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日本が韓国に尽くすのは当然…旧統一教会の「トンデモ理論」に大勢の日本人が言い負かされた理由

プレジデントオンライン / 2023年10月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

論破してくる人にうまく反論する方法はあるのか。弁護士の紀藤正樹さんは「強く言われて流されそうになったときは、『この結論の大前提は何だろう?』と考える癖をつけてほしい。三段論法の仕組みをしっかり理解すれば、相手の理屈のカラクリを見破り、簡単にだまされなくなる」という――。

※本稿は、紀藤正樹『議論の極意 どんな相手にも言い負かされない30の鉄則』(SB新書)の一部を再編集したものです。

■結論に納得できない時の2つの反論方法

あらためて三段論法の仕組みを見てみましょう。

大前提に小前提を入れると結論が出る──これは純粋な「理屈」です。理屈の背景に価値観があったとしても、理屈そのものは価値中立的です。つまり正誤の判断は、理屈のみを根拠として下すことはできません。次の例で考えてみましょう。

【大前提】子育ては両親の義務である
【小前提】子どもが生まれた
【結論】両親が共同で子育てをする

ご覧のとおり理屈そのものは破綻なく完結しており、理屈だけを見れば「正しい」ということになります。

しかし、この結論に納得できない人もいるでしょう。理屈が完結しているものには反論の余地がないかといえば、そんなことはありません。理屈は通っているけど賛成できない、そんな意見にどのように反論できるか考えてみましょう。

結論に納得できない場合、考えられる議論(反論)の仕方には、おもに2つの方向性があります。

■反論法①「例外的事情」を取り込む

まず1つめは、「例外的事情」を取り込むこと。理屈はたしかに通っているし、大前提も常識的である。けれども「そうは言っても現実的に理屈どおりにできない」という事情もあるでしょう。

たとえば、「共働きしないと生活費を賄(まかな)えないため、子育てに時間的制約が生じる」という例外的事情は、「子育ては両親の義務である」という大前提や「両親が共同で子育てをする」という結論に対して、次の傍線部のような「程度」問題で応じる材料となります。

「子育ては両親の義務である」という前提条件をいじらずに、「可能なかぎりその義務を果たす」というように、「果たせない部分はどうするか」という現実的に実践可能な話にさじ加減を加味することで、別の納得できる結論を導くことができます。

たとえば、「子育ては両親の義務であり、子どもが生まれたら両親が共同で子育てをする。ただし両親が子育ての100%を担うのではなく、祖父母や保育園の手も借りてもよいのではないか」といった反論が可能になるわけです。

【大前提】子育ては両親の義務である
【小前提】子どもが生まれた
【結論A】両親が共同で子育てをする

結論Aに納得できない。

「例外的事情」を盛り込む。子育ては両親の義務だが、共働きしなければ生活費を賄えない夫婦の場合、子育てに時間的制約が生じる。

【結論B】両親が子育ての100%を担うのではなく、祖父母や保育園の手も借りながら子育てをすればよい

■反論法②「大前提」を動かす

もう1つの反論法は、三段論法の「大前提」を動かすことです。

誰かの意見に違和感を覚えたら、その人の大前提を疑い、動かすことで、別の納得できる結論を導き出すことも考えられます。

先ほどの例でいうと、「子育ては両親の義務」とは異なる「子育ては母親の義務」「子育ては国の義務」という立場をとっている場合、議論は理屈そのものではなく大前提をめぐるものになります。

「子育ては両親の義務である」という大前提が違えば、「子どもが生まれた」という小前提から導かれる結論は、当然ながら「両親が共同で子育てをする」とは別のものになるはずです。

では、試しに「子育ては母親の義務」という大前提のもとでは、どんな結論になるでしょうか。「子どもが生まれた」という小前提を入れると、結論は「母親が子育てをする」となります。

【大前提】子育ては母親の義務である
【小前提】子どもが生まれた
【結論】母親が子育てをする

これは今の時代にはそぐわない結論なので、多くの方が違和感を覚えるかもしれませんが、理屈は通っています。その意味においては「正しい」といえるわけです。

2人の男性の間の意見の相違を仲介
写真=iStock.com/FatCamera
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/FatCamera

■「理屈が通っているかどうか」だけで判断してはいけない

前に、意見とは、価値観+理屈であると述べましたが、ここまで読んでみると、その意味合いも、より深く理解できるのではないでしょうか。

大前提を決定づけているものは価値観です。違和感を覚えて、大前提を疑い、動かすことを試みるのは、相手がよって立つ価値観に挑むことといってもよいでしょう。

【大前提】子育ては母親の義務である
【小前提】子どもが生まれた
【結論A】母親が子育てをする

結論Aに納得できない。

大前提を動かす。

【大前提】子育ての義務は両親が等しく負う
【小前提】子どもが生まれた
【結論B】両親が協力して子育てをする

違和感を覚えるけれども理屈は通っている場合、理屈がすべてだとしたら、違和感に蓋をして受け入れなくてはいけないことになります。正反対の結論がいずれも破綻なく完結していたら、「理屈が通っているかどうか」だけでは判断がつきません。

やはり「自分はどの立場をとりたいのか」という価値観がなくては「意見」にならないのです。言い換えれば、絶対的な正解が存在しない以上、「意見」とは「どんな大前提のもとで理屈を立てたいのか」という自分の価値観にかかっているわけです。

■「大前提」を動かせば結論が変わる

さらに大前提を動かし、「子育ては両親の義務と同時に国の義務である」という大前提に立つ場合はどうでしょう。国が、両親の子育てを応援するために、子ども手当を出したり、保育所を充実させたりする政策は、論理の帰結として、国の当然の義務として評価できることになります。

【大前提】子育ては両親の義務である

大前提を動かす。

【大前提】子育ては両親の義務と同時に国の義務である

大前提が動いたことにより、
【小前提】子どもが生まれた
【結論】両親が共同で子育てをする
【結論】国も両親の子育てを応援する

■「大前提」「小前提」「結論」に切り分ければ、論理の破綻が見抜ける

他方、次のように理屈そのものが破綻している場合もあります。

【大前提】赤信号は「止まれ」のサインである
【小前提】信号は「青」である
【結論】止まる

ここで導き出されている結論がおかしいことは、誰の目にも明らかでしょう。

これは先ほどの例に見られるような価値観の違いからくる違和感ではなく、論理の破綻です。こんな稚拙な論理破綻には誰も陥らないと思われるかもしれませんが、じつは意外とよくあるのです。

今はSNSで誰もが意見を発信できる時代であり、さまざまな言説に触れる機会に事欠きません。感情的なものは除くとして、いかにも筋の通った「理屈」然としているものに出合ったときには、「大前提」「小前提」「結論」に切り分けてみましょう。これが議論力のトレーニングになります。

ある言説に何かしら違和感をもったら、「例外的事情を取り込むべきか」「大前提を動かすべきか(相手の価値観を疑うべきか)」、はたまた「論理破綻してはいないか」と考えてみてください。こうしたトレーニングを積み重ねるごとに論理的思考が身につき、自ずと議論力も磨かれていきます。

■相手の「大前提」を疑う――その三段論法は正しいのか

三段論法の結論は、おもに大前提に左右されます。小前提が同じでも、大前提の中身によって結論が変わるのは、前項で挙げた例でおわかりいただけたでしょう。

「結論の違い」は、たいていは「大前提の違い」から生じるといえます。さらにいえば、大前提の背景となっている「価値観の違い」ゆえに人は異なる意見をもち、ときに対立するわけです。

わかりやすく、旧統一教会など社会的に問題行動が指摘される宗教団体を例に、こうした集団が用いる代表的な三段論法をいくつか挙げておきましょう。

〈旧統一教会〉

①「カイン-アベルの原則」を使った三段論法

【大前提】
『創世記』によると、カイン、アベルの兄弟は、アダムとエバの息子たちであるが、神が、兄カインの献げ物でなく、弟アベルの献げ物を選んだため、カインは怒ってアベルを殺してしまう。このカインの殺人の罪は、神の意志に背くものであり、カインの立場にある者は、犯した罪を清算するため、アベルの立場にある者にしたがうべきである。

【小前提】
旧統一教会では、より神に近い位置にある信仰上の上位者は、信仰上の「兄」であり「先輩」である。信仰上の上位にある者は、神に愛された『創世記』のアベルの立場にあり、下位の者はカインの立場にある。

【結論】
カインの犯した罪を清算するためには、旧統一教会の組織内では、下位の者(カイン)は上位の者(アベル)に絶対服従すべきであり、自分の行動はすべてアベルに報告する。自己判断の必要がある場面でも、組織的な判断や指示を優先するべきであり、自己の裁量で行動せずにすべてを相談しなくてはいけない。その結果、旧統一教会の組織は、教祖・文鮮明(現在は韓鶴子)を頂点とする命令一下で動く組織、すなわちピラミッド型となる。

■「日本が韓国に尽くすのは当然」というトンデモ理論

②「アダム-エバの原則」を使った三段論法

【大前提】
『創世記』では、エバ(女性)が先に堕落してアダム(男性)を誘惑し男女の過ちを犯したこと(原罪)により、2人とも楽園を追放されることになってしまった。先に堕落したエバの罪を清算するため、女性は男性に献身的に尽くさなくてはならない。また、堕落は神の意志に反した男女の過ちから始まったことなので、再臨主である教祖・文鮮明の仲介なく勝手に結ばれた男女関係は不義である。旧統一教会では、再臨主たる文鮮明の仲介によってのみ、信徒同士の結婚(祝福)が認められる。神の祝福を受けた結婚こそが唯一かつ絶対の救いである。

【小前提】
信者のなかには未婚の信者が存在する。

【結論】
アダムとエバの犯した罪を清算し救われるためには、再臨主たる文鮮明の仲介による合同結婚(祝福)式に参加しなければならない。結婚(祝福)前は、男女の交際の一切は許されず、恋愛の自由はない。また祝福後の家庭においても、妻は、たとえ夫によるDVがあったとしても夫に献身的でなくてはいけない。また、夫婦間の勝手な判断は許されず、文鮮明に対する信仰は夫婦間の愛情よりも優先される。旧統一教会の組織では、アダムに徹頭徹尾尽くさなければいけない関係性を、アダム‐エバと言い、韓国をアダム国家、日本をエバ国家と呼んで、日本が韓国に尽くすのは当然ということにもつながる。

文鮮明が司会を務める合同結婚式
文鮮明が司会を務める合同結婚式(写真=PD-AR-Photo/Wikimedia Commons)

■虐待、輸血拒否を正当化する三段論法

〈エホバの証人〉

①「子どもの鞭打ち」に正当性を与える三段論法

【大前提】
アダムの子孫にはみな懲らしめが必要である。懲らしめは言葉で正す以上の形をとることが必要であり、ときには、しっかりと懲らしめるために鞭で痛みを加える必要がある。鞭打ちを控える人は子どもを愛していない。懲らしめは愛を動機とすべきであり、子どもを愛する人は懲らしめを怠らない。

【小前提】
私は子どもを愛する母である。

【結論】
私は我が子を懲らしめる。ときに痛みを与えるために鞭で打つ。

②「輸血拒否」に正当性を与える三段論法

【大前提】
聖書には「血を避けなさい」という言葉が何度も出てくる。よってエホバの証人の信者は他人の血を自らの体内に入れてはいけない。

【小前提】
我が子が交通事故に遭い、出血多量のため輸血が必要と告げられた。

【結論】
たとえ命が助からなくても、輸血を拒否する。

このような教団は、ひとたび入信すると、こうした三段論法によって、世間一般の常識から大きく外れた理屈にも、「これこそが正しいのだ」としたがわせてしまいます。

■ゆがんだ大前提をもとに、ゆがんだ結論を導き出す

三段論法の仕組みをたびたび悪用するのが、消費者被害を巻き起こす悪質業者やカルト的な団体です。

カルト的な団体は、宗教団体にかぎらず、違法な経済活動を繰り返し行うマルチ商法や自己啓発セミナー団体、政治的な行動を主とする団体(過激派や陰謀論を吹聴する団体)も含まれ、それぞれ宗教カルト、経済カルト、政治カルトなどと呼ばれる場合もありますし、これらが複合的に組み合わさっている団体もあります。

紀藤正樹『議論の極意 どんな相手にも言い負かされない30の鉄則』(SB新書)
紀藤正樹『議論の極意 どんな相手にも言い負かされない30の鉄則』(SB新書)

私は長年こうした団体の被害者を救済してきました。団体は、まず対象となる相手に言葉巧みに近づき信頼関係を獲得します。その後に一般の社会とは異なる価値観を吹き込んでいきます。最初は善良だった人が、いつの間にか人を騙してお金を奪っても何ら痛痒を感じない人格に変えられるなど、ゆがんだ大前提をもとに、ゆがんだ結論を導き出す理屈を植えつけられます。

相手を騙してお金を奪うことがかえって相手の運気を上げる、死んだら天国に行ける、世の中では知られていない真実があり、それを知ることができたあなたはラッキーである。このように騙って、人を取り込もうとするのです。

このような例はかなり極端に感じるかもしれませんが、要するに、「大前提に小前提を入れると結論が出る」という論理の構造上、おかしな結論の背景には必ずおかしな大前提があるということです。

■「この結論の大前提は何だろう?」と考える癖をつけてほしい

ですから、相手が出している結論に納得できないときや、ちょっとでも違和感や疑念を抱いたとき、強く言われて流されそうになったときは、「この結論の大前提は何だろう?」と考える癖をつけてください。

するとモヤモヤが晴れて、相手の大前提のおかしいところを突くことで結論のおかしさを指摘したり、「私はあなたとは違う意見です」と筋道立てて説明したりすることができるようになります。

三段論法の仕組みをしっかり理解すると、こうして相手の理屈のカラクリを見破り、自分の立場をはっきりさせて、主体的に議論に参加できるようになります。さらに、相手に騙されにくくなるという耐性をつけることができます。

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紀藤 正樹(きとう・まさき)
弁護士
1960年、山口県生まれ。大阪大学大学院法学研究科博士前期課程修了。リンク総合法律事務所長。消費者問題や人権問題に積極的に取り組む。著書に『決定版 マインド・コントロール』(アスコム)、『カルト宗教』(共著、アスコム)など多数。

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(弁護士 紀藤 正樹)

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