そのままでは朝マックと図書館通いの老後が待ち受ける…60歳・蝶野正洋が勧める人生後半の「活動の種類」
プレジデントオンライン / 2023年10月19日 17時15分
※本稿は、蝶野正洋『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』(春陽堂書店)の一部を再編集したものです。
■カッコいい年のとり方をするためのベストチョイス
俺が最後に試合をしたのは2014年4月。その後もイベントやトークショーなどではリングに上がっているが、リングで闘う“プロレスラー蝶野正洋”を知っているのはギリギリ40代半ばくらいまでじゃないか。
20代、30代の人たちは俺を知っていたとしても、大みそかに放送されていたテレビ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)の「笑ってはいけないシリーズ」の“ビンタおじさん”だよね。
そのビンタにしろ、最近ではテレビの放送倫理上の問題で披露するのが難しくなっている。まあ、そもそもビンタが得意技でも何でもない俺にとってはそれでよかったというか。嫌がる相手を押さえつけて罰を与えるなんて、俺は全然楽しくないんだよ(笑)。
そうやって自分の肩書を一つ一つ手放しながら、還暦以降の人生をどう生きていくか?
俺の中ではとっくに答えは出ている。
とにかくカッコいい年のとり方をする。それだけだ。
だとしたら、やっぱり金を持っていないとカッコ悪いよな。ある程度金を持ったうえで余裕をもって社会貢献活動をする。それが俺の理想だけど、もし金がなくても社会貢献くらいはちゃんと続けていけるような人間でありたい。
これを読んでいる人の中には「人生後半戦に人助けに関わるのもいいな」と思っているかもしれないので、参考として俺自身が社会貢献活動を始めた経緯を書き添えておきたい。
もし興味がない人は、この先興味が出たときにこの部分を読んだらいい。
■三沢選手の死を無駄にしないために
俺が救命救急の啓発活動などを目的に「一般社団法人ニューワールドアワーズ(NWH)スポーツ救命協会」を設立したのは2014年7月。ちょうどプロレスラーとして第一線から退いた直後で50歳のときだ。
きっかけは2005年に同期の橋本真也選手が病気で、2009年にノアの三沢光晴選手がリング上の事故で亡くなったことが大きい。
選手が試合中に不測の事態に陥ったとき、数急車が到着するまでには“空白の時間”があり、そこでの対処が生命を大きく左右する。そのことを痛感した俺は知り合いのアスリートたちにも呼びかけて2010年にAED(自動体外式除細動器)の使い方などを習う普通救命講習を受講した。
この当時、AEDは全国に10万台くらい普及していたんだけど、使える人が少ないという現状があったんだよね。だから受講者を増やすことが三沢選手の死を無駄にしないことにもつながるんじゃないかと思って、啓発活動に全面的に協力させてもらうことにしたんだ。
2011年に東日本大震災が発生した。
この震災を機に新たに始めたのが消防団の普及・啓発活動だ。
「消防団」といっても関係者が周りにいない人にはぴんとこないかもしれないけど、実は火災や震災などの有事のときにその地域に密着しているからこそきめ細かい消防活動ができる、地域防災のリーダー的存在の人たちだ。
東日本大震災の翌年の調査によれば、この震災では実に254名もの消防団員が亡くなり、当時はまだ行方不明者もいた。その話を聞いたとき、なぜそんなにたくさんの消防団員が……と俺は本当にショックを受けたんだ。
そこから「蝶野さん、消防団の応援団をやってくれませんか」という話につながっていったんだよ。
■日本が、世界があなたの支援と優しさを待っている
地域防災の助け合いには「自助、共助、公助」とあるけど、国にやってもらう公助は質量が限られているし、駆けつけてくれるまでのタイムラグもある。だから大きな災害のときは、地方に行けば行くほど地元の消防団員がメインで現場に駆けつけることになる。
東日本大震災では「高いところに避難してください」という避難警報から15分、20分でみんな避難した。でも消防団員が点呼をしてみると何人かがいない。それで急いで助けにいった消防団員の多くが、残念ながら命を落としてしまっている。
いくら日頃訓練している消防団員とはいえ、10分、20分で救助することは難しい。有事のときは一人一人が自発的に避難しないと助かる命も助からない。それが地域防災の基本なんだよね。
国や自治体からの助け(公助)の前に地域やお隣さんと助け合う(共助)。でも、それより何より自分の身は自分で守ろう(自助)。
そのことを一人でも多くの人に伝えたいと俺は思っている。
実は三沢選手がリング上の事故で亡くなったあと、本当はプロレスラーの事故防止を目的とした健康管理団体を山本小鉄さんとつくろうとしていたんだ。でも、そのさなかの2010年8月に小鉄さんが亡くなってしまった。
また「選手の健康管理をしてしまうとウチは出られる選手がいなくなる」という団体からの声もあった。
けがを押して試合に出場していた自分のキャリアを考えても、たしかにそのとおりかもしれない。それに当時は俺自身が新日本プロレスからフリーとして独立したり長期休養でリングから離れていたりとプロレス界からちょっと離れていたこともあったから、自分からこの業界にアクションを起こす立場ではないとも感じていた。
じゃあ俺ができる範囲で何か人の命を守れること、死亡事故を未然に防げることはないかと考え、今の活動につながっていったんだ。
■社会貢献活動を通して『闘魂』とは何かを探る
亡くなった猪木さんも、人助けとか地球を守るということに対して本当に熱心に動いていたよね。震災時の慰問もそうだし、パラオのサンゴ礁の再生とか大みそかの炊き出し、バイオ燃料に水プラズマ……発想のダイナミズムとスケール感で猪木さんにかなう人はやっぱりいない。
そんな猪木さんの社会活動に俺はいつも感銘を受け勇気をもらってきた。そして少しでもその遺志を継いでいきたいと思い、国際支援社会活動にも取り組むことにした。
具体的には「maaaru」というプロジェクトのアンバサダーとして、世界に3億人いるといわれている非・不就学児、つまり何らかの理由で学校に通うことができない子どもたちに対して寄付などの支援を呼びかけ、子どもたちの教育環境の改善に協力していく。
地域防災の普及活動では「自助」の大切さを広く伝えたいという思いが原動力だが、こちらの国際支援は「世界には十分な教育を受けられない子どもたちがたくさんいる」ということを、まずはみんなに知ってもらいたいと強く思ったことが活動のきっかけとなった。
これをやってみたい、あれをぜひみんなに知ってほしいという自分の中から湧き出る欲求に対しては素直に反応すべきだ。だって、この年になるとそんな欲求や夢や希望なんてなかなか湧いてこなくなるんだから(笑)。
その欲求が世のため人のためになることなら余計に躊躇しちゃいけない。
迷わず行けよ。行けばわかるさ。
思わず猪木さんの言葉をパクってしまったが、これからも社会貢献活動を通して『闘魂』とは何なのか、猪木さんの志を後世にどうつないでいくかを考えていきたいと思っている。
■人に手を貸し感謝されることが生きる糧になる
人生の後半で大小の別なく人助けをするのって、実は「自分を救う」ことでもあるんだよね。
人を助けるということはいやでも応でも人と関わることになるから、まず孤独ではなくなる。人とコミュニケーションをとるのが苦手なオジさんたちでも、ちょっと人に手を貸すくらいはできるだろう。それで人から感謝されたら自分が社会の一員であることを再確認できる。これって生きていくうえで大切な糧になると俺は思っているんだ。
だって社会との接点が切れたとたんに認知症になる人もけっこう多いと聞くからね。
たしかに、自分が誰からも必要とされていないと自覚することくらいむなしいことはないよ。30年近く前の話になるが、1996年の年明けに新日本プロレスと契約更改したとき、俺は思い切って1年間フリーにさせてくれと会社に持ちかけた。nWoの一員として日米の両マットを主戦場にしたいと思ったからだ。
その前から会社への反体制を主張しヒールターンを成功させていた俺は、当然「新日本プロレスを離れてもらったら困る」と引き留められることを想定していた。ところが、会社からの回答は「わかりました。どうぞアメリカへ行ってきてください」。
俺は自分の存在があるからこそ新日本プロレス本隊の選手たちが輝けるんだと自負していたが、蝶野正洋は会社にはそこまで評価されていなかったのだ。
もちろん契約更改によってアメリカで思う存分暴れられるという気持ちはあったものの、「これだけ頑張ってきたのに、俺は会社に求められていない存在なのだ」という腹立たしさとむなしさは正直ぬぐえなかった。
■朝マックと図書館以外に自分の居場所をつくれ
当時はまだ30歳そこそこだったからいいが、40代、50代で誰からも必要とされていないと自覚するのはやっぱりへこむよな。
1週間、いや1カ月くらいはお忍びのバケーションで誰にも知られず、誰からも必要とされない場所で過ごすのも心身のリフレッシュにはいいと思う。でも、それが永遠に続くと思うと。まるで孤独な子どもみたいだよね。
何もすることがなくて、とりあえず外に出てみたものの右も左もわからない。結局、頼れるのはお父さん、お母さんだけ。そうなったら外出も怖くなり、ひきこもることしかできない……。
そんな老後は絶対に嫌だと思っていても、気づけば朝マックでコーヒー1杯だけで何時間もねばっていたり、図書館で開館から閉館まで活字を追い続けたり、家の光熱費を抑えたいためにスポーツジムに居続けたりしているかもしれない。
それぞれひきこもらずになにがしかのアクションを起こしているからまだいいけれど、やっぱり誰かと会話したりコミュニケーションをとったりしていないと老いるスピードは加速する。
あの長州さんも、そろそろ朝マックデビューかもしれないね(笑)。
とにかく、社会との関わりを第二の人生でもちたいなら社会貢献がおすすめだ。俺の消防団活動や国際支援活動に協力してくれるのだって大歓迎だよ。
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プロレスラー、実業家
1963年9月17日、父の赴任先である米国ワシントン州シアトルで生まれる。2歳のときに日本へ帰国。1984年に新日本プロレスに入門、同年10月5日にデビュー。1987年に2年半にわたる海外遠征に出発。遠征中に武藤敬司、橋本真也と闘魂三銃士を結成する。1991年、第1回G1クライマックスに優勝し、同年マルティーナ夫人と結婚。以後、G1クライマックスでは過去最多(2023年現在)の5回優勝。1992年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にnWo JAPANを設立して大ブームを起こし、その後、TEAM2000を結成。2002年に新日本プロレス取締役に就任した。2010年に新日本プロレスを離れてフリーとなる。2014年に一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を設立。消防を中心に広報啓発の支援活動を行う。
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(プロレスラー、実業家 蝶野 正洋)
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