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なぜSNSに熱心な人を「不幸そう」と感じるのか…「マズローの欲求5段階説」が教える人生で大切なこと

プレジデントオンライン / 2023年11月27日 8時15分

エイブラハム・マズロー(写真=Quynh834/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

心理学者のマズローは「人間の欲求は段階的であり、最も高いレベルにあるのが自己実現の欲求である」と説いた。コンサルタントの山口周さんは「欲求5段階説は実証実験で裏付けられた概念ではないが、なぜマズローがそう考えたのかを考察すると、人生に役立つ知識が得られる」という――。(第3回/全7回)

※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

エイブラハム・マズロー(1908~1970)
アメリカの心理学者。精神病理の理解を目的とする精神分析と人間と動物を区別しない行動主義心理学の間の、いわゆる「第三の勢力」としての人間性心理学を提唱した。人間の欲求には段階があるという「欲求5段階説」でよく知られている。

■実証実験で裏付けられた概念ではない

マズローの欲求5段階説については、すでにご存知の方が多いと思います。確認しておけば、マズローは、人間の欲求を次の5段階に分けて構造化しました。

第1段階:生理的欲求 (Physiological needs)
第2段階:安全の欲求 (Safety needs)
第3段階:社会的欲求/愛と所属の欲求 (Social needs/Love and belonging)
第4段階:承認(尊重)の欲求 (Esteem)
第5段階:自己実現の欲求 (Self-actualization)

マズローの欲求5段階説は、皮膚感覚にとても馴染むこともあって、爆発的と言っていいほどに浸透したわけですが、実証実験ではこの仮説を説明できるような結果が出ず、未だにアカデミックな心理学の世界では扱いの難しい概念のようです。

マズロー自身は、これらの欲求が段階的なものであり、より低次の欲求が満たされることで、次の段階の欲求が生まれると考えていたようですが、この考え方も後にあらためるなど、提唱者自身の言説にもかなりの混乱が見られます。

マズローの欲求5段階説
マズローの欲求5段階説(写真=Androidmarsexpress/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■「欲求5段階説」は私たちの人生にどう役立つか

確かに、少なくない数の成功者は、功成り名を遂げた後で、セックスやドラッグにはまり込んでいくことを私たちは知っています。セックスというのはこの枠組みで普通に解釈すれば、第1段階の「生理的欲求」ということになりますから、マズローが当初主張した「欲求のレベルがシーケンシャルに不可逆に上昇していく」という仮説は、ちょっと考えただけで誤りだということがわかります。

このように書くと、もしかしたら「いや、それはマズローの言う意味での“生理的欲求”とは違うんだ」といった反論があるかも知れませんが、そもそもマズロー自身による「欲求の定義」は、もとから曖昧な上に、時間軸で揺れ動いているようなところがあるので、こういった議論にはあまり意味がないように思います。

プラグマティズムに則れば、マズローの欲求5段階説の正しい解釈を考えるよりも、それが自分の人生においてどのように役立つのかを考えるほうがはるかに重要です。

■自己実現を成し遂げた人の15の共通点

ここではこれ以上、このコンセプトへ踏み込むのは止めて、「自己実現」に関する、マズローの別の研究について触れたいと思います。マズローは、欲求5段階説の最高位にある「自己実現」を果たしたと、マズロー自身がみなした多くの歴史上の人物と、当時存命中だったアインシュタインやその他の人物の事例研究を通じて、「自己実現を成し遂げた人に共通する15の特徴」を挙げているんですね。

①現実をより有効に知覚し、それとより快適な関係を保つこと
願望・欲望・不安・恐怖・楽観主義・悲観主義などに基づいた予見をしない。未知なものや曖昧なものにおびえたり驚いたりせず、むしろ好む。

②受容(自己・他者・自然)
人間性のもろさ、罪深さ、弱さ、邪悪さを、ちょうど自然を自然のままに無条件に受け入れるのと同じように受け入れることができる。

③自発性、単純さ、自然さ
行動、思想、衝動などにおいて自発的である。行動の特徴は単純で、自然で、気取りや効果を狙った緊張がない。

④課題中心的
哲学的、倫理的な基本的問題に関心があり、広い準拠枠の中で生きている。木を見て森を見失うことがない。広く、普遍的で、世紀単位の価値の枠組みをもって仕事をする。

⑤超越性――プライバシーの欲求
独りでいても、傷ついたり、不安になったりしない。孤独やプライバシーを好む。このような超越性は、一般的な人たちからは、冷たさ、愛情の欠落、友情のなさ、敵意などに解釈される場合もある。

■人類を助けようと心から願っている

⑥自律性――文化と環境からの独立・意思・能動的人間
比較的に物理的環境や社会的環境から独立している。外部から得られる愛や安全などによる満足は必要とせず、自分自身の発展や成長のために、自分自身の可能性と潜在能力を頼みとする。

⑦認識が絶えず新鮮であること
人生の基本的なモノゴトを、何度も新鮮に、純真に、畏敬や喜び、驚きや恍惚(こうこつ)感などをもちながら認識し、味わうことができる。

⑧神秘的経験――至高体験
神秘的な体験をもっている。恍惚感と驚きと畏敬を同時にもたらすような、とてつもなく重要で価値のある何かが起こったという確信である。

⑨共同社会感情
人類一般に対して、時には怒ったり、いらだったり、嫌気がさしても、同一視や同情・愛情をもち、人類を助けようと心から願っている。

⑩対人関係
心が広く深い対人関係をもっている。少数の人たちと、特別に深い結びつきをもっている。これは、自己実現的に非常に親密であるためには、かなりの時間を必要とするからである。

■はっきりとした道徳基準をもっている

⑪民主的性格構造
もっとも深遠な意味で民主的である。階級や教育制度、政治的信念、人種や皮膚の色などに関係なく、彼らにふさわしい性格の人とは誰とでも親しくできる。

⑫手段と目的の区別、善悪の区別
非常に倫理的で、はっきりとした道徳基準をもっていて、正しいことを行い、間違ったことはしない。手段と目的を明確に区別でき、手段よりも目的の方にひきつけられる。

⑬哲学的で悪意のないユーモアのセンス
悪意のあるユーモア、優越感によるユーモア、権威に対抗するユーモアでは笑わない。彼らがユーモアとみなすものは、哲学的である。

⑭創造性
特殊な創造性、独創性、発明の才をもっている。その創造性は、健康な子供の天真爛漫で普遍的な創造性と同類である。

⑮文化に組み込まれることへの抵抗
自己実現的人間は、いろいろな方法で文化の中でうまくやっているが、非常に深い意味で、文化に組み込まれることに抵抗している。社会の規制ではなく、自らの規制に従っている。

■「知人や友人は多ければ多いほど良い」は本当か

一つ一つの指摘にそれぞれ深遠な響きがあり、自分がそのような存在であるか、と省みるための大きな契機になるように感じられるのではないでしょうか。これらの一つ一つを取り上げて考察するだけでも一冊の本になりそうですが、ここで特に取り上げたいのが「⑤超越性――プライバシーの欲求」と「⑩対人関係」です。

これら二つの項目を読めば、マズローが「自己実現的人間」とみなす人は、孤立気味であり、いわゆる「人脈」も広くないということになります。

これは、私たちが考える、いわゆる「成功者」のイメージとは、かなり異なる人間像ですよね。私たちは一般に、知人や友人は多ければ多いほど良い、と思う傾向があります。確かに、友人や知人の数が多ければ、例えば仕事で声をかけてもらうとか、あるいは何かのときに助けてもらうことは、より容易になると思われます。

だからこそフェイスブックの友達数やX(旧ツイッター)のフォロワー数は「多ければ多いほど良い」と考えられているわけですが、マズローの考察によれば、成功者中の成功者である「自己実現的人間」は、むしろ孤立気味で、ごく少数の人とだけ深い関係をつくっている。

■荘子は「小物ほどベタベタした関係性を好む」と言った

このマズローの指摘は、ソーシャルメディアなどを通じてどんどん「薄く、広く」なっている私たちの人間関係について、再考させる契機なのではないかと思うんですよね。

実は、同様の指摘をしている人が、過去の賢人の中にもいます。例えば『荘子』の「山木篇」に「小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し、君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉があります。醴とは甘酒のようなべったりと甘い飲み物のことです。つまり、荘子はモノゴトをわきまえていない小人物の付き合いはベタベタとしており、その逆である君子の付き合いは、水のようにあっさりとしていると言っているわけです。

つないだ手を金属のチェーンで縛ったカップル
写真=iStock.com/AndreyPopov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AndreyPopov

■交友関係が「共依存」に陥っている

さらに『荘子』では、以下のように続きます。「君子は淡くして以って親しみ、小人は甘くして以って断つ。彼の故無くして以って合する者は、即ち故無くして以って離る」。つまり、君子の交友は淡いからこそ続き、小人の交友は甘いがゆえにすぐに終わる。必然性もなく、ただ「一緒に居るために一緒に居る」ような付き合いはすぐに終わるのだという、まあかなり意訳していますが、そういうことを言っているわけです。

小人の交わりというのは「故無くして断つ」わけで、そこには自立という観点がありません。つまり、お互いがお互いに依存している状況になっていて、そこから抜け出せずにベタベタと付き合っているということです。心理学ではこの状況を「共依存」という概念で整理します。

■自己実現が達成できないと、人間関係も広く薄くなる

共依存はもともと、アルコール依存症の患者がパートナーに依存しながら、また同時にパートナーも患者のケアという行為に自分自身の存在価値を見出していくような状態がしばしば観察されたことから、看護現場において生まれた概念です。

山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)
山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)

そして、ここが重要な点なのですが、共依存の関係にあるアルコール依存症患者とそのパートナーは、アルコール依存症そのものが関係性を維持するための重要な契機になっていることを無意識のうちに理解しているため、依存症の治癒につながるような活動を妨害(=イネーブリング)したり、結果として患者が自立する機会を阻害したりする、という自己中心性を秘めていることが報告されています。

表面的には「他者のため」という名目で、本人自身もアタマっからそう自覚しながら、実は内に自己本意な存在確認の欲求を秘めている。これが共依存の関係です。話を元に戻せば、私たちの「広く、薄い」人間関係もまた、そのようになっていないか。

マズローによる「自己実現を成し遂げた人は、ごく少数の人と深い関係を築く」という指摘は、今あらためて、私たちの「人のネットワークの有り様」について考えるべき時が来ていることを示唆しているように思えます。

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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『ニュータイプの時代』など多数。

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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周)

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