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「日本のファッション誌に出てくるような中年男性は滅多にいない」本場"イタリアのおしゃれ"とは

プレジデントオンライン / 2023年11月3日 13時15分

出所=『扉の向う側』

イタリアと聞くと、何が思い浮かぶだろうか。漫画家・随筆家のヤマザキマリさんは「日本におけるイタリアの表層的なイメージの横行には未だに違和感を覚えるところはある。雑誌に出てくるようなスタイリッシュな中年男性は当たり前に生息しているわけではない」という――。

※本稿は、ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。

■イタリアと名の付く仕事であれば幅広く手がけていた

今から20年前、フィレンツェでの11年間に及ぶ生活にいったん終止符を打ち、2歳の息子を連れてふたりで日本に戻ったあと、大学でイタリア語を教えたり、テレビで旅のリポーターをしたり、とにかく自分にできそうな仕事でさえあれば何であろうと手がけていた時期がある。子供を自分ひとりの力で育てようと決めたからには、どんなことでも挑戦する意気込みでいたのだが、当時の日本は、イタリアの文化と言語を知っていることがあちらこちらで重宝する時期だった。イタリア語教室を立ち上げたこともあるし、マンションやレストランにつけるイタリア語の名前を選んだこともある。イタリアからペットボトルリサイクルの工場機器が導入されれば、それを作ったイタリア人エンジニアの通訳もした。

とにかくイタリアと名の付く仕事であれば幅広く手がけていたが、日々髪を振り乱しながら仕事と子育てに一心になっていた当時の私の有様といえば、一般の人が想像するようなイタリア帰り的雰囲気からはほど遠かった。

■「イタリア関係の仕事をしている=赤いアルファロメオ」

当時私は友人から譲り受けた中古のカローラに乗っていたが、ある日、移動先へ行くのに知り合いを途中で拾うことになり、指定されたビルの正面玄関に車を寄せた。しかし、そこに佇んで通りを眺めている友人は目の前に停められた私の車を見ようともしない。窓を開けて名前を呼ぶとやっと、私に気がついて助手席に乗り込んで来たが、友人曰く、てっきり赤いアルファロメオでも迎えに来るものだと思い込んでいたという。

「勘弁してくださいよ、私が赤いアルファロメオなんて乗ると思いますか?」と問い質すと「でもイタリア帰りっていったら、普通はアルファロメオじゃないですか」と心外そうな顔をしている。「周りのイタリア好きは赤いアルファロメオっすよ、さすがにフェラーリは買えないから」と笑った。イタリア関係の仕事をしている=赤いアルファロメオ、服はアルマーニ、鞄はグッチ、靴はフェラガモというような表層的なイメージは、思っていたよりも根深く、そして幅広く日本で浸透していることに、私は激しく戸惑った。

■日本におけるイタリアの表層的なイメージの横行

おしゃれに頓着が無かったわけではない。フィレンツェに暮らしていた時はブランドの衣料品のセレクトショップで働いていたこともあるし、ファッション誌のグラビア写真を眺めるのも大好きだった。日本から訪れる貿易商の通訳の仕事で、フィレンツェのトルナヴォーニ通りに並ぶ高級ブランド店への出入りも頻繁だった。だから流行については意図せず敏感になっていったというのはある。ただ、私のそうしたファッションへの好奇心はあくまで百科事典的知識としてあるだけで、購買欲とは全く繫がってはいない。

ファッションだけではない。それ以外の側面であっても、日本におけるイタリアの表層的なイメージの横行には未だに違和感を覚えるところはある。イタリアといえば燦々と溢れる太陽の日差しに、明るくて陽気で人情味溢れる人々。お昼には大きなテーブルを家族で囲んでワインを飲みながら盛大な昼食をとり、その後は優雅に昼寝。仕事よりも家族との時間を優先する生活大国。

「いいなあ、イタリア暮らし。ご飯は美味しいし、皆おしゃれだし、明るくて、憧れるなあ」などと呟かれたりすると、脳内アドレナリンの分泌が止まらなくなってしまうことがある。そんな夢の世界の住民のようなイタリア人は、フィレンツェ時代も、そしてイタリア人の家族を持つ現在も、私の周りには存在しないからだ。服装だって、皆がファッションに興味があるわけではない。男性は(日本でもそうだと思うが)身につけるものは服でも靴でもたいていは妻が選んだものになっていく。

イタリアのフィレンツェ
写真=iStock.com/RudyBalasko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RudyBalasko

■日本の男性ファッション誌に出てくるような人は滅多にいない

とはいえ、イタリア人には根本的に、DNAレベルで色彩に対する審美眼が備わっているようには思う。どんな田舎へ行っても、そのへんを歩いていたり、公園にたむろする親父たちは身につけているものなど全く頓着していないようで、何気に良い配色のコーディネートだったりする。

でも、日本の男性ファッション誌で紹介されているようなスタイリッシュなイタリア男性は、そうどこにでも当たり前に生息しているわけではない。私の暮らしているパドヴァでも、たまに日本の雑誌がイタリア人の中年男性モデルを使って紹介しているような、力の入った服装で外を歩いている人を見かけることがあるけれど、そんな出で立ちの男性が通り過ぎれば周りの誰もが一目置き、家族との食事の際のネタにされること必至である。うちの親族であれば「そもそもあの装い一式を揃えるのにお金はどれくらい掛かるのだろう、散財癖がありそうだが、ああいう男性はいい夫になれるのだろうか」というような無粋な会話に発展していくことは確定だ。

■私が知っているイタリア人のおしゃれ

フィレンツェでの学生時代、地元の貴族の血を引く家柄の友人がいた。しかし、彼女も、そして彼女の母親も見た目は至極シンプルで、ブランド品どころか、イタリアのマダムの象徴ともいえる貴金属も殆ど身につけていない。乗っている車も年季の入ったポンコツのフィアットだったし、身につけているものに至ってはたいてい色の褪せたジーンズにシャツ、ブランド品でもなんでもないシンプルなスニーカーが定番だった。彼女たち親子は、要するに、内側から溢れるそこはかとない知性と気品だけで十分に優美だった。

ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)
ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)

この親子が一度日本へ遊びに来た時、私の母に世話になったお礼としてエミリオ・プッチの華やかな柄の大判ストールを贈ったことがあった。それを見た母が思わず「まあ、こんなに素敵なスカーフ、私みたいな年寄りには勿体無い!」と感嘆の声を漏らすと、友人の母親は「違います。こういうものは私たちくらいの年齢になってからが映えるんです。勿体無いのは、こういうものを何もわかっていない若い人が持つことですよ」と言って微笑んだ。母はその夫人の言葉に痛く感銘を受け、高齢になってもずっとそのストールを愛用し続けていた。

私が知っているイタリア人のおしゃれとは、そういうものである。

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ヤマザキ マリ(やまざき・まり)
漫画家・随筆家
東京都出身。17歳でイタリアに留学、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。2010年、古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞、世界8カ国語に翻訳され、映画化も。平成27年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。17年、イタリア共和国の星勲章コンメンダトーレ章受章。文筆著書に『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)『ムスコ物語』(幻冬舎)など多数。

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(漫画家・随筆家 ヤマザキ マリ)

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