「父と夫は高級牛肉、私は豚肉」余命3カ月の老母の在宅介護をする身重の30代娘が落胆させられた親族の"無理解"【2023編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2023年11月26日 17時15分
■同居後の生活
中部地方の実家に住むパーキンソン病と診断された母親(70歳)。ひとり娘の鈴木広香さん(30代)は妊娠3~4カ月の身重だったにもかかわらず、2021年5月のGW中に、母親だけでなく父親(70歳)も自宅に呼び寄せて同居を開始した。
だが、鈴木さん夫婦は共働き(夫は教員、妻は看護師)で、平日昼間は不在。両親2人と犬だけになる。鈴木さんの両親は、昼食時によく2人で近くのスーパーに総菜を買いに行ったが、母親は欲しい物が分からず、毎回助六寿司を買ってきた。また、スーパーからの帰り道に歩けなくなってしまうことや、目の前が白くボヤーっとする症状がみられ、「白内障の手術をしたい」と言うように。やがて、文字が書けなくなった。
一方、妊娠3〜4カ月だった鈴木さんは、ひどい悪阻(つわり)に悩まされていた。
「初めての妊娠で不安だらけだったのに、突然母の介護も始まり、当初私の頭の中はパニック状態。先のことまで考えられず、目の前のことをこなすことに必死でした。仕事も忙しく、人手不足から休暇が欲しいとも言えず、体にむちを打って毎日を過ごしていました」
実家を片付けて売りに出す準備もしなくてはならなかったし、母親の通院のために、1〜2週間に一回は中部地方の実家近くにあるかかりつけ医へ母親を連れていかなければならなかった。
6月。母親にパーキンソン病によくみられる、後方突進が目立つようになり、外出できなくなる。後方突進とは、体を後方に押された際に姿勢を立て直すことができず、後方に突進したり転倒したりする姿勢反射障害のひとつだ。さらに、パジャマの着方がわからなくなり、前後ろ逆に着たり、自分のパジャマと娘のパジャマの区別がつかなくなったり。主治医に相談し、薬を増量するが、効果は見られなかった。
■コロナ禍の転倒
7月。10時ごろ、鈴木さんが夜勤から帰宅すると、母親が自宅で転倒したらしく、動けなくなっていた。父親も自宅にいたが、ただただ困惑し、何もできずにいた。鈴木さんは、母親の足の曲がり具合や左右差からすぐに「大腿骨頚部骨折」を疑い、救急車を要請。コロナ禍だったが、幸いにも近くの病院に搬送され、すぐに手術をしてもらえた。
だが、3週間の入院中、一度も面会はできず。やがて、病院から「長谷川式認知症スケールが13点のため、身体拘束を行います」と連絡があった。
8月。母親と面会ができないことがつらかった鈴木さんは、自分が勤める病院の回復期リハビリ病棟へ転院を決める。転院の日、3週間ぶりに会った母親は発語がなく、表情も乏しく、まるで別人のよう。鈴木さんが話しかけても、全く無反応だった。
「入院前は笑顔を絶やさず、『お母さん、バカになっちゃったけどみんなで暮らせて晩年が一番幸せ』なんて喜んでいたのに、私が知っている母はもういませんでした。母の変化に強い衝撃を受け、母に何か良くないことが起きている……と、ただならぬ胸騒ぎを感じました」
転院先の新しい主治医も、「違和感」があったようだ。鈴木さんは、神経内科に併診をかけ、MRIを撮影してもらう。
「私は、母は『進行性核上性麻痺』ではないのかと思うようになっていました。認知機能の低下に加えて、後ろにバランスを崩す『後方突進』、目がかすんだり字が読めなくなったりする『霧視』、喋りにくさや飲み込みにくさも出ており、症状が『進行性核上性麻痺』と一致していたからです。パーキンソン症候群の1つではありますが、より速く進行し、有効的な治療法はなく、より重度の筋強剛と身体障害をもたらし、発症後10年以内に死に至ります。まだ専門医の見解を聞く前から、私は絶望感と悲しみに包まれ、毎晩泣いていました」
ところが母親は、「クロイツフェルト・ヤコブ病」と告げられた。
■「クロイツフェルト・ヤコブ病(プリオン病)」
「クロイツフェルト・ヤコブ病」は、100万人に1人の有病率。まだ治療法はなく、進行はとても速く、発症から1〜2年で死に至る恐ろしい病気だ。主治医は、「余命3カ月〜2年」と告げ、近いうちに母親は、「家族のことも分からなくなる」「全く動けなくなり、言葉も発しなくなる」と説明した。
鈴木さんは、「進行性核上性麻痺」よりももっと予後の悪い病名を告げられ、「どうして母が……⁈」と、胸をえぐられたような気分だった。
当時妊娠7カ月だった鈴木さんは、しばらく毎晩のように泣いて過ごしたが、約1週間後には、「泣いたところで何も変わらない。元気だった頃の母が今の私を見たらどう思うだろうか? しっかりしないと!」と自分を奮い立たせた。
「母にも私たち家族にも、もう時間がありません。治療法がないとわかった今、考えるべきことは『残された時間をどう過ごすのか』ということだけでした」
■在宅療養
鈴木さんは、母親を自宅で介護したいと考えていた。それは父親も夫も同じだった。
看護師をしている伯母(母親の姉)と叔母(母親の妹)に連絡すると、中部地方から駆けつけ、「私たちもできる限り力を貸すよ」と応援してくれた。
しかし主治医は、「妊娠・出産しながらの介護は難しい」「これからの命の方が大切だ。お母さんは諦めなさい」と反対。だが、いつもは頼りない父親が、「本人が望むなら家に帰してやりたいんですよ。私もできる限りのことをしますから」と言ってくれたとき、鈴木さんは父親を見直した。
結局、看護師である叔母が同居して介護を手伝うならばと、退院の許可をもらうことができた。
2021年9月、「少しでも話せるうちに、できるだけ長く一緒に過ごしたい」と考えた鈴木さんは休職し、母親の在宅療養を開始。
同時に夫と話し合い、両親を住まわせるために購入したマンションは、違約金を払い解約。一時的な同居ではなく、この先もずっと自宅で同居することに。
「7人家族で育った夫は、大家族には抵抗がなく、むしろにぎやかになって良いと理解を示してくれました。父は、私たち夫婦に迷惑をかけるからと、この先も同居することに強い抵抗を示していましたが、何度も話し合い、最終的には渋々承諾した感じです」
退院したばかりの母親は、食事はセッティングすれば自己摂取可能だが、途中から疲れてしまうため介助が必要だった。排泄は、尿意、便意は訴えられず、起き上がったタイミングでトイレ誘導。夜中も2〜3回行う。週2回のシャワー浴は、訪問介護を利用。更衣は、着替え方がわからなくなってしまったため、全介助。移動は、軽介助で車椅子に移乗。転落防止で安全ベルト使用。鈴木さんは母親のトイレ介助のため、夜間は母親のベッドで添い寝をした。
■奔放な叔母
10月。母親はスプーンが使えなくなり、食事が全介助に。車椅子への移乗も、全介助が必要に。机にコップを激しく打ち続ける、シーツを剝がしたり脱衣更衣を繰り返したり、叩く蹴るなどの暴力行為、大きい声を出し続ける、不明言動が増えるなど、不穏症状が強く出るようになり、抗精神病薬の内服を開始。
一方、サポートに入ってくれた叔母は家事をメインで手伝ってくれていた。しかし、鈴木さんが留守の間に食器や調理器具の位置を勝手に変え、大切な食器を割ったり、食材があるのに毎日買い物に行き、大量の食材を買い込んでは食べきれない程の料理を作ったりするため、食費は1日5000円を超えた。買い物は鈴木さんがすると伝えても聞かず、冷蔵庫は残り物でパンパン。古くなった食材は、「あんたが食べな」と妊婦の鈴木さんに押し付け、父親と夫には気に入られようと高級な牛肉を食べさせ、鈴木さんには豚肉を与えた。
叔母の作る料理はしょっぱく、糖尿病だった父親はよく残した。やがて叔母は朝5時に起きて、鈴木さんの夫のお弁当まで作り出し、キッチンの隣で母親と寝ていた鈴木さんは寝不足に。
夫は「お弁当はいらない」と言ったが、それでも叔母はやめない。鈴木さんが指摘をすると、叔母は気分を損ね、余計に悪い方向にエスカレートしていく。
「当初、叔母は私の産後も、『ずっと同居しても良い♪』とメッセージを送ってきましたが、逆に『一刻も早く追い出さないと大変なことになる!』と父も夫も家事や介護に協力的になり、おかげで叔母との同居を2カ月で解消できました。母の介護は大変でしたが、叔母がいない生活のほうがよっぽど楽でした」
父親は、塩分の高い食事により、腎機能が悪くなってしまった。
■ダブルケアスタート
11月。母親は食事中よくむせるようになったため、とろみをつける。排泄や移動は協力動作が得られなくなり、2人介助に。不穏症状が落ち着き、デイサービスの利用を開始。発語がほとんど聞かれなくなる。
12月。無言無動状態に。時折吸引が必要となったため、鈴木さんは出産のタイミングがきたら、勤務する病院のレスパイト(休息制度)を利用する手はずを整えた。年も押し迫ってきた27日、鈴木さんは無事男児を出産。
産前に鈴木さんは、「しっかりサポート面接」も受けていた。「しっかりサポート面接」とは、市内に住む妊婦全員を対象に、保健師などが行っている30分程度の面接だ。
鈴木さんが面接で事情や不安を伝えると、その日のうちに「難病係の保健師」と「母子係の保健師」につなげてもらうことができ、出産までに2度の家庭訪問と2週間に1度のペースで電話相談の場があった。
担当者は、プリオン病の患者に関わるのは初めてだったが、プリオン病の支援経験がある職員と連携して、利用できるデイサービスやショートステイなどをケアマネとともに探してくれた。
また、緊急時の産院への入院準備や、子どもが生まれた後の準備など、初産を迎える鈴木さん夫婦が気付かなかった点を指摘してもらい、安心して出産できるようなフォローがあった。
ところが鈴木さんは、産後、血圧が上がり、降圧剤を内服しても上の数値が160台が続いた。
「本当なら母の援助が受けられたはずですが、頼みの母は思いがけぬ難病に……。母はしばらく病院に預かってもらうとしても、産院を退院した後、ほぼ1人で家事と育児を行うことには不安がありました」
コロナの影響で、産院での父親学級や沐浴指導は中止。夫は育児の知識がほとんどなく、育児のイメージもついていない。そこで鈴木さんは、助産師による産後ケアを利用することに。
退院翌日に助産師に家に来てもらい、夫への沐浴・オムツ交換・抱き方・調乳指導を依頼。父にも乳児の抱き方の指導をしてもらい、夫と父も育児に協力できるような体制づくりを行った。
結果、産後1カ月間は、夫が帰宅後に息子の沐浴を担当してくれ、鈴木さんの体調がすぐれないときは、夫や父にミルクを依頼することができた。
この他に鈴木さんは、産後すぐに利用できる「育児支援ヘルパー契約」を産前のうちに結んであった。鈴木さんは退院後、起き上がれない状態が続いたため、子どもの沐浴、ミルク、掃除、家族の夕食準備などを依頼し、育児支援ヘルパーが来ている間は、自分は少しでも体を休めるようにした。
2022年1月。3週間のレスパイト入院を経て母親が帰宅。介護と育児のダブルケアがスタート。母親は咀嚼困難になり、ソフト食へ。尿失禁、便失禁によりオムツ対応に。週1回の訪問入浴を開始。上下肢拘縮あり、更衣は全介助となった。
■家族のピンチは家族のチャンス
2022年12月、息子が1歳の誕生日を迎えた。
「まれな難病にかかった母は、施設入所を希望しても病名だけで受け入れてもらえず、療養先の選択肢自体がほとんどありません。また、コロナ禍で面会できないことから、『治療法のない病気なので、病院で1人寂しく最期を迎えるよりも、自宅で大切な家族の存在を感じながら旅立ってほしい』と私たちは思っていますが、母との関係性が薄い父方や夫の親族は、私たちの思いや背景を知らず、中途半端な知識だけで助言をしてきます。手を貸さないのであれば、口も出さないでほしいと思います」
主介護者である鈴木さんは、同居する夫や父親と毎週のように家族会議を開き、母親の介護や直面している問題について話し合い、つらい思いを共有してきた。
「介護を始めたばかりの頃は、“察してほしい”と思っていましたが、1年ほど一緒にダブルケアをしてきて、経験のないことを理解したり想像したりするのは容易ではないとわかりました。きちんとこちらから言葉にすることで、夫や父からの共感が得られやすくなり、精神的な支えとなってもらえたと思います」
家族の足並みをそろえることで、
①いろいろなことがうまく回り、ストレスが減る
②話し合うことでより良い考えや方法が見つかる
③お互いに感謝の言葉が増える
というメリットがあると鈴木さんは話す。
また、家族だけでなく、在宅療養を支える訪問看護師やケアマネ、保健師たちも、鈴木さんにとってなくてはならない存在となっていたほか、母親と同じ病気の患者を支える家族とのつながりを持つことで、励まされることも少なくなかった。
「私が欲しかったのは『助言』や『意見』ではなく『共感』でしたから、話を聞いてもらえたり、思いに寄り添ってもらえたりすることが何よりも救いでした。全て1人で抱え込み頑張りすぎるのではなく、『ここまでは自分で頑張る』『これは社会資源に頼る』『自分の体調が悪いときは自分の体を優先する』といった自分の中での軸をしっかりと持ち、依頼できることは依頼し、多少の諦めや割り切りを持つことで、心身の負担が軽くなり、長期介護の実現につながるのだと思います」
鈴木さんは、「たとえ私の不在中に母が亡くなったとしても、全ての責任を持つ心構えができています」と腹をくくっている。
入院していた時は、リハビリを拒否し、泣いてばかりで言葉も出なくなってしまっていた母親は、鈴木さんの自宅に帰ってきてからは笑顔や発語が戻り、手つなぎで部屋の中が歩けるようになった。
母親が「余命数カ月~2年」と宣告された時の父親は、心身共に弱り、引きこもりがちになっていた。しかし、母親の残りの人生を「自宅でできるだけ一緒に過ごす」と決めてからは、どんどん元気になり笑顔を見せるようになった。母親が無言無動状態となった現在でも「お母さんはそばにいてくれるだけで良い」「安心する」と話す。
「愛犬と一緒に寝られることも、在宅療養の特権ですよね。母が楽しく幸せそうに過ごしている姿を見たら、『これだから在宅療養はやめられない』とやりがいを感じてしまいました」
■「感謝」「コミュニケーション」「協働」の3K
しかし、母親が不穏で興奮状態になると、鈴木さん1人では手に負えないことも。そんなときは、夫や父が救いになった。
父親は、鈴木さんが母親に薬を吐き出されて困っていると、優しく「お母さん、薬飲もうね」と笑顔で声をかけてくれた。突然カルピスでうがいをし、テーブルも床も大惨事にしてくれた母親に、「お父さんが拭いておくよー」と穏やかな対応をしてくれた。「お母さんどうしたの? 広香にいじめられたの?」と言いながら対応を代わってくれたことも。
夫も、仕事で疲れているにもかかわらず、幻覚が見える母親を否定することなく、「お母さん、泥棒は僕が退治したのでもう大丈夫ですよ! 僕がいますから安全ですよ!」と笑顔で対応してくれた。
「母親ファーストの姿勢を維持してくれた夫や父には、感謝しかありません。興奮状態の母を私より早く落ち着かせることに成功する男性陣を、尊敬する時もありました。私が『キー!』っとなってしまいそうになるときに、とっさに対応を代わってくれ、母から離れる時間をつくってくれたことは本当にありがたかった。『感謝』『コミュニケーション』『協働』の3Kは、ダブルケアには欠かせない要素だと思います」
家族のピンチは、家族が変われるチャンスなのかもしれない。何一つ家事ができなかった父親は、今では率先して食器洗いをし、孫のおむつ替えも、ミルクもできるようになった。
「これまでは病棟経験しかない看護師でしたが、母の在宅介護を通して訪問看護の魅力を感じました。復帰後は訪問看護師として、患者・家族の思いに寄り添える存在になりたいです。また、ダブルケア支援の充実に向けた活動もしていきたいと思っていますし、プリオン病を抱える患者・家族の救いの場となるよう、家族会の設立に向けて力を尽くしたいと考えています」
鈴木さんは現在、2人目を妊娠中だ。
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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