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「使ったらすぐに売る準備をする」インフルエンサーが語った"ディズニーで最初にやること"の驚きの中身

プレジデントオンライン / 2023年10月21日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ryosei Watanabe

“Z世代”と呼ばれている若者のあいだでは、時間的な効率を表す「タイパ(タイムパフォーマンス)」が重視されている。ニッセイ基礎研究所生活研究部研究員の廣瀬涼さんは「SNSでは、ある女性がディズニーランドで使ったカチューシャをすぐにメルカリに出品したことが話題になった。これはZ世代の瞬間的な消費を好むという特徴を体現している。消費者の興味は移り変わりやすく、同じモノやコトに留まるのは不可能になっている。」という――。

※本稿は、廣瀬凉『タイパの経済学』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

■「オタ活」に覚える違和感

筆者の主たる研究テーマは「オタクの消費」である。

従来のコンテンツを熱心に消費する「オタク」と呼ばれる消費者を、その消費性に着目して定義するのならば、「自身の感情に『正』にも『負』にも大きな影響を与えるほどの依存性を見出した興味対象に対して、時間やお金を過度に消費し、精神的充足を目指す人」となる。オタクの消費の根底には自身の精神的充足があり、消費によって安寧感や満足感を追求するため依存性が生まれやすい。だからこそ、消費しても消費しても満足できず、好きなコンテンツに対する消費を繰り返し、没入していくのである。

一方、Z世代の言う「オタク」は趣味そのものを表す言葉として変化した。「自分が価値を感じたモノ・コトにお金と時間をかけること」を「オタ活」「推し活」と呼ぶことも一般的になり、日常的にも「週末はオタ活する予定」「オタ活するのが忙しい」と使われている。好きなモノやコトをする際の時間やお金の消費に対して、カジュアルに「オタ活」という言葉を使用しているともいえるかもしれない。しかし、筆者はオタ活が主に「する」という言葉と合わせた動詞として使われている点に違和感を覚える。

オタクが内在化したパーソナリティならば、当人は常にオタクの状態であるはずだ。また、何かが好きである状態がオタクならば、オタクという言葉は一種のマインド(精神)として個人のなかで一貫しているものと考えられる。すごく簡単に言えば、オタクはずっとオタクなのである。

■オタクはマインドではなくタグになった

働いているときも、ご飯を食べているときも、トイレにいるときも、寝ているときも、自身がオタクであるということは変わらない。また、その対象のことが好きである期間は、ずっとオタクなのである。しかし、「オタ活をする」という言葉は、自身の興味対象を実際に消費する際に使われる言葉であり、その動作(購買、視聴、イベント参加)が終わると、その「オタ活」は終わりを迎える。

「週末はオタ活する予定」は、何かしらの自身の趣味に関する予定が週末にあることを示し、「オタ活するのが忙しい」は、グッズやCDなどの発売日が重なっていたり、いくつものライブに参加予定で、時間的にも経済的にもやることや消費するコトが多くスケジュールが詰まっていることを示している。

筆者はオタクが状態を表す永続的なマインドであり、寝ているときも働いているときも常にオタクはオタクであり、オタク活動は、オタクを引退するまで終わりは来ないと考えている。しかし、オタクが人を表す総称から、興味対象を指す総称としての意味を含むようになったことで、オタクはマインドではなく、つけ外しが可能なタグのような役割も持ったのである。

そのため、興味対象を消費している、オタクとしての消費が顕在化している動作をあえて「オタ活」と呼称することで、自身のアイデンティティの切り替えや、オタクとしてのオン・オフを行っていると筆者は考えている。

(もちろん、若者が昨今使うようになった以前から、オタクの中でも「オタ活」という言葉は使われていた。オタク自身も特別な消費を行う際に「オタ活」という言葉をあえて使用していたことも留意したい。)

東京秋葉原通り
写真=iStock.com/Marco_Piunti
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Marco_Piunti

■オタ活でもタイパを追求する若者たち

さて、若者のオタ活についてここまで説明したことで、筆者が抱くタイパやコスパに関する疑問に触れることができる。

従来の文脈で言うエリートオタク(今で言うガチヲタ)の消費やコンテンツ嗜好(しこう)に対する価値観と、一人の消費者がいくつもの興味対象を持ち、その対象それぞれをオタク趣味と自認し、さまざまなジャンルやコンテンツに対して「自分はオタクです」と自称する若者文脈で言うオタクの価値観とでは、その性質は大きく異なる。

とはいえ、少なからず後者においても、そのコンテンツが好きだから消費するという点は従来のオタクと違いはないだろう。将来へのビジョンが見出しにくい場合、消費は現在志向になりがちになる。エリートオタクと同水準とまではいかないが、カジュアルに楽しむ層にとっても、オタ活はその日その日を乗り切るための活力となり、精神的充足の側面を擁しているはずだ。それなのに、そのオタ活でもタイパやコスパを追求する者がいるのだ。それが合理的なものなら筆者もわざわざ認(したた)めない。

■「オタクなら知ってて当然」は昔のこと

しかし、例えば推しが出演しているドラマや映画でどれを観るべきなのかと他のオタクに尋ねたり、好きなアイドルグループがいても表題曲(CDのタイトル曲)しか聴かず、ライブでは他人が投稿したセットリストを参考にその曲だけを予習して参加するなど他人の知見や経験にあやかる。

自身で汗をかいて情報収集したり、推しが参加している楽曲や映像をすべて消費するといった、従来のオタクが当然のようにしてきたこともせず、好きなモノを好きなように消費するというスタンスが今では主流になっている。「オタクなら消費してて当然」「オタクなら知ってて当然」という「べき論」が強要されることも少ない。

さらに、マンガやアニメオタクを自称していても、そのマンガやアニメのDVDを保有している者は少なく、なかには違法アップロードされた動画を視聴している者もいる。音楽でもオタクと自称しながら、YouTubeに投稿されたものしか聴かない者もいる。

「お金を消費しなければオタクではないのか?」と聞かれたら「YES」とは言えないが、自分で対価も払わず、時間をかけることもない、ましてや別にオタクを名乗らなくてもいいのに、あえてオタクを名乗るフリーライダーと、そのコンテンツに命を懸けている消費者が、同じ「オタク」として総称される点に筆者は疑問を抱いている。

■従来のオタクにはなかった「受け身の姿勢」

SNSを利用することで気軽に他のオタクと交流することができるようになったゆえに、匿名ネット掲示板2ちゃんねる時代の「半年ROMれ(コミュニティのコンテクストを理解しろ)」や「ggrks(自分で調べろ)」といった従来のオタクたちが強いられてきた暗黙のルールをすっ飛ばして、安易に他のオタクに聞く丸投げな姿勢に対しても疑問を抱くオタクもいる。

パソコン
写真=iStock.com/golubovy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/golubovy

「半年ROMれ」や「ggrks」の精神は、知りたいことはたいがい掲示板での会話に存在しているので自分で調べればわかるという考えに基づいており、安易に聞くという行為はタブーであった。なにより好きなモノに対して他のオタクに質問するという行為は、自身の無知や自身の情報探索能力の低さを露呈する行為であるため、恥ずべきことであると考える層も存在する。そういった意識を持つオタクたちに対して、丸投げで安易に質問をするという受け身な姿勢は、「本当にそのコンテンツが好きなのか」という疑念を抱かせるのである。

このような「詳しくなければオタクを名乗ってはいけないのか」「別に熱心にオタクをやるつもりもない」といった若者たちのオタクに対するスタンスが、従来のオタクにギャップを与えている。

■熱量に関係なく「オタク」を名乗れるように

オタ活や推し活をはじめとしたエンターテインメントは別に消費しなくても生きていける。そのうえで、自分が好きで消費しているのならば、その消費は能動的であるべきだと思うし、探求心や興味の幅を自ら狭めるのはもったいないと思う(余計なお世話かもしれないが)。

一方で、彼らを擁護するわけではないが、さまざまなモノに興味を持ち、その場その場で消費されていくモノが異なるのは、現代消費社会を見ればおかしなことではないだろうし、それこそ同じ対象物にしか興味を持たず、それだけを熱心に消費している者のほうが稀有だろう。

これだけの情報やモノに溢れているなかで一つの興味対象だけを愛せというほうが酷だし、いろんな趣味があることはなんら問題のあることではない。また、好きなモノを消費するうえで、義務感や他人からの強迫観念に駆られてしまうのもおかしいとは思う。

そのため、今や熱量に関係なく人はオタクを名乗っているということを認識する必要がある。私たちが使う「オタク」という言葉の中には、他のオタクから「この人はオタクだから」と熱心に消費していることが承認されている者もいれば、自身の趣味に優劣をつけ、熱心に消費しているモノをオタク(オタク趣味)として位置づけている者もいるし、表面的で、受動的で、つながりを得ることを目的とするレベルで消費している者もいるのである。

■使ったものをすぐにメルカリで売る若者

これは余談になるが、先日Twitterでディズニーランドの裏ワザと称し、下記の投稿がされていた。

まさにこの投稿者は、即時的で、その瞬間のために行うという消費を体現しているといえるだろう。

たしかに、日常でそのカチューシャをつけることもないし、ディズニーランドに行く仲間が常に同じわけではないから、次行くときにも同じようなモノを買うかもしれないし、それが簞笥(たんす)の肥やしになるならば、まだ市場価値があるうちに手放すのは合理的といえば合理的である。

仮に2000円で買ったモノが1800円で売れたとしたら、200円で一日使えて、家で保管しなくてもいいというメリットがあるのならば、タイパもコスパもいいといえるだろう。あくまでもその日、その場所でのニーズを満たすことが目的であり、現在志向の消費の側面も垣間見ることができる。

廣瀬凉『タイパの経済学』(幻冬舎)
廣瀬凉『タイパの経済学』(幻冬舎)

とくにSNSの普及によって流行やミームが誕生すると、こぞってみんながそのネタを消費することで、SNS上には再現可能性の高い同じような消費結果が並んでいる。でも気がついたころにはそのような投稿も減少し、マスメディアがその流行について触れたときにはネットではもう下火、なんてことはざらにある。現代の文化にまつわるムーブメントは、一緒になって瞬間的に盛り上がる集合的沸騰の形式で現れることが多く、短命で、また時空間として非常に拡散した場所で起こる(*1)

趣味にしても、日常から得られる刺激にしても、消費者の興味は移り変わりやすく、同じモノやコトに留まるのは不可能といえるだろう。

(*1)南田勝也「変わりゆくコンテンツ」辻泉・南田勝也・土橋臣吾編『メディア社会論』有斐閣ストゥディア、2018年

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廣瀬 涼(ひろせ・りょう)
ニッセイ基礎研究所生活研究部研究員
1989年生まれ、静岡県出身。2019年、大学院博士課程在学中にニッセイ基礎研究所に研究員として入社。専門は現代消費文化論。「オタクの消費」を主なテーマとし、10年以上、彼らの消費欲求の源泉を研究。若者(Z世代)の消費文化についても講演や各種メディアで発表を行っている。日本テレビ「ZIP!」、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」、TBSテレビ「マツコの知らない世界」などで製作協力。本人は生粋のディズニーオタク。著書に『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか Z世代を読み解く』(金融財政事情研究会)、『タイパの経済学』(幻冬舎)がある。

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(ニッセイ基礎研究所生活研究部研究員 廣瀬 涼)

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