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「直径5mm前後、無数の"球体"の上に正座しろ」夜の街の歌姫だった母が自閉症の4歳娘の虐待で使った"緑の物体"

プレジデントオンライン / 2023年10月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alexey_M/Koldunova_Anna

現在30代の女性は、フィリピン出身の母親が育児を放棄していたため、祖母に育てられた。女性は4歳の頃、高機能自閉症と診断されたが、母親はケアしないだけでなく、陰湿な虐待や罰をわが子に与え続けた。祖母が認知症になると、中学生の女性がすべての世話をするヤングケアラーになった――。(前編/全2回)
ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

■反対を押し切って結婚した両親

北陸地方出身、東京都内在住の柿生初音さん(仮名・30代・独身)の父親は、昭和25年生まれ。稲作をする自作農の次男に産まれたが、長男が早くに亡くなったため、跡継ぎとして厳しく育てられた。そのせいか、父親は勝ち気で頭に血が上りやすい気性の荒い子どもに成長。中学くらいの頃から頻繁に問題を起こしていたため、地元では知らない人がいなかった。親に反発して農家を継ぐことを拒み、工業系の専修学校に進学した後、溶接などを行う工場を経営していた。

やがて、40歳を過ぎた父親は知人に誘われてフィリピンパブに行ったところ、その店の歌姫であるフィリピン女性に一目ぼれ。父親は猛アタックし、交際に発展する。彼女は9歳年下。フィリピンのラジオ局でアルバイトをしていた頃、たまたま歌声を聞いた日本人の音楽プロデューサーに歌の才能を買われ、来日を勧められたのだという。

祖父(父親の父親)は父親が41歳の頃に糖尿病の合併症で亡くなっていた。そのため父親は、彼女と結婚したいと祖母(父親の母親)に打ち明けるも、祖母のみならず一族全員から猛反対にあう。理由は、金銭的な面で不安視されたからだ。フィリピン人であるうえに年齢差もあるため、「金を搾り取って本国に帰るのではないか」「詐欺まがいなことに巻き込まれるのではないか」という疑いが持たれた。

特に祖母にとってフィリピンは、太平洋戦争で激戦地として知られる“マニラ市街地戦”で自身の父親が戦死しており、いまだに遺骨すら戻っていないため、いい印象がなかった。さらに、女性にはフィリピンの実家に残してきた8歳の息子がいた。女性は離婚して引き取った息子を実家に預け、来日していたのだ。

「フィリピン人は圧倒的にカトリック教徒が多く、離婚はご法度です。なのでよっぽどのことがあったのだとは思いますが、母親は家に居づらいこともあって、日本に来たようです」

短気な父親にしては粘り強く祖母の説得にあたったが、一向に祖母は結婚を許さない。しびれを切らした2人は、既成事実を作ってしまおうと、強硬手段に出る。やがて女性は妊娠し、祖母は渋々結婚を認めることになった。

柿生さんが誕生したのは、父親44歳。母親35歳の時だった。

「『私は結婚のための道具として使われてしまった』という事実を知ったのは高校生の時。望んで生まれたのではなく、欲を満たすための道具でしかなかったんだとショックを受けました」

2年後に妹が生まれた。

■子どもに無関心な両親

子どもは結婚するための道具に過ぎなかったということを裏付けるかのように、両親は柿生さんをかわいがらなかった。

自営業者の父親と、出産後、手先の器用さを活かして縫製工場で働き始めた母親は、柿生さんの世話をすることがほとんどなく、実質育ててくれたのは当時60代の祖母だった。柿生さんは生まれつき身体が弱かったが、柿生さんが体調を崩したときにそばにいてくれたのは祖母だけ。祖母は身体の弱い孫のために、良い評判を聞くと、どんなに遠くても公共交通機関を乗り継ぎ、その病院へ連れて行ってくれた。

柿生さんの両親の結婚に強く反対していた祖母は、両親と折り合いが悪く、両親も祖母を邪険にしていた。

4歳になった頃のこと。2歳下の妹が言葉に話せるようになったのにもかかわらず、柿生さんは一言も発さず、リアクションもない。そのため保育園と行政から、「もしかしたら耳が聞こえていないかもしれない」と言われ、検査を勧められる。

後日父親に連れられて検査を受けると、高機能自閉症と診断。「耳は聞こえているものの音には関心がなく、知能的には同年齢よりもやや下」という結果が出た。

「知能が低いせいか、私は幼い頃から掃除や片付けが不得意でした。おもちゃで遊んだあと片付ける方法がわからず、ぐずぐずしていると母に殴られ蹴られ、泣きながら片付けさせられていました。母は緑豆を煮たものが好きで、乾燥した緑豆が家に常備してあったのですが、母は気に入らないことがあると新聞紙の上に硬い状態の緑豆(大きさは通常は5ミリ前後)をばらまき、その上に正座させるという罰を与えました。もともと母は高血圧なのですが、怒るたびに血圧が上がり、遺伝性の心臓疾患を悪化させ、それがまたストレスになり、さらに私に当たるという悪循環がありました」

さすがの両親も、高機能自閉症と診断された際はかなりのショックを受けたようだ。

「高機能自閉症と診断されたなら、それ相応の療育支援などが必要になるはずですが、両親は体裁や見栄を気にして拒否。代わりに、発語を促すために大学病院での発語訓練を受けさせました。あとで知ったことですが、両親の結婚後没交渉になっていた親族たちは、『あれでは対症療法にしかならんだろう』と思っていたそうです」

ライトスイッチを操作する女の子
写真=iStock.com/donald_gruener
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/donald_gruener

それでも発語訓練の甲斐あって人並みに話せるようになった柿生さんは、小学校の普通クラスに入学する。

ところが、小3になると、授業中にひどく落ち着きがなく、成績も良くない柿生さんの普段の様子を心配した担任の教員が両親を説得し、県の教育センターで知能試験を受けさせてもらうことに。結果は知能的にボーダーラインではあるが、一応通常の範囲内だったため、両親は特に気に留めることはなかった。このとき柿生さんは、またもや療育などの支援を受ける機会を逃したわけだ。

柿生さんにほとんど関心がない両親は、ネグレクトだったと言っても過言ではない。しかも柿生さんが物心つく頃には、両親は日常的に暴言を吐き、平手打ちや腕や足の皮膚をつねるといった暴力を振るっていた。

「暴力や暴言が始まるトリガーについては、最後までよくわかりませんでした。ただ、幼い私と妹に無茶ぶりなどしては怒り、特に母は何か気に入らないことや不安などがあれば八つ当たり感覚で暴言を吐きました。身長140cm台で細身な祖母ひとりでは、縦はないけど横と厚みがある父と、フィリピン女性特有の気が強く無駄に声がデカい母を止めることは不可能でした」

身体が弱かった柿生さんは、保育園には月の半分行くことができるかどうかだったが、2歳下の妹は身体が強く、保育園時代から皆勤賞だった。

幼少期は一緒に暴行や暴言を受けていたが、身体が丈夫で要領の良い妹は小学校入学時にスポーツ少年団に入ってからというもの、水泳の市内大会で活躍するようになる。すると両親による妹への暴言や暴力はなくなっていった。

■中1でヤングケアラーになる

柿生さんが小6の年末。その日は大雪だったが、年末年始の買い物をするため、72歳の祖母を除く家族で車で出かけた。数時間後、留守番で残った祖母は、出かけた柿生さんたちのために、雪かきをしておこうと思ったようだ。一人で雪かきをし終えた祖母は玄関に入った途端に倒れてしまう。

買い物から戻り、倒れている祖母を発見したのは柿生さんだった。すぐに父親が救急車を呼び、母親と妹はさっさと家の中に消える。

祖母は、「ヒートショックに起因する脳血管障害とそれに伴う脳の損傷による認知症」と搬送先の医師に言われた。

「寒いところからいきなり温かいところに行くと、脳の血管が破れることがあるそうです。祖母は血圧がちょっと高い程度でしたが、年齢もあり、脳血管障害を起こしてしまったようです」

道路の雪かき
写真=iStock.com/terminator1
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/terminator1

祖母は畑で年中沢山の野菜を育て、漬物を作っていた。中でも北陸地方の冬の名物“かぶら寿し”と梅干しがおいしいと、近所の人からも絶賛されていた。

「ただ、昔ながらの作り方で塩分が多く、長く高血圧の治療を受けていました。なので、ついに血管が限界を迎えてしまったのかもしれません」

祖母は何度か命の危険を乗り越え、柿生さんが中1になった頃にようやく退院することができたが、半身麻痺と認知症の症状が出るようになってしまい、要介護4と認定された。

最初は両親が祖母の介護をしていたが、もともと折り合いが悪い3人なので喧嘩が絶えない。ある日、認知症のために食事に対する執着が強くなった祖母は、勝手に冷蔵庫にあった作り置きのおかずを素手で食べているところを両親に見つかる。

その日から両親は祖母の介護を放棄し、「お前は昔からお祖母ちゃんと仲が良かっただろ」と柿生さんに押し付けた。以降、祖母の食事や薬の管理、徘徊予防のための定期的な家の施錠の確認、トイレへの誘導、安否確認や就寝確認などを1人で担当することになった。

■成績を気にする父親と門限に厳しい母親

祖母の介護が始まると、家で勉強できる状態ではなくなった。

「祖母は、もともと身体が受け付けない肉と牛乳以外は一汁三菜、3食きっちり食べる人でした。祖母は貧しい戦時中育ちで、認知症でさらに食に対する執着が増し、『食べてない』『いや、さっきおかゆ食べたよ!』という言い争いが絶えなくなりました」

早朝に起床してすぐに制服に着替え、一汁三菜の朝食を作り、自分の朝食前に祖母に朝食を与え、自分は簡単な食事を済ませてすぐに登校。学校内に一人になれる静かな場所をみつけて、そこで始業前に宿題を片付けていた。

そんな状況では集中して勉強ができるわけがなく、テストの結果が出るたびに両親に罵倒された。

「母がフィリピンの実家に残してきた異父兄が優秀で、後にフィリピンの国立大学を卒業し、カナダで就職しました。妹は頭も運動神経も良く、校内記録を次々と更新。特に数学の成績が良くなかった私は、夏休みに学校から出された宿題だけでキャパオーバーなのに、父から『お前はばかだから』と言って渡された問題集がやりきれず、夏休みの終わりに殴る蹴るの暴力を振るわれました」

一方、母親は門限に厳しかった。柿生さんの中学校の下校時間は、冬時間は17時、夏時間は18時だったが、どちらも「下校時間の1時間後までに帰宅」というルールを課した。自宅から中学校までは3キロほどあったため、ちょっと教師や友達と話をしていればすぐにオーバーしてしまう。母親は、門限破りを絶対に許せないらしく、母国語と思われる意味の分からない言葉をわめきながら暴れるため、帰宅後は母親を抑え込むのが柿生さんの恒例となった。

「両親の暴力は保育園の頃から中学生くらいまでありました。直接的なものだけでなく、あえて私を外して食器を投げたり、壁やドアを破損させたりといったことも多かったです。私は小学校に上がってからはすっかり丈夫になり、6年間一度も休まずに登校できたのですが、それもこれも病院探しに奔走し、最良の治療を受けさせてくれた祖母のおかげ。それに対し、ひたすら罵るばかりの両親に私が嫌気が差すのは当然のなりゆきでした」

床に落ちて割れたガラス
写真=iStock.com/matejmm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/matejmm

だんだん柿生さんは母親に口ごたえするようになり、カッとした母親が怒りに任せて母国語を叫びながら掴みかかってくるため、母娘で取っ組み合いの喧嘩をするのは日常茶飯事に。そばで2人が喧嘩をしていても、父親と妹は無関心だった。

「中学では陸上部で長距離選手をしていたのですが、足を痛めることが多くて大会に出られず、マネジャーのようなポジションでした。当時は教師にも友達にも言えませんでしたが、祖母の介護の関係で、親から土日の部活は禁止されていました」

両親は土日は専ら、水泳部の妹を応援するために出かけていた。土日の祖母の見守り要員として、柿生さんを部活に行かせたくなかったのだ。しかし、柿生さんは粘り強く両親を説得。結果、土日は半日のみの参加なら許されることになった。

■祖母が行方不明に

中2の晩秋。74歳の祖母が行方不明になった。

朝、柿生さんが朝食を食べさせて学校に向かった後、デイサービスのスタッフが迎えに来たときにはもう、家の中にも外にも姿がなかった。

デイサービスのスタッフが警察に届けると、たちまち警察や消防団が出動する大規模な捜索が始まった。柿生さんの自宅周辺は田園地帯で大きな用水路がたくさん流れていた。落ちたら命に関わる。連絡を受けた柿生さんは、急いで学校を早退すると、すぐに捜索に加わった――。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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