成長の機会すらも間接的に奪ってしまうのだ。

■女性を“劣等”として見下している「ヨシヨシ爺さん」

皮肉としか言いようがないが、日本社会で真に聡明な女性/モノ言う女性がなかなか現れないのは、「聡明な女性だから叩かれる・嫌われているのだ」などと言いたがる慈悲深さによってコーティングされた性差別意識を内在化させた「ヨシヨシ爺さん」が、メディアの世界はもちろんだが、ジャーナリズムにしても企業社会にしてもあるいはその他の社会の各所でも相当に幅を利かせてしまっているからでもある。

「女の言うことだから、我々は頭ごなしに否定するんじゃなく、なんでも聞いて頷いてあげましょうや」という甘やかしを平然とやるような「ヨシヨシ爺さん」のせいで、女性は男性と同じ土俵・同じレベルの議論に参加することができなくなる。

「ヨシヨシ爺さん」の態度はたしかに女性の主観的にはやさしく、紳士的な態度をまとっているようには見えるだろうが、パフォーマティブには「女子供のいうことですからね。まっ、我々は寛大な心でそれを聞いてあげるのが男のたしなみというものですよ(笑)」と、女性を結局は“劣等”として見下しているに他ならない。

■ゆとり世代以下が持つ「問答無用のフェアネス」

他方で、現在の若年男性――具体的に年代をいうなら令和5年現在で39歳以下、つまりゆとり世代以下の男性たち――が内面化しているのはどちらかといえば「女性だからといって話を聞かないなどもってのほかだが、かといって無条件に支持したり応援したり賛同したりするのではなく、まずは男性と同じ俎上(そじょう)にあげてフェアに批評する」という態度である。問答無用の融通の利かないフェアネスだ。世代が下になればなるほどこの傾向は顕著になる。

どちらかといえば「ヨシヨシ爺さん」よりも若い男性が持つ態度の方が本来的には男女平等なのだが、これは女性に対しても厳しい批判や非難を遠慮なく向けることと表裏一体であるため、いままで「ヨシヨシ爺さん」から享受してきた有形無形の甘やかしこそが「男女平等」だとナイーブに考えてきた女性たちにとっては、若い男性の態度は男女平等どころか「ミソジニー」「女叩き」と思ってしまうこともあるのだろう。

だがこれだけは言っておきたい。世の中に聡明な女性やモノ言う女性が本当に現れたときに、それを正当に評価して肯定したり応援したりできるのは、女性のことを甘やかすことばかりが自己目的化しておりその人が言っていることなど実はなにも真剣に聞いていない「ヨシヨシ爺さん」ではなく、女性だからとゲタを履かせたりしない次世代の若い男性たちであると。

男女が男女平等を象徴するコンクリート製のシーソーに座っている
写真=iStock.com/Eoneren
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Eoneren

■「ヨシヨシ爺さん」が日本をダメにした

こうした「見下しまじりの甘やかし」のことを「男女平等な態度」と偽って喧伝してきた「ヨシヨシ爺さん」が日本にもたらしてきた弊害はじつのところきわめて大きい。

彼ら「ヨシヨシ爺さん」こそが日本の女性の自立心を挫き、なおかつ女性を男性と同じ土俵で勝負するような動機を萎れさせ、「女性はかわいそうな被害者なんだから、いつだって男に甘えてもいいんだよ(お前ら若い男どもには、凄惨(せいさん)な差別を受ける女性の悲痛な申し立てを聞いてあげる道義的責務があるんだぞ)」と、甘い言葉でもって女性の主体性や能動性をスポイルしてきた存在だからである。彼らのおかげで日本の進歩は大きく停滞したといっても過言ではない。

女性は女性で、彼ら「ヨシヨシ爺さん」の慈悲的な見下しが心地よくすらあったので、彼らがつくってきた構造をそのまま受け入れてしまった部分はあっただろう。だが、本当に男女平等の時代の到来を望むのであれば「聡明な女性/モノ言う女性だから叩かれているのだ」などとやさしく語る長老たちとは訣別しなければならない。

彼らは女性をいつまでも「かわいそうな被害者」の箱に閉じ込めて自分の慈悲深さや寛大さをアピールすることに余念がないだけで、そのような態度こそが男性と真に平等な土俵で女性が活躍することを阻んできたのだから。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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