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出川哲朗さんの英語はなぜ伝わるのか…MLBで苦労した元プロ野球選手が見つけた「本当に伝わる英語」

プレジデントオンライン / 2023年11月14日 13時15分

倉野信次さん - 画像提供=ブックダム

福岡ソフトバンクホークスのコーチだった倉野信次(49)さんは、47歳の時、職を辞して単身メジャーリーグに留学した。当初は英語が思ったように通じず大変苦労したが、あることをきっかけにチームに溶け込めるようになったという。いったい何があったのか。倉野さんによる『踏み出す一歩』(ブックダム)より紹介する――。

■仕事ではまったく使えなかった翻訳機

通訳のいないアメリカ武者修行。渡米前に、少しでも助けてもらえるように、というよりめちゃくちゃ頼りにして、ネットで最も評価の高かった最新の翻訳機を購入しました。英語が話せない僕には、スマートフォンとともに2大必須アイテムです。しかし、こちらに来てすぐにその頼みの綱とも言える翻訳機が頼りにならないことがわかりました……。

日常会話では大活躍しますが、野球の現場では専門用語やネイティブな表現が多く、その英語を直訳するだけではほとんど意味がわからないことが多いです。そして翻訳機は本体をかなり近づけないと、声をうまく拾ってくれません。

プライベートや2人だけでの会話であれば、相手の口元に近づけることが可能な場面もあります。しかし練習中のミーティングやコーチ同士、コーチと選手で話しているときに内容を知りたくても、話している人の口元に唐突に翻訳機を近づけるなんてできるわけがありません。現場ではほとんど使えなかったのです……。

それでも、少しでも意味がわかればと、使えそうな雰囲気の場面ではできるだけ頑張って使っていました。2人での会話のときにいちいちポケットから取り出して、お互いの口元に持っていく。しかし、大事な話のときには不自然ではありませんが、練習中の何気ないやり取りのときにはサラッと話したいので、なかなか使えません。そうすると、言葉の通じない僕に対して、やはり相手からは気軽に話しかけてこなくなります。まあ、それくらい英語ができなかった自分が悪いのですが……。

■思ったより高かった言葉の壁

あるときのミーティングで、発言者から少し距離はありましたが、翻訳機が辛うじて拾った言葉を、その場でまったく関係もなく意味もわからない「彼があるとき妊娠した」という言葉に訳した瞬間、笑ってしまったのと同時に「これはアカンわ。使いもんにならん……」と諦めました。

そうすると自力で何とかするしかないのですが、すぐに英語が覚えられるわけではない……。ここではほとんど使いものにならない翻訳機を使いながら、少しだけの会話を成立させていく。そんな練習生活を送っていました。

日が経つにつれ、だんだんとそれも限界を感じるようになっていき、僕は辛い日々に陥ってしまったのでした。あの大成功とも言えるプレゼンを終え、次の日からコーチ陣の僕に対する見る目は明らかに変わりました。若い投手コーチから質問を受けることも増えてきて、「やっとコーチとしての充実感が得られるようになって嬉しい!」と思えるようになったのですが、それも束の間、やはり言葉の壁が僕を思うような道には進ませてくれません。

頼みの綱だった翻訳機はあまり使えない。そして頼りになる通訳ヒロ君は、メジャーのキャンプが始まったので、本来の役割である有原投手の通訳をしなくてはいけません。練習中に僕のそばにいることはできないのです。

■コミュニケーション不全が引き起こした障害

そうこうするうちに、練習試合が近づきコーチ陣たちは忙しくなり、次第にほかのコーチと会話することも少なくなってしまいました。もちろんロッカーなどでの日常会話はあるのでずっと淋しいというわけではありません。しかし、海外で日中のほとんどを誰とも話さず、グランドで見ているだけの日々を想像してみてください……。

最初の頃は、新しいことばかりで新鮮に感じ、退屈はしませんでした。しかし3週間も経つと環境に慣れてきて、見ているだけでは物足りなくなってきます。僕は正式なコーチでなく研修扱いで、与えられる仕事はなく、ほとんどずっと見ているだけの状況が続くのです。

ほとんど誰とも話せない、話さない状況が1週間程続くと、いろいろなことが頭を駆け巡るようになりました。

「自分はここまで来て何をしとるんや……」
「いろいろと知ることはできたけど、これから先は何が得られるんやろう」
「収入がなくなる道を選んでまで、ここに来た価値はあるんか?」
「何もできずに過ごしとるけど、いまの無給の俺は、日本で給料をもらっとる状況を想定したら実質1日いくら損をしてここにいるんやろう」
「家族に迷惑かけてまでここに来て、この日々は意味があるんか?」
「この状況があと7カ月程も続くことに耐えられるんか?」

■「明日の練習に行きたくない……」

自分の理想と現実がかけ離れているのを痛感し、自問自答、後悔、情けなさ、たくさんのマイナス思考に支配されました。そうやって考えてばかりいると、体力的には疲れていないのに精神的にすごく疲れてきます。宿舎に帰って「英語を少しでも勉強しなければ!」と思っても、球場でのストレスから解放された状況では何もやる気が起きませんでした。妥協の連続で何も勉強もできず、これがまた自分のマイナス思考に拍車をかけ、どんどん自己嫌悪に陥ってしまいました。

一番辛かったとき、宿舎の中でふと、こんな言葉が頭をよぎりました。

「明日の練習に行きたくない……」

この瞬間、本当に涙が出そうになりました。自分の覚悟はその程度だったのか。これだけ多くのものを犠牲にして自分の夢を追いかけてきた中で、「行きたくない」なんて思うようになることを想像できなかったのです。もう情けなくてしょうがない。いままでギリギリの線で持ちこたえていたつもりだったけれど、どん底まで落ちました……。

アーリントンのレンジャーズ・ボールパーク
写真=iStock.com/wellesenterprises
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wellesenterprises

■私が行ったマインドセット

けれど、そこまで落ち込んでしまったのと同時に、何かが吹っ切れました。僕はホークスでは投手コーチを統括する立場でした。それがアメリカでは研修生扱いです。いわゆるトップの立場から見習いの立場になることなんて、職業を変えない限りはまずあり得ないということに気づいたのです。

「これは逆にすごいことやないんか? 将来の自分にとって本当に貴重な経験でもあるはず! これを乗り越えたらすごいことや。これは絶対に大きな財産になるぞ!」

そう考えたときに、こんな経験ができているのは「日本人の中でも僕だけ」なのだと、特別感が湧いてきて、これが本当に大きな勇気となりました。

「楽しいこと、辛いこと、いろいろな感情も含めてすべてが今後に繋がる経験ということ」
「よーし! まずは気づいたことを何でもやっていこう。すべてやろうと思わず、1つひとつ、少しでもいいから努力することから始めよう!」
「球場では雑用でも何でも、手伝えることはいままで以上に率先してやっていこう!」
「とにかく少しでもいいから。一歩だけでもいいから踏み出すんや!」

そんなエネルギーが湧いてきたのです。僕はこれまで、講演などを通してたくさんの方々に何度も話をしてきました。ときには子どもから大人まで、気持ちが奮い立つような話もしてきたつもりです。

「自分が人前で話してきた言葉をそのまま自分に向けよう」
「もう一度自分で身をもって実践していくときがいまなんや!」

そう思えるようになると、落ち込んでいる自分、情けない自分に腹が立ってきました。そしていまの弱い自分も素直に受け入れることができて、自分を奮い立たせる感情が湧いてきたのです。

■私を変えた7つの習慣

振り返ると、この旅でこの時期が僕にとって一番辛くもあり、一番大切な日々だったのかもしれません。

さて、やると決めたら行動! です。まず、英語を喋らなくてもできることをやっていこうと考えました。そして、僕が自分のために日々書いていたプライベートの日記を取り出し、表紙に戻りそこに目立つようにこう書きました。

①挨拶を必ずすること。それも笑顔で!
②ほかのコーチが来る前に練習の準備を終えておく
③誰よりもたくさん道具を運ぶ
④時間のある限り球拾いを手伝う
⑤キャッチボールの相手がいない選手を見つけて、自分から声をかけて相手になる
⑥1日1度、少しだけでもいいから誰かに話しかける
⑦人の輪の中になるべくいるようにする

そして次の日からすぐに行動に移しました。するとある日の朝のコーチミーティングで、コーディネーターに突然「シンジ、昨日の働き良かったよ」と褒められました。自分のできる簡単なことをやっただけですが、褒められたことがすごく嬉しかった。嬉しいからもっと褒められたい、もっと貢献したいと思えました。

■カタコトでもいい

僕は去年まで、褒めてくれたコーディネーターと同じような立場にいました。

「こんな風にちゃんと褒めることができていたかな」と振り返ってみると、全然できていなかったことにも気づきました。逆の立場になったときに、自分のやってきたことがすごく見えてきた。もしこの先またそういう立場になったら、この経験がすごく生きてくると思えました。

倉野信次『踏み出す一歩』(ブックダム)
倉野信次『踏み出す一歩』(ブックダム)

また、1日1回誰かに話しかけるようにしましたが、僕はもともと少し人見知りで、誰とでもすぐに打ち解けたり、はしゃいだりということができないタイプです。「そういう性格の人はいいなあ。本当に羨ましい」と思うことが多くありました。最近ではそういうことは少なくなっていたけれど、アメリカに来て言葉がうまく通じないこともあり、久しぶりに人見知りの自分が顔を出しました。

英語が話せないから、話しかけられるのも嫌。だから、ちょっと距離を置いている自分がいました。それをやめて、笑顔で挨拶する。一言でもいいから、会話が続かなくてもいいから、話しかける。やればできるのだと思います。カタコトの英語、ジェスチャー、翻訳機。自分が持っているものをすべて使って何とかすることはできます。

■「出川イングリッシュ」は理想形

テレビで見たタレントの出川哲朗さんの「出川イングリッシュ」みたいに、恥ずかしがらずに入り込んでいける人もいます。あれはコミュニケーションの理想でしょう。とても同じようにはできないけれど、なるべく人の輪の中にいるようにしました。こうしたことを毎日実行していったら、次第に周りが僕のことを認識し始めます。すると向こうから距離を詰めてくれるようになりました。

出川哲朗
出川哲朗(2019年10月15日、第36回ベストジーニスト2019。東京都千代田区の東京国際フォーラム)

僕が下手くそな英語でも積極的に話すようになると、だんだん向こうもゆっくりと、わかるように喋ってくれるようになりました。そうして徐々にコミュニケーションが増えていったのです。

「あ、下手くそな英語でもちゃんと聞いてくれるんやあ……」そう思えるようになってから、恥ずかしい気持ちはなくなりました。

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倉野 信次(くらの・しんじ)
福岡ソフトバンクホークス一軍投手統括コーチ
1974年生まれ、三重県伊勢市小俣町出身。宇治山田高校からドラフト4位で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。先発、中継ぎとして活躍。現役通算11年で164試合に登板し、19勝9敗1セーブ。07年現役引退し、福岡ソフトバンクホークスフロント職を経て、コーチを歴任。22年からはアメリカメジャーリーグのテキサスレンジャーズでコーチ修行。23年は、テキサスレンジャーズ投手育成コーチに就任。日本人として史上初めて、日本とアメリカ両方のプロ野球チームと契約した投手コーチとなる。著書に『魔改造はなぜ成功するのか』(KADOKAWA)がある。

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(福岡ソフトバンクホークス一軍投手統括コーチ 倉野 信次)

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