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なぜ大会社の社長は妻を亡くすと判断を誤りやすいのか…ゴッホが語った「夫婦のあるべき姿」の最終結論

プレジデントオンライン / 2023年11月8日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Traitov

夫婦とは何なのか。浜松医科大学名誉教授の高田明和さんは「妻は夫を守ろうという強い気持ちから、ふっと感ずることが、しばしば的を射る。こうして長く一緒に暮らせば暮らすほど、妻はなくてはならない存在になっていく。画家のゴッホが言ったように『夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になることだ』というのは真理だ」という――。

※本稿は、高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)の一部を再編集したものです。

■夫婦の運命的な結びつきは案外普遍的

二つの孤独が互いに守り合い、触れ合い、迎え合う。
そこに愛がある。


詩人 リルケ

夫婦ほど運命的な結びつきはないのではないでしょうか。親と子、師弟、医者と患者などの出会いも運命的ですが、夫婦は、どの関係とも違う気がするのです。

私は大学に入った18歳で妻と知り合い、大学・大学院時代、米国生活、帰国後の浜松医大での教職生活を通して、いつも一緒でした。

昔、ドイツ語を学んでいた時、ドイツの神父さんから「あなた方はいつも一緒だけど、離れている時はあるのですか」と聞かれ、「トイレの中だけ」と冗談を言ったほどです。

のちに妻の足が悪くなってトイレに付き添うようになってからは、本当に一日中一緒ということになりました。

家族にも、「お父さんには親友はいない。お母さんが親友で、恋人で、同級生で、共同研究者だ」と話したことがあります。

世の中には、ご夫婦とも存命の方、伴侶(はんりょ)を失われた方、離婚された方、結婚をしなかった方、あるいは子供を持たない方など、いろいろな方がいます。

ですから、「夫婦が運命的な結びつきというのは個人的な感情にすぎない」と受け取る方もいるかもしれません。

しかし私は、夫婦が運命的な結びつきだという考え方は、案外、普遍的だと思っています。

■社長の奥さんが真実をズバリと言い当てる理由

よく、大会社の社長が奥さんを亡くすと、判断を間違うようになるといわれます。それは、取り巻きが本当のことをなかなか言わないのに対し、奥さんは真実をズバリと口にするからです。

もちろん、奥さんは、仕事の詳細な中身や取引の仕組みなどは知らないでしょう。ですが、夫を守ろうという強い気持ちを持っています。そのために、ふっと感ずることが、しばしば的(まと)を射るのです。

たとえば、奥さんが、「Bさんは嫌いですよ」と直感的に言います。夫である社長は、「俺だってBの欠点はわかっているよ。しかし、彼には別の長所があるのだ。会社のことに口をはさまないでくれ」と怒ります。

しかし、その後、実はBが会社に損害を与えてきた腹黒い人物であり、妻の言葉が正しかったことが露呈したりします。

さらに、取り巻きがBの悪い情報について口をつぐんでいたことを知ったりするのです。

こうして社長は、徐々に奥さんのアドバイスを参考にするようになるのです。やがては、それに頼るようになったりします。

家で喧嘩する老夫婦
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

■家族は一つの全体であることを忘れない

会社の社長でなくとも、夫は妻の言葉にしばしば助けられるものです。「助かったよ。ありがとう」と表だって口に出すことは、そうないでしょう。

しかし、長く一緒に暮らせば暮らすほど、妻はなくてはならない存在になっていくのです。

「夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になることだ」と画家のゴッホは言いました。本当にその通りだと思います。

私の妻は亡くなってもういませんが、夫婦が一つの全体であった感覚は、いつまでも残っています。

配偶者がなくてはならない存在であると意識しているだろうか。

夫婦愛は甘えすぎず、依存しすぎず、適度に甘えて頼り合うのがいいのです。

■亡くなる十日前に妻が「あなたに尽くした」と言った理由

(妻を亡くして)この世にねぇ、こんな寂しいことがあるとは知らなかった。
秋の空が晴れれば晴れるほどに悲しみがつのります。


俳優 森繁久彌(ひさや)

長年連れ添った妻を亡くしたのは、7年前でした。

人柄がよく、優しくて頭がよく、多くの人に好かれた女性です。妻自慢ではありません。本当にそうなのです。

一方、私は非常にわがままな性格で、自分の責任で失敗した怒りを妻に向けたりしていました。

また、自信を持ちにくい性格なので、「自分と一緒になって本当に幸せだったのか」「彼女は誰と結婚しても必ずうまくやり、幸せになったのではないか」と、いつも悩みました。

そのため、「俺と結婚したことを後悔していないか」と何度も聞きました。彼女はそのたびに「そんなことはありません」と答えてくれました。

ただ、亡くなる十日ほど前に「私は、あなたには尽くしました」とふと言ったことを覚えています。

ベッドに横たわる高齢女性
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

■「優しくすればよかった」と悔いないように今始める

妻を亡くす思いを最もよく表しているのは、小津安二郎(おづやすじろう)監督の映画『東京物語』です。

広島県尾道(おのみち)に老夫婦で住む笠智衆(りゅうちしゅう)さんと東山(ひがしやま)千栄子さんが、東京の子供たちを訪ねます。しかし、みな自分の生活で精いっぱいで、二人は自分たちは邪魔者なのだと感じて故郷に戻ります。そして妻が急死してしまうのです。

ラストは、笠智衆さんが隣の女性に挨拶され、「こんなことなら、生きているうちにもっと優しくしてやればよかったと思いますよ」「一人になると、急に日が長くなります」と応じて終わります。

私は、この「もっと優しくすればよかった」という言葉こそ、妻を亡くした男性の心の叫びだと思っています。

亡くなった家族はどこに行くのでしょう。どこかにいるのでしょうか。

「あなたの心の中にいる」と言う人もいます。「天井のほうから見守ってくれている」などと言う人もいます。どれも信じられません。

妻が亡くなったあと、歌人、窪田空穂(うつぼ)さんの「其(その)子等(ら)に 捕えられんと 母が魂蛍(たまほたる)と成りて 夜を来たるらし」という歌を見つけました。

亡くなった妻が、残した子のことを心配し、蛍になって姿を現したという歌です。蛍は「自分をつかまえてごらん」と言っているのでしょう。もし、そういう生まれ変わりがあるとしたら、私も妻にまた会いたいと思っています。

■静かに最期を迎えるとき「妻にまた会える」と思いがよぎるか

幕末の侠客(きょうかく)、清水(しみず)の次郎長は三人の妻をめとり、辞世の句に「ろくでなき仕事も今は 飽きはてて 先立つ妻(さい)に逢うぞ うれしき」と詠みました。

キリスト教無教会派指導者の内村鑑三(かんぞう)は、著書『キリスト教問答』の中で、この歌を次のように絶賛しています。

「もしワーズワースのような大詩人にこれを見せましたら、『まことに天真(てんしん)であり、ありのままの歌である』と、大いに称賛するであろうと思います。次郎長は侠客の名に恥じません。彼はこの世にありて多少の善事をなした報いとして、死に臨んで、このうるわしき死後の希望を抱くことができたと思います」

私も、もし静かに最期を迎えることができたら、「もうすぐ会えるよ」という喜びを感ずると思っています。

配偶者を亡くすのは、人生最大の痛手である。

「生きているうちにもっと優しくすればよかった」というのは妻を亡くした男性の心の叫びです。

■無数の秘密を共有しながら何事もなく暮らそう

結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。
これまで見たものの中で最も美しかったものは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。


女優 グレタ・ガルボ

物事は一瞬を切り取って判断してはならないといいます。結婚生活などは、その典型でしょう。

前項で述べたこととは別に、夫婦の間には、他人には容易にうかがい知れない複雑な感情があるのも事実です。

最近、高齢の夫婦が一方を殺す事件が目につきます。

たとえば、80代の男性が夜中に妻を絞め殺す事件がありました。あるいは、妻が病気の夫を殺す事件もありました。

「介護に疲れた」「相手が不自由な生活に苦しむのを見ていられなかった。ラクにしてやりたかった」というのが理由です。

両方とも、近所の人は「とても仲のよいご夫婦でしたよ」と言っています。

つまり、グレタ・ガルボが見たような老夫婦の姿は理想ですが、夫婦の間に実際に何が起こっているかは、誰も知らないのです。

妻を背にソファで腕を組み座る男性
写真=iStock.com/eggeeggjiew
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/eggeeggjiew

■夫婦は、老いるにつれてますますお互いを必要とする

グレタ・ガルボの言葉は、映画が見せてくれる夢のようなものです。その後の人生が見えません。

たとえば、映画『カサブランカ』は、イングリッド・バーグマンが、元恋人の米国人ハンフリー・ボガートの粋(いき)なはからいで、レジスタンスの夫と米国に向けてモロッコを脱出するというハッピーエンドになっています。

しかし、バーグマンはその後、夫との愛の生活を続けられたでしょうか。また、ボガートはどうなったのでしょう。

何事もなく年老い、モロッコの老人施設で昔を懐かしみながら亡くなったのでしょうか。

そんなことを詮索(せんさく)するのは野暮(やぼ)というものでしょう。

けれど、人生の一瞬を切り取って判断してはならないというのが、私たちの生きる現実なのです。

夫婦は、老いるにつれて、ますますお互いを必要とする人間関係です。くり返される愛憎の中で成熟していくものなのです。

関係に突然幕を下ろす夫婦もいます。離婚や別居の内実も、外側からではわからないと思います。

おそらく、結婚する時には本当に愛し合っていたでしょう。

しかし、相手に対する愛と尊敬は変化します。同時に、愛し合っていた頃の記憶も変わってしまい、「あの時、本当に愛していたのかしら」などと思うようになるのです。

■他人の自分に対する記憶は、必ず変わる

私は、こういう記憶の変貌(へんぼう)ほど不思議なことはないと思っています。

記憶は、自分に都合の悪いことは取り込まず、取り込んだ記憶も変貌します。都合が悪い場面はいつの間にか記憶から消えていたり、変わってしまったりします。

そして、記憶のどこがどう変わったのかも、わからないことが多いのです。そのうえ、意識的に抹殺することもあるのです。

このように、自分の記憶ですら不確かです。

まして他人の自分に対する記憶は、必ず変わると言っても過言ではありません。とくに、成功したり幸せになったりしたら、過去の自分についての他人の記憶は変わっているということを理解し、行動に慎重になるべきです。

ですから、過去に何をしたかでなく、今、相手が信頼してくれるように振る舞うことが大事です。

高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)
高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)

たとえば私は高校時代、うつ状態ともいえる暗い日々を過ごしました。

ところが、私が盛んに本を書き、テレビなどにもよく出るようになってから、当時の同級生の女性と話すと、「高田さんはいつも楽しそうで明るかった」と言ったのです。これも記憶の変貌のひとつだと思います。

私は、人生をどう見るかは、その時に幸せだと思っているかどうかによると考えています。つまり、人生に対する一貫した見方というものはなく、その時その時で変わっていくものなのです。

同じことが夫婦にもいえます。夫婦は運命的な結びつきですが、変貌もしていきます。一瞬を切り取って簡単に決めつけてはならないのです。

夫婦は老いるにつれて、ますますお互いを必要とする。

夫婦とは互いに苦しめ合いながら、それでもいたわり合える関係なのです。

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高田 明和(たかだ・あきかず)
浜松医科大学名誉教授 医学博士
1935年、静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズウェルパーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は生理学、血液学、脳科学。また、禅の分野にも造詣が深い。主な著書に『HSPと家族関係 「一人にして!」と叫ぶ心、「一人にしないで!」と叫ぶ心』(廣済堂出版)、『魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)、『自己肯定感をとりもどす!』『敏感すぎて苦しい・HSPがたちまち解決』(ともに三笠書房≪知的生きかた文庫≫)など多数ある。

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(浜松医科大学名誉教授 医学博士 高田 明和)

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