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「母は"クソ"、あの世に逝ったら万歳三唱」親ガチャでSSR級毒親を引いた30代娘の壮絶な"逃走計画"

プレジデントオンライン / 2023年10月28日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Koldunova_Anna

短大卒業後、必死に勉強して公務員試験をパスした女性。社会人になった直後、10年近くワンオペで介護してきた祖母が他界すると、女性も心身の調子が悪化する。精神科で社会不安障害、適応障害と診断され、公務員も辞職。母親からは相変わらず罵詈雑言を浴びせられ精神障害者2級になった女性は両親から逃げることを決意し、完全に縁を切る法的手続きをすることにした――。
【前編のあらすじ】北陸地方出身で都内在住の柿生初音さん(仮名・30代・独身)は、両親が育児に全く無関心だったため、父方の祖母に育てられた。物心ついた頃から殴る蹴るの暴力や暴言を受け、4歳の時に高機能自閉症と診断されるも、両親は見栄や体裁のために療育などの支援を受けさせなかった。その後、祖母が倒れて半身麻痺と認知症になると、祖母と折り合いの悪かった両親は、祖母の介護を柿生さんに押し付ける。柿生さんが中2の晩秋、祖母は行方不明になった――。

前編はこちら

■理解ある学校

行方不明になっていた認知症の祖母(74歳)が見つかった場所は、自宅から200mほど離れた有機肥料を作る農家の片隅だった。祖母は、元気な頃に野菜づくりをしていた自宅から400mほど離れたところにある畑へ行こうとして、途中、有機肥料を作る溜池のようなところにハマった。もがいて何とか出られたものの、疲れ果ててしまったため、うずくまっていた可能性が高いとみられた。

「警察やデイサービスの人に聞いたのですが、どうやら徘徊(はいかい)する人の多くは実家や関係者宅を目指すのだそうです。祖母は生まれてからずっと同じところに住んでいたので、長年世話していた畑が気になって見に行こうとしたのではないかと言われました。幸いにも軽度の低体温症で済んで良かったです。もしも用水路に落ちていたらと思うと……想像したくありません」

その夜、孫である柿生さん(当時14歳)は、祖母の監督不行き届きを両親から激しく叱責された。中1の頃から、祖母の介護のすべてを負担させられていたのだ。

一方、そんな家庭とは裏腹に、学校では理解ある教師に恵まれた。

「当時は“ヤングケアラー”などという言葉はありませんでしたが、中学では次第にストレスから来たであろう体調不良を訴えることが増え、気にしてくれた教師が私の家庭の事情を理解してくれたため、本当に助かりました。例えば、学校内で宿題を行う許可を出してくれたり、土曜日の午前中に苦手な数学を中心に補習を受けさせてくれたりと、特別に対応してくれました」

補習参加者は、最初は柿生さん一人だったが、公立高校の受験前には10人前後まで増えていた。そのおかげもあり、柿生さんは無事公立の高校に入学。

高校でも陸上部に入った柿生さんだが、祖母の介護は続いた。中学時代同様に両親は土日の部活に行くことを禁止したため、大会前や大会当日はいちいち両親を説得しなければ家から出してもらえなかった

■就職浪人

高3になると両親は、「高校を出たら就職しろ」とうるさかった。高校の三者面談でも夫婦でくると、父親は「娘には就職してもらいます」と頑なだった。

だが担任教師は、「いや、娘さんは絶対に進学すべきです。成績は、文系科目は現代文と英語のライティング以外は圧倒的に優秀ですし、理系科目も数学以外は優秀です。娘さんはさらに知識を得るべきです。妹さんも優秀ですが、今知識を得るべきは姉の初音さんです!」と、文系科目は現代文と英語のみB判定、その他は学年で上位10%以内という柿生さんの成績を提示しながら力説。

すると父親は、「自宅から通える範囲の短大なら許す」と渋々了承。それが気に入らない母親は激昂し、大声で訳の分からないことをわめき散らし始めたため、父親と柿生さんで取り押さえる。その様子に担任教師は絶句していた。

その後、自分の進路希望に近い短大を見つけた柿生さんは、無事合格。やがて就職活動の時期になると、両親は「公務員以外許さない」と口をそろえた。

家庭内暴力のイメージ
写真=iStock.com/coehm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/coehm

「父は自営業者、母はパートということで、経済基盤が安定しないこともあり、わが家は何度も保険証が切れることや税金を滞納することがありました。そのため両親は安定を求めたのでしょう。私は民間企業への就職活動と公務員試験対策を並行して進めましたが、残念ながら公務員試験の二次試験に落ちてしまい、民間と公務員対策の両立による体力の限界に陥ってしまいました」

柿生さんは公務員試験に落ちた時点で就職浪人を決意し、両親に頼み込んで許可をもらった。

一方、両親は妹には「好きなところに進学しなさい」と言い、ミュージカルや声優などに興味があった妹は芸術系の大学に進学し、東京で一人暮らしを始めた。

柿生さんは短大を卒業するとすぐにアルバイトを始め、祖母の介護の合間に公務員試験勉強に励んだ。翌年は公務員一本に絞り、第1志望は不合格だったが、第2志望は補欠からの繰り上がりで合格した。

■祖母の死

晴れて公務員となった柿生さんの配属先は、実家から通うには遠かったため、一人暮らしをすることになった。中学、高校、短大時代にずっとやってきた祖母の介護は、今後は両親が対応することとなる。

実家を離れる日、「ばあちゃん。私、公務員になって遠くに行くんだ。頑張ってくるね」と柿生さんが言うと、祖母は手を握って号泣しながら何度も名前を呼び、「頑張ってね」と言ってくれた。

その1週間後、祖母は救急搬送され、即手術を受ける。祖母は原因不明の消化器疾患により、胃ろうになった。柿生さんはゴールデンウイークに帰省したが、面会謝絶のため祖母には会えなかった。祖母の退院が決まると両親は、ちょうど空きがあった特別養護老人ホームに入所させてしまった。

お盆休みにも柿生さんは帰省したが、祖母が体調を崩してしまい、面会できなかった。年末年始休みには、逆に柿生さんが寝込んでしまい、帰省できなかった。やっと祖母と再会できたのは、最後に会ってから1年半後の2018年春だった。

「半身麻痺とはいえ、杖があれば歩くことができて、ご飯にあれほど執着していた祖母は痩せこけ、車椅子で面会室にやってきた姿にショックを受けました。祖母はすでに父、母、妹を忘れていました。でも唯一私のことだけ覚えており、すぐに名前が出てきたので付き添いの父もびっくり。スマホで写した制服姿の私を見て、『かっこいいねぇ、本当にかっこいいねぇ』と言ってスマホに頬ずりし、別れ際には『良かったね、頑張ってね』と、声をかけてくれました。それが祖母との最後でした」

その約1年後、祖母が82歳で亡くなった。

「多少口が悪いところもありましたが、面倒見が良く、身体が弱い私が寝込むたびに側にいてくれて、私が初孫ではないのに、『初音ちゃんは初孫なんよ! 身体は弱いけどいい子やよ!』と、自慢してくれていました。最期は勤務中のため看取ることはできませんでしたが、父いわく『看取りに慣れた看護師さんたちがびっくりするほど穏やかだった』とのことです」

葬儀では柿生さんのアイデアで、「あの世への旅路の途中でお腹が空かないように」との思いを込めて、祖母が好きな食べ物を模した折り紙を棺に入れた。

■公務員を退職

2019年5月。祖母の葬儀を終えてからというもの、25歳になっていた柿生さんは勤務中にミスを繰り返したり、突然過呼吸を起こしたりするなど体調不良になることが増えていく。先輩や上司に勧められるままに精神科を受診すると、「社会不安障害、適応障害」と診断された。

その後も休み休み勤務を続けてきた柿生さんだったが、ついに2020年3月、仕事を続けることを断念。公務員を退職することを決意。

退職後は、アルバイトをしながら一人暮らしを続けた。するとちょうどその頃から、母親からの執拗(しつよう)な電話に悩まされるようになる。

「『お父さん、身体が痛くて仕事全然できない!戻ってきて!』と言っていたので、父の身体に何らかのアクシデントが発生したものと思われます。確かに、最後に2019年8月に帰省したときには、父はあまり歩きたがらなくなっていました」

公務員を辞めた柿生さんは、「実家に帰ろうかな」と思い始めていたが、母親の電話はエスカレートしていくばかり。アルバイト中に何度も電話をかけてきて、後でかけ直すと、「なんですぐに出ないの!」と鼓膜が破れるかと思うほどの金切り声で罵詈(ばり)雑言を浴びせられる。柿生さんの都合を一切聞かずにテレビ電話を強要し、大音量で柿生さんへの不満や生活に対する不安をひたすら垂れ流してくる。

柿生さんは次第にストレスで咳喘息や逆流性食道炎を悪化させ、アルバイトも休みがちになっていった。そんなある日、柿生さんが寝込んでいると、友人が見舞いに来てくれた。そこに母親からの電話がかかってきたため、柿生さんはスピーカーモードにして母親と話す。

電話を切った後、友人は、「あんたの親ひどいよ。絶対ヤバいから。実家になんて絶対に戻っちゃダメ! 完全に毒親だから。逃げて!」と柿生さんに言った。

「昔から母は不安を感じると時間などお構いなしで私や妹に電話をしてくるのですが、確かにこのままではさらに人生を壊されるのではないかという恐怖感を抱いていました。友人の言葉がきっかけで毒親の定義を調べたところ、両親ともに全て当てはまりました」

柿生さんは、両親からの逃走計画を立て始めた。

■両親からの逃走計画

柿生さんは逃走資金を貯めるため、お水系のアルバイトを始め、1年ほどしてまとまったお金ができると上京。

ボトルからグラスにウイスキーを注ぐ
写真=iStock.com/igorr1
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/igorr1

柿生さんの両親は、親族の反対を押し切って結婚したときから親族の中で“村八分”のような存在だったため、柿生さんは祖母の葬儀でこれまで一度も会ったことがなかった親族たちと顔を合わせた。親族たちは、「もしも次、お父さんが亡くなったら、(フィリピン出身の)お母さんには喪主はできそうにない。喪主を務めるのはあなただから」と言って、柿生さんと連絡先を交換。親族たちからはずっと、「あの両親じゃ、初音ちゃんが苦労しそうだ」と心配されていたようだ。

そのとき連絡先を交換しておいた親族を頼っての上京だった。

受け入れる親族側の準備や、逃走したことが両親にバレることによる両親の報復を恐れた柿生さんは、まずはあらかじめ調べて連絡してあったシェルターに入った。その後は行政から無料宿泊所を紹介され、1年ほど避難生活を送る。

受け入れる親族は、「初音ちゃんは介護経験もあるから安心だと思って」と柿生さんの介護経験を尊重。高齢の義理の伯母が老人ホームに入ることになったため、柿生さんに伯母が住んでいた部屋番と伯母の衣類などの洗濯や補充を依頼した。

柿生さんは親族の伯母の部屋に移ると、部屋の管理や施設先からの呼び出しの対応、通院への付き添いなどをして、親族から生活費などを出してもらい、不足分は行政から援助を受ける生活を開始する。

親族のアドバイスで精神障害者2級の申請をしたところ、精神科医から「あなたは間違いなく、『愛の手帳』(知的障害のある方へ交付される障害者手帳。申請は原則18歳以下)を取れたと思いますよ。よく公務員を3年もやれましたね」と言われ、無事申請が通る。そのため水道料金や都営バス・都営地下鉄は無料だった。

■両親と法廷で争う

東京で一人暮らしを始めた柿生さんは、コロナ禍でピンチに陥っていた。

重度のアレルギー疾患と母方の遺伝由来の不整脈傾向がある関係で、感染症系はほとんど高リスク群に入るためマスクが手放せない。そのうえ、上京してから3年ほどの間に、けがや病気で3回入院しているのにもかかわらず、病歴や予防接種などのデータが手元にない。

親族や友人に相談したところ、「(乳幼児の頃に受けた医療情報が記載されている)母子手帳を局留めで送ってもらったら?」と言われる。

2023年3月、柿生さんは両親に手紙を書き、現住所を知られないよう、特定記録郵便で送付。その内容は、万が一、柿生さんの現住所が両親に知られていた場合を想定して、「現住所のデータをすべて削除してほしい」「母子手帳を局留めで送ってほしい」というもの。これで両親から4月までノーリアクションの場合は、5月以降に必要な書類をそろえ、6月ごろをめどに調停を起こすことを決意していた。

そして6月。両親からは音沙汰なし。柿生さんは「親族関係調整調停」を起こした。

「『親族関係調整調停』とは、要は身内の喧嘩を調停員を交えて、うまく解決に導くというものです。調停の中ではあまり見られないものですが、『親族関係調整調停』を行ったという法的な事実ができるので、毒親対策の1つとしては有効かと思いました」

柿生さんはすでに両親の戸籍から自分の籍を抜く、分籍は行っていた。

柿生さんは、

・現住所のデータをすべて消すこと
・母子手帳の引き渡し

この2点に絞って申し立てを行うことにした。

母子手帳のイラスト
写真=iStock.com/mari_matayoshi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mari_matayoshi

家裁に申し立ての書類を無事提出すると、第1回調停の日を迎えた。

柿生さんが東京で暮らしていることから、調停は電話で、申立書とその他の証拠を確認しながら進める形で行われた。

まず、母子手帳について聞かれた柿生さんは、大人になってから咳喘息や慢性の気管支炎、発達障害の2次障害で双極性障害や重度の逆流性食道炎になったこと。最近高熱と腹部の激痛でかかりつけ医に行ったら、盲腸(重度の虫垂炎)と診断され、即開腹手術になり10日間入院したこと。左足だけで3回手術して、まだリハビリが終わらないこと。そして、新型コロナに限らず、感染症はほぼ高リスク群なのに予防接種の履歴がわからないことを話し、そのデータがあるはずの母子手帳を持っておきたい。ということを話した。

次に現住所のことを聞かれた柿生さんは、親に把握されていることが精神的に苦痛であることや、両親に予告なく訪問されるのではないかと常に不安感が常にあると伝えた。

だが、「実は住所の削除は調停事項になりにくいので、連絡などを行わないという方向でいきたいのですが、いかがでしょうか?」

と提案されたため、柿生さんは渋々了承。いったん終了し、約30分後に再開したが、結果、「両親は、長女の自宅付近に行ったり、メールや電話連絡をしたりしない。母子手帳は8月末までに指定の郵便局留めで発送する」と、柿生さんの要望がすべて通った形で閉廷した。

「もめて2回目、3回目もあると思っていたので想定外でした。恐らくですが、父は体調不良で、フィリピン人の母は調停内容がよくわからなかったのでしょう。向こうも早く終わらせたいという気持ちだったのかもしれません」

手元に母子手帳が届くと、柿生さんは封筒の文字に驚いた。

「父はもともと悪筆ですが、それに増して字がめちゃくちゃ間違っていました。字もブレブレなので、相当体調が悪いのかもしれません。私にとって母はクソなので、たぶんあの世に行くときは万歳三唱しますが、父と妹はまだ尊敬できることもあるので、たぶん泣くと思います」

■柿生家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

柿生さんの父親は、自分の兄にあたる長男が早くに亡くなったため、農家の後継ぎとして厳しく育てられた。それに反発するように、父親は学校などで問題を起こし、一族の反対を押し切る形で結婚。戦前や戦後間もない時代なら珍しくはないことかもしれないが、父親の両親も一族も、古くからの慣習のまま思考停止し、短絡的思考に凝り固まっていたと言わざるを得ない。

一族の反対を押し切って結婚した両親は、一族から村八分状態になり、孤立した。また、母親はフィリピン人であるため、日本人の親しい友人知人はほとんどおらず、母親は一人で電車に乗ることもできなかったという。そんな柿生家は、社会から孤立していた。唯一祖母だけが一族や地域との架け橋となり得た存在だったが、両親は祖母を邪険にしていた。そして「母はクソ」と言い放つ柿生さんは、少なくとも取っ組み合いのケンカをするようになった頃には、母親の存在を恥ずかしいと感じていた。

「私は4歳で高機能自閉症と診断された後、小3で発達障害グレーゾーン、祖母を亡くした後、ADHD+適応障害。現在は発達障害フルコースの自閉症スペクトラム(注意欠陥と自閉症傾向が特に高い)+双極性障害と偏移し、精神障害者福祉手帳2級判定です。『よく公務員を3年もできましたね』と医師から言われたとき、悔しくて悲しくて仕方がありませんでした。最初に高機能自閉症と診断されたときにそれ相応の療育支援を受けていたら、現在は違っていたかもしれない。両親は、医療ネグレクトに近かったように思います」

以前、常にわめき散らす母親の電話に耐えきれず、母親を着信拒否にし、LINEをブロックした直後、妹から「お母さんに連絡するように」という趣旨のLINEが来た。

「あ、こいつは母親の味方なんだなと解釈して、即ブロックしました。妹は大事にされていましたからね。両親は、人を平等に扱えない残念な人だと思います。今は両親のことを聞かれるたびに、『見事に親ガチャ失敗してSSR級(超レア)の毒親にぶち当たってしまったけど、脱出に成功した』と、最近はやりのなろう系ラノベ風に言っていたりしています。逃走した頃は、『やっと恐怖と別れられる!』という安心感が強く、調停を申し立てた時は『初めて親に逆らえる。2人仲良く首根っこ洗って待ってろよ!』と息巻いて家庭裁判所に行ったくらいです」

裁判所の銘板
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

柿生さんは調停成立後、妹宛に“両親に何かあったとき用のエンディングノート”を送った。現在お世話になっている親族たちに、「もし、父親に何かあったらどうするのか? あの母親では話にならないのではないか?」と言われたため、どうするべきかをまとめて記したものだ。

半ば強引に親との縁を切った柿生さんを責める人もいるかもしれないが、こうでもしなければ、今以上に柿生さん自身や柿生さんの人生が壊れていたかもしれない。祖母が亡くなった直後に、柿生さんがメンタルバランスを崩したのも偶然ではないだろう。

ただ、親族たちがもう少し早くに手を差し伸べてくれていたら、柿生さんの人生は違っていたのではないかと思えてならない。非力な子どもを救えるのは身近な大人たちであることを、私たち大人は忘れてはならないと思う。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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