NHK大河の信長像とはまったく違う…自分を苦しめてきた武田勝頼の首を前に信長がとった意外な行動【2023編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2023年11月1日 7時15分
■武田勝頼は本当に愚将だったのか
NHK大河ドラマ「どうする家康」では、主人公の戦国武将・徳川家康の前に、織田信長や豊臣秀吉、武田信玄など一筋縄ではいかない猛者たちが次々と登場し、立ち塞(ふさ)がります。
その信玄の後継者となる武田勝頼は、俳優の眞栄田郷敦さん(父は千葉真一さん)が演じています。勝頼は第16回「信玄を怒らせるな」(4月30日放送)で初登場し、早くも話題となっています。これまでのイメージとは異なる格闘面での「強すぎる勝頼」が描かれていたのです。
勝頼というと、戦国最強武将・信玄の優れた業績に隠れてあまり目立たない武将です。長篠の合戦(1575年)で織田・徳川連合軍に敗れ、その後、武田家は勝頼の代で滅亡(1582年)してしまったという印象が強過ぎて「愚将」とする見解もありました。
『甲陽軍鑑』(江戸時代初期に編纂された軍書)は、勝頼のことを「勝頼公つよくはたらかんとし給ひ、つよみを過ごして、おくれをとり給ふ、勝頼公強過ぎて、国を破り給はんこと疑あるまじ」と評しています。
つまり、勝頼は強過ぎたが故に、国を滅亡に追い込んでしまったというのです。一見、矛盾する見解のように思えますが、勇猛過ぎる(勇猛果敢)がために、無理に無理を重ねて、猪突(ちょとつ)猛進し、武田家を滅ぼしてしまったということでしょう。果たして、実際はどうだったのでしょうか。
■たった1年で信長の評価が一変
信長は信玄が病死した(1573年)との噂を聞いた時「その跡は続くまい」との感想を漏らしたといいます。勝頼を見くびっていたと言えるかもしれませんが、その認識はすぐに改められることになります。
天正2年(1574)6月29日、信長は越後の大名・上杉謙信に宛てた書状のなかで「四郎(勝頼)若輩に候といえども、信玄の掟を守り、表裏たるべきの条、油断の儀なく候」(勝頼は若いが、信玄の掟を守り、表裏を心得た者であり、油断ならぬ)と述べているのです。
わずか1年の間に何があったのでしょうか? まず、1574年1月27日、勝頼は美濃と信濃の境にある岩村(現・岐阜県恵那市)にまで進出し、明知城を包囲します。
信長は同城救援のため、2月1日に軍勢を派遣。自らも2月5日に出陣します。しかし、救援に向かうまでの道中は険しい山中であり、難渋します。そうこうしているうちに、明知城において信長方の武将・飯羽間(いいばま)右衛門が武田方に寝返ったことで、同城が落城したとの報せが入ります(武田の調略であったとも推測されます)。
落城してしまっては手の打ちようがないということで、信長は周辺の城の普請を命じたり、城番を置いたり、対策を講じ、岐阜に撤退していきます(2月24日)。
■わずか半年で18の城を撃破
武田軍の猛攻はさらに続き、織田方の城砦18城を陥落させたとされます。奥三河の武節城(豊田市)も攻略されました。同年5月には、勝頼は徳川方の高天神城を攻囲しています。6月14日には、信長がまたもや出陣。高天神城の落城を防ごうとしますが、同月17日に同城は開城。信長はまた虚しく岐阜に引き上げることになるのです(6月21日)。
信長が上杉方に勝頼を「なかなか油断ならぬ強敵だ」との書状を書くのは、この直後(6月29日)のことです。つまり、信長は天正2年6月までに起きた一連の出来事(明知城や高天神城の攻略。東美濃・奥三河への武田方の浸透)をもって、勝頼を「表裏たるべきの条、油断の儀なく」と評したことになります。
織田方の城砦を次々陥落させたこと、東美濃や奥三河にまで武田の勢力が浸透したことなどから、信長は武田軍の機動力に驚き、勝頼を油断ならぬと感じたのではないでしょうか。
余談となりますが、戦国武将・真田昌幸が豊臣秀吉から「表裏比興の者」と評価されたことは有名です。「表裏比興の者」とは「老獪な食わせ者」といったような意味合いですが、信長が勝頼を「表裏たるべきの条」と評したことも、それと同じような意味合いでしょう。
■「若いが、なかなかの食わせ者」
武力が強いとか(もちろん、大河ドラマのように格闘の腕が立つといったこと)ではなく「若いが、なかなかの食わせ者だから油断するな」というのが信長の言いたかったことなのです。
長篠合戦以後も、徳川軍と激しい攻防を繰り広げており、すぐに勝頼の勢いが衰退したわけではありません。長篠合戦のあった年、徳川軍は勢いに乗り、武田方の遠江・小山城(静岡県榛原郡吉田町)を攻略しようとしますが、これを聞いた勝頼は1万3000の大軍を率いて来援。これには徳川軍も退却せざるを得ませんでした。
しかし、徐々に信長・家康に追い詰められて、最終的に武田家は滅亡してしまいます。
![天目山勝頼討死図〈歌川国綱画〉](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/1200wm/img_95547335e1fd08ba41e09ecfdb04aa49369720.jpg)
■勝頼の首を前にした信長の行動
天正10年(1582)3月、勝頼は家族とともに自刃して果てます。
『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記)などから読み取れるのは、信長は自らを苦しめた者には、非常に手厳しい仕打ちをすることです。
自分を裏切った北近江の大名・浅井長政(信長の妹・お市の夫)を攻め殺した後には、長政の首は肉を落とし、切り取った骨を薄濃(漆で固め彩色)し、酒宴の肴として出されています。長政の父・久政も長政と共闘した越前の大名・朝倉義景も同様の扱いにされました。
長政の10歳になる嫡男は探し出されて、関ヶ原で磔(はりつけ)にされています。信長を鉄砲で狙撃した杉谷善住坊は、立ったままで土中に埋められ、首を鋸(のこぎり)でひかせて惨殺されているのです。これらは、信長の鬱憤(うっぷん)を晴らしたもののようですが、信長の激しさが窺えます。
では、勝頼の首に対してはどのように処したのでしょうか。『三河物語』(江戸時代の旗本・大久保彦左衛門の著作)には、勝頼の首は京都に送られて「獄門」にかけられたとされています。
勝頼の首を見た信長の言葉は、「日本にまたとない武人であったが、運がおつきになり、こうなられたことよ」だったとあります。
『信長公記』には、勝頼の首が信長に進上されたことは書かれていますが、信長の感想までは記されていません。ただ、勝頼ら武田家の者が、最後の戦いにおいて、比類のない働きをしたことが同書に記されています。
ただ、江戸時代中期の岡山藩士で儒学者の湯浅常山(1708~1781)が戦国武将の逸話を纏めた書物『常山紀談』には、勝頼の首実検の別の様子が記されています。
■悪態をつき、杖で突っつき、最後は足蹴り
勝頼の首を見た信長は「さまざまに罵りて、杖にて二つつきて後、足にて蹴」ったというのです。つまり、信長は勝頼の首に向かい、悪態をつき、杖で突っつき、最後は足蹴(あしげ)にしたというのです。
かつて、信長は勝頼の父・信玄の徳川領への侵攻(1572年10月)を聞いて「信玄の行動は、侍の義理を知らぬもの。武田と手を結ぶことは二度とない」(11月20日、上杉謙信宛書状)と激怒しました。そうした経緯を考えれば、武田二代(信玄・勝頼)に対する鬱憤を晴らすため、激しい行動をしてもおかしくないと思われます。今回の大河ドラマでは信長は攻撃的な言動が目立ちます。そうした信長像とも一致します。
ただ私は、信長はそうはしなかったと思っています。『常山紀談』が信憑性に欠けることもありますし、浅井長政や朝倉義景らとは一味違う感情を、信長は勝頼に抱いていたのではないでしょうか。それは、『三河物語』などの信長の言葉から推測すると、簡潔に言えば「敵ながら天晴れ」という想いだったでしょう。
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作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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(作家 濱田 浩一郎)
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