なぜ浜崎あゆみは平成で最も売れた女性歌手になったのか…ファンの心を一気につかんだラジオ番組での告白
プレジデントオンライン / 2023年11月16日 13時15分
■日本で最も売れた女性ソロアーティスト
安室奈美恵、坂井泉水(ZARD)、宇多田ヒカル、椎名林檎……。90年代もしくは平成の歌姫というと誰を思い浮かべるだろうか。
他にもたくさんの女性シンガーがこの時期デビューを果たし、スターへの階段を上っていったが、浜崎あゆみもまたこの時代のシンデレラ・ストーリーを体現した歌姫のひとりであることに異論はないだろう。
90年代が終わろうとする頃に彼女は颯爽と登場し、あっという間に時代のアイコンとして認知された。そして、女子中高生を中心とした女性たちからカリスマとして崇められるほどの存在へと急成長し、平成で最も売れた女性ソロアーティスト(オリコン調べ)になったのである。
なぜ、浜崎あゆみはスター街道を駆け上っていくことができたのだろうか。
■六本木のディスコで運命の出会い
1978年生まれ、福岡県出身の彼女は幼い頃から地元のCMに出演するなど芸能活動を行っていた。ただ、決してローカルタレントとして人気や知名度があったわけではなく、十把一絡げの地方モデルでしかなかった。中学卒業後は上京し、女優の卵として修業を重ね、ドラマやCMに出演したこともあるが、それほど注目されたわけでも成果を上げたわけでもない。
その後、大手芸能事務所のサンミュージックに所属し、1995年には「AYUMI」名義で歌手デビューも果たしているが、リリースしたシングルやミニアルバムも成功とは言い難いだろう。
通常の売れないタレントであれば、このままフェードアウトしてもおかしくはない。しかし、浜崎あゆみの凄さはここから這い上がっていったことだ。
タレント活動をしていた高校生の時に、よく出入りしていたディスコ「ヴェルファーレ」で、max matsuuraことエイベックスの松浦勝人に出会うのである。サンミュージックと契約が切れたタイミングで、彼は浜崎をエイベックス傘下のプロダクションに誘い、そこからデビューに向けたプロジェクトがスタート。
3カ月間、アメリカでボイストレーニングを受け、本格的にソロ・ヴォーカリストへの道を歩み始めるのである。そして、1998年4月にシングル「poker face」で新生・浜崎あゆみとしてデビューを果たすのだ。
■「第2の安室奈美恵」として
浜崎あゆみのデビュー当時をリアルタイムで覚えているだろうか。テレビスポットから屋外のビルボードまでありとあらゆる宣伝展開を行って、エイベックスのトッププライオリティとして扱われたことは、傍から見ていても理解できただろう。
この待遇は、彼女にとって本当に幸運だったと言わざるを得ない。エイベックスといえば、90年代初頭からtrf、安室奈美恵、globeといったアーティストを続々と大ブレイクさせていったのだが、その背景には小室哲哉というスーパープロデューサーの存在が大きいのは周知の通りだ。ただ、小室哲哉は90年代後半になると急激にヒット作が減り、さらには蜜月関係だったエイベックスとの関係に溝ができていくのである。
エイベックスとしては“第2の安室”が必要だったのは言うまでもない。一足先にEvery Little Thingをミリオンヒット・アーティストに育てていたが、次に白羽の矢が立ったのが浜崎あゆみだったのである。
いずれにせよ、徹底的にメディア露出を行い、2カ月ごとという短いタームでシングルを連発し、続々と大型タイアップを獲得していく戦略は大成功を収める。1998年8月リリースの3rdシングル「Trust」が早くもトップ10ヒットとなり、翌1999年の元旦に発売したデビュー・アルバム『A Song for ××』で一気にミリオンヒット・アーティストとなる。その後も、シングル・ヒットを連発し、押しも押されもせぬスターとなったのはご存じの通りだ。“平成で最も売れた女性ソロアーティスト”という記録も持っている(オリコン調べ)。
![レコーディングスタジオ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/2/1200wm/img_02d99a44275a19cfc2977cdce65f4529407375.jpg)
■成功の理由は「エイベックスのごり押し」なのか
もしかしたら、あの当時を知っている方ならば、「あれだけ金をかければ売れて当然」と感じていたかもしれない。確かに、浜崎あゆみに投入された広告宣伝費が莫大(ばくだい)なものだったであろうことは想像に難くない。ましてやエイベックスが社運をかけて売り出したアーティストだ。一時代を作り上げた勢いあるレーベルのプライオリティ・アーティストであればなおさら、「売れて当たり前」と思われてもおかしくはないだろう。
ただ、エイベックスは彼女以外にも多数のアーティストを抱えていて、多少なりとも力を入れたにもかかわらず成功に至らなかったパターンも多い。デビュー曲だけ話題になったが、2曲目以降は続かないというのは、エイベックスに限ったことではないのだ。
浜崎あゆみの場合は、単発ではなく、99年のデビュー作から、音楽業界全体が落ち込んでくる2006年に発表した7作目『(miss)understood』まで、全作品がミリオンを記録しているのである。
■独特の歌声がある層の心を掴む
音楽面で言うと、浜崎あゆみのスタイルはわかりやすいダンスポップが中心だ。このあたりはエイベックスのお家芸といっていいだろう。MAX MATSUURAの嗅覚で集められた楽曲は、星野靖彦、木村貴志、菊池一仁、長尾大といった気鋭のクリエイターが手掛けていた。
いずれもテクノやトランスといった“ヴェルファーレ系”のクラブミュージックとの親和性が高く、キャッチーなメロディとシンセサイザー・サウンドで彩られた楽曲群は、当時のJ-POPシーンでは王道であると同時に、R&Bやヒップホップ、ミクスチャーなどが隆盛し始めていた音楽シーンのトレンドとは一線を画していたかもしれない。
ただ、本格的なダンス・サウンドほど尖り過ぎてはいないがそれなりに刺激的な音像は、当時のティーンエイジャーにとってはしっくりくるサウンドだったのだ。
こういったきらびやかなサウンドとは裏腹に、浜崎あゆみの歌声はどこか儚げなのも印象的だった。彼女のキャラクターは、当時からよく言われていたように、自身のことを「あゆは……」と呼ぶような天然系だったし、時には「バカっぽい」などと揶揄されることも多かった。
しかし、いったんマイクの前に立つと、迸るような感情を歌で表現し、そのヒリヒリとした印象はやけに耳に残ったのである。そのあたりのギャップが、とくにティーンエイジャーの女子の心を掴んだと言っていいだろう。
■楽曲に通底する深いテーマ
さらに彼女のすごいところは、デビュー当時から基本的にすべての楽曲の作詞を自ら手掛けたことである。MAX MATSUURAに出会うまでは歌詞を書いたこともなく、ましてやペンと紙を手にすることすらなかったというが、彼女の作詞能力は見事である。
他愛のないラブソングから、もっと広い愛や人生までテーマはさまざまであるが、いずれも難しい言葉を使うことなく瑞々しい表現に落とし込んでいる。
しかも、その大半の楽曲に共通するのは、若さ特有の孤独や不安であり、その感情を受け止めながらも前へ向かおうとする静かなるポジティヴマインドの気持ちである。
例えばデビュー作のタイトル曲である「A Song for ××」では、「居場所がなかった 見つからなかった」というフレーズが耳に突き刺さるし、大ヒット・シングル「TO BE」の歌い出しは「誰もが通り過ぎてく 気にも止めない」である。
明らかに彼女の歌の主人公は、ハッピーな“おバカキャラ”でないのが明白であり、どの楽曲を聴いてもこの感覚は通底しているのだ。そして、心が揺れやすい世代の、とりわけ世間からドロップアウト組といわれるような存在の琴線に触れる言葉で彩られているのである。
■伝説となったラジオ番組
彼女の有名な逸話に、デビュー間もない頃にラジオ番組「オールナイトニッポン」に出演した時の話がある。
![栗本斉『「90年代J-POPの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/5/1200wm/img_856843d80c8339e32db1c0ec214aa632321376.jpg)
母子家庭で孤独に育った生い立ちや、20歳になって初めて出会った親友などのエピソードを時には涙ながらに語り、アンチの立場だったリスナーと電話をつなぎ、真正面から話し合った。しかも、その話しぶりは彼女のキャラそのままであったが、語る内容は非常に理知的で筋が通っており、なおかつ誠実で嘘がなかった。
この番組の反響は大きく、当時の彼女のホームページにあった掲示板がパンクするほどだったという。
語弊があるかもしれないが、彼女は明らかに“社会的弱者”として生きてきた延長線上に立っており、同じような境遇やそれに共感する若者たちの拠り所になったのである。
この姿勢はずっと一貫しており、ずいぶん後になってからではあるが、LGBTQのイベントで「私もマイノリティーのひとりとして、みなさんと一緒に歩んでいきたい」という趣旨の発言をしたことからも、浜崎あゆみの一貫したスタンスがわかるだろう。
■決してアイドル歌手ではない
このように検証していくと、浜崎あゆみほど誤解されやすいアーティストはいないかもしれない。彼女のことを深く知らなければ、華やかなショービジネスで成功したアイドル風の歌手のひとりでしかないだろう。
しかしその実像は、常に孤独を抱えながら世間の逆風と闘い続け、クリエイティヴィティを持って独自の言語感覚で歌詞を生み出し、弱者に寄り添った歌を歌い続けてきたのである。
そういった耳で彼女の楽曲を聴き直してみると、また違った風景が見えてくるだろう。そして不安しかない今の世の中だからこそ、浜崎あゆみの歌は以前よりも切実に聴こえるような気がするのだ。
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ライター、選曲家
1970年生まれ、大阪出身。レコード会社勤務時代より音楽ライターとして執筆活動を開始。退社後は2年間中南米を放浪し、帰国後はフリーランスで雑誌やウェブでの執筆、ラジオや機内放送の構成選曲などを行う。 開業直後のビルボードライブで約5年間ブッキングマネージャーを務めた後、再びフリーランスで活動。著書に『ブエノスアイレス 雑貨と文化の旅手帖』(毎日コミュニケーションズ)、『アルゼンチン音楽手帖』(DU BOOKS)、共著に『Light Mellow 和モノ Special』(ラトルズ)などがあり、最新刊『「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!』(星海社)が発売中。
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(ライター、選曲家 栗本 斉)
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