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怪しい「豊胸サプリ」注文したのに記憶なし…本人が崩壊していく40代認知症妻を抱え"ワンオペワーパパ"の苦闘

プレジデントオンライン / 2023年11月11日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Naeblys

40代の妻は長男を出産後に若年性認知症であることが発覚。以降、徐々に本人が本人でなくなる症状が悪化し、怪しい通販を勝手に注文したものの注文したことを完全に忘れ、120万円のキャッシングもしていた。メーカー研究職の夫は働きながら、そんな妻の介護ケアや家事や育児をした――。
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

■妻の異変

関西地方在住の緋山青二さん(仮名・40代・既婚)は幼い頃から数学や理科が好きだった。

中でも化学が得意だった緋山さんは企業研究者を目指して大学院まで進学し、卒業後は希望通りメーカーの開発職に就いた。

やがて26歳の時に友人と旅行に出かけた先で後に妻となる女性と出会い、30歳の頃に交際に発展。女性は3歳年上で、Webデザインの仕事をしていた。

約1年後、緋山さん31歳、妻34歳で結婚。結婚後、妻はパートタイムに移り、40歳で娘を出産した後は専業主婦となった。

「妻はもともと穏やかな性格でしたが、一方で物事に対するこだわりが強く、面倒な部分もありました。デザインの仕事をしていましたし、家具や雑貨選びのセンスは良かったと思います。しかし、2019年(妻42歳)の秋頃から物事に対するこだわりがなりを潜め、性格が丸くなり、何事にも反論しなくなってきていたのが気になっていました」

2019年。3歳になった娘を認可外保育園に預け、9月から妻は派遣で事務の仕事を始めた。だが2〜3日で先方から断られる形で退職を余儀なくされる。

「仕事の物覚えが悪く、メモを取ったりしても作業がおぼつかなかったようです。今考えると、この時にはすでに考えることや新しい作業が難しくなっていたのではないかと思います」

そんな中、妻が2人目を妊娠。2020年に入ると、保育園の迎えが定刻に間に合わなかったり、娘を自転車に乗せたまま自分だけスーパーに入って買い物をしたりするなど、不安な育児行動が見られるようになっていた。

■出産後の診断

2020年5月、妻が2人目を出産。男の子だった。

当時はコロナ禍真っただ中のため、夫であっても出産への立会いはかなわなかった。その代わり、出産後に医師から電話を受け、妻と息子の様子を聞くことができた。

医師は、「出血多量につき急遽帝王切開に切り替え、子宮全摘出となりましたが、母子ともに元気です」と言い、緋山さんは胸をなでおろした。しかし、安心したのもつかの間、医師の話は続く。

「ただ、出産直後から『家に帰らなきゃ』など、よく分からないことをつぶやいています。手術後にまれにみられるせん妄状態かもしれないので様子を見ます」という。

妻が出産した病院は総合病院だったため、念のため他の科と連携しながら、脳のMRIや知能指数検査を行ってもらうことになった。

赤ちゃんの腕をやさしくなでる母親
写真=iStock.com/kokouu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokouu

1週間後に検査結果を聞きに行くと、若年性認知症と診断される。脳のMRIで異常が見られ、知能指数66という低い値が出た。さまざまな検査を行ったところ、アルツハイマー型や脳血管型などの主な認知症タイプには当てはまらない特殊な認知症であることがわかった。

緋山さんは、想像外の結果に戸惑いが隠せなかった。

「出産後の妻は、見た感じは何も変わりません。意識もあるし会話もできました。正直『どこが病気なんだ?』と思いました。一方で、介護のことなんてほぼ何も知らない私は、『子育てどうするの? 自分が全部やるの? いやそれは無理だろ?』というのが最初の感想でした」

医師は病院のソーシャルワーカーを紹介してくれたが、緋山さんは「ソーシャルワーカー?」と、聞き慣れない肩書にまた戸惑った。

ソーシャルワーカーは、子どもは早ければ3カ月から保育園に預けられることや、住んでいる地域の自治体の育児サポート体制を詳しく教えてくれた。妻の介護については、包括支援センターのスタッフに相談した。

「ソーシャルワーカーさんや包括支援センターのスタッフさんによると、40代の若年性認知症介護自体がそもそも珍しく、そこに生まれたばかりの子どもがいるというのはさらに珍しいようです。子育て支援センターの方からもものすごく心配されています。それもそうですよね。私自身、いきなりこんなにハードモードな人生になるなんて思ってもみませんでした」

■ワンオペワーパパ「ワンオペワーママは本当にすごい」

2020年6月。コロナ禍だったために延期されていた3歳の娘の幼稚園の入園式が、6月中旬にようやく行われることになったとの連絡が来た。そして入園式前日、妻から「入園関連の書類がどこにいったのかわからない」と言われて緋山さんは愕然。心当たりを探して何とか見つかったが、封筒の中の書類は真っ白。今まで子どものことはほとんど妻任せだった。

「『冬にあった入園説明会からなんも用意してなかったんかい!』と心の中で突っ込むも、時すでに遅し、でした。書類の作成や持ち物への名前書きなど、夜中の2時までかけて1人で必死に準備しました」

入園式は無事終わったものの、翌日からは毎日の送迎が始まる。

駆け出す園児たち
写真=iStock.com/paylessimages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/paylessimages

産後からしばらくは妻の母親が来てくれていたため、家事も生まれたばかりの息子の世話も義母に任せていた。だがそこまで家を空けられず、1カ月ほどで帰ってしまった。

「家事と育児とテレワーク勤務、娘の送迎だけでなく、片付けや洗濯、娘の持ち物の準備など……。今はどうやっていたのか全く思い出せません。世の中のワンオペワーママは本当にすごい。もっと評価されるべきだと思います」

妻は母乳が出なかったため、完全ミルク育児だった。哺乳瓶は消毒しておき、決まった時間にあげなければならない。生後しばらくは昼夜関係なく数時間おきに欲しがるため、常に寝不足だった。妻は時間がわからなくなっていたので、緋山さんがミルクを作り、妻に渡して息子に飲ませていた。

オムツ替えや服の着替えは、緋山さんの見守りつきで妻がやっていた。お風呂上がりの保湿クリームを塗ることも、まだなんとかできていた。

「娘の時は里帰り出産だったし、妻主導で大抵のことはやってくれていたので、オムツやミルクなど、必需品を切らさないようにすることも、初めの頃はタイミングが分からず困りました。『これを産後のママ1人でやるのって無茶だ。やっぱり育児は夫婦2人やるべきだよな』と感じ、娘の時に任せきりだった分、『息子の世話は自分が頑張ろう』と思いました」

■初の行方不明…自分がどこにいるのか分からない

介護認定の結果は、要支援2。家事支援をメインに週2回のヘルパーと、リハビリメインに週1回の訪問看護を受けることに。生後間もない息子の世話は妻だけでは難しいため、緋山さんが在宅勤務をしながら行った。

2020年7月。緋山さんは妻に、いつものスーパーとは違うスーパーに買い物を頼んだ。すると妻は2時間経っても帰ってこない。

心配になった緋山さんは、妻のスマホに電話する。電話に出た妻は、どうやら財布の入ったカバンを失くしてしまった挙げ句、自分がどこにいるのか分からなくなり、自転車でさまよい続けていたと言う。

「電話はカバンに入れていなくて助かりました。電話がつながらなければ捜索案件になっていたかもしれません。助けに向かったところ、幸いカバンは良い人に拾われて交番に届けられていましたが、もう今後はイレギュラーなことは1人でさせられないなと反省しました」

頭を抱えて水辺を歩く男性
写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yamasan

このとき、緋山さんは生後2カ月の息子を家に置いたまま出かけるか、首がすわる前でも使える抱っこ紐で自転車に乗るか数分悩んだ結果、後者を選択。

「歩いて探しに行くには遠い場所で、仕事の都合もあったため苦渋の選択でした。結果的に何もなかったから良かったですが、妻の捜索が難航したら息子も大変だったかもしれません」

妻が認知症と診断されて以降、同じ物を何個も買ったり、息子のミルクの時間を間違ったりといったトラブルはあった。その度に緋山さんは、「やっぱり認知症なんだな」と実感しつつも、「これくらいならまあ許容できる」と感じていた。しかし、「ヤバい!」と確信する事案は突然起こったのだ。

■本人が本人じゃなくなる病気

ある日、家に謎の荷物が届いた。緋山さんが箱を開けると、「豊胸サプリメント」と書かれていた。

「何これ?」と妻にたずねるも、「分からない」と言う。仕方なく緋山さんは、妻のスマホを見せてもらうことにした。メールやらLINEやらのやりとりを隈なくチェックしていくと、怪しげな通販の注文履歴を発見。途端に緋山さんは烈火の如く怒り、妻を怒鳴りつけてしまう。

「『要支援レベルでこれ? 本当に本人が本人じゃなくなる病気なんだな……』と思いました。認知症の本などで、『本人のやる事には必ず理由がある!』『怒ったりはせず、認めてあげましょう!』とか書かれていますが、そうは言っても万が一警察沙汰になったり、私のように金銭的な実害を被ったら、そんな悠長には構えていられません……。本当に情けなくて悲しくてつらくて、怒り狂ってしまいました」

「豊胸サプリメント」を解約しようと思った緋山さんは、まず商品や案内書、カタログやホームページを見たが、解約方法がどこにも見当たらない。

「どうも悪質系の零細企業のようで、会社名を検索して規約みたいなのを探し出してようやく解約方法にたどり着きましたが、『解約はメールや電話では受け付けません。解約専用のLINEに登録してください』『1回目の発送から7日後から、次の発送の15日前までしか受け付けません』とあり、渋々『豊胸サプリメント』の解約専用LINE登録を行いました」

他にも、この時期は葉酸サプリや健康食品、栄養ドリンクなど、次々と妻が定期購入した商品が届いた。

手のひらに載せられた複数種類の錠剤とカプセル
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

「大手の定期購入は電話一本で止められるので簡単でした。本当はスマホを監視するような真似はしたくなかったのですが、豊胸サプリ以降はチェックをさせてもらうようになっていきました。今考えると、認知症がありつつ通販サイトで買い物をできる能力が残っているというのが一番タチが悪いですね……」

2020年の夏は、余計なサブスク登録や怪しい通販の購入などが明るみになっただけでなく、緋山さんが気付いたときには計120万円のキャッシングをしていたことが発覚。いずれも妻にたずねると、「覚えていない」「分からない」と答え、その度に緋山さんは怒り狂ってしまう。

「自宅に郵送で支払い延滞の連絡が来て、初めの借金が発覚しました。それまで私が生活費とお小遣いとして妻に渡していた金額が足りていなかったようでカード払いができず、キャッシングをしていました。足りないなら相談してくれれば良かったのですが、その判断も難しかったのかもしれません。他にもそういったことがないか問い詰めましたが、病気のため把握できていませんでした」

妻が持っていたカードや銀行口座をチェックすると、数十万単位のキャッシング履歴がどんどん出てきた。緋山さんは自分の貯金やその夏のボーナスを使ってすぐに返済した。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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