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「歩かないで、両側に立つべき」が多数派なのに…「エスカレーターの片側空け」が終わらない根本原因【2023編集部セレクション】

プレジデントオンライン / 2023年11月19日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ooyoo

2023年上半期(1月~6月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2023年6月27日)

■歩くと危ないが、立ち止まれば怒鳴られる…

エスカレーターで歩いたことはないという人はどれだけいるだろうか。関東では左側は立ち止まり右側は歩行、関西ではその逆というルールは「東西文化の違い」の代表例として挙げられるように、エスカレーターでの歩行は当然視されてきた。

しかし歩行者にぶつけられた、邪魔だと怒鳴られたなど「立ち止まり派」から歩行禁止を求める声は根強く、近年は障害などで左側の手すりにつかまることができない人にとって危険という指摘もあり、歩行論争は具体的な取り組みに発展している。

2021年3月に全国初の「エスカレーター歩行禁止条例」を制定したのが埼玉県だ。これはエスカレーター利用者に「立ち止まった状態でエスカレーターを利用しなければならない」、事業者(管理者)に「利用者に対し、立ち止まった状態でエスカレーターを利用すべきことを周知しなければならない」との努力義務を課す内容で、同年10月1日に施行された。

名古屋市も今年10月から「名古屋市エスカレーターの安全な利用の促進に関する条例」を施行し、「立ち止まっての利用」を義務化。エスカレーター歩行を禁じる流れができつつある。

■「歩行はやめたほうがいい」と考える人は年々増加

だが2022年10月3日付の読売新聞(電子版)は、エスカレーター条例施行から1年が経過した埼玉県について、条例施行直後に歩く人の割合は減少傾向を示したが、1年が経過する頃には元の水準に戻ったという筑波大学の徳田克己教授の調査を伝えており、罰則規定のない条例では実効性に欠けるとの指摘もある。

利用者はどう思っているのだろうか。一般社団法人日本エレベーター協会は毎年11月10日の「エレベーターの日」にあわせて、エレベーターとエスカレーターの「安全利用キャンペーン」を展開しており利用者アンケートを実施している。

このうち「エスカレーターを歩行してしまうことがある」「人やかばんなどがぶつかり、危険と感じたことがある」「エスカレーターの歩行は、やめたほうがいいと思う」の3項目の2011年から2022年までの推移を見てみよう。

【図表1】エスカレーター利用者アンケート集計結果

興味深いのはエスカレーター歩行経験、禁止意向とも2018年頃からトレンドが変わっており、特に2020年以降に大きく変化している点だ。2018年頃から兆候がある以上、コロナ禍による外出頻度や生活様式の変化が要因とは言えず、歩行問題が取り上げられる頻度が増えたためと考えるのが自然だろう。

■反対多数なのに、なぜなくならないのか?

一方で「人やかばんなどがぶつかり、危険と感じたことがある」の回答は横ばいであり、エスカレーターは歩くべきでないという考えが広まり、実際に歩行が減ったにもかかわらず「被害」は減らないのが実情のようだ。なぜ多くの人がやめるべきと考えながら歩行がなくならないのだろうか。

エスカレーターの歴史は古く、19世紀末に発明され、ニューヨークやロンドンでは20世紀初頭から鉄道駅への設置が始まっている。初期のエスカレーターは形状や原理が今と異なったが改良を重ね、1920年代には現代的なエスカレーターが成立した。

日本初のエスカレーターは1914年3月に上野公園で開催された東京大正博覧会で、「わが国最新の自動階段」という宣伝文句で登場したデモンストレーションである。また同年10月には日本橋三越に初の常設エスカレーターが設置された。

鉄道では1932年4月29日に開業した東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)三越前駅に、三越の負担で設置したエスカレーターが最初といわれ、同年7月1日にはJR総武線両国―御茶ノ水間延伸開業にあたり秋葉原駅総武線ホームにも設置。翌年に開業した大阪市営地下鉄(御堂筋線)にもエスカレーターが設置された。

■「片側空け」を最初に呼びかけたのは阪急だった

ただしこの時代は東京大正博覧会から20年もたっていない。一般市民にとってエスカレーターは「アトラクション」であり、東京の「名物」だったため歩くといった発想はなかった。これら戦前のエスカレーターは戦時中の金属回収で撤去され、姿を消す。

鉄道駅におけるエスカレーターの本格的な普及は戦後、1960年代以降のことである。この時代を象徴するのは、1967年に高架化された阪急電鉄梅田駅に設置されたエスカレーターとムービングウォーク(動く歩道)と、1969年に当時最も深い駅として開業した営団地下鉄千代田線新御茶ノ水駅に、設置された日本一長い約41mのエスカレーターである。

ところが東西のエスカレーター文化は分岐する。梅田駅では阪急自ら「右側に立ち、左側を空ける」片側空けを呼びかけたのである。よって日本のエスカレーター歩行の発祥は大阪と言われる。

重要なのは、これは利用者が自発的に始めたことではないということだ。なぜそのようなマナーが求められたのかを解くカギは、目前に控えた大阪万博にある。つまり万博という世界へのお披露目の場において、エスカレーターの片側空けが必要とされたのである。

■海外の目を意識した「先進国としてのマナー」

エスカレーター文化史を研究する江戸川大学の斗鬼正一名誉教授によれば、右側に立ち、左側を空ける片側空けが世界で初めて行われたのはロンドンの地下鉄駅だという。いつどんなきっかけで始まったかは明確になっておらず、第2次世界大戦中に混雑対策として公務員が思いついたという説があるようだ。

片側空けはエスカレーターの普及とともにヨーロッパ、アメリカなどに広がり、当時の「先進国」では当然のマナーとされており、オリンピック、万博を経て本格的な国際化を迎える中で、外国人の目から見て恥ずかしくない振る舞いが求められた。

傍証として斗鬼は、2002年の日韓ワールドカップの開催を控えた仙台で、国際化を意識した市民により自然発生的に片側空けが始まった例や、2008年のオリンピックを控えた北京で「文明乗梯右側站立左側急行(文明的なエスカレーター利用は右側に立ち左側は急ぐ人のために空ける)」とのマナーキャンペーンが行われた例を挙げている(斗鬼正一「空けるな危険! エスカレーター片側空けパンデミック」より)。

同じ時期に、より長いエスカレーターが設置された新御茶ノ水駅では、外部の視線を意識する必要がなかったため片側空けは行われず、エスカレーターを歩こうという人もいなかった。当時の新聞記事の写真を見ても、ステップの中央に立ち手すりにつかまる「理想的」な利用方法をしていたことが分かる。

街の通勤者
写真=iStock.com/ooyoo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ooyoo

■関東の「右空け」は自然発生的に定着したか

それどころか毎日新聞(1977年12月16日)のインタビューに対し、開業時の駅長が、遊園地へ行くより安上がりとして孫の手を引いて毎日エスカレーターに乗りにくるおばあさんがいたと回想している。当時の日本最長のエスカレーターは、まだまだアトラクションだったのである。

そんな中、関西では着々と片側空けが広がっていく。1981年に開業した京都市営地下鉄、1985年に新神戸駅に到達した神戸市営地下鉄で、片側空けを呼びかける放送や掲示が行われ、1990年代に入っても近鉄布施駅、京阪京橋駅、JR東西線北新地、大阪天満宮、海老江駅などでマナー啓発が行われた記録があるという。

この頃になると片側空けは関東でも行われるようになり、1989年9月2日の読売新聞は「最近、新御茶ノ水駅にロンドン方式らしい現象が現れるようになった」と伝えている。

1992年2月24日付朝日新聞夕刊が「東京のサラリーマンの通勤風景に『新秩序』が生まれつつある」として、鉄道事業者が音頭をとって「左空け」が定着した関西に対し、自然発生的に「右空け」となったと報じていることからみても、本格的な定着は90年代以降のことのようだ。

では当時の人々は片側空けをどう考えていたのか。1981年6月25日、7月9日に掲載された朝日新聞の特集記事から見てみよう。

■マナー論争は40年前から始まっていた

興味深いのはすでにこの頃、片側空けには賛否が飛び交っていたことだ。6月25日の記事は、東大教授の「イギリスから日本に帰ってくるたびにイライラするんです。ロンドンでは地下鉄でもデパートでも、急がない人は右側へぴったりくっついて、それは見事なくらいだ」との意見から始まる。

日本女子大の教授も「前がずっと空いてても、横に並んでペチャペチャおしゃべり。それに、日本では“親子で乗る時、親は子どもを横に置いて手を引いて”なんていうけど、安全のためというなら、強いものが一段下に乗るべきです。障害者を乗せる時も同じこと」と、片側空けこそが合理的と主張する。

事業者側では、私鉄各社が加盟する日本民営鉄道協会の担当者は「利用者には、歩く人と歩かない人を分ける方式の方が喜ばれるかも知れませんね」と前向きな受け止め方。唯一、営団地下鉄だけが「万が一にも事故が起きたら」日本人は「そういうことを許した側を責めがち」として、「今のところ、皆さん歩かないで乗っていただく建前に、変わりありません」と反対派の立場に立つが、さりとて積極的にPRするわけでなく乗客任せになっているのが実情だったようだ。

こうした声を紹介しつつ、記事は「新型エスカレーターの設置でスピードアップを、という動きもあり、それはそれで結構だ。しかし、エスカレーターの『片側通行』は、うしろから来る人のために道をあけておく『他人への思いやり』を私たちの心に育てる芽にもなる、と思えるのだが」と、片側空けは思いやりであると締めるのだ。

■業界側も「歩行禁止」はハッキリ明言せず

この記事をめぐって20人近い読者から投書が寄せられたことから企画されたのが、7月9日の記事だ。前回の「思いやり」との結論に対し、7割が反対、3割が賛成だったといい、「すり抜ける際にぶつかられたりすると、とくにお年寄りや子どもに危険だ」「障害のある部分が右であったり左であったりまちまち。どちらか片側へ、といわれても……」といった、近年の論点である交通弱者からの指摘がすでに登場している。

反対派の投書は多くが「下りで横を走り抜けられた転落しそうで怖い」という内容だったが、日本昇降機安全センター(現日本建築設備・昇降機センター)の専務理事は「個人的には、歩くことをおすすめしない」とした上で「アメリカの統計によると、上りより下りの方が事故が少ない、というデータがある。下りは上りより、みんなが気をつけるからでしょう」と擁護気味だ。

また日本エレベーター協会の専務理事は「日本のエスカレーターは欧米のものより、安全装置が作動しやすくなっている」ため「急停止で将棋倒しになる心配がそれだけ多い」と指摘。日本に限って歩行は危険との立場から反対論を展開する。この時点では業界団体の理屈もさまざまで、公式に禁止を訴えるほどでもないと考えていたようだ。

これらをふまえ、記事は最終的には「ご老人、子どもなどに危険を与えない、ということは、個々の人が常識としてわきまえるべき」との投書に代弁させる形で「仮に片側通行をするにしても、思いやりは“片手落ち”でなく、エスカレーターを急いで歩く人の側からも、立ち止まっている人への心遣いが大切」として、思いやりの問題に落とし込んで記事を締めている。

■「右側をあけない鈍感な『立ちんぼカカシ』」

今から見れば、いかにも強者からの視点のように思えるが、実はリベラル側もこうした主張をしていたことは見逃せない。ベトナム戦争のルポルタージュなど「民衆側に立つ」ジャーナリストとして知られる元朝日新聞編集委員の本多勝一は、『朝日ジャーナル』(1992年2月14日号)の連載「貧困なる精神」で「エスカレーターのカカシ諸君へ」と題して次のように論じている。

「大都市は地下鉄がますます発達し、したがってエスカレーターが激増し、しかも長大なエスカレーターになったおかげで、右側をあけない鈍感な『立ちんぼカカシ』による迷惑が一段とひどくなったのだ」
「提案する。この奇妙なカカシ習慣を打破するために、次ページ(※)のような看板か張り紙を、エスカレーターの乗り口に出したらいかがだろうか。このページからそのまま拡大コピーして利用されたい。ゲリラがお好きな方は、これを切り抜くなりシールに治成して『適当に』利用してください」
※「エスカレーターでは、カカシ(立ちんぼ)は左側、歩く人は右側をどうぞ」

本多は規則として決められているわけでもないのに、周りを見ずに盲目的に立ち止まっているのは「貧困な精神」による非合理的、非進歩的な行為であると断ずるのである。

■なぜそれが「歩かないで」に変わったのか

議論の流れが変わるのは1990年代末、特に2000年代半ば以降のことだ。それまでエスカレーターは都心の大規模駅、つまり速度や効率を重視するビジネスパーソンの利用が多い駅を中心に設置されていたが、90年代以降はバリアフリーの観点から中小規模駅へもエレベーター・エスカレーターの設置が加速し、利用者の多様化が進んだためというのもあるだろう。

この頃から昇降機業界団体やメーカーは「エスカレーターは歩行を前提とした設備でないため、つまずいたり転倒したりする危険がある」との立場を明確にする。かねてエスカレーター歩行に否定的だった営団地下鉄は1996年に有楽町線有楽町駅、桜田門駅、新富町駅、銀座一丁目駅に「歩かないで」と掲示。

2004年に名古屋市営地下鉄、2006年に横浜市営地下鉄が「歩行禁止」の呼びかけを開始すると、2009年4月にはJR東日本が、エスカレーターからの転倒などを防ぐ安全対策という位置づけで「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」を実施し、これが鉄道各社に広がっていく。

発祥の関西でも1998年に阪急が「お急ぎの方のため左側をお空けください」との放送を取りやめ、大阪市営地下鉄は2002年に右空けの案内を中止。2010年以降は関東私鉄、2014年以降は関西私鉄も「みんなで手すりにつかまろうキャンペーン」に参加し、現在に至っている。

■挟まれる事故、逆走事故が相次ぎ…

キャンペーンの内容も次第に変化している。2010年には「お客様のおけがを防止するために、ご利用の際には手すりにつかまる」というあいまいな文言だったが、2014年以降は「エスカレーターで歩行用に片側をあける習慣は、片側をあけて乗ることのできないお客様にとって危険な事故につながる」と明言されるようになった。

鉄道事業者で顧客分析を担当していた筆者の肌感覚として、エスカレーターの安全に注目が集まったのは、2006年のシンドラー社製エレベーターの事故、2007年から2008年にかけて多発した樹脂製サンダルがエスカレーターに挟まれる事故、またビッグサイトのエスカレーター逆走事故など、2000年代後半に昇降設備の安全性が注目されたことと関係があると感じている。

ビッグサイト事故・事故を起こしたエスカレーター
写真=時事通信フォト
2008年8月3日、急停止で負傷者を出す事故を起こしたエスカレーター(東京・江東区有明の「東京ビッグサイト」西ホール) - 写真=時事通信フォト

そこからキャンペーンの開始を挟み、2012年頃から新聞やネットでエスカレーター歩行の是非が取り上げられる機会が増えた。

しかし関西においては50年、関東においても30年もの間、定着してきた慣習を覆すのは容易ではない。前出のアンケートで示されたように、多くの人はエスカレーターでの歩行はやめたほうがいいと考えながらも、なかなかやめられない。

「走らないで」と呼びかけられている場所で、自分は急いでいるからと走る人の存在を思い起こせば、誰もが危険であり迷惑だと感じるだろう。エスカレーターでの歩行も同様と断じることは容易だ。

■「片側空け」を終わらせる唯一の道とは

だがこの問題はこのような単純な切り分けでは解決できない。というのもこれまで見てきたように、片側空けは「進歩」「国際化」なマナー、エチケットとして推進されてきたものだからだ。そしてそれは好き勝手にさせろという主張ではなく、それぞれの利用者の立場やペースを「思いやり」、共存するための主張だったから受け入れられてきたのである。

多くの人が良いことではないと思いつつも、禁止とまで言われると反発してしまうというのも、そのような心情によるものだろう。しかしそれは多数にとっての効率が重視される前時代の価値観であり、多様性への配慮と共存が求められる現代とは異なるものである。

1981年の朝日新聞にあったように40年前から「片側空けができない人」がいるという問題意識は存在していた。しかし、推進派の思い描く、急ぐ人、急がない人が共存するための思いやりのある社会の中に、少数かつ不都合な彼らの存在は含まれていなかった。

結局、価値観の転換が習慣を変えるという、これまで幾度も起こってきた出来事のひとつとして受け入れることが片側空けを終わらせる唯一の道である。海外では依然、片側空けがマナーであり、歩行禁止の取り組みが行われては失敗しているようだが、たまには日本が世界に先駆けてもよいではないか。

■歩くとどれくらい時間を短縮できているのか

ところでエスカレーターで歩くと、どの程度早くなるのだろうか。エスカレーターの速度は建築基準法で上限が定められており、鉄道では通常毎分30mである(さらに低速のものもある)。

岩手県立大学の元田良孝名誉教授、宇佐美誠史准教授が2017年に行った調査によれば、エスカレーターの移動速度を加えた絶対的な歩行速度は毎分60m程度であり、ざっくり所要時間は半分になるようだ。

これに関連して諸外国では毎分35~45mのエスカレーターが一般的であり、日本の「遅さ」が歩行を誘発しているという指摘がある。実は国内でも特別な許可を得れば「高速」エスカレーターを設置することは可能で、地下鉄千代田線国会議事堂前駅、明治神宮前駅に毎分40m、つくばエクスプレス秋葉原駅に毎分45mのものが導入された例がある。

■急がないと間に合わないような利用方法はおかしい

エスカレーターの輸送能力は運転速度に比例して増加するが、歩行速度(毎分30m)とエスカレーターの速度差が広がるにつれて輸送力は飽和するとの研究もあり、単に速ければよいというものではない。速くなれば乗り降りが怖いと感じる人が増えるし、高齢者や障害者などの交通弱者にとっても危険だ。

三菱電機が開発した傾斜部と水平部でステップの間隔を変えることで、乗り場、降り場付近は毎分30m、傾斜部では毎分45mになる「変速エスカレーター」など、両立を目指す技術にも期待したいが、結局は10mのエスカレーターを立って20秒で利用するか、歩いて10秒で利用するかの差をどう考えるかだろう。

一分、一秒にこだわる人にとっては小さな差ではないが、歩かなければ電車に乗り遅れるというのであれば、それは問題の次元が異なってくる。エスカレーターを歩いたり、駅構内を走ったりしなければ間に合わない交通機関の利用方法は間違っているのである。

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枝久保 達也(えだくぼ・たつや)
鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(青弓社、2021年)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx

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(鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家 枝久保 達也)

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