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なぜ野球界は「生徒へのパワハラ」を擁護するのか…横浜高校の暴言問題で「選手は感謝している」とする勘違い

プレジデントオンライン / 2023年11月3日 12時15分

横浜高等学校の全景&人工芝生&新校舎 2021年1月3日撮影(写真=東経待機/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

高校生の野球離れが止まらない。ライターの広尾晃さんは「高校野球の指導者の責任が大きい。いまだ指導の名のもとに体罰や言葉の暴力を平然と行う指導者がいる。指導とは何かをいま一度、野球界全体で考え直すべきだ」という――。

■名門高校野球部の監督による暴言

9月25日、NEWSポストセブンは、横浜高校野球部の村田浩明監督による選手へのパワハラ行為について報じた。

記事によると、9月16日に保土ヶ谷球場で行われた秋季神奈川大会3回戦〈横浜高校対向上高校戦〉で、勝利した横浜高校の村田監督は、ロッカールームで選手に向かって「頭がおかしいんじゃねぇか! コラァッ!」などの暴言を浴びせかけたという。

現場に居合わせたノンフィクションライターの柳川悠二氏がICレコーダーで録音し、その音声はNEWSポストセブン上で公開されている。

野球界の人脈、人間関係の中で記事を書いているライターが、こうした取材手法をとったことについて批判の声があるようだが、そもそもジャーナリズムは、必要であれば「取材源が秘匿したい内容であっても伝えるべきは敢えて伝える」ものだ。私見ではあるが、柳川氏の手法は否定されるべきではないと考える。

■「頭がおかしいんじゃねぇか!」

この暴言が世間に広がってから、野球、スポーツ指導者の間で、議論が起こっている。

ひとつは、村田監督の指導姿勢を批判するものだ。

「村田監督は、試合結果について選手を責めているのであり、明らかな『勝利至上主義』だ。しかも『頭がおかしい』など、選手の資質に対する差別的な言葉を使っている。高校野球が教育の一環であることを考えれば、こうした言動はあり得ない。そもそも試合は、監督の采配で行われているのであり、その責任は監督にある。あたかも選手に非があるような言動は、筋違いも甚だしい」

という趣旨。

村田監督は今夏の選手権神奈川県大会決勝、慶應高校との試合では、併殺プレーの判定を巡って試合後、審判団に長時間の抗議をしたと報じられている。屈指の名門高校を預かっているプレッシャーもあるのだろう、勝利へのこだわりが強い監督だと言われている。

「エンジョイベースボール」で今夏の甲子園を制した慶應高校とは対照的な指導方針だと言えるだろう。

■「信頼関係があればパワハラも教育のうち」なのか

もうひとつは、村田監督の言動を擁護するものだ。

「あそこまできついことが言えるのは、村田監督が選手について本当に一生懸命に考えているからだ。選手だって村田監督の真意はわかっている。はたから見れば、パワハラに見えるかもしれないが、選手と監督はしっかりした信頼関係で結ばれている。高校野球はこうした熱血指導でここまで歴史をつないできたのだから、部外者が、外見上のことだけで非難するのはおかしい」

高校野球指導者、球児を持つ父母、高校野球ファンのかなりの部分が、同様の意見を持っているのではないだろうか。そうした一人は、筆者にこう語った。

「村田監督に叱責されていた選手に、話を聞いてみればいい。ほとんどの選手は『監督は僕たちのことを思って言ってくださっているのだから、ありがたいと思います』というだろう」

要するに「信頼関係があれば、パワハラめいた罵声、暴言も、教育、指導になり得る」ということなのだ。

筆者は数年前に、野球だけでなく多くの高校スポーツ、さらにはダンスや吹奏楽、演劇などの指導者に話を聞く機会があったが、その多くが口をそろえていったのは

「今は、昔みたいに手を出したり、怒鳴ったりすることはできないが、穏やかに言っても伝わらないことだってあるんだ。若い奴には、厳しい言葉で叱らなければ理解できないこともあるんだ」

ということだ。要するに「愛の鞭」と言いたいのだろう。

■「教えない、気づかせる、自分で進化する」

しかし、今のスポーツ指導の考え方に拠れば、こうした指導は根本から間違っている。

今年から千葉ロッテマリーンズの采配を執る吉井理人監督は、2018年に『最高のコーチは教えない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を著している。

吉井監督はNPBで89勝、MLBでも32勝を記録した一流の投手で、引退後は日本ハムで投手コーチになったが、2014年に筑波大学大学院に入学し、川村卓准教授の下でスポーツ健康システムマネジメントを専攻。コーチングを学んだ。

「選手を引退してコーチになったが、自分の指導が正しいかどうかわからなかった」からだという。吉井氏は『最高のコーチは教えない』で、「指導者と選手は、経験、常識、感覚が全く違う」とし「上から力ずくのコミュニケーションが選手のモチベーションを奪う」と強調している。

吉井監督は、野球指導者たちが集う「日本野球科学研究会(本年度から日本野球学会に名称変更)」の研究大会に毎年姿を現す。

2019年12月、法政大学で行われた野球科学研究会第7回大会に参加した吉井理人氏。
筆者撮影
2019年12月、法政大学で行われた野球科学研究会第7回大会に参加した吉井理人氏。 - 筆者撮影

筆者が吉井監督に「筑波大大学院での学びで何が印象に残ったか?」と聞くと、「オリンピアンなど、野球以外の競技で実績を残した指導教官の教えが役に立った。野球だけしか知らなかった自分の視野が広がった」と語った。

実は、吉井監督だけでなく、今のプロ野球の指導は「教えない、気づかせる、自分で進化する」のが主流になっている。

■今の指導者はあれこれ口出ししない

ある球団の投手コーチは

「春季キャンプが始まって、投手がおかしなフォームに変わっていても、こちらから一方的に指導はしない。選手が『おかしいな』と首をかしげるようになって、はじめて短いアドバイスを与え、相手に気づかせる」と言う。

筆者が「そんなまだるっこしいことをせずに、直接指摘をした方がいいのではないか?」と聞くと、

「私はいつまで投手コーチでいるかわからないし、投手も移籍するかもしれない。指導者に言われたからではなく、自分の感覚、自分の意志で間違いを修正し、進化していくことができなければ、プロの世界では生きていけない。人からああしろ、こうしろと言われて改めるようでは、プロではやっていけないんだ」と話した。

少し前まで、投手コーチと言えば「投手のフォームをあれこれいじるのが仕事」のように思われていたが、隔世の感がある。

もちろん今でも選手に「罰走」を科したり、ブルペンで「肘が下がってるぞ」みたいなことを言うコーチもいるが、今ではそちらの方が少数派になりつつある。

要するに指導者とは「選手に気づきを与え、選手自身を進化させるため」に存在しているのだ。

夕暮れ時のピッチャー
写真=iStock.com/gilltrejos
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gilltrejos

■なぜ昭和は上意下達が理想とされたのか

しかし、こうした「新しい指導」はアマチュア球界ではまだまだ浸透していない。

筆者は少し前、自動車教習所の取材をしていて、教官に「一番扱いにくい生徒はどんな人ですか」と聞いて「そりゃ、高校野球の選手だね」と即答されて驚いたことがある。

「高校野球の選手は、監督の言うことに何でも大声で、はい! はい! という習慣がついているから、返事だけはいいんだけど、あとで聞いてみたら何にも頭に入っていないんだ。本当に困るよ」

とのことだった。

従来の高校野球は、指導者が一方的に選手に指示を与え、選手はそれに従って野球をしていた。指導者に忠実な選手が優秀な選手であり、選手を頭ごなしに叱責するようなことがあっても「選手を従わせることができる」のが優秀な監督だった。その結果、甲子園で好成績をあげれば、その指導者は名将と呼ばれたのだ。

名将の下で厳しい指導に耐えた選手は、プロでも活躍したし、一般社会でも上司の言うことに忠実で、どんな苦労でも耐えることができる優秀な人材になった。昭和の時代は、それでよかったのだ。

■指導者の能力のなさを責任転嫁してはいけない

しかし、今の社会は、誰かの指示に従って動くしかできない人は「二流の人材」だとみなされる。自分で判断でき、問題解決できる人材こそ、未来を切りひらくことができる。たとえ組織の中にいても、上からの指示に唯々諾々と従うようでは、高い評価は得られないのだ。

そんな話をある指導者にすると、こう言われた。

「それは、慶應高校さんとか、質の良い生徒が集まっているところのやり方だろう? うちなんかは、自分では何もできない、決められないような生徒が集まっているんだ。ひとつひとつ言ってやって、指示を出してやらないとできないんだよ。ときには怒鳴ったりして、何とかまともなことができるようになっているんだ」

もちろん、生徒の理解度や能力は同一ではないだろう。与えるべき指導のレベルも違うはずだ。しかし、教育の目的が一人で生きていける人材を育てることである限り、指導の方針は最終的には同じであるはずだ。

この指導者は、自分の指導力、能力の至らなさを、生徒に責任転嫁していることにならないか?

■だから野球離れが止まらない

頭ごなしの叱責、一方的な指導の押し付けを、「指導者と選手に信頼関係があれば許される。これも指導の一環」と言うのは、言葉の暴力、パワハラの全面的な容認に他ならない。

どんな怒声罵声を浴びせる指導者も、パワハラ指導者も、聞かれれば「指導の一環だった」というだろうし、せいぜい「熱意のあまり行き過ぎた」と反省の弁を述べる程度だ。

そしてパワハラを受けた選手は、指導者や周囲の目が怖いから「言われた僕が悪いんです。監督さんには感謝しています」と言ってしまうのだ。

外形的に「パワーハラスメント」に見える指導は、すべて「パワハラであり教育とは無関係」と認定しないと、こうした事態はエスカレートする。

どんな酷いことを言っても「指導だ、愛の鞭だ」と言えば不問に付されるような事態は、「教育の自殺」と言ってよいのではないか。

2008年、文部科学省は「生きる力」を学習指導要領の理念に掲げた。

その第一項「知」では、

知=確かな学力
基礎、基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力

としている。自ら考え、主体的に判断し、行動する能力を身に付けることこそがこれからの「教育」に求められているのだ。

高校野球が「教育」を標榜するのであれば「愛の鞭」などの旧来の考え方を排除し、若者に生きる力を身に付けさせる新しい教育を目指して変貌すべきだろう。

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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。

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(スポーツライター 広尾 晃)

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