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"大手が手を出したがらない商品"で勝負できた…障害者雇用50%超の殻付き冷凍カキグラタンメーカーの底力

プレジデントオンライン / 2023年10月18日 8時15分

撮影=熊谷武二

山口県にある冷凍食品加工会社「カン喜」はグループ従業員140のうち、74人が障がい者だ。製造ラインはもちろん、バックオフィスでも障害を持つベテランたちが活躍している。その現場を取材した――。

■20歳近くも年上の障害を持った超ベテランの部下

「ミーちゃんはね、『明日は忙しくなるよ。これだけ作らなくてはいけないからね。皆でがんばろうね』って、事前に指示してくれるんだ。それとミーちゃんは、機械のスイッチの操作だったり、何か分からないことがあったりすると、わかりやすく教えてくれるんだよ」

そう話すのは、今年で入社34年目になる福重亨さんだ。-18℃に保たれた冷凍庫から運ばれてきた冷凍カキ原料は、まずサイズ別に振り分ける機械に投入される。その際に、細かく割れてしまったカキが混入していることがあって、予め取り除いておく必要がある。福重さんは、そうした選別作業の“超ベテラン”従業員なのだ。

福重さんの話に出てきた「ミーちゃん」は、20歳近く年下の三家本達也さんのこと。入社して12年目だが、冷凍カキの製造ラインの責任者を務めている。実は、そのラインに配置されている従業員8人の内、三家本さんを除いた7人すべてが障がい者なのだ。つまり、福重さんは三家本さんにとって“かなり年上の障害を持った部下”ということになる。

入社34年目になる福重亨さん
撮影=熊谷武二
入社34年目になる福重亨さん - 撮影=熊谷武二

■障害者の雇用率は国が課す法定雇用率の20倍

「フクちゃんのような知的障害の人は、一度覚えたことをしっかりと身に付けて、仕事に活かしてくれます。ですから、多少時間はかかっても、根気強く丁寧に教えてあげるようにしています。実際に教えたことができるようになってくれると、私もうれしくなります。ただし、納品先のお客様の都合で、その日の生産量が急に変更になることがあります。そうした突発的な状況の変化に対応することが苦手で、できるだけ事前に伝えられるように努めています」

上司と部下という立場に関係なく、そして年齢の差を超えて、お互いにニックネームで呼び合う――。それがカン喜の社内では当たり前の光景になっている。何より驚くのが、63人いる全従業員の46.0%に当たる29人が障がい者であることだ。国はすべての事業者に、法定雇用率以上の割合で障がい者を雇用する義務を課している。その法定雇用率は、これまで段階的に引き上げられたきたが、それでも2023年度における割合は2.3%にすぎない。カン喜はその20倍もの水準に達していることになる。

福重さんの20歳近く年下の上司である三家本達也さん
撮影=熊谷武二
福重さんの20歳近く年下の上司である三家本達也さん - 撮影=熊谷武二

■気軽に口にできるよう冷凍カキフライを開発

いまではOEM(相手先ブランドによる生産)を中心に冷凍のカキフライで5~6%の国内シェアを握る一方で、殻付き冷凍カキグラタンを国内だけなくアジアや北米の諸外国向けにも年間300万個も製造するカン喜のルーツは、1973年に山口県徳山市(現・周南市)で創業した「八木水産」にさかのぼる。冷凍魚介類の輸出会社である太洋農水産(現・ノースイ)向けの冷凍食品加工を事業の柱に据えていた。

しかし、経営がなかなか軌道に乗らず、78年に冷凍食品工場の運営を太洋農水産に移管する。そして、81年に工場長として太洋農水産から転勤してきたのが、現社長の上坂陽太郎さんの父親である道麿さんだ。当時、瀬戸内海で獲れるトリ貝の冷凍加工がメーンだったが、次第にトリ貝の漁獲量が減ってきて、道麿さんが目を付けたのが広島県の特産品のカキだった。

「生ガキは高級食材であり、鮮度を維持するための流通コストがかさみ、値段がどうしても高くなってしまいます。そこで流通コストを抑えて、気軽にカキを食べてもらえるようにするため、82年から製造を始めたのが冷凍カキフライだったのです」と上坂社長は言う。

カン喜の上坂陽太郎社長
撮影=熊谷武二
カン喜の上坂陽太郎社長 - 撮影=熊谷武二

■バブル経済全盛期に直面した人手不足の問題

それを機に八木水産と太洋農水産は、合弁会社「八木ノースイ」を設立し、出資者の1人であった道麿さんが社長に就任した。冷凍食品工場は八木ノースイに移されたのだが、バブル経済が全盛期に入った80年代後半になると、深刻な人手不足という問題に直面する。

「いまも本社工場がある周南市の戸田には、田畑が一面に広がっています。そうした土地柄を反映して、当時の従業員は農業を兼務する女性のパートタイマーが大半を占めていました。でも、米の収穫期になると休みがちになり、製造ラインの稼働率がダウンしてしまいます。そこで公共職業安定所(ハローワーク)で募集をかけたものの、より待遇のいい会社に人が流れてしまい、必要な人数をなかなか集められません。そうしたなかで、公共職業安定所から紹介されたのが、障がい者の方でした」

■雇用した障害者を「正育者」と呼ぶワケ

87年、八木ノースイは初めて1人の知的障害者を従業員として迎え入れた。当初、「こんな人に仕事をまかせられるのか」と社内外で反対の声があがった。しかし、道麿さんが手取り足取り教えると、一歩ずつ前進していく。そして数年経つと、任された仕事を確実に実行できるようになり、社内における必要な人間として、従業員の間で認知されるようになっていった。

「この世に障がい者で生まれたいと思っている人はどこにも存在せず、障害を持ったとしても誇りを抱きながら生きていきたいと願っている。そうした障がい者の思いを健常者は正しく理解したうえで、障がい者を正しく育てていきながら、自らの人間性も育んでいくべきではないか」――。そんな思いを募らせた道麿さんは、障害を持つ従業員のことを「正育者」と呼ぶようになり、正育者を積極的に採用し始めた。

障がい者と健常者が一緒に働く製造現場
撮影=熊谷武二
障がい者と健常者が一緒に働く製造現場 - 撮影=熊谷武二

■殻付き冷凍カキグラタンの成功で経営は“安定軌道”に

先の福重さんも正育者の1人で、2期目の正育者になる。それだけに長年にわたる会社の移り変わりを目の当たりにしてきた。「97年から殻付き冷凍カキグラタンの製造が始まったでしょう。八木ノースイからカン喜に会社の名前が変わったのは、確か2003年だったっけ」と話し、あたかも最近の出来事のように覚えている。

身を取り除いた後のカキ殻は、廃棄物として大量に捨てられてきた。それらを買ってきて洗浄し、そのうえにボイルしたカキを乗せ、工場内で作ったグラタンソースをトッピングしたうえで、トンネルフリーザーを通しながら冷凍加工を行っていく。一つひとつのカキ殻の形状は微妙に異なり、100%オートメンション化したラインに乗せることが難しい。そのため大手の食品メーカーは手を出したがらず、利幅の取れるオリジナルの主力製品となったのだ。

その殻付き冷凍カキグラタンの成功によって、八木ノースイの経営は“安定軌道”に乗るようなる。そうした最中の99年、上坂社長は勤めていた神戸製鋼所を辞めて、同社に入社した。そしてしばらくした後、障がい者の雇用をより積極的に推し進めていくために、カン喜として新たな船出を行ったのだ。社名は「働く者すべてが、生きる喜び、歓喜に満ちた会社でありたい」との道麿さんの思いを表したものである。

主力商品である殻付き冷凍グラタン
写真=カン喜提供
主力商品である殻付き冷凍グラタン - 写真=カン喜提供

■障害の種類によって適材適所を振り分け

冷凍カキフライ、殻付き冷凍カキグラタンなどの製造ラインは30ほどの細かい工程に分けて、その一つひとつができるだけ単純な作業でできるように工夫している。そして、一人ひとりの正育者にそれらの作業を割り振り、毎日同じ作業を繰り返してもらう。そうすることで、数年経つと確実に仕事をこなしてくれるようになる。

「でも、障害によって適材適所があります。精神障害の方は、メンタルが不安定で突発的に仕事を休んでしまうことがあります。そこで、休んでも影響が少ないカキ殻の洗浄作業についてもらっています。一方で、冷凍食品の製造ラインに向いているのは、知的障害の人たちです。一度覚えたことは決して忘れず、よほどのことがない限り休みません。ただし、冷凍カキフライであると、原料カキの選別だったり、パン粉を付ける前にカキを一列に整列させる作業だったり、負荷が比較的小さい作業についてもらっています」と上坂社長は話す。

取材当日に製造が行われていた殻付きホタテグラタンのライン
撮影=熊谷武二
取材当日に製造が行われていた殻付きホタテグラタンのライン - 撮影=熊谷武二

■一人ひとりが秘めた潜在能力を職場で活かす

そう語る上坂社長が目を瞠るのが、正育者たちが持っている個々の潜在能力だ。正育者の一人に、打楽器のマリンバの県内コンクールで上位入賞の常連者がいる。手先の器用さや天性のリズム感を活かしてもらうため、殻にカキを乗せていく作業に携わってもらっているが、そのスピードと正確さは誰にも真似ができない。また、記憶力が抜群によくて、珠算で段位の腕前を持つ正育者には、最終工程の袋詰めや箱詰めの作業についてもらい、出来上がった製品の個数管理にも目を光らせてもらっている。「職場以外での付き合いで、彼らの潜在能力に気づくことが多いのです」と上坂社長は言う。

ところで気になるのが、正育者の処遇だ。給与は毎年改訂される「最低賃金」がベースになり、その上積み分が給与のアップに直結する。「利益が出た場合、その一部を賞与の形で正育者の人たちにも配分しています。また、経験を積んで後輩の指導もできるようになると、数千円程度の手当も毎月付けるようにしています」と上坂社長は話す。そして何と驚くことに、福重さんと同じ勤続30年以上の超ベテラン組のなかには、能力が高くて製造ラインの責任者という要職を務めている人もいるのだ。

障害を持つ従業員であっても手際は健常者の従業員と変わらない
撮影=熊谷武二
障害を持つ従業員であっても手際は健常者の従業員と変わらない - 撮影=熊谷武二

■ISO22000の認証獲得で安心・安全面での保証を得る

「以前、納品先からクレームが入ることが、幾度となくありました。複数の会社から同様の製品を調達していることが多く、不良品が混じったり、異物が混入したりしていると、『障がい者がラインについているカン喜が納めたものに違いない』という先入観に基づいて、ロクに調べもせずにクレームを入れてきたようです。しかし、調達先をきちんと調べると、違う会社が納めたものであることがすぐに判明しました」

お菓子やベーカリーなど、狭いマーケットにおける小規模の食品加工に障がい者が携わることはよくある。しかし、カン喜のように最終的に国内外のマーケットで広く流通する食品の加工に大勢の障害者に携わってもらおうとしても、安心や安全面でのリスクを考えて二の足を踏んでしまうことが多い。そうしたなか、カン喜は2013年に食品安全マネジメントシステム「ISO22000」の認証を受け、第三者による保証を得られるようになった。全従業員が一丸となって取り組んだことで、“世間の常識”を覆したのである。

障がい者と健常者が一緒に働く職場を常に誇りに思う上坂社長
撮影=熊谷武二
障がい者と健常者が一緒に働く職場を常に誇りに思う上坂社長 - 撮影=熊谷武二

■正育者の誇らしげな表情を見て感じる上坂社長の喜び

「ある面で福祉に携わっているのは事実ですが、そのことを営業の場でアピールするようなことは一切行っていません。殻付き冷凍カキグラタンをはじめ、美味しいうえに安心して口にしていただける製品を、全従業員が企業人として当たり前のように、世界中の人に向けてつくり続ける。その結果が、年間300万個という数字に表れていることを折りに触れて伝えると、正育者の皆は誇らしげな表情を浮かべます。そのとき私は、心の底から『よかった』という思いに駆られます」と上坂社長は語る。

22年度は原料となるカキが不足して生産調整を余儀なくされて、減収が避けられなかった。その結果、17年間続いていた黒字経営が途絶えてしまった。しかし、23年度は21年度と同程度の7億5000万円前後の売上高に戻る見通しにある。こうした業績面での裏打ちが、正育者を含めた全従業員の自信を支えている。上坂社長は、新製品である「檸檬かきフライ」の強化などで、さらなる巻き返しを図っていく考えだ。

■就労継続支援やグループホームにも広がる輪

福祉の側面を切り分けてより強化するため、06年に特定非営利活動法人「周南障害者・高齢者支援センター」を設立し、08年からはセンター内で就労継続支援A型事業所「よろこびの里(現・よろこび)」が稼働を開始した。障害を持つ「利用者=従業員」の一部は、カン喜の製造ラインで指導を受けながら働き、そのままカン喜に就職する者もいる。また、借り上げた農地があって、農作業の指導を受けられる。そこで収穫されたタマネギは、カン喜でグラタンソースの材料として使われている。

今年9月に入所したばかりの久保直也さんは「将来は農業関係の仕事につくことを希望していて、毎日の作業が楽しい」と話す。今年7月まで農作業の指導に携わってきた井上順平さんは、給与計算をはじめ管理の仕事に移ったものの、就労支援の“縁の下の力持ち”でいられることに誇りを感じている。このよろこびを加えると、カン喜グループ全体の従業員は140人になり、そのなかで障害者は74人を数える。つまり、障害者の雇用率は50%のラインを超えるわけだ。

そして、22年には定員10人のグループホーム「楽明館」が本社工場近くでオープンした。カン喜グループの正育者が親元を離れて自立生活をしていくための施設で、最終的には“終の棲家”にもなる。世話人の一部には、カン喜を定年退職した健常者がつく。「現在、8人が暮らしていますが、第2、第3の楽明館をつくっていきたい」と上坂社長は言う。これからも正育者と健常者の従業員が一体となって、カン喜グループの歴史を紡ぎ続けていくことだろう。

農業関係の仕事を目指す久保直也さん(左)と、グループホームの縁の下の力持ち的な存在である井上順平さん
撮影=熊谷武二
農業関係の仕事を目指す久保直也さん(左)と、グループホームの縁の下の力持ち的な存在である井上順平さん - 撮影=熊谷武二

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伊藤 博之(いとう・ひろゆき)
フリーライター
1962年生まれ。信州大学人文学部卒業。証券専門新聞社、ビジネス専門衛星放送テレビ局勤務などを経て、「プレジデント」誌の編集に携わる。2023年3月からフリーライターとして、主にビジネス関係の取材・執筆活動を行っている。

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(フリーライター 伊藤 博之)

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