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なぜ美智子さまが30年ぶりに「バッシング」を受けているのか…「完璧すぎる憧れの的」であることの悲劇

プレジデントオンライン / 2023年10月25日 13時15分

宿泊先に向かうため、近鉄奈良駅を出発される上皇ご夫妻=2023年5月16日、奈良市[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

上皇后・美智子さまは、10月20日、89歳の誕生日を迎えられた。このニュースに対し、ヤフーのコメント欄では美智子さまへの誹謗中傷が飛び交った。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「美智子さまは、『バッシング』と『絶賛』という2つの相反する反応を国民から受け続けてきた。それは『完璧すぎる憧れの的』であるからだろう」という――。

■上皇后・美智子さまをめぐる「激しい言葉」

上皇后・美智子さまは、今月20日、89歳の誕生日を迎えられた。

24歳でのご成婚から65年半もの歳月を、皇室の一員として過ごされた、その長さと重さに思いを馳せた人も多いのではないか。

他方で、美智子さまをめぐって、インターネット上では、誹謗(ひぼう)中傷ともとられかねない、強い言葉が飛び交っている。

「ある意味、日本の歴史上稀に見る成り上がり人生ですね」
「若い頃は美しかった」

美智子さまのお誕生日を報じたYahoo!ニュースへのコメントの一部である。

これを読んだだけで「ひどい」と思った人も、あるいは逆に、「穏当だ」ととらえた人も、どちらもおられるのではないだろうか。

みなさんのご想像通り、ここに引いたのは、これでもかなりやわらかい。

引用を憚られる、激しい言葉の数々が、ヤフコメだけではなく、ネット上には、いくらでも見つかる。

もちろん、ネットでたたかれるのは、美智子さまだけではない。

いつもどこかの誰かが炎上しており、その都度、「消えろ」とか「神経を疑う」にとどまらない、強い表現が投げつけられている。

美智子さまについては、そうした、一過性のものではない。

彼女がスターとして出てきてから、70年近くにわたって、周期的に繰り返されてきたのである。

■「ミッチーブーム」という幻想

「ミッチーブーム」は、国民全体が祝福したのではないか? そう思う人もおられるだろう。

当時の皇太子さま(いまの上皇陛下)とのご結婚をきっかけに起きた、美智子さまをめぐる興奮を、その名前にちなんで「ミッチーブーム」と言うほど、「平民」ご出身の皇太子妃を、多くの人たちが歓迎し、熱狂していた。

戦争が終わり、男女平等を掲げる日本国憲法ができて10年あまり、美智子さまの存在は、復興から高度経済成長へと向かっていたこの国にとって、希望の星だったに違いない。

長野県軽井沢のテニスコートでの出会い、というエピソードも、恋愛結婚が増えていた時流と合わさって、新しい時代の到来を、全身であらわしていたと言えよう。

他方で、「平民」という表現に見られる通り、新しさを受け入れたくない人たちもまた、かなりの数にのぼっていた。たとえ、民主主義の、誰もが平等な世の中になったとはいえ、皇族に「嫁ぐ」以上は、それなりの身分がなければならない。そう考える人たちは少なくなかった。

そのブームを生み出した喜びは、同じぐらいの抵抗感と背中合わせだった。

しかしその関係は、時間の経過とともに、「あらゆる国民が沸騰した」といったかたちで、まるでひとつの感情しか抱いていなかったかのように、塗りつぶされていく。

「ミッチーブーム」という幻想が、今にいたるまで続いているのではないか。

■「ナルちゃん憲法」へのバッシングと「理想の家族」像

この幻想は、「ナルちゃん憲法」にも通じる。

天皇陛下=徳仁(なるひと)さまの幼少期のしつけなどについて、美智子さまは、のちに「ナルちゃん憲法」と呼ばれる方針を残している。

これもまた、戦前の大家族から、戦後の核家族へ、という流れに乗って、広い範囲から支持を得たものの、「伝統」を重んじる立場からは叩かれる。

そうした心労が、3年後の流産への遠因になった、とも考えられよう。

そこから2年後には文仁(ふみひと)さま(いまの秋篠宮さま)を、さらに4年後には清子(さやこ)さまをご出産されると、3人の子どもをひとりで育てる母親、として、「理想の家族」像を投影されるようになる。

1969年(昭和44年)9月、当時の皇太子一家、乳児は清子内親王(黒田清子さん)、左から徳仁親王(今上天皇)、皇太子明仁親王(上皇さま)、皇太子妃美智子(上皇后さま)、文仁親王(秋篠宮さま)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
1969年9月、当時の皇太子一家、乳児は清子内親王(黒田清子さん)、左から徳仁親王(今上天皇)、皇太子明仁親王(上皇さま)、皇太子妃美智子(上皇后さま)、文仁親王(秋篠宮さま)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

明治期にできた大日本帝国憲法では、天皇や皇族が「理想の家族」になるとは、まったく想定されていなかった。神聖にして侵してはならない、畏れ多く、敬う対象だった天皇に連なる人たちは、手の届かない、雲の上の存在だった。

日本国憲法では、たしかに皇室もまた民主化されたとはいえ、それでも、神々しいオーラを放ち、崇め奉らねばならない、そう考えている国民もまだ根強かった。

こうした風潮を、一掃した、いや正確には、一掃したと語らせるようになったのが、美智子さまだったのではないか。

ご成婚から子育てを経て、ますます熱狂と罵倒が同居する、それが美智子さまに向けられる人々の思いだったのではないか。

■声を失うまで/声を失ってから

矛盾する2つの思いによる重圧に耐えられなくなったのが、いまから30年前、1993年の誕生日だった。

その日、美智子さまは赤坂御所で倒れられ、声を出せなくなる。

直接の原因となった記事が、どの雑誌のものだったのか、ここでは置こう。宝島社と文藝春秋、それぞれの関係各所に銃弾が打ち込まれる騒動の原因が何なのかも、ここでは置こう。

それよりも重要なのは、倒れて、声を失った、と公表したところにある。ご成婚から30年近くの長きにわたり、毀誉褒貶(きよほうへん)にさらされてきた、そのストレスが沸点を超えた、そう明らかにしたことを意味するからである。

この騒動を経て、美智子さまへのバッシングは、それから四半世紀以上にわたって、ほぼ消える。マスコミや世間が躊躇したから、だけではない。時を同じくして上皇陛下とともに国内外各地への慰霊や、被災地へのお見舞いといった、「平成流」と呼ばれる旅を増やしていったからであろう。

結婚、子育てを経て、ここで三たび、彼女は、人々の憧れの的となったからである。

恋愛を経て結ばれ、みずからの手によって全身全霊で子どもたちを育て上げ、老後には、社会に貢献する。これほど「理想的」と思われる姿があるだろうか。これだけみんなが目指すべき姿勢があるだろうか。

ここに、彼女が常にバッシングと絶賛、その2つの相反する反応を受け続けてきた理由がある。

そして、声を失ってから彼女が得たものは、完成されたライフコースの象徴という、ただただ尊敬の的となる立場だった。そこにはもはや、彼女の生き方への反発は見られない。賛美をいくら重ねても足りない、そんなムードが日本中を支配した。

■30年ぶりのバッシングのきっかけ

その空気は、生前退位をめぐる議論や代替わりの間も止まらない。

平成の30年ほどを全力で支えてくれたご夫妻に対して、労う声以外、ほとんど他の意見は聞かれなかった。「お疲れさまでした」、「ゆっくりお休みください」。労わる雰囲気だけが漂った。

2017年9月3日、記者会見に臨む小室圭さん(写真=宮内庁/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
2017年9月3日、記者会見に臨む小室圭さん(写真=宮内庁/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

およそ30年ぶりのバッシングへと反転するのは、あの結婚がきっかけだった。秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さんと小室圭さんの結婚をめぐって、ネットもテレビも雑誌も、袋叩きとなり、その遠因を作ったのが、眞子さんを甘やかした美智子さまではないか、との議論が盛り上がる。

30年前の、あの後ろめたさを、私たちは、もう完全に忘れ去ってしまったのだろう。「平成流」への尊敬も、どこかに置いてきてしまったのだろう。

美智子さまを、いろいろな表現で貶す、それをためらわせるものは、どこにもないのだろうか。

■美智子さまが歩んできた89年が示すもの

むろん、30年前の後悔を塗り固めるかのように、例えば『週刊文春』2023年10月26日号は、作家の林真理子氏と俳優の草笛光子氏に、どれほど美智子さまが素晴らしい人なのか、を語らせている。

けれども、それに、どれだけの意味があるというのだろう。

今年8月に亡くなったアメリカ文学者の亀井俊介氏の名著『マリリン・モンロー』(岩波新書)は、その標題に掲げた女優について次のように書いている。

彼女が代表したような人間の美は、いまやますます切実に追慕されるのだ。しかしその美が現在に新しい生命をもってよみがえるためには、彼女がうけついだ伝統、背負った困難さ、それに堪えながら進んだ道、つまりは彼女の生の展開そのものを、深い同情をもって理解し直すことが必要であろう(同書、78ページ)

私は今こそ、この文章を、美智子さまに向けるべきだと思う。

彼女が歩んできた89年間の道のりは、戦争を挟んで、この国に生きる、みんながたどってきたものそのものであり、私たちにとって大きな示唆を与えてくれるものだからである。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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