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祖国に帰れないなら死んだほうがマシ…家族で日本に避難していたウクライナ人女性が帰国を選んだ理由

プレジデントオンライン / 2023年10月25日 14時15分

カテリーナさん(出典=『ウクライナ女性の美しく前向きな生き方』)

日本で17年以上暮らすウクライナ出身の楽器奏者・カテリーナさんは、戦争で日本に避難しながら「ウクライナに帰りたい」と悩むウクライナ人の友人を理解できずにいた。だが、友人のある一言がカテリーナさんをはっとさせた。カテリーナさんの著書『ウクライナ女性の美しく前向きな生き方』(徳間書店)より、一部を紹介しよう――。

■戦禍のウクライナに今なお暮らす姉たち

私には3人の姉がいます。私と14歳違いの長女は、ウクライナの中央に位置する街に夫と小さな子どもと住んでいます。

姉はもう50代になるので、戦争が始まってもウクライナの国から出る、という選択肢は最初から考えていなかったようです。

二番目の姉はずっとキーウに住んでいます。彼女はキーウから一度、150キロ離れた町にある夫の実家に避難しましたが、結局、そこも危なくなって、早めに別の場所に避難しました。

避難した翌日、それまでいた実家の隣の家にミサイルが落ちました。早めに逃げて良かった、と胸をなでおろしましたが、その後、一番上の姉の家に避難したあと、現在はキーウに戻ってきています。

二番目の姉には、ウクライナから出たくないという気持ちと、出たくても出られないという事情があります。いつ軍隊に行くかもわからない夫を一人だけ残してウクライナから出ることは絶対に嫌だ、と言うのです(ウクライナでは戦争が始まってから成人男性は出国することはできない)。

■「原発が爆破されてもこの街から動きたくない」

その二番目の姉の娘マーリーカは今、ザポリージャに夫と一緒に住んでいます。

ザポリージャという街は、戦火が激しいウクライナ東部地方から離れた場所にあるので、戦争が始まった当初、姉は私に、「そこまで戦争は大きくはならないから大丈夫よ」と話していました。

確かに戦争が始まっても比較的に安全な地域ではありますが、問題は街の中に原子力発電所があるということです。

ザポリージャ原発に爆発物が仕掛けられた、というニュースが流れたとき、私は心配で姉にすぐ連絡をしました。原発が破壊されるなど不測の事態にならないかと心配する私に、

「そうなってもこの街から動きたくないの。もちろん毎日、警報が鳴ったり、ヘリコプターが飛んだり、戦闘機が飛んだり、いろいろ不安ではあるけれど、頑張れるところまで頑張る」

と気丈に話してくれました。

ザポリージャへの攻撃が増えて危険になってきた時期、マーリーカの子どもだけをキーウにいる私の母と二番目の姉のもとに預けていた時期がありました。でも、子どもに何かあっても大変なので、結局、マーリーカは子どもを自分たちがいるザポリージャに連れ戻し、今、家族3人で一緒に暮らしています。

■「何かあればシェルターに避難すればいい」という人も多い

戦争になってからウクライナの人たちの考え方は、それぞれ本当に違いがあります。危険だから子どもたちや自分の命を守るために国から出なきゃいけない、という考え方はもちろんありますが、そのためにはやはり避難するためのお金が必要になります。

国外に避難するためにはお金がないと移動できません。そのお金を工面できないのであれば、自分たちが住み慣れた場所にいて、本当に危険になったらシェルターに避難すればいい、という考えの人も多いです。

田舎の古くからあるほとんどの家やマンションの地下には、昔の戦争時代に作ったシェルターがあります。今回のロシアとの戦争が始まる前は、食糧を備蓄する冷蔵庫代わりに使用していましたが、現在は近所の人たちが自由に出入りできるシェルターとして使用されているのです。

やはり気持ちの上では、たとえ戦争の中でも自分の家族や好きな人と一緒にいたほうが心強いとウクライナの人たちは思っています。でも、日本にいる私から見ると、危険な地域からは今すぐにでも逃げられるなら逃げたほうがいいと思うので、私の気持ちも揺れ動くことが多いです。

■「ウクライナから逃げたところで幸せになれるのか」

もう17年以上日本に住む私にとって、一番良いのは家族を日本に呼ぶことでした。2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が起こり、最初こそ、戦争がここまで長引くとは思っていなかったので、「落ち着くまでの間だけでもいいから、日本に避難して。日本に来れば支援者もたくさんいるし、何とかなるから」と、何度も母や姉たち家族を説得し続けました。

カテリーナさんとお母さん
カテリーナさん(左)とカテリーナさんの母(出典=『ウクライナ女性の美しく前向きな生き方』)

とくにもう70歳になった年老いた母親のことが心配だったので、まずは母親を日本に呼ぼうと思いました。でも、母以外の姉家族は、今まで海外旅行に一度も行ったことのない人たちです。戦争が起きたという不安はもちろん持っていますが、

「ウクライナから逃げたところで、幸せになれる保証はあるの?」と言われ、

「でも、安全なのが一番でしょ」

と言う、私と家族で喧嘩になったことは何度もあります。

それだけでなく、「日本語もわからないし、仕事はどうするの? 住む場所は? 日本で食べるものは口に合うのかしら?」などと、避難した先でのさまざまな不安を思うと、

「戦争が怖い、ということだけ考えて生きたほうが、まだましじゃないか?」

と私の家族だけでなく、ウクライナの人たちの多くはそう思っているのです。

そのあたりが日本にいる私の考えとどうしてもズレてしまうのです。私がいくら、

「戦争中のウクライナより、海外にいたほうがとりあえず安心だし、平和に静かに暮らせる。落ち着くまではいろいろ大変だけれど、いろいろな国からの支援やサポートがあるので、ある程度、戦争が収まるまでの間だけ、慣れない土地での生活を我慢すればいいじゃない」

と言っても、ウクライナにずっと暮らしていた人たちにとっては、避難先で外国の言語ができないストレスは大きく、それ以上に文化の違い、生活リズムがすべて違う中での生活はしんどさのほうが大きいのです。

■「日本にいれば安全なのになぜウクライナに帰りたいの」

なかにはウクライナから出て海外に避難したものの、海外での生活に馴染めず、それがストレスになってパニックになってしまう人もいます。

戦争ということと比べられない、また別の大変さやストレスがあるのです。戦争が終わらないまま1年半も過ぎ、最近では、一時的に海外に避難していた人たちが、やはりウクライナの自分の家に帰りたいと思い、実際に帰国する人たちが増えていると聞きます。

私の友人家族もウクライナから日本に避難してきて、幸せな生活ができて良かった、と私も友人も最初は思っていました。

でもその後、彼女がじつは毎日泣いていることを知りました。別に旦那さんがウクライナに残ったわけではなく、娘さんもお母さんも一緒に日本に来ています。表面上は戦渦のウクライナから家族みんなで日本に避難できたラッキーなケースと言えるのです。

でも精神面では少し話が違ってきます。慣れない日本での生活にストレスを感じて、そのうち精神的に落ち着かない状況になってしまったウクライナ人は、この友人だけでなくたくさんいます。

私の友人も日に日にメンタルが不安定になっていきました。何度か彼女の気持ちを鎮めようと話をしましたが、「やっぱりウクライナに帰りたいの。帰らないと生きていけない」と言うばかり。そのうち彼女は「ウクライナに帰れないなら死にたい」と言い始めました。

私もつい感情的になって、

「あなたも、あなたの家族も日本にいれば安全なのに。なぜウクライナにそんなに帰りたいの⁉」と言い放ってしまいました。

■戦争は祖国を愛する気持ちを格段に強くさせる

そのとき彼女の口から出た言葉は、

「祖国だからよ! それ以上の理由なんてない!」

その思いを聞いて、思わず、どっと涙があふれました。あとは2人で抱き合って泣くばかりでした。

どんなに爆撃の中で危険な状況だろうと、「生まれた国に帰りたい」という気持ちに、理由などないのです。

カテリーナ『ウクライナ女性の美しく前向きな生き方』(徳間書店)
カテリーナ『ウクライナ女性の美しく前向きな生き方』(徳間書店)

彼女はそれからすぐ、ウクライナに一時帰国しました。

ウクライナに帰ったところで、まだまだ危険は尽きません。

「昨日も、隣の家にまたミサイルが落ちた……怖い……今も震えが止まらない。でも、自分の家にいるから落ち着く」と彼女は話してくれました。

現在も彼女は日本とウクライナを行ったり来たりしています。彼女はウクライナに戻ったときには、物資を支援するボランティアとして活動しています。

ウクライナに戻って活動する人、海外から支援する人、まさに人それぞれですが、共通しているのは「ウクライナを愛する気持ち」です。

戦争で失ったものは数知れません。でも、戦争を通じて祖国を愛する気持ちは格段に強くなっていきました。

それこそが戦争のもつ皮肉なのだと痛感しています。

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カテリーナ バンドゥーラ奏者
1986年、ウクライナ・プリピャチ生まれ。生後30日の時にチェルノブイリ原発事故で被災。6歳の時にチェルノブイリ原発で被災した子供たちで構成された音楽団に入団、故郷の民族楽器であるバンドゥーラに触れ、演奏法・歌唱法の手ほどきを受ける。海外公演に多数参加、10歳のときに日本公演のため初来日。16歳から音楽専門学校で学んだ後、19歳の時に音楽活動の拠点を東京に移すため再来日。日本で活動する数少ないバンドゥーラ奏者の一人として、また、ウクライナ民謡・日本歌曲・クラシック・ポップスのヴォーカリストとして、CDのリリース、国内ツアーやライブハウスでのパフォーマンスなど、精力的な活動を行っている。現在は、全国各地でチャリティーイベントを中心にライブ活動を展開している。

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(バンドゥーラ奏者 カテリーナ)

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