敗北=敗者ではない…誰もが避けたい怪物・井上尚弥に闘いを挑んだ"敗れざる男たち"の「絶望」と「誇り」
プレジデントオンライン / 2023年11月10日 11時15分
2020年10月31日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのMGMグランド・カンファレンス・センターで行われたWBA・IBF世界バンタム級タイトルマッチで勝利した井上尚弥選手 - 写真=AFP/時事通信フォト
■言葉を超越した「怪物」の強さ
その強さを表現できなかった。
井上尚弥は圧倒的な攻撃力を誇り、一瞬の攻防で試合は終わらせる。終了のゴングが鳴ると「凄いものを見た」という興奮とともに「この強さを余すことなく描けるだろうか」と不安が襲ってくる。そもそもリング上で何が行われているのか、井上のどこが凄いのか、理解できていなかった。
「怪物」の強さを紐解くため、始めたのが井上と闘った男たちの取材だった。対戦相手にリング上で体感した井上のボクシングを聞いていく。だが、私は取材を重ねるうち、敗者の人生に引き込まれていった。彼らは挑むことの大切さ、チャレンジしたからこそ得られるものがあると教えてくれた。
誰もが、難しい勝負でも闘わなければならないときがある。そんなとき、彼らの思考がヒントになるのではないか。井上の強さとともに、敗者の生き様もまた残したいと思うようになっていった。
■絶体絶命になったとき、どうするか
2013年4月16日、東京・後楽園ホール。井上のプロ3戦目。日本人で初めて対峙(たいじ)したのが佐野友樹だった。
「怪物」の強さは国内、アジア圏に伝わり、対戦を避けられ、試合がなかなか決まらない。そんな中、オファーを受けた佐野は当時31歳。これが24戦目で日本ライトフライ級1位。対する井上は20歳で同6位だった。
ベテラン対ホープの構図で、観衆1850人のほとんどが「井上がどうやって倒して勝つか」を観に来ていた。
佐野は1ラウンドに右目を切られ、2ラウンドにはダウンを喫した。4ラウンドにも2度目のダウンを奪われた。「終わりが近い」。誰もがそう思った。
絶体絶命になったとき、どうするか。
■巻き起こった「佐野コール」
佐野は「可能性がある限り、闘い抜く」を貫いた。
立ち上がり、前へ出る。血を流しながら、打たれても打たれても向かっていった。
採点の上では一方的。しかし、佐野の負けん気が会場の雰囲気を変え、井上を見に来ていた観客から「佐野コール」が湧き起こる。佐野は果敢に拳を突き出し、会場を沸かせた。最終10ラウンド。1分9秒。レフェリーに止められ、TKOで敗れた。
一夜明けると、予期せぬことが起こった。ジムの電話が鳴り、これまで1日2、3件しかコメントが来なかったブログには120件以上ものメッセージが書き込まれた。佐野の粘り、頑張りに胸を打たれた観客やテレビの視聴者から称賛の声が届いたのだ。
佐野が言う。
「何が嬉しかったかというと、試合を見て『感動しました』『泣きながら試合を見ました』『勇気をいただきました』と書き込みがあったり、ファンレターが届いたことです」
結果は敗戦だった。だが、観ている者の心に佐野の勇姿はしっかりと刻まれたのだ。
■命を懸けた28分9秒
「強くて凄いボクサーはたくさんいる。でも感動させられるボクサーはなかなかいない。僕は王者にはなれなかったけど、それができただけでもよかったなと思うんです」
佐野は井上戦で深いダメージを負い、その後1試合を行い、引退した。
「井上と闘ったことを後悔しているか?」。この問いに佐野は首を振った。
「相手が井上君だったから、僕は命懸けで向かっていけた。今でも『よく井上尚弥とあれだけの試合をしたね』と言われます。『闘ってくれて本当にありがとうございました』と言いたいです」
井上と対峙した28分9秒を誇りに、トレーナーとして後進を育てている。
■「俺のこと、殺しにきている」
井上と拳を交えた誰もが、絶望を味わう。元世界王者の田口良一もそうだった。
2012年5月22日、当時25歳で、日本ライトフライ級1位だった田口は、高校を卒業したばかりで19歳の井上からスパーリングのオファーを受けた。
![森合正範『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/9/1200wm/img_d9846ed92919f1883525ba42a46cec34299119.jpg)
「アマチュアで井上尚弥という凄い選手がいると聞いたことがあったんです。でも、こっちは世界王者ともスパーリングをやっていた。実戦感覚は空いていたけど、大丈夫だろう、と思っていましたね」
開始と同時に井上が距離を詰め、猛然と襲いかかってきた。手が止まらない。しかも一発一発が重い。
「スパーリングなのに、俺のこと、殺しにきていると本気で思いました。ここで仕留めるんだ、という殺気を感じたんです」
パンチを浴びるままに、リングを転がった。試合、練習を通じて初めてのダウン。4ラウンドの予定が3ラウンドで打ち切りになった。田口はトイレに行く振りをして練習場を出た。誰もいないところでしばらく泣いていた。
「彼がプロ転向して同じ階級に来たら、俺はどうなるんだ、もう終わりだ、と思ったら『絶望』という言葉が浮かんできたんです」
■世界王者になるよりも大切なこと
だが、田口の人生は絶望のままで終わったのかというと、そうではない。田口は日本王座に就くと井上を挑戦者に指名した。
所属ジムの会長、渡辺均は驚いた。スパーリングで倒されたではないか。もし闘えば圧倒的不利ではないか。しかも、田口は日本王者となり、世界ランクも上位。世界タイトルマッチに挑戦する資格を得ていた。
会長の渡辺は井上戦を避けることを促し、別の提案をした。
「おい、田口、おまえは世界タイトルマッチができるんだから、井上戦をやらずに、世界に挑戦しよう」
ボクサーは誰もが世界王座を目指している。たが、田口は首を振る。
「井上戦を避けて上に行くつもりはないです。やっぱり『逃げた』と思われたくない。逃げないし、やりますよ」
■「逃げない」選択の先にあるもの
人は強者と向き合ったとき、どうするか。
田口は「逃げない」を選択した。試合へ向けた準備段階でトレーナーと一つの取り決めをつくった。
「相手の実力を遥か上に設定しよう」
そうすれば本番で慌てることはない。日々の練習ではおのずと集中力が増した。少しでも気を抜けば、井上のパンチが飛んでくる。そんな緊張感がある。
試合は10ラウンドを闘い抜き、判定負け。日本王座を失った。
しかし、田口は井上と闘ったことで道が拓かれた。この試合で、誰もが田口の成長を感じた。10ラウンドのうち、2~3ラウンドはポイントを取った。ファンから喝采を浴び、自身の内面でも変化が生じた。
「誰と対戦しても、井上君より強い相手はいないだろう、と思えるようになった。自信というか、井上君との闘いが後ろ盾になったんです。あれからは誰と闘っても気持ち的には楽でした」
■敗北が育てた名チャンピオン
井上戦以降、試合でピンチに陥れば、セコンドが檄(げき)を飛ばす。
「井上より強くないだろ? あのときみたいに闘えばいけるから」
そう言われると、田口のギアが上がった。「怪物」と闘い切ったことが自信となっていた。
その後、田口は世界王者となり、7度防衛、2団体の王座を統一した名チャンピオンになった。
振り返れば、大きな財産は井上戦に向けた練習だった。集中力と向上心、日々やり切ること。井上戦に向けた準備段階で多くのことを学んだ。
「僕は彼と闘ったからこそ、運が巡ってきたと思っています。彼がいなかったら、たぶん世界チャンピオンになれなかった」
■唯一ダウンしなかった男
絶望から這い上がり、倒された相手に向かっていった。そのとき、遠回りと思われた道が、実は近道だった。どんな相手と対峙しようとも恐怖心を抱くことはなくなり、一戦一戦強くなっていった。
敗者の人生をも光を当て、輝かせる。それが本物のチャンピオンなのだろう。井上が試合をするたび、現在トレーナーを務める田口の評価が自然に上がっていくという。
「あの井上とよく判定までいったな、一度もダウンしなかったなんて凄いと言われる。みんなから一目置かれるんです」
田口は、井上の25戦で唯一ダウンをせず、フルラウンド闘い抜いたボクサーなのだ。
![ボクサーのシルエット](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/8/1200wm/img_9829868c4e2268543236ef58db6b9c58355091.jpg)
■最強の相手と闘うほど燃えることはない
もう一人、井上に敗れたものの、充実感を得たボクサーがいる。
2016年8月31日、河野公平はルイス・コンセプシオン戦で終盤の追い上げも実らず、世界王座から陥落した。どこか煮え切らない、不完全燃焼な試合だった。
デビューから約16年で42戦を重ねた35歳。試合から2カ月経っても体を動かす気が起きず、頭の中では「引退」の二文字が大部分を占めていた。そんなとき、フィリピンの世界王者、香港の人気世界ランカー、防衛戦の相手が決まらない井上、3つのオファーが舞い込んできた。
河野は周囲の反対を押し切り、最も手強い井上を選択した。
「井上君とやるぞと思ったら、もう一度気持ちが盛り上がってきた。みんなが逃げている。そんな強い相手、最強の相手と闘える。これほど燃えることはない」
■「僕と闘ってくれて感謝しています」
試合は序盤から井上ペース。だが、5回、河野は距離を詰め、左右のフックが井上の顔面を捉えた。会場が沸く。6回、勢いに乗った河野は細かいパンチで井上を追った。コーナーまで追い、体も心も熱くなるのがわかった。
「いける!」。その瞬間、井上のカウンターを浴び、倒された。
プロ43戦目、初のKO負け。だが、前戦の試合後のどんよりした雰囲気とは違う。そびえ立つような高い壁に本気で挑んだ後、どのような気持ちになるか。
河野の心は晴れやかだった。最強の男に向かっていき、一瞬でも「いける」と思えた。心も体もこの上なく燃えた。やり切った。敗れても満たされていた。
「僕と闘ってくれて感謝しています」
大きな目標にチャレンジしたからこそ、このような感情になった。
■「敗北」イコール「敗者」ではない
逆境でも闘い抜き、多くの人々の心に刻まれた。一歩踏み出したから道が拓けた。
負けを恐れず「怪物」に向かっていった3人の日本人ボクサー。彼らは決して敗者ではない。次に進むための糧を得て、人生の大きな勲章を手に入れたのだ。
私には躊躇(ちゅうちょ)している取材があった。メキシコ、アルゼンチンのボクサーに話を聞くことだった。金銭面、取材の可否など問題は山積だった。だが、彼らは私に「挑むことの大切さ」を教えてくれた。まるで背中を押されるかのように、中南米へと飛び立った。
そうして結実したのが、本作『怪物に出会った日』である。リングの上で、拳で語ってきた男たちの独白に耳を澄ませてみてほしい。
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東京新聞運動部記者
1972年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代に東京・後楽園ホールでアルバイトをし、ボクシングをはじめとした格闘技を間近で見る。卒業後、スポーツ新聞社を経て、2000年に中日新聞社入社。「東京中日スポーツ」でボクシングとロンドン五輪、「中日スポーツ」で中日ドラゴンズ、「東京新聞」でリオデジャネイロ五輪や東京五輪を担当。雑誌やインターネットサイトへの寄稿も多く、『週刊プレイボーイ』誌上では試合前に井上尚弥選手へのインタビューを行っている。著書に『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』(東京新聞)、『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社)がある。
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(東京新聞運動部記者 森合 正範)
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