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台所の流しに大便がコロコロ転がっていた…徘徊癖のある若年性認知症の妻が起こした"クリスマスイブの奇跡"

プレジデントオンライン / 2023年11月11日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Highwaystarz-Photography

要介護1の状態からわずか1年半経過した時には要介護4へ。40代前半で若年性認知症になった妻の介護度は急速に高まっていった。徘徊や上半身裸での外出、台所での排便といった行動が増える中、我慢強く献身的な介護で支える夫が語る、愛する家族が倒れた時の対処法とは――。
【前編のあらすじ】関西地方在住の緋山青二さん(仮名・40代・既婚)は31歳の時に3つ年上の女性と結婚。妻は2人目の子を出産直後から「家に帰らなきゃ」など、よく分からないことをつぶやくように。検査の結果、若年性認知症であることがわかった。以後、緋山さんは仕事の傍ら、妻を見守り、2人の子どもの世話や幼稚園の準備や送迎などをする、ハードな生活が始まった。

■テレワーク終了

2020年8月。息子が生後3カ月になったため保育園に入れようと思ったが、空きがなく入れられなかった。8月いっぱいでテレワーク(メーカー開発職)が終了する予定だった緋山青二さん(仮名・40代)が困り果てていたところ、9月からは若年性認知症である妻の実家が妻と息子を預かってくれることになった。

10月に息子は保育園に入園することができた。妻は平日週2回の訪問看護を受ける他に、週3回のデイサービスの利用を開始した。

この頃の緋山さんは、朝6時に起きて朝食と、週2回は娘の弁当を作り、7時に子どもたちを起こし、朝食。7時半に妻を起こし、着替えを手伝い、デイサービスがある日はその準備。7時45分に長男を保育園に、8時10分に長女の幼稚園に送って行ったあと、妻を見送り8時半に出勤。9時から17時45分頃まで仕事をし、30分ほどで帰宅すると、子どもたちを迎えに行く。デイサービスの日はヘルパーに妻の帰宅後の受け入れや夕食の下準備、洗濯、掃除を依頼していた。

19時ごろには夕食の準備をして夕食を食べ、20時ごろには片付けをし、20時半ごろには子どもたちを入浴させ、22時ごろまでには寝かしつけた。

まだこの頃の妻は見守り付きでなら、息子のおむつ替えやミルクをあげることができていた。

「発症してから悩んだのが、誰にどこまで言うかという問題でした。妻や私の友人にどう伝えるか。そもそも伝えた方がいいのかどうか。発症から3カ月くらいは積極性はないものの受け答えはできましたし、どんなペースで症状が進行するかもわからなかったので、『黙っておけば心配もかけない』という気持ちと、病気のことを伝える勇気もなかったので黙っていました」

しかし2021年6月に再び認定調査を受けると要介護1。より多くの見守りが必要とされ、デイサービスもヘルパーも平日5日に増加。このころから徘徊(はいかい)が増え、緋山さんの出勤後からデイサービスや訪問看護師が来るまでや、ヘルパーの帰宅後から緋山さんが帰宅するまでの短い時間でさえ、自宅からいなくなるトラブルが頻発する。

緋山さんは妻のスマホの位置情報をオンにし、それだけでは不安だったため、カバンにもGPSを仕込んでおくことにした。

「さすがにもう黙っていられない」と意を決した緋山さんは、まずは妻の一番の親友にメールで病気のことをありのままに伝えた。

「どんな返事が来るかとハラハラしていましたが、しっかりと受け止めてくれて、思わず泣いてしまいそうなほど温かい励ましの返信をもらい、妻が親友にいかに愛されていたかを実感しました」

緋山さんはその後、妻の友達数人に連絡をしたが、いずれも親身に聞いてくれただけでなく、緋山さんや子どものことを心配してくれた。

「現在はありがたいことに、妻の代わりに子どもの写真を送り合ったり、子育ての相談をしたりする“ママ友”みたいになりました。あとは私の友人たちにも伝えていかないとなぁ……と思っています」

■2つのクリスマスケーキ

2021年12月。クリスマスはいつも決まった店で妻がケーキを予約してくれていた。しかし「さすがに今年はできないだろう」と思い、緋山さんは自分で予約を入れた。

24日の夜、子どもたちを迎えに行くついでにケーキを取りに行こうと思って夕方帰宅すると、子乗せが付いた送迎用の自転車がない。GPSを見ると、妻が自転車で徘徊をしているようだった。

緋山さんは幼稚園の預かり保育のリミットが近づく中、イライラしながらどうしらたいいか頭をフル回転させた。

そこへ妻が自転車で帰宅する。手には緋山さんが予約した店と同じ店のクリスマスケーキの箱。どうやら妻は予約なしでクリスマスケーキを買ったようだ。

「『なんで予約してるのにケーキ買うんだよ』『なんでこの時間に自転車で出かけるんだよ』という2つのイライラが重なり、この日初めて妻に手をあげたり怒鳴り散らしたりしてしまいました。自分のしていることが認知症の人にとって最悪な対応なのは分かっていましたが、自分が一生懸命やっていることを邪魔され、一番身近な人に理解されないもどかしさに負けてしまいました……」

妻は、「なんで怒ってるの? なんで叩くの?」という表情で緋山さんを見ていた。

「今ならわかります。妻はクリスマスであることがわかっていた。だからいつもそうしていたように、あのお店でケーキ買いたいと思ったんです。申し訳ないことをしました……」

この年のクリスマスは、食卓に同じケーキが2つ並んだ。自己嫌悪に落ち込む緋山さんの隣で妻は、いつもと変わらない様子で座っている。幼稚園と保育園から帰宅した子どもたちは、2つのケーキを見つけると大喜びした。

クリスマスケーキ
写真=iStock.com/KOKI YAMADA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KOKI YAMADA

■急速に進む介護度

2022年春。妻はたびたび便秘になり、3月ごろからは排便がうまくできなくなったため、介護パンツの利用を開始。

ある日の夜、子どもたちを迎えに行った後帰宅し、夕食の準備を始めようとしたところ、流しを見ると排水口あたりに何か固まりが転がっている。なんだろうと思って見てみると、なんとそれはコロコロの大便だった。

1つの水滴さえ残っていない、きれいなシンク
写真=iStock.com/kitzcorner
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kitzcorner

ため息をつきながらトイレに捨てに行くと、気を取り直して夕食の支度に取り掛かる。しばらくして調理で出たゴミを捨てようとゴミ箱を見ると、固形物が2つほど。またしてもトイレに捨てに行く。

「ヘルパーさんが『今日は出ていません』と言っていたので、タイミングが悪かったんだと思います。まあ床とか服が汚れてなくて良かったかなと。めったにやらないゴミ箱の清掃もできたし、結果オーライと思っておきました」

2022年7月には、妻は要介護3になった。8月には夕方ヘルパーが帰宅したあと、行方不明になるトラブルが発生。いないことに気付いた緋山さんがスマホに電話をかけるもつながらず、GPSを見るとどうやら自転車で徘徊しているようで、どんどん自宅から離れて行く。緋山さんは子どもたちを車で迎えに行き、その足で妻を捜索。GPSを頼りに30分ほど探し回ると、結局自宅から5キロほど離れたコンビニで保護することができた。

さらに11月。またしてもヘルパーが帰宅し、緋山さんが帰ってくるまでの間に、なぜか上半身裸で外出。たまたま近所の飲食店に入ったところ、店員があわてて上着を着せ、警察に連絡。緋山さんは警察に呼び出された。この件を受けて妻は再認定調査を行うと、要介護4と認定された。

■小旅行と難病

2023年1月。関東の妻の実家に帰省したついでに、義母と家族の5人で千葉にある鴨川シーワールドへ。介助なしでは1人で歩けない妻のサポートは義母がしてくれたが、緋山さんはちょろちょろと動き回る子どもたちに翻弄され、ほとんど楽しめなかった。しかし宿では妻のために露天風呂付きの部屋を予約したため、家族でゆったりできた。

「大浴場は同伴でもトラブルのリスクがあるので避けました。3年前に来た時はまだ息子は産まれていませんでしたが、義母と4人でいろいろ回って楽しかった記憶があり、切なくなりました」

小旅行から帰宅後しばらくすると、8月に受けた遺伝子検査の結果を聞くために病院を訪れた。結果、妻は単なる若年性認知症ではなく、遺伝子に関係する難病だった。

「検査の経過報告を聞いていたので特に驚く結果ではありませんでしたが、診断が出るというのはひとまず家族としてはスッキリするものでした。結果を踏まえて、改めてこの病気と向き合う覚悟を持たなければと認識しました」

若年性認知症支援のコーディネーターからは、「自分から何も発しなくても本人は周りの話を聞いているから、いろいろ話しかけてあげてくださいね。また、若年性認知症になった女性は更年期障害が早く来る傾向があり、妻さんの場合は冷え性になりやすいので気をつけてあげてください」との話があった。

緋山さんは、最近は必要な時以外は話しかけることが減っていたことを反省。妻にレッグウォーマーを購入した。

■3歳児の息子と妻

2023年3月。妻は歩行状態が悪化し、介助者がいないと目的の方向に向かえなくなった。

5月になると自分ではあまり食べなくなり、食事介助が必要に。さらに便秘が悪化し、緋山さんは初めて摘便をした。

「妻のオムツ替えには初めのうちは抵抗がありましたが、子どもの世話で慣れていたのですぐに慣れました。とはいえ、さすがに摘便はメンタルをやられました……」

一方、3歳を過ぎた息子がイヤイヤ期に入り、夜の入浴を嫌がるようになった。

「無理矢理連れて行くととてつもない抵抗と大号泣に遭うので、こちらもイラつくし疲れます。なので、5回くらい声をかけても聞かない日は、放っておくことにしました」

すると息子は、そのうち自分で浴室にやってくるか、結局入らないかのどちらかになる。入らない場合は身体を濡れタオルで拭いてパジャマに着替えさせることにした。

「さすがに2日連続で入らないとなると不衛生なので強引に入れますが、自分も息子も気持ちが楽なら今はこれでいいかなと。これで自立心も養えたらとポジティブに考えています」

お絵描きをしている子供
写真=iStock.com/key05
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/key05

息子は自分がやりたいことややりたくないことを伝えられるようになってうれしい反面、妻は話すことがなくなってきていた。

「希望やトラブルを自分で伝えられるということが世話する側にとってはとてもありがたいことで、何をしてほしいのかわからないことがすごく困ることだということが改めてわかります。息子が生まれて3年ということは、妻の病気が発覚してからも3年。乳幼児の世話は手がかかりますが、少しずつできることが増えていき、介護はその逆です。体感的にはここ最近で息子と妻の世話の重みが逆転しかけていて、息子の成長の早さと妻の病気の進行の早さにダブルで驚いています」

4月に小学校に上がった娘は、ほぼ自分のことは自分でできるようになっていた。

■認知症介護家族のたどる5つの心理ステップ

7月末、2021年5月に取得した精神障害者手帳を更新したところ、2級から1級になった。8月は家族でレゴランドへ行った。妻の車椅子は娘が押してくれた。

「娘には妻が病気になったことを話しています。『どんな病気なの?』と聞かれたので、『いろんなことを忘れてしまう病気なんだよ』と説明しました。娘は妻の外出のときは車椅子を押す役を買って出てくれます。息子は保育園に行く前に「お母さんバイバイ!」と声をかけたり、妻の就寝時間になると手を引いてベッドに連れて行ってくれたりします。妻は2022年くらいまでは子どもの名前を言えましたが、今はそれもなくなっています。わかっていてもアウトプットできないだけなのかもしれませんが……」

9月になると妻は食べ物が飲み込めなくなったため、経腸栄養剤を補い、10月には運動能力や脳の状態を見るために検査入院した。最近は食生活が不安なため、その辺りの検査もしてもらうことに。

「一番大変だったのは、妻の病気がわかってすぐの約1年間です。コロナ禍でも現場仕事が多く、出社しなければいけない中で、生まれたばかりの息子の世話をし、妻が徘徊するかもしれないという不安を抱きながら生活をしていました」

しばらくは夕食の支度も買い物も妻一人でできた。家事もヘルパーや訪看の見守りがあれば大体のことはできた。ただ、できる時もあればできない時もあり、だんだんできない割合が増えていった。

「今みたいにほとんど何もできなくなったら諦めもつくというか、『全部ケアしてあげなければ』という気持ちになれますが、当時は『頑張れば昔の状態に戻れる!』『少しでも衰えを抑えたい!』という気持ちが強かったので、頻繁に厳しく叱ってしまっていました。本人に『頑張ってやってみよう』という気持ちがないように見えるのがことさら腹立たしかったですね」

多忙な中でも認知症関連の本を読みあさるうちに、妻との向き合い方が変わっていった。

「言い訳ですが、奇跡を信じたかったから叱っていたんだと思います。認知症の進行は不可逆的ですし、科学的な根拠はないですが、『奇跡を起こしてほしい』『できるようになってほしい』そんな気持ちが、怒りやイライラにつながっていました」

声を荒らげてしまったり、手をあげてしまったりしたこともあった。

「でもそれは妻にとってはマイナスでしかなかったのだと知って反省しました。妻がやろうとすることをなるべく否定しない。否定するにしても怒らないことを心がけるようにしました。できなくて当然、できたら褒める、感謝するという姿勢です。育児に共通するところもあるので、同じ気の持ちようでやると決めたらけっこう楽でした」

「認知症介護家族のたどる5つの心理ステップ」というものがある。

●第1ステップ:否定・驚愕・とまどい

まさかそんなはずない、どうしよう。いつもと違う行動に気がつき、驚き、とまどう。病気だということを認めたくない。

●第2ステップ:混乱・怒り・拒絶・抑うつ

ゆとりがなくなり、追いつめられる。精神的・身体的に疲弊し、わかってはいるけれどつらくあたってしまう。「なぜ自分が……」「こんなに頑張っているのに……」と理解してもらえないことに怒りを感じる。認知症の人を拒絶するようになり、そのことで自己嫌悪に陥ったり、うつ状態になったりする。

●第3ステップ:あきらめ・開き直り・適応

なるようにしかならない。怒ったり、いらいらしても仕方がないと気づく。なるようにしかならないと思う。自分を「よくやっている」と認められるようになる。認知症の人をありのままに受け入れた対応ができるようになる。

●第4ステップ:理解

認知症の人の世界を認めることができる。認知症の人の症状を問題としてとらえることがなくなり、相手の気持ちを深く理解しようとする。

●第5ステップ:受容

自己の成長、新たな価値観を見いだす。介護の経験を自分の人生で意味あるものとして、位置付ける。自分の経験を社会に生かそうとする。

※「4つの心理ステップ」と言われることもあり、その場合は「第4ステップ:理解」が省略される。

緋山さんはこう振り返る。

「2022年ごろまでは“第2ステップ”にいたのだと思います。自分の中では、“奇跡を諦めること”=“認知症を受け入れること”であり、第3ステップの入り口でした。比較的精神的キャパの低い私は、今でも時折怒り狂ってしまいますが……」

■ハードモードな人生

緋山さんが出張などで家を空ける場合は、実の母親に泊まりに来てもらっている。困ったことやわからないことがあれば、ケアマネジャーや訪問看護師、通院先の医師や若年性認知症支援のコーディネーターなどに相談している。

「介護サービスを受けることを恥ずかしいことや情けないことと思ったりしないで、受けられるサービスはなるべく受けたほうがいいと思っています。また、場合によっては介護保険とは別に、障害福祉サービス(障害認定・障害者手帳など)や、障害年金などを受けられる可能性がありますが、ケアマネジャーさんはそちらには詳しくないこともあります。今はインターネットで多くの情報を拾えますし、自分で調べることをおすすめします」

緋山さんの場合、妻の入浴はデイサービスに。洗濯物の取り込みやたたみ、夕食準備はヘルパーに頼むことで自身の負担を減らした。それでも、ダブルケアをしながらフルタイム勤務をしている緋山さんは、ストレスに耐えきれなくなった2022年12月ごろから、心療内科に通い始めている。

「精神的に一番つらいのは、妻が妻でなくなってしまったことです。妻はもう、自分からは何も表現できなくなり、過去の記憶もなくなっています。残念なことに、自分が好きだった妻はもういません。それでも私が介護を頑張るのは、子どもがいるからだと思います。子どもにとってはどんな妻でも『お母さん』です。もちろん私にとっても妻が大切でなくなったわけではないですが、昔の妻を知っている私はどうしても悲しい気持ちになります……」

まだ介護を始めたばかりの頃は、妻は緋山さんに感謝をしてくれたり笑顔を見せたりしていたが、現在は感情表現がほとんどなくなってしまった。

「その点では介護にやりがいや喜びを感じなくなってしまいましたが、ヘルパーさんから『今日はたくさん歩けた』『楽しそうに過ごしていた』などと聞くとほっとした気持ちになります。介護も育児も、完璧にやろうと思わないことだと思います。ダブルケアは大変ではありますが、育児は子どもの成長やかわいさが心を癒やしてくれています」

企業に勤める40代男性の多くがそうであるように、かつてはキャリアアップを目指していたという緋山さん。だが現在は、「半年先、一年先はどうなるのか想像がつかないし、想像したくないというのが本当のところですが、今は子どもの健全な成長を支えることが私の大きな目標です」と語る。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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