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衆院を解散する力がないと総裁選で再選できない…垣間見えてくる岸田首相の「終わり方」

プレジデントオンライン / 2023年11月9日 15時15分

経済対策などについて記者会見する岸田文雄首相=2023年11月2日午後、首相官邸 - 写真=時事通信フォト

■立憲民主党が解散制限法案を提出へ

負け犬根性が染みついたのか。立憲民主党が、首相による衆院解散を制限する法案を今臨時国会にも提出する方針だ、と報じられている。解散日と理由を衆院に事前に通知するよう内閣に求め、衆院の4分の1以上の要求がある場合は解散に関する国会審議を義務付けることを柱とする。手続きを厳格にし、解散権の乱用を防ぐ狙いがあるとしている。どこか浮世離れした話である。

党の解散制限検討チーム座長の谷田川元衆院議員は9月26日の会合後、記者団に「過去3回の解散があまりに恣意(しい)的、党利党略であったというのが我々の認識だ」と述べた。

検討チームは6月下旬、岸田文雄首相が通常国会会期末に自ら解散風を吹かせながら、最終的に見送ったことを受け、「解散の根拠は、憲法7条と69条にあるが、7条の規定はあまりにも曖昧なため、内閣の恣意的な解散権行使を制約する法制度を検討する」として設置され、その後、党内議論や専門家からの意見聴取を重ねてきているという。

■憲法7条は決して曖昧な規定ではない

だが、議論の方向がどこかでずれてきたのだろう。解散権が内閣にあるのは、憲法から明確である。決して「曖昧な」ことはない。

憲法7条は、衆院解散について、内閣の助言と承認によって天皇が行う国事行為の一つと規定している。憲法69条は、衆院で内閣不信任決議案が可決されるか、信任決議案が否決された場合、内閣は「10日以内に衆院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と定めている。

7条解散が合憲というのは、1960年の最高裁判決で解散権の行使に司法判断が及ばないとして決着し、その後、政治的にも首相の判断による解散が積み上がっている。このため、野党側は近年、「党利党略」「大義がない」などと批判することで、解散権行使を制限しようとする動きになっている。国政選挙での惨敗続きで、自分たちが解散権を行使する側に回ることを想定できないのだろう。

■解散権の乱用を戒めた保利茂の遺稿

呼応するメディアもある。毎日新聞は9月19日の社説で「衆院解散権のあり方 政権維持の道具ではない」と題し、1978年当時の保利茂衆院議長が解散権の乱用を戒めた遺稿を引用したうえ、「解散の大義とは何か。権力の恣意的な行使の抑制という憲法の精神がゆがめられていないか。原点に返って考えるべきだ」と主張した。

保利茂(1901~79年)内閣官房長官や衆議院議長などを歴任した
保利茂(1901~79年)内閣官房長官や衆議院議長などを歴任した(写真=鵜殿七郎/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

岸田政権については「来年秋の自民党総裁選での岸田氏再選に向け、都合のよい時期に解散したいという思惑ばかりが聞こえ、政治から落ち着きが失われているように見える」とも指摘している。

保利の衆院解散をめぐる見解(遺稿)はどういう内容か。1979年3月21日の朝日新聞報道によると、保利は、7条解散は憲法上容認されるべきだが、それを発動できるのは、予算案や重要案件の否決、与野党対立で混乱し、国政に重大な支障を与えるような場合に、立法府と行政府の関係を正常化するためのものでなければならない、と主張していた。ほかには、選挙後に重要案件が提起され、改めて国民の判断を仰ぐのが当然の場合だとし、特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようとすれば、憲法上の権利の乱用となる、とも強調している。

■この社説はご都合主義ではないか

しかし、保利見解をここで引用するのは、ご都合主義なのではないか。

保利は、衆院議長在任中の1978年7月、自民党総裁選を12月に控えて、福田赳夫首相が解散風を煽ったことに反発し、解散権のあり方についての見解をまとめた。その後、解散の雰囲気がなくなったため、議長在任中には公表されず、翌79年3月の死去後に「遺稿」として明らかになったという経緯がある。

背景にあるのは、福田と大平正芳によるいわゆる「大福密約」(1976年10月)だ。「ポスト三木(武夫)」は福田とし、2年後には大平に政権を禅譲するという、この密約に保利が深くかかわっていたのである。

密約は、①ポスト三木の新総裁・首相指名候補に大平は福田を推挙する、②福田は党務を主として大平にゆだねる、③党則の総裁任期3年を2年に改める――という内容だ。保利が立会人になり、福田と大平、園田直(福田派)、鈴木善幸(大平派)の4人が、3項目の合意文書に署名している。

■保利見解は福田の解散に反対が目的

福田は76年12月、三木退陣後の総裁選に無投票で選出され、大平を幹事長に起用した。だが、福田は政権運営に自信を深めると、総裁再選への意欲を隠さなくなり、78年春から夏にかけて再選を目指すかのような衆院解散論を流すこともしてきた。これに話が違うと怒ったのが保利で、福田による解散に反対するために書かれたのがくだんの見解だったというのが、当時の通り相場だった。

実際、保利見解を伝えた前出の朝日新聞にコメントを寄せた佐藤功上智大教授は「注目されるのは、解散権を乱用してはならないと力説している点である。この見解は、保利氏が福田首相の意図した解散に反対であり、そのために用意したように見える。政界の裏面を示すものとして極めて興味深い」とし、保利の政局絡みの狙いを見抜いていた。

その後、福田は、1978年12月の総裁選に密約を反古にして再選出馬したが、田中角栄が支援した大平に敗れ、解散権を行使できないまま首相の座を去った。なお、福田は晩年、密約の存在自体を否定している。

■総裁選に勝つために解散を利用する

時を経て、保利見解が永田町で脚光を浴びたのが2003年1月、当時の小泉純一郎首相と自民党最大派閥・橋本(龍太郎)派との衆院解散をめぐる駆け引きの局面だ。きっかけは総裁再選を目指す小泉首相に対し、山崎拓幹事長が「9月の党総裁選前に解散して総選挙で勝てば、(総裁選は)シャンシャン大会になる」と進言したことだった。総裁選を無投票か、それに近い形に持っていくため、衆院選の勝利を弾みにするという戦略である。

山崎拓氏は、加藤紘一、小泉純一郎と並ぶYKKの一角。小泉自由民主党総裁の下で幹事長、副総裁を務めた
山崎拓氏は、加藤紘一、小泉純一郎と並ぶYKKの一角。小泉自由民主党総裁の下で幹事長、副総裁を務めた(写真=Amayagan/CC-Zero/Wikimedia Commons)

このシナリオに反発したのが、橋本派幹部の野中広務・元幹事長だ。派の幹部会で「7条解散が行われることは問題があると、かつて保利茂・元衆院議長が指摘した」と述べ、総裁選前の解散論を牽制する。さらに、橋本派出身の綿貫民輔衆院議長が保利見解に言及しながら、「政府が勝手に(解散を)やるというルールはない」と同調した。これには、小泉氏も「これまで慣例でほとんど7条解散だった」と反論せざるを得なかった。

■小泉政権当時に清和研が権力を掌握

衆議院解散を受けて記者会見する小泉首相
衆議院解散を受けて記者会見する小泉首相(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

9月の総裁選は、橋本派が、小泉氏を支援する青木幹雄参院幹事長らと、藤井孝男・元運輸相を推す野中氏らが対立したまま分裂選挙に突入し、小泉氏が再選を果たした。直後に小泉首相は衆院を解散し、11月の総選挙で自民、公明、保守新党の与党3党は12議席減ながらも、絶対安定多数を確保したのだ。

この総裁選と衆院選が一体となった政治決戦を通じ、党内権力が平成研究会(橋本派)から清和政策研(森喜朗派)へ移行し、今に至っていることは記憶にとどめて置きたい。

小泉首相は2005年8月、宿願の郵政民営化法案が参院で否決されると、直ちに衆院を解散した。法案に反対した議員を党で公認せず、対抗馬を擁立するという劇場型選挙を展開し、圧勝した結果として法案を成立させている。与党内の対立を解散によって「解決」したケースと言えるだろう。

■「与党内対立を収束させる最終手段」

待鳥聡史京大教授(政治学)が月刊誌『公研』8月号への寄稿で、こう説いている。

「首相と下院多数派の考えが異なる場合、そのたびに首相を交代させていると政治は不安定になる。そこで、解散を示唆することで首相と対立する与党議員を牽制したり、実際に解散することで対立を解消したりすることも手段として確保しておく必要がある。今日の解散は、与党内対立を収束させる最終手段と考えるべきなのである」

現況に照らせば、待鳥氏の指摘は核心に迫っていると言える。昨今の衆院解散を見ても、保利見解で例示された「立法府と行政府の関係を正常化する」という解散の機能は、時代にそぐわなくなっているからだ。

■安倍長期政権は2度の衆院解散から

立憲民主党が「恣意的」と批判した、安倍晋三首相の2度の衆院解散は、どう理由づけられたのか。2014年11月の解散は、消費税率の8%から10%への引き上げ時期を、15年10月から17年4月に先送りする方針とセットだった。『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)によれば、安倍氏は財務省を「自分たちの意向に従わない政権を平気で倒しに来る」と警戒し、党内の「増税論者を黙らせる」ため、衆院選に持ち込み、大勝した。安倍氏は、翌15年9月の総裁選で石破茂・元幹事長との一騎打ちを制し、長期政権への地歩を築く。

17年9月の解散は、北朝鮮、少子化対策に対処するとして「国難突破解散」を標榜したが、本音は小池百合子東京都知事が率いる新党の国政進出の準備が整わないうちに先手を打つことだった。小池氏の「排除」発言もあって、希望の党が失速し、結果的に自民党が政権を維持した。

こうした事例からは、立民党が求める解散理由を国会で審議することに、政治的意味が乏しいことが分かる。解散に大義や正当な理由がないと有権者に受け止められれば、総選挙に敗北するだけの話なのである。

■「総裁選と総選挙は表裏一体だ」

自民党政権では、権力闘争の舞台である総裁選に絡んだ衆院解散が繰り返されてきた。解散風をちらつかせることで、国会審議を推進したり、政権運営の行き詰まりを打開したりすることも行われている。

岸田首相が来年9月の総裁再選を目指すなら、その前に衆院を解散し、勝っておきたいところだが、10月22日投票の衆院長崎4区補選で自民党候補が辛勝、参院徳島・高知選挙区補選で大敗したという選挙結果、内閣支持率が日本経済新聞の10月27~29日の世論調査で33%に下落するなど各種調査で政権発足以来最低を記録する現況では、その機運も出てこない。首相が20日に打ち出した所得税減税に対する支持が広がらないのも一因だろう。

自民党の選挙実務を仕切ってきた久米晃・前事務局長は、23日のTBSテレビで、岸田首相の解散戦略に関連し、「(政策の)結果が出なければ、解散は打てない。打てなければ、総裁選の再選も難しくなってくる。総裁選と総選挙は表裏一体だと思う」と解説している。

2021年8月末、菅義偉首相はコロナ禍の下で内閣支持率が続落する中、再選を期していた9月の総裁選(17日公示)を先送りし、衆院解散に踏み切ろうとした。だが、党内の反発を受けて断念し、9月3日には総裁選不出馬を表明するまでに追い込まれたことは、記憶に新しい。

岸田首相は11月9日、読売新聞が「年内解散見送りへ」と報じたのを受け、首相官邸で記者団から確認を求められたのに対し、「経済対策、先送りできない課題一つ一つに一意専心取り組む。それ以外のことは考えていない」と述べ、年内の衆院解散見送りを表明した。今後のタイミングとしては、来年の通常国会終盤が有力視されるが、岸田首相も、9月の総裁選前に解散できるだけの力と技術が身に付かないようなら、再選出馬も危ういのではないか。

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小田 尚(おだ・たかし)
政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員
1951年新潟県生まれ。東大法学部卒。読売新聞東京本社政治部長、論説委員長、グループ本社取締役論説主幹などを経て現職。2018~2023年国家公安委員会委員。

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(政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 小田 尚)

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