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青学の駅伝ランナーが「トークもうまい」のは偶然ではない…原晋監督が選手探しでひそかに重視していること

プレジデントオンライン / 2023年11月4日 12時15分

第92回東京箱根間往復大学駅伝競走で総合優勝を果たした青山学院大学陸上競技部による安倍総理(当時)への表敬(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

青山学院大学の原晋監督は、選手のリクルートでユニークな方針を採っている。スポーツジャーナリストの生島淳さんは「足の速さだけを見るのではなく、自分の言葉を持っている選手を選んでいる。2015年に箱根駅伝で初優勝した後、監督や選手のテレビ出演が多かったのもそのためだ」という――。

※本稿は、生島淳『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■原監督が選手とテレビ番組に積極的に出る理由

ちょっと前のことだが、爆笑問題の田中裕二が、ラジオでこんなことを言っていた。

「お正月だとさ、“原監督”っていうと、青山学院の原監督のことをみんな連想するようになってきたでしょ。俺、それは嫌なんだよ。俺にとって、原監督といえば“巨人軍の原辰徳”のことなんだよ!」

若干、キレ気味に話していたので笑ってしまった。たしかに、それほど青山学院大学の原晋監督の存在感は大きくなった。

青山学院が箱根駅伝で初優勝したのは、2015年のことだった。青学のポピュラリティというのは、それまでの箱根駅伝の文脈のものとは違っていて、箱根駅伝が終わったあと原監督と学生たちが積極的にバラエティ番組に出演したりして、既存のファン層とは違うエリアを開拓した。

特に嵐のバラエティ番組に出たことで、それが台湾に波及したと聞いた時はさすがに驚いた。台湾の嵐のファンが、青学にスピンアウトしたようなものだ。そのなかから、「青学に留学したい!」と思う女子高生が出たりしているというのだから、箱根駅伝の影響力は海外にも及んでいるといっても過言ではない。

これなんぞ、私がアメリカのカレッジフットボールと、カレッジバスケに熱狂して、通ってもいない大学を贔屓にするのと同じだろう。それほど、カレッジアスリートは力を持ちえるのだ。

■選手のクリエイティビティを重視する

この「渦」を作り出したのは間違いなく原監督で、選手の表現力が豊かなことを重視したことはとても大きかったと思う。競泳のオリンピックのコーチが、「21世紀は、感覚が鋭かったり、表現力が豊かな選手じゃないと、世界と戦えないよ」と話していたことを思い出す。これは2000年のシドニー・オリンピックのあたりの話で、選手のクリエイティビティがこれからの鍵になるとそのコーチは話していた。

走ること、それは自らを表現することに他ならない。表現欲求が強い選手は、考え、しっかりと練習する。原監督はそれを理解していて、言葉を持っていたり、話した時に感じのいい学生をリクルートしていたと思う。

■青学はあくまで「箱根駅伝」が中心

青山学院のこれからの強化策、チームの方向性の打ち出し方にはひじょうに興味が湧く。いま、優勝を狙う学校ほど、海外遠征などを積極的に打ち出しているからだ。駒澤は卒業生の田澤廉がどんどん海外のレースに出場しているが、佐藤圭汰もそれに続くだろう。中央も吉居兄弟が冬にアメリカで高地トレーニングを行い、兄・大和は2023年の6月にはオーストリアのトラックレースに出場している。

そして、なんといっても順天堂の三浦龍司は22年9月にダイヤモンドリーグに出場して4位に入った。日本インカレとスケジュールがかぶっていたが、世界を優先した決断に強固な意志を感じた。そして4年生になり、23年6月のダイヤモンドリーグ・パリでは8分09秒91の日本新記録を出して2位に入っている。もはや「世界のミウラ」である。

長距離のエリートを預かる学校は、世界を意識した強化日程を組むようになってきたが、その点、青山学院は「1月2日、1月3日」を中心にした強化を進めているように見える。トラックのシーズンでも、かなり走り込みを意識した練習を組み、スピードよりも地力をつけようという意図が見える。

これからこの方針を維持するのか、それともアディダスとのパートナー関係を生かして、海外でも経験を積める路線を打ち出すのか。その点に注目が集まる。

■必然的に青学には「駅伝好き」が集まるように

私は、この方針は原監督が箱根駅伝のことが好きで好きで仕方がないからだと思っている。いまや、箱根駅伝は学生スポーツ界で最も影響力を持つ大会、いや社会的なイベントとなり、そこにはいくつかの「渦」が生まれている。その渦の数が他の競技会と比べて尋常ではないのだが、原監督の作る渦はとても大きい。

箱根駅伝で勝つこと、それは青山学院の陸上長距離ブロックにおける存在価値そのものにつながっているのが、ここ数年でハッキリしてきたように思う。私も、学生たちが「ウチは箱根駅伝で勝つことがすべてですから」と話し、メンバー入りを熱望する声を聞いてきた。

大学陸上界全体のこうした動きに、有望な高校生たちは敏感に反応している。高校生のなかでもエリート中のエリート、将来は世界で勝負したいと思っている学生たちは、海外に積極的に進出している学校を選ぶ傾向が強くなってきた。

特に、三浦を抱える順天堂大にはスピードランナーが集まりつつあるし、吉居兄弟がシンボルの中大に関心を寄せるエリートが増え、かなり早い段階で志望校として決める学生が増えた。中大は駅伝でも復活基調にあり、こうした勢いのある学校は、学生にとって魅力がある。

そうなると、青山学院のリクルーティングにおけるポジションが変わってくる。これまでも世代トップのランナーが入学はしていたが、このところは「駅伝が好き」な学生が青山学院を選ぶ傾向が強くなっている。2020年に入学した佐藤一世は「駅伝が大好きで、青山学院で優勝したかったので、青学を選びました」と話している。

箱根駅伝を重視する原監督と、駅伝というチームスポーツに惹かれる高校生は相思相愛ということになるわけだが、私の推測では、原監督も青山学院の学生、そしてOBから日本代表を出したいと思っているはずだ。

これまでの原監督の手法としては、学生のうちからフルマラソンを経験させ、土台を作ってから社会人に送り出すというスタイルを採ってきた。その流れのなかで、吉田祐也(GMOインターネットグループ)や、2023年の別府大分毎日マラソンで日本学生記録をマークした横田俊吾(JR東日本)が学生時代に好結果を残してきた。また、トラックでは田村和希(住友電工)が東京オリンピックの代表まであと一歩に迫るところまで力を伸ばしている。

さて、ここから誰かが一段上に行くことが出来るだろうか。卒業生の活躍はリクルーティングにも影響を及ぼすのだ。

■原監督と青学の選手が持つ「表現力」

それにしても面白いと思うのは、原監督自身は中京大学の出身で、大学時代は青学や箱根に縁もゆかりもなかったということだ。ただし、ご本人にインタビューした時は、「関東の大学に進学したいという思いはありました」と話していた。いろいろな事情があってその夢はかなえられなかった。もしも、原監督が意中の大学に進学していたとしたら、青山学院だけではなく、箱根駅伝の歴史も変わっていただろう。人の流れは、かくも不思議なものなのである。

私は2005年に『駅伝がマラソンをダメにした』(光文社新書)という本を書いた時に、「陸上の仕事は、こりゃ来ねえだろうな」と思っていた。当時はメジャーリーグの仕事が優先事項だったし、それまで一度も陸上関係の取材をしたことはなかった。単に小学校の時から見続けてきた陸上長距離のことを書きたかっただけである。

ところが驚いたことに、この本を書いたことで現場とのつながりが出来たのだが、より駅伝の取材にのめり込むことになったのは、青山学院大学との「縁」が出来たことが大ききかった。

青学大を取材していて感じるのだが、最大の魅力はその「表現力」にある。当然、その筆頭に挙げられるのが原晋監督だ。原監督とのインタビューでいちばん印象に残っているのは、初優勝した数日後、『文藝春秋』向けに話を聞いた時だ。

テレビスタジオの男性カメラマン
写真=iStock.com/Sviatlana Lazarenka
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sviatlana Lazarenka

この時は幼少期の話に始まって(海で泳いでいた話など)、世羅高校時代の苦い思い出、中京大進学の経緯、そして中国電力時代の話などを聞いた。なかでも、中電時代に駅伝で失敗した時の話は印象に残っている。

「私だけブレーキになったんです。その翌日、職場に出社した時の空気が忘れられないね。みんな、腫物に触るような感じで。あれはつらかった。私は中国電力の強化一期生として入社して、しかも地元出身。期待も大きかったんです。それで結果が出ない時の惨めさ。あの悔しさはいまだに忘れられない」

■学生も自然と表現力が豊かになる

原監督の会話の回路には、いくつかの「チャネル」があって、テレビに出演する時はサービス精神が旺盛に発揮される。それもまた原監督の一部であるが、活字媒体で話を聞く時は違うチャネルの回路が開く。そこでは思いもしなかった話が何年経っても出てくる。原監督にはいろいろなものが眠っていると思う。

監督が「話す人」なので、学生たちも表現力が豊かで話を聞いていると楽しい。藤川拓也、川崎友輝、高橋宗司、神野大地、久保田和真、小椋裕介、渡邉利典といった初期のメンバーからはじまって、2023年度の4年生、志貴勇斗、佐藤一世にいたるまで、それこそ何十人と話を聞いてきた。

高橋、渡邉のふたりは私と同じ宮城県出身ということもあって応援していたが、ふたりともユニークな人材で(彼らはアート方面に興味を持っていた)、陸上の経験談も話題が豊富だった。

そして忘れられないのは、神野大地が3年生の時である。山上りの想定練習を行った夕方にちょうど取材の時間が取れた。開口一番、彼はこう言った。

「僕、山を上ることになりそうです」

かなりの手ごたえがあったようで、そのあと、原監督も興奮の面持ちで、

「生島氏、これはウチが優勝するよ。神野は山の神級だよ」

と話していたのが忘れられない。そして2015年、青山学院は神野の快走もあり、初めて優勝する。その前の晩秋の時点で、青山学院の面々は優勝できるという確信に近いものを抱いていたのだ。

■「走りの記憶力」とその語り口

その後も、森田歩希、鈴木塁人などのキャプテンにはそれぞれに思い出があるが、最近では2021年度の主将、飯田貴之の取材が面白かった。

その時は箱根駅伝での総合優勝を受けてのインタビューだったのが、「3年までは復路ばかりだったので、最後の箱根は往路で勝負に絡める区間を走りたいです、と監督には話しました」という話から始まって、全日本大学駅伝で自身がアンカーを務めながら駒大に突き放されたことなど、レースでの思い出を話してもらった。そのうち、彼が4年間のすべてのポイント練習の達成度、感触を記憶していることが分かった。

「僕が外したのは、1年生の時の9月の30km走だけです。でも、それは設定がきつめだったので、みんな設定通り走れない感じでした」

箱根を走るレベルの選手になると、「走りの記憶力」がハンパないと感じる。中学時代の3000mのレースで、どの地点でスパートをかけただとか、細かいところまで鮮明に覚えている選手が多い。しかし、飯田の記憶力はちょっと段違いで、しかもそれを面白く話せる力があった。たとえば、こんな感じで。

「1年生の時は箱根の8区を走ったんですが、直前に車で下見に行ったんです。でも、自分は8区は走らないだろうと勝手に思っていて(笑)、車の中で居眠りしちゃったんですよ。8区の難所には遊行寺の坂がありますが、実はその前にフェイクがあるんです。あ、ここが遊行寺かっていうような。そこで頑張っちゃったら、その後にホンモノの遊行寺の坂が現れて(笑)。あれはキツかったです」

青学大は主将がメディアに登場する機会も多いから、話せば話すほど言葉が豊かになっていく。きっと、それは彼らの将来にも大きくプラスになっていくはずだ。

■青学はマネージャーも企業から引っ張りだこ

そしてなんといっても青学大は「主務」がいい。主務のことをマネージャーのひとりと思っている人が多いかもしれないが、青学大で主務の仕事を大過なくこなせれば、一般企業では即戦力となると思う。

最初に縁が出来たのは2011年度の主務、橋本直也君だったが、彼は出雲駅伝で優勝した時に、「生島さん、やりました!」と私をハグしにきたので、思わず笑ってしまったほどだった。

橋本主務はもともとマネージャー希望で青学大に入学してきたという変わり種だった。マネージャーの仕事は多岐にわたり、日ごろの練習ではストップウォッチでタイムの読み上げをするが、「読み上げるのにも、選手のやる気を出せるようにするコツがありますね。上手い下手、あるんですよ」と教えてくれたのは箱根駅伝で初優勝した時の主務、髙木聖也君である。

競技面だけでなく、主務は広報窓口ともなる。テレビ、ラジオ、新聞・雑誌の担当記者との調整もするので、自然と大人と接する機会も多くなる。そこで監督、選手の意向と記者のニーズをすり合わせていくのも主務の仕事なので、1年間主務を務めるとトーク力がつくのは間違いなく、原監督が「主務は社会へ出るための登竜門みたいなものかな」と常日頃から言っているのも理解できる。

生島淳『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)
生島淳『箱根駅伝に魅せられて』(KADOKAWA)

ありがたいことに、髙木君とはいまも交流があって、たびたび食事を共にする。年下の友人の就職から結婚、そして陸上とのかかわり方を遠くから見ている感じだが、必要とあらばヘルプしたいと思っている。陸上でつながった縁は、なんとも不思議なものだ。

青山学院は監督から始まって選手、主務、そして合宿所で時折話せる学生たちから「奥さん」と呼ばれている寮母を務める原美穂さんにいたるまで、とにかく関係者と話すのが楽しい。

楽しければ、思い入れも強くなる。たぶん、それが私の原稿を書く作業に元気を与えてくれていると思う。

そう、青山学院は私に元気を与えてくれるのだ。

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生島 淳(いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト
1967年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。博報堂を経て、ノンフィクションライターになる。翻訳書に『ウサイン・ボルト自伝』(集英社インターナショナル)のほか、著書多数。

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(スポーツジャーナリスト 生島 淳)

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