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虐待禁止条例はむしろ児童虐待を増やす…「ルールで縛れば虐待は防げる」と考える政治家の残念な誤解

プレジデントオンライン / 2023年11月1日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/princessdlaf

小学3年生以下のこどもに1人で留守番や外出されることを禁じる埼玉県虐待禁止条例案に批判が集まり、撤回された。『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)の著者で精神保健福祉士の植原亮太さんは「虐待は衝動的に起こることがほとんどで、条例づくりはほとんど意味がない。むしろそうしたルールによる縛り付けが親を余計に追い詰めることになる」という――。

■「1人で留守番・登下校」はネグレクトとは大きく異なる

2023年10月に埼玉県議会で採決される見通しだった「埼玉県虐待禁止条例」の一部改正案は、反対意見があまりにも多いことを理由に取り下げられました。小学3年生までのこどもを1人で留守番させたり、登下校をさせたりすることを「虐待」であると定義したことが要因のようです。

こどもを虐待から守ることは大切です。これは現代日本の喫緊の課題です。

本稿のテーマは、法律や条例で厳罰化することが児童虐待の抑止力になるのかどうか、です。

これを考えていくために、まずは虐待の性質そのものを理解していく必要があります。こどもの苦痛を「放置している」虐待と、留守番や登下校をこども「1人でやらせる」のとは、あきらかに異なるのです。

■虐待・心中を選ぶ親はどんな問題を抱えているのか

毎年、こども家庭庁は『こども虐待による死亡事例等の検証結果等について』を公表しています(厚生労働省から引き継がれました)。こどもが命を落としてしまうほどの重大事例を検討していくのは重要です。通常では起こり得ない例外的な事例を精査していくことが、児童虐待を理解する手掛かりになるからです。

この報告書では、こども虐待死を「心中以外の虐待死」と「心中による虐待死」に分けています。実は虐待死と言っても、このように大きく区別されるのです。こどもが死んでしまうという点で両者ともに虐待死とされているのですが、一方的にこどもを死なせてしまう「心中以外の虐待死」と、親が子を道連れにする「心中による虐待死」とでは、かなりの差があるのです。

図表1は、こども虐待による死亡件数・人数の推移です。

【図表】死亡事例数および人数(第1次報告から第18次報告)
『こども虐待による死亡事例等の検証結果等について(第19次報告)の概要』から抜粋

毎年、心中以外の虐待も、心中による虐待も、決して途絶えることなく起きていることがわかると思います。おそらく、これは氷山の一角でしょう。

では、なぜこどもを一方的に死なせてしまうことが起こるのでしょうか。

心中してしまう親はどのような問題を抱えているのでしょうか。

これらを精神科領域の観点から順に解説していきます。

■虐待の原因は「共感性の欠如」と「感情のコントロール不全」

精神科医の視点で児童虐待を分析した高橋和巳医師は、「心中以外の虐待死」を招く親の多くは「共感性の欠如」と「感情のコントロール不全」があると指摘しています(『「母と子」という病』ちくま新書を参考)。

児童虐待は法律上では、身体的虐待・性的虐待・ネグレクト(養育放棄)・心理的虐待に分類されます。実際の虐待を分析していくと親側の「共感性」と「感情」の出方によって虐待の表出加減に差があるという印象です。これは私の経験です。

それがどういうことなのかというと、たとえば次のようなものです。

2歳になるこどもが夕食の時間になっても食べ始めません。「いや! いや!」と言っておもちゃで遊び続けています。思い通りにならず、段々と苛立ってきます。そこでこどもをビンタして、床に引き倒して「ムカつくやつだ!」と怒鳴りながら、足でこどものお腹を踏みつけたとします。

ここで起きているのは身体的虐待と心理的虐待です。「共感性の欠如」により幼いこどもを積極的に痛めつけることができ、かつ「感情のコントロール不全」によって親の苛立ちという一方的な理由で暴言と暴力に至っているのです。

■法律や条例による厳罰化は虐待やネグレクトを防げるか

次の例です。

炎天下に車内でこどもを長時間にわたって放置する、重大な病気やケガに気づかず(気づいていても)病院に連れて行かない……。これらはネグレクトと言われるものです。先の例のような「感情のコントロール不全」による暴発的かつ衝動的な暴力や暴言こそないものの、完全にこどもの心身の健康は無視されています。「共感性の欠如」だけが目立っているのです。

車のリアウィンドウから外を見ている、一人で社内にいる子供
写真=iStock.com/PetrBonek
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PetrBonek

ちなみに性的虐待は、それが「ある」だけでも異常事態です。これらの共通点は、異常事態が放置され続けていることです。子の様子がおかしいことに対しての介入がないのです。

話を戻します。

「心中以外の虐待死」では、こどもの死亡事例は0歳児が最多です。直接の死因は頭部外傷と頸部(けいぶ)絞扼(こうやく)(首絞め)以外による窒息(うつ伏せのまま寝かしていたことによるものなど)で、虐待の類型は身体的虐待とネグレクトがもっとも多くなっています。

ときおり私たちが目にする悲惨な児童虐待のニュース。この背景には、こういった問題が隠れているのがお分かりいただけたと思います。

では果たして、法律や条例の改正や厳罰化は、これら身体的虐待やネグレクトの抑止力となるのでしょうか。

■児童虐待は他の「犯罪」とは性質が異なる

令和2年4月に施行された改正児童虐待防止法によって体罰禁止が法定化されました。これが虐待防止の効力になっているのかを見ていきましょう。以下の表は、報告書を基に筆者が作成したものです。

【図表】心中以外の虐待死
『子ども虐待による死亡事例等の検証結果等についての概要』第18・19次報告を基に筆者作成

法改正前と後で比較してみます。法的な効力で虐待死を抑制することができていないと言えるのではないでしょうか。

児童虐待を理解するうえで重要なことは、一般的な「犯罪」とは性質が異なるという事実です。法律の抜け穴を狙って行おうとするものではなく、暴力は突発的かつ衝動的に起こりますし、慢性的に無関心であることに計画性も犯罪性もないのです。

私がスクールカウンセラーとして勤務していた時のことです。ある小学校2年生の男の子が校内に掲示されているポスターを見ながら言いました。

「叩くの禁止になったのに、まだ叩かれる」

彼は児童虐待防止法が改正されて、体罰は虐待であると法定化された旨を知らせるポスターを見ていたのです。必ずしも法律による厳罰化が虐待の抑止力にはならないのだと、痛感させられた瞬間でした。

■「規範意識の希薄な者には法による抑止効果はない」

生田勝義教授(立命館大学)は、法学の観点から厳罰化が抑止力にならないという考察をしています。以下に引用する論文は、危険運転致死傷罪などの法制化に効果があったのかを提起するものなので、児童虐待防止法や冒頭の埼玉県の条例案とは単純に比較することはできません。が、示唆に富む指摘のため『刑罰の一般的抑止力と刑法理論 批判的一考察──』から紹介することにします。

先に結論だけを示すと、

「刑法による犯罪の一般的抑止効果は極めて限られたものであるといわざるをえない。それにもかかわらず、犯罪や逸脱行動の事前予防を刑法に頼ろうとする傾向がますます強まろうとしている」

と述べられています。

なぜ、抑止効果が限られるのかというと、

「そもそも規範意識の希薄な者や規範意識が鈍磨した者に対しては、<中略>本人の認識・自覚がないかぎり、抑止効果をほとんど持たない」(太字は筆者による)

としています。

先に私は、虐待には計画性も犯罪性もないと述べました。親が子を一方的に死なせてしまうような虐待は、親の認識や自覚の問題ではないことがほとんどなのです。

つまり親側の――

①「共感性の欠如と感情のコントロール不全」という精神科的問題
②「規範」への理解力不足や守る意識の希薄さ

これら生来の要因が折り重なって多くの虐待は起きており、かつ厳罰化の予防効果はないに等しいのです。

■法律や条例という「外圧」が余計に親を追い詰める

ここまでは「心中以外の虐待死」について述べてきました。

こども虐待死には、もうひとつあります。「心中による虐待死」です。先の高橋医師の指摘によると、この場合には親側の「うつ病」がかなり深く関係しているとのことです。再び報告書に戻ると、この親たちの虐待による子の死因は「出血性ショック」「頚部絞扼による窒息」「溺水」が多く、やはり追い詰められたがための道連れで、親としての責任から心中に至っていることが推察できます。

こういった親たちが法律や条例という“外圧”で、余計に子育てが追い詰められてしまうことも忘れてはなりません。これも、私はひしひしと感じます。

ある母親が私に言いました。彼女はうつ病の治療もしていました。

「しっかりやろうとしたら度が過ぎると言われ、こどもを自由にさせていたら放置していると言われる。これ以上、どうしたらいいのかわからない。子育てをするべきではないと社会から言われている気がする」

規範意識が乏しい親には法律や厳罰化では縛りが効かず、一方、規範意識がしっかりしている親には法律や厳罰化によって縛られてしまうという、そこには相いれない矛盾があるようです。

虐待は親側の「気の緩み」や「怠惰」が原因であるという誤解や風潮が、虐待の本質を知らない人たち(政治家など)の中にはあるのかもしれません。これが、引き締め効果の意味も込めて厳罰へと向かわせるのではないのかと私は感じています。もう少し、やさしい社会であってほしいものです。

■親によって児童虐待の防止策はさまざま

さて、こども虐待死を防ぐために私たちができることは親側が抱えている問題によって異なります。

「共感性の欠如」と「感情のコントロール不全」がある場合は、同時に養育能力の低さが見られることがあります。養育能力とは、

「こどもの成長発達を促すために必要な関わり(授乳や食事、保清、情緒的な要求への応答、こどもの体調変化の把握、安全面への配慮等)が適切にできない」

ことです(『こども虐待による死亡事例等の検証結果等について』より引用)。この背景には、ごく軽微な知的能力障害が親側に隠れていることも少なくありません。したがって、福祉的ニード(※)が充足されるような環境調整を必要とします。

(※)本人が望む、または必要と判断される、生活安定や改善を図るために導入が欠かせない社会福祉・精神保健の各種サービスや制度のこと

■安易に親と子の距離を縮めようとしてはいけない

具体的には、親と子が穏やかな時間を過ごせるようにするために別々の時間を多く設けるなどです。なにかのきっかけによって起こる「暴発」から子の身の安全を守ります。

並行して、親側のストレス要因を減らしていきます。子育ては、こなさなければならない煩雑な作業がたくさんあります。料理、家事、保育園・幼稚園・学校などへの諸手続き……。

こどもが原因で手を煩わされていると思ってしまって、自分の欲求が満たされない不満の矛先が、こどもへと向くことがあるようです。なので、こうした要因になりうるストレスを取り除いていく必要があります。そうすることで、親と子の適度な距離を保つことができます。無理に距離を縮めようとしてはいけないのです。

一方、うつ病による育児不安などの問題がある場合に大切なのは精神科治療です。薬物療法だけでは不十分なので、深いカウンセリングの導入も検討するといいでしょう。なぜ育児と将来に悲観してしまうのかの糸口がつかめれば、やがて回復していくはずです。

以上はカウンセラーとしての私の経験です。

■児童虐待は法律の規制の範囲外で起きている

福祉的ニードを充足しないまま親と子の距離を縮めようとしてしまったこと、うつを抱えている人に余計ながんばりを強いてしまったことが、私にもありました。

いずれも、親子ともに、支援者であるはずの私が追い詰めてしまったのです。親らしくあってほしいという願望が、私にそうさせてしまったようです。

植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)
植原亮太『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)

重要なのは、親が持っている能力以上のことをさせないようにすることです。

「親の責任を果たしてほしい」と思わずに割り切って、できない部分は誰か(どこか)が補うことも大切です。私は度々、これが虐待の抑止力になることを実感しています。

児童虐待は、法律で規制できる範囲外のところで起きているのです。そのことを私に教えてくれたのは、児童虐待を生き延びた“サバイバー”たちでした。

私たちができることは、児童虐待を「規制」することではなく「理解」することなのではないでしょうか――。

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植原 亮太(うえはら・りょうた)
精神保健福祉士
1986年生まれ。公認心理師。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。

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(精神保健福祉士 植原 亮太)

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