「あまりに幸せそうだから別れた前妻も遊びに来る」波瀾万丈なフランス男性が教えてくれる"生き方のヒント"
プレジデントオンライン / 2023年11月7日 15時15分
※本稿は、ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。
■14歳の冬、欧州ひとり旅に出た
14歳の冬、1カ月にわたる欧州ひとり旅のスタート地点はパリだった。空港には母の友人のカルメンさんが迎えに来てくれているはずだったが、荷物を受け取って到着ロビーへ出たところで、真っ先に「マリ⁉」と私に声をかけてきたのは、頭髪の薄い、見知らぬ初老のおじさんだった。日本にやってきたカルメンさんと初めて会った時の私はまだ4歳。それから10年経った私に気がつかなかったら困るからと、母のアドバイスで、あらかじめ彼女には自分の似顔絵を送ってあった。その似顔絵を送迎口で両手で広げて持っていたのは見知らぬフランス人だったのである。「これは君だね?」と強烈なフランス語訛(なま)りの英語で改めて確かめられ、私は事情を飲み込めないまま恐々と頷くしかなかった。
「私はカルメンの叔父でポールと言います」と右手を差し出し「あなたの飛行機の到着が1日遅れたので、カルメンは先にリヨンに帰りました」とのこと。「エヴリスィング・イズ・オッケー」と押し黙る私の背中を叩き、そのまま、まだ太陽が昇る前の薄暗い早朝のパリの、ポールさん一家が暮らすアパルトマンへ向かった。
■奥さんからガミガミ叱られながら薬を飲むポールさん
家の中に入ると、奥さんと思しき頭に幾つもカーラーをくっつけたパジャマ姿の女性と、私よりちょっと年上くらいの若い女性がキッチンのテーブルに座って、ふたりでどんぶりに口を付けて何かを飲んでいた。フランス語で挨拶があったあと、私も椅子に座らされて彼女たちが口にしているのと同じどんぶりを勢いよく置かれた。カフェ・オ・レだった。奥さんが、片手で鷲掴んだフランスパンの切れ端と、チョコレートペーストを私の前にどさっと置き、食べろと言う。疲れと緊張とで今にも吐きそうな心地だったが、断る勇気が出ず、私も彼女たちと同じようにどんぶりの中の熱い液体を啜って、フランスパンを千切って食べた。
いつの間にかスーツに着替えたポールさんが慌ただしく家の中を立ち回り、奥さんから何かガミガミ叱られながら、手渡された錠剤を口の中に放り込んでいるのが見えた。会社までの道すがら私を駅まで連れていくとポールさんに言われ、私は慌ててどんぶりの残りを飲み干すと、再び薄暗い外へ出た。それが、私の1カ月をかけたフランスとドイツの波瀾(はらん)万丈の旅の始まりだった。
■4~5年後、看護師と再婚し南仏に移住していた
その旅から数年後、イタリアのフィレンツェで留学生活を送っていた私のところへ、母がフランス料理の調理師免許を取ったばかりの妹と訪ねてきたことがあった。妹がカルメンさんの紹介でリヨン近郊の小さな料理店でしばらく修業をすることが決まったので、一緒に行かないかと誘われ、私も急遽フランスで夏休みを過ごすことにした。
![ヤマザキマリ『扉の向う側』(マガジンハウス)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/a/1200wm/img_aa603dba98beaccc7da7194a53660422224516.jpg)
14歳の時に訪れたきりになっていたカルメンさんの家に親子でしばらく厄介になり、妹の料理店での仕事も始まったので、そろそろイタリアに戻ろうかと思っていると「せっかくだから、私たちと一緒に南仏のドラギニョンにいる叔父の家に2、3日遊びに行かない?」と誘われた。「プールもついている豪邸よ?」とカルメンさんはすっかり行く気満々になっている。「ほら、覚えてる? あなたをシャルル・ド・ゴールまで迎えに来たポール叔父さん。あの人今ドラギニョンに住んでるのよ」とにやにや笑っている。
彼女の話によると、ポールさんはあのあと頭にカーラーをいっぱいつけていた奥さんとは別れ、持病をこじらせて入院していた病院で看護師をしていた女性と再婚したのだという。その人の実家がドラギニョンだったので、生まれ故郷のパリを離れて移住をしたのだそうだ。当時、パリでポールさんに出会ってからまだ4、5年しか経っていなかったが、その間にそんな展開になっていたのかと驚きつつ、新しい人生のスタートを切った老齢男性の様子を見るのも面白そうなのでカルメンさんの誘いに乗ることにした。
■パリでは無かったはずの頭頂部の頭髪が風になびいていた
ドラギニョンで再会したポールさんの頭には、パリでは無かったはずの頭頂部の黒髪が風にふさふさとなびいていた。薄暗い冬のパリのアパルトマンで奥さんに怒られていた時と比べて、ポールさんはずいぶんと若返って見えた。巨大な地中海松の生えた小高い丘の上にあるその家には、定年後に移ってきたのだそうだ。新しい奥さんはポールさんよりおそらく20歳は若い、ショートカットでハツラツとした大柄な人で、我々が到着した時ふたりはプールから水着姿のまま駐車場に現れた。
最初の頃は親戚中で叔父さんを責め、軽蔑すらしていたが、本人がそうした誹謗(ひぼう)などどこ吹く風であまりに幸せそうだから、今では別れた前妻もみんな遊びに来るらしい。「結局どんな経緯があろうと、誰でも幸せな人のところに集まりたがるのよね」と、はしゃぎながら愛犬と一緒にプールの縁から飛び込む叔父さんを目で追うカルメンさんも楽しそうだった。
![プール](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/2/1200wm/img_62838f945c05b3dcc606628a1fdb0071405423.jpg)
■人生いろいろあっても幸せをプロデュースできている
「今夜はバーベキューだ、花火もやろう!」とプールから上がったポールさんが顔中皺だらけにして笑っている。波瀾万丈を経て長く生きてきた人の満面の笑みには強烈な説得力がある。人生いろいろあっても、なお幸せをプロデュースできているポール叔父さんの濡れた肌が、真夏の地中海の太陽を浴びてキラキラと輝いていた。
![『扉の向う側』イラスト](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/8/1200wm/img_f8727959eca04186d27d973e877d73dd361595.jpg)
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漫画家・随筆家
東京都出身。17歳でイタリアに留学、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。2010年、古代ローマを舞台にした漫画『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞、世界8カ国語に翻訳され、映画化も。平成27年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。17年、イタリア共和国の星勲章コンメンダトーレ章受章。文筆著書に『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)『ムスコ物語』(幻冬舎)など多数。
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(漫画家・随筆家 ヤマザキ マリ)
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