20年かけて「無職の博士」を大量に生み出した…世界一だった日本の研究力が最低レベルに陥った根本原因
プレジデントオンライン / 2023年11月17日 9時15分
■「ヒトゲノム計画」で遺伝子分野に興味をもった
――桜庭さんは研究者を経て、ビジネスの世界へ入り、6年前にゲノム(遺伝子)ベンチャーの「バリノス(Varinos)」を立ち上げました。ゲノムに関心を抱いたきっかけは何ですか。
医学部を目指していましたが、ちょうどその頃、人間の全DNAの配列を解析するヒトゲノム計画(※)が始まりました。
※ヒトゲノム計画:生命の設計図であるDNAの配列を解析する国際プロジェクト。米国の提唱によって1990年に国際協力で開始。2003年に解読終了が発表された。
「解析に20年はかかるが、未来の人類の健康に必ず貢献する」という記事を読み、自分のやりたいのは研究であり、医学部より理学部が向いていると考え、理学部へ進みました。
――ゲノム計画が始まった当時、日本は世界の先頭を走っていました。ところが研究予算配分などで揉め、2003年の解読終了時には、日本の存在感がすっかり薄くなっていました。
確かにその通りですが、日本もヒトゲノム計画に参加し、わずかな部分とはいえ、国際貢献したことは評価されるべきだと思います。
ヒトゲノム解析は道路のような基盤技術です。解析するだけではお金を生みませんが、道路があれば、流通が発達したり、人が住むようになったりします。僕の会社の技術も、ヒトゲノム計画の成果があったからできました。
■なぜ日本はゲノムでも勝てなくなったのか
――ヒトゲノム研究は、医療、食品などさまざまな分野で技術革新へつながる可能性を持っています。今の日本のゲノムベンチャーの状況をどう見ますか。
僕たちがやっているのは、ゲノムの中でも、子宮内の細菌「子宮内フローラ」検査です。ゲノム解析で子宮内の細菌を検出し、不妊治療などの診断につなげるものです。自社で検査技術を開発しました。その視点で見ると、この分野の日本のベンチャーはまったく発展していません。
ゲノム検査を手掛ける会社自体は増えましたが、出来合いの検査キットを利用したり、海外の技術を移転したりしており、自社で技術開発をしているところはほぼありません。このため、お金も検査データも全部、海外へ流れて行ってしまってます。
――日本の医療の抱える大きな問題ですね。心臓ペースメーカーなどでも同じような構造があります。なぜ、こういう事態になるのでしょうか。
海外ではゲノム検査の会社がどんどん生まれるのに日本はそうなっていません。日本の研究レベルは米国と変わらないのに、研究とビジネスをつなぐ人が少ないからです。留学先の米国で目の当たりにし、自分でビジネスをやるしかないと思うようになりました。
■現場はやりたがるのに、役員が潰してしまう
海外では、ベンチャーが新しいゲノム検査を提供しています。大手企業も提供していますが、核になる技術を開発したのはベンチャーです。例えば米企業「イルミナ」は、「ソレクサ」という小さなベンチャーが開発した技術を購入し、ゲノムを高速で解読できる次世代シーケンサーの最大手になっています。ベンチャーがなければ新しい技術やビジネスはできないと思っています。
――なぜベンチャーでなければできないのでしょうか。
大手企業はなかなか新しいことができないからです。イルミナ社で市場開発の仕事をしている時にそれを感じました。
大手企業を回ると、「新規事業をやりたい」「ゲノムをやりたい」と言うところがたくさんあります。そこで「ゲノムでこういうことができます」とビジネスを提案すると、現場の社員たちは「それは面白い」と言います。ところがそうした企画のほとんどは、役員のところを通らないんです。リスクがあるじゃないかと、言われて。
でもリスクのない新規事業などあるわけないんです。大企業で新規事業を手掛けるのは、ちょっと無理だなという気がします。
■研究してもビジネスにする教授が少ない
――なぜ無理だと思うのですか。
新規事業を担当する社員は、もともと新規事業をやりたくて、その会社に入ったわけではありません。一方、ベンチャーはほとんどの人が、新しい技術を世の中に出したいという思いや、創業者の理念に共感して仕事をしています。やる気の差が明らかに違うんです。
ただ、大企業は買収したベンチャーの技術を育てることはできます。開発力、資金力があるし、優秀な人も集まっていますから。
――日本政府は2000年頃から、研究成果をもとにベンチャーを興(おこ)そうという政策を進めてきましたが、ベンチャーに参入する動きは活発ではありません。
日本では、研究とビジネスの間にギャップがあります。海外でも、研究している人とビジネス専門の人がいますが、その中間の人がたくさんいます。研究をしながらビジネスを手掛け、CEOをやっている大学教授がごろごろいます。
日本では研究者は論文を書いて終わりで、実用化まではめんどうをみません。一方、ビジネス側は、お金にならないとやらないので、いつまでたっても研究とビジネスの間に橋がかからないと感じています。
資金の問題もあります。今はわりとベンチャーキャピタルから資金調達ができるようになっているので、きちんとしたビジネススプランを描ければお金には困らないと思います。
■無職の博士を大量に生んだ「ポスドク計画」
とはいえ、日本のベンチャーキャピタルは、ITベンチャーへの出資に慣れているため、事業開始の初期段階に出資する額は数千万円くらいです。しかしゲノムなどバイオベンチャーは、検査装置を備えた研究室を作らないとならないので、億単位のお金がかかります。海外だと初期段階でも10億~20億円調達できるので、海外と比べて日本での起業は不利だと思います。
――ゲノムベンチャーの動向は、研究の進歩と密接にかかわっています。ただ日本では研究力低下が問題になっています。原因はどこにあると思いますか。
若者が大学院にいかなくなりましたよね。僕は政策が失敗したんだと思っています。政策とはポスドク1万人計画(ポストドクター等1万人支援計画※)です。
※ポスドク1万人計画:文部科学省が1996年度~2000年度の5年計画で行った施策で、博士号取得者を1万人創出するための期限付き雇用資金を大学や研究機関に配分した。
僕も博士号をとりましたけれど、働き口がないので、相当苦労しました。大学教員に応募したのですが、ひとつの教員ポストに200人以上が応募するわけなんですね。
ポスドク1万人計画の大失敗はそこです。博士は作ったけれど、働く場所がない。
後輩たちにも、博士号を取得してもしょうがない、研究の世界でずっとやっていくのはつらいよ、と話さざるをえませんでした。
■「選択と集中」では、新しいものは生まれない
――優秀な人材を逃してしまっているのでは。
そうです。優秀で第一線で活躍できるような人ほど大学院に行かずに就職してしまうようになったと思います。あの政策から20年以上たち、その問題が研究力低下として表面化しているのではないでしょうか。20年以上かけてそうした状況を作ったわけですから、政府は小手先ではなく、時間をかけて基盤や仕組みを立て直さないといけません。
――研究力低下を招いた原因には、政府が研究分野の「選択と集中」を進めたことがあります。このやり方をどう見ますか。
新しいことは、何もないところからぽんと起こります。例えば2012年にノーベル賞を受賞したiPS細胞(人工多能性幹細胞)の最初のアイデアだって、別に国がやったからできたというわけではなくて、山中伸弥・京大教授が思いついたからできたわけです。
選択と集中とは、集中した分野へお金が流れ、お金が集まらない分野はどんどん淘汰(とうた)されるということです。そうした状況では、新しいものが日本から生まれにくくなると思います。
――ゲノム分野の将来性をどう見ていますか。
実用化できているところはほんの一部であり、氷山の一角にすぎません。ゲノムの技術は、人の健康にも役立つし、そのほかの産業分野にも役立つと思っています。研究だけでなく医療に結びつけることが必要ですが、そのためには実はすごくいろいろなことをしなくてはなりません。
僕のやっている子宮内フローラ検査もそのひとつです。そこを僕らベンチャーは頑張っているわけですが、ここをちゃんと担えるベンチャーがいっぱい出てこないとできないんです。
■国として負けても、個々では勝てる
――若い世代がベンチャーに目を向けるためには何が必要だと思いますか。
大学の教員がどんどん起業することが定着してほしいと思います。東大で起業が増えているのはそういうことです。先輩があんな感じで起業したんなら、自分もやらなきゃと思いますよね。
大学での研究だけでなく別の世界を知ることも大事です。百聞は一見に如かずと言いますが、大学の中でビジネスをしなきゃと思っているだけでなく、少しでも外を見て帰ってくると全然違います。ほんのわずかでもいいので、起業を頭に入れておいてほしいです。
磨けばダイヤになるような原石がそこに転がっていても、起業をまったく意識していない人は、石としか思わない。でも、少しでも意識していると「これ、もしかしたら」と思うかもしれません。その差はすごく大きい。
僕も、子宮内の細菌に関する一本の論文をきっかけにこの会社を作ったんです。起業という意識がゼロだったら、「おもしろい論文だな」で終わったはずです。でも、もしかしてこれビジネスのネタになりそうだなって思えたから今があるんです。
――米IT大手のグーグル、アップルなどが健康、医療などライフサイエンス関連分野へ進出しています。日本はもう勝ち目がないのでは。
確かに社会としては負けています。でも個々で勝てる場合もあるんじゃないかと思います。僕たちもこの子宮内フローラという小さいところである程度勝っているわけですから。
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Varinos代表取締役CEO
1972年東京都生まれ。2001年埼玉大大学院博士後期課程修了。理学博士。理化学研究所ゲノム科学総合研究センター、米セントジュード小児研究病院で研究に従事。帰国後、ビジネスの世界へ。Gene Tech社検査技術部長、イルミナ社エグゼクティブクリニカルセールススペシャリストを経て、2017年に「バリノス(Varinos)」社創設。
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(Varinos代表取締役CEO 桜庭 喜行 聞き手・構成=ジャーナリスト・知野恵子)
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