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「自閉症児の人生」は豊かなものと言えるのか…「うーん」と黙り込んでしまった母親が5年後に出した結論

プレジデントオンライン / 2023年11月15日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chalabala

人の気持ちがわからない。人間に関心がない。コミュニケーションがとれない。そんな自閉症児の勇太くんと母親の歩みを、小児科医の松永正訓さんが描いたノンフィクション『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』が発売5年を経て文庫化される。新たに書き下ろされた「20章 あれから5年 文庫本のためのエピローグ」より、一部を紹介する――。

■一人で料理を作れるようになった

勇太君のこの5年。就労だけでなく、さらに自立が進んだ。日曜日に勇太君が出かけるもう一つの場所は料理教室である。本人はイヤイヤ行っている節があるが、これは自立のために避けて通れない。勇太君は手先があまり器用ではないし、教室の先生から「四等分に切って下さい」とか言われると意味が分からないこともある。そういうときはストレスのようだ。しかし隣で料理を作っている生徒さんの様子を見ながら、自分も真似しながらなんとか作っている。

料理教室で覚えた料理は、自宅でも実践することがある。餃子などは具から丁寧に作り、皮に包んで、焼き上げる。キャベツを均等に切るとかのこだわりは必ず守るので、意外と料理は上手といえそうだ。

買い物も自分で出かけて済ますし、近隣のクリニックを受診することも一人でできる。もっともそういう場合は、母が病状をLINEに書いて、それを勇太君が医師に見せるようにしている。しかし受付から会計までやり遂げる。処方箋もしっかりもらってくる。歯科の受診の際には、母に告げず自分の判断で予約を取るということもできるようになっている。

■「息子さんがトイレの前で騒いでいる」と通報

先日、母は検査入院で一泊自宅を空けた。以前ならこういうときは、ヘルパーに来てもらうか、ショートステイに勇太君を預けていた。しかし今回は、勇太君は自宅で一人で過ごした。一人でできることが増えると自信になる。自信がつくと一人でやってみようと思う。この好循環が勇太君をさらに成長させている。

勇太君が社会との接点で一番困難を抱えるのは、彼のパニックである。しかしこれも変わりつつある。

1年前のこと。勇太君は日曜日にいつものようにトイレ散策に朝から出かけた。商業施設の多目的トイレを訪れ、便器の品番をチェックし、水流を動画撮影していた。母は仕事のため外出していた。すると14時頃に、母の携帯電話が鳴った。横浜市の戸塚警察署からだった。

「息子さんがトイレの前で騒いでいると通報がありました。それで保護者の方にお電話した次第です」

母は驚きはしたが、常に覚悟していることでもあった。おそらく不審者と思われて通報されたのだろう。

■トイレの扉が開くのを30分以上も待っていた

警察官は続けて「お子さんは自閉症なのですね」と言ってきた。勇太君のバックパックにはヘルプマークが付けてあるし、療育手帳には「自閉症の障害があります」と書き込んである。警察はそれを見て事情を理解したのであろう。大事にならなそうな気配に母は安堵(あんど)した。

母が「どういう様子なのでしょうか」と尋ねると、警察官が状況を説明してくれた。

トイレの入り口のイメージ
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

勇太君はトイレの前で扉が開くのをずっと待っていた。30分以上も待っていたらしい。なぜ、30分も開かなかったのか。詳しい事情は分からないが、どうもホームレスの人がトイレに閉じこもっていたらしい。勇太君は帰宅時刻を厳格に守るので、門限が気になってイライラし、それが昂じてパニックになった。そして通報されたのだ。

母は勇太君と電話を代わってもらった。勇太君が向こうで叫んでいる。

「これからは30分待たない。20分待ってドアが開かなかったら諦めて、次のトイレ、見に行く!」

電話はブツッと切れた。こういう日は帰宅後に勇太君は大暴れになることが常だった。そこで母はLINEでメッセージを送った。

『警察から電話がありましたけれど、20分ルールを作ったのはよい工夫ですね。これからのトイレ撮影に生かして下さいね』

■「親亡きあと」の勇太君の人生とは

夕方になって帰宅した勇太君は普段と変わらない様子で落ち着いていた。ただ叫びすぎで声がガラガラだったけれど。そして何度も「20分で次のトイレに行く!」とくり返していた。

普段から、勇太君は警察を異常に怖がっている。だけど警察に通報されてもそれ以上のパニックにならず、母親の携帯電話番号を伝えるというのは冷静な対応だった。さらには自らルールを作って、今後パニックになって通報されないようにしているところなどは、これまでにないことだった。

子どもが成長するのは当たり前だろう。でも大人になっても成長するのだと母は実感した。母が以前に思った以上に勇太君は自分で考えて行動するようになった。HOPE神田で学び、社会に出て働いたことが想像以上の成長につながっているのだろうと母は思う。

勇太君が高等部に通っていたとき、母は「親亡きあと」の勇太君の人生をひどく心配した。グループホームを自分の手で作ることも考えたし、実際に建物を作る不動産事業に携わる公益社団法人を紹介してもらったりもした。ただ同時に、こういった制度や法律はどんどん変わっていくということも知った。だから今からあまり先のことを考えても仕方がないとも言えた。常に新しい情報を仕入れながら、5年ごとに新しいプランを立てればいいと助言を受けた。

■自閉症の人は集団生活が得意でない

そして5年が経ってみると、勇太君は想像以上に自立が進んでいた。グループホームが本当に相応しいのか少し疑問に思える。自閉症の人は集団生活が得意でない。一人でいることが好きである。勇太君もそうだ。それを考えると違う道も選択肢となるかもしれない。

サテライト型グループホームというものがある。これは、本体住居であるグループホームとサテライトの関係にあり、一人暮らしをするというものだ。何か困難があれば本体住居のグループホームから支援員が駆けつけるという形をとる。

このシステムは、将来完全に一人暮らしをするためのワンステップのような位置付けにある。通過型とも呼ばれ、原則3年間と決められているが、これも将来どう変わるか分からない。

勇太君にはサテライト型がいいようにも思えるし、もしかしたら将来、今の自宅で一人暮らしできるかもしれない。日常の家事はほとんどできる。だが、ちょっとイレギュラーなことが起きると対応は難しい。たとえば、家電などが壊れてメーカーに修理を依頼するときなどだ。

■悲観することはなかったのだと今なら思える

それでも母はなるべく多くのことを勇太君にやらせている。宅配便の人が来たら、勇太君に対応させる。勇太君は荷物を受け取り印鑑を押す。風呂の掃除もやらせているし、毎日の洗濯もやらせる。自閉症の人は1回教えるとルールを必ず守る。洗濯物は必ずきちんとシワを伸ばして干し、きちんと畳む。網戸の掃除のしかたを教えると、母がそれまで1年に2回だけやっていたものを、2週に1回必ずやるようになった。

母は細かく手出ししないことが大事だと思っている。やらせてみるとできるし、できれば楽しいと思える。そうするとまた新しいことにも挑戦して覚える。

5年前、母の胸には不安があった。将来の就職とか住まいのことが気になった。現在でもそれは完全に解決したわけではないが、あの当時の不安は薄らいでいる。将来への道がうっすらと見通せるようになっているからだ。やってみると、思っていた以上にどうにかなる。それが偽らざる母の心境だった。悲観することはなかったのだと今なら思える。

現在、母は自分の健康管理に今まで以上に気を使っている。健康なまま長く生きたい。勇太君との楽しい時間を少しでも長く継続したい。それが母の思いだ。

■「勇太君の生活とか人生は豊かなものですか?」

5年前に本書を執筆したとき、母へのある質問に続くやりとりを丸ごと割愛した。それは次のようなことだ。勇太君の人生は山あり、谷ありだったと言ってもいいだろう。プールで指導員に罵倒されたこともあった。でも初めて言葉が出たときの喜びもあった。谷があるから、山が際立つ人生だと言える。

松永正訓『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中公文庫)

私は自閉症の子どもの生きる道は、大まかに言って平板なものかと思っていた。だがインタビューをしているうちに、勇太君には彼なりの豊かな世界があるような気がしてきた。トイレの水流に熱中するのは世間の基準からすれば少し不思議な興味には見えるが、それはそれで熱中できる何かを持っているのは若者として中身の詰まった生き方に見えた。そこで母に尋ねた。

「勇太君の生活とか人生は豊かなものですか?」

すると母は「うーん」としばらく考え込んだ。1分くらい黙り込んでしまったのである。

「どうでしょう? 豊かと言えるでしょうか。くり返しが多いし、むしろ平凡な毎日じゃないでしょうか……」

これは意外な答えだった。返答があまりにも歯切れが悪かったので、このインタビュー部分は原稿から落とした。

あれから5年経ち、私はもう一度、同じ質問をしてみた。今度は間を置かずに返事の言葉が出た。

「そう思います。豊かに生きていると思います」

私には「なぜですか?」と重ねて聞く必要はなかった。答えはすでに母の言葉の中にある。大人になっても人は成長する。成長し続ける勇太君は間違いなく豊かに生きていると言えるだろう。

5年という時間は大きい。つくづく私はそう思った。

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松永 正訓(まつなが・ただし)
医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。

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(医師 松永 正訓)

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