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五輪の意義を語る札幌市職員の目は死んでいた…元ラグビー日本代表・平尾剛が招致の第一線で覚えた違和感

プレジデントオンライン / 2023年11月29日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/CHUNYIP WONG

札幌市が2030年、34年の冬季五輪招致を断念し、以降の招致活動も暗礁に乗り上げた。元ラグビー日本代表で神戸親和大学教授の平尾剛さんは「スポーツは社会と密接に関わり合いながら行われるべき。しかし、札幌市の招致活動では、そうした様子は見られなかった」という――。

■暗礁に乗り上げた札幌市の冬季五輪招致

札幌市と日本オリンピック委員会(JOC)は、10月11日の記者会見で、2030年冬季五輪・パラリンピックの招致を断念すると発表した。21年東京大会の汚職・談合事件の影響などで地元の支持が伸びず、開催経費増大への不安を払拭できなかったことが、その理由だ。

34年以降の招致を目指して仕切り直すとしたものの、会見からわずか5日後の10月16日に、国際オリンピック委員会(IOC)が11月中にも30年と34年の開催地を同時決定する意向を示したことで、その道は極めて困難となった。

この情勢を受けて、市民団体「札幌オリパラ住民投票を求める会」は、住民投票の実現に向けた署名活動を10月30日付で中止した。およそ1カ月の活動で少なくとも8500人の署名が集まったというから、招致断念を後押しする要因になったといえる。

もし38年以降の招致活動を行う場合にはあらためて署名活動を再開するというが、その38年大会も、気候変動による冬季五輪の開催地が減ることへの懸念から、持ち回り開催も含め新たな選考方法をIOCは検討しており、招致プロセスの見通しは立っていない。

冬季五輪の札幌招致はすっかり暗礁に乗り上げた。

■招致活動中の札幌市で元アスリートとして市民に語ったこと

冬季、夏季を問わず五輪のあり方そのものに疑問を抱き、かねて開催の反対を主張し続けてきた私は、ホッと胸をなで下ろした。とくに開催経費増大による市民への負担がなくなったこと、そして東京大会での汚職・談合事件の司法判断が下されないなかでの招致活動がもたらすモラルハザードが防げたことに安堵(あんど)している。

招致断念を発表した記者会見より1カ月以上前の9月2日に、私は市民団体「さっぽろオリパラを考える会」に招かれて講演をした。「オリンピックからスポーツと社会を考える」というテーマで、元アスリートながら五輪反対に至った経緯から、21年東京大会の振り返りを経て、札幌五輪に反対する意義について、蓄積された五輪研究を紹介しつつ自らの考えを口にした。

■「スポーツの祭典を批判していいのか」元アスリートとしての葛藤

コロナ禍以前は五輪反対の機運が高まらず、積極的に賛成はしないものの反対というわけではない「どうせやるなら派」の強力な後押しもあって、社会では開催を歓迎するムードが大勢を占めていた。知人のジャーナリストから一読を勧められた『反東京オリンピック宣言』(航思社)を機に五輪研究を始めた私は、関連書物を読みあさるうちに五輪開催にともなう深刻な問題を知ることとなった。

膨れ上がる開催費用、招致に関わる多額の賄賂、関連施設の建設現場の現実(短工期の難工事に過重労働、移民労働者の使い捨てや賃金未払い)など、社会に及ぼす負の影響にたじろいだ。自らの無知を恥じるとともに、知ってしまった以上は伝えねばならないと居ても立ってもいられなくなった。

しかしながら私は元アスリートである。スポーツに育てられたからこそいまの私がいる。スポーツに多大な恩恵を受けておきながらスポーツの祭典を批判することには、やはり躊躇(ちゅうちょ)した。

言うべきか、言わざるべきか。葛藤する私の背中を押したのは、過去の偉大なアスリートたちだった。

■「空気の読めないイタイ人物」のように扱われた

黒人差別への抗議を、1960年ローマ五輪で手にした金メダルを川に投げ捨てることで表明したモハメド・アリ。同じく黒人差別に抗議したのが、1968年メキシコ五輪に出場した陸上選手であるトミー・スミス、ジョン・カーロス、ピーター・ノーマンで、表彰式に立ったトミーとジョンは黒の手袋をした拳を掲げ、白人のピーターは彼らに賛同して「人権を求めるオリンピックプロジェクト」のバッジを胸につけた。かの有名な「ブラックパワー・サリュート」である。

トミー・スミス、ジョン・カーロス、ピーター・ノーマン
メキシコ五輪200mの表彰式に出席するアメリカのトミー・スミス、ジョン・カーロスと、オーストラリアのピーター・ノーマン[写真=Angelo Cozzi/PD Italy(20 years after creation)/Wikimedia Commons]

また、スノーボーダーのテリエ・ハーコンセンは、五輪のメダル至上主義が競技そのものの本質を損なっていることを問題視し、1998年長野五輪をボイコットするなど公然と五輪を批判した。過熱する商業主義に危機感を覚え、反対の意思を明確に示していたのだ。

おかしなことにはおかしいと声を上げ、行動に出る。その勇気を持ち合わせたアスリートの存在は、私を奮い立たせた。彼らと比べれば競技実績ははるかに及ばないながら、同じアスリートとして真正面から受け止めざるを得なかった。そうして2017年に五輪反対の意思表明に踏み切ったのである。

当初はものすごい逆風だった。いや、正確には無風だといっていい。スポーツ関係者は、まるで腫れ物に触るような態度で私に接し、五輪の話題は巧妙に避けられた。このとき私は、世間を取り巻く歓迎ムードに水を差す、空気が読めないイタイ人物だとみられていたように思われる。

■コロナ禍の東京五輪が明らかにした「拝金主義」

風向きが変わった、もとい風が吹きはじめたのは、新型コロナウイルスの流行だった。パンデミックの到来で外出の自粛が強要され、人が集まるイベントが軒並み中止になり、マスクの着用が義務付けられた。命や健康を守ることが最優先課題となり、行動の自由が制限されるなかで、いまは五輪を開催している場合ではないと考える人たちが大勢を占めるようになった。

それでもIOCをはじめ、JOCや東京都など主催者側は開催へと突き進んだ。そのかたくなな態度から、五輪の実態が雪崩を打つように浮き彫りになり、1964年東京五輪の成功に端を発する五輪幻想は雲散霧消した。

ご存じの通り21年東京大会は、五輪が「アスリートファースト」を重んじるスポーツの祭典などではなく、主催者側による集金イベントに過ぎないことを明らかにした。猛暑の7月に開催する理由は莫大(ばくだい)な放映権を所有する米NBCへの配慮だといわれており、そのために生じた暑熱対策が「打ち水」「かぶる傘」「アサガオを植える」など信じ難いほど非現実的な方策なのには開いた口がふさがらなかった。

なりふりかまわず開催しようとする意図の裏には、莫大な利権が存在する。スポーツコラムニストのサリー・ジェンキンスが、ワシントンポスト紙でIOC会長のトーマス・バッハを「ぼったくり男爵」と称したように、五輪は徹頭徹尾「金」が目的だったのである。

■一時的な夢や感動と引き換えに生活を壊していいのか

そのツケを払うのは当然のことながら開催都市を含む国家である。そこに住まう私たち、そして未来を担う子供たちに重くのしかかることを思えば、五輪の開催は一時的な「夢や感動」と引き換えに生活そのものを削り取る。

すなわち札幌五輪の招致に反対する意義とは、そこに住まう市民の生活を守ることであり、さらにいえば、ここ日本でいまを生きるわたしたちと子供たちの将来、つまりこの社会の現在と未来を健全に保つことにある。

これが、あの日の講演内容である。

■誘致の意義を語る札幌職員は人形のようだった

講演に先立ち、札幌市内のショッピングモール内で行われた招致PRのオープンハウス&説明会に足を運んだ。空々しいパネルが展示されたスペースの一角で行われた説明会では、市の担当職員が淡々とした口調で招致の正当性を主張していた。その傍らには20代と思しき市の職員が、終始うつむきながらまるで機械仕掛けの人形のようにメモを取っている。

説明後に設けられた質疑応答では、質問や意見が次々に投げかけられた。

「汚職・談合事件が決着をみないなかでの招致は筋が通らないのではないか?」
「五輪招致よりも学校給食の充実に税金を投入すべきではないのか?」
「地方の各自治体は除雪や排雪に困っている。その対策を真剣に考えていただきたい」

切迫感をともなった参加者の言葉には熱がこもり、ときに語気を荒らげるほど真剣に訴えかけていた。

その様子を間近で見ながら感じたのは、質問の矢面に立つ市の職員も、本音のところでは五輪招致に意義を感じていないのではないかということだった。こわばった表情で質問を言葉巧みにはぐらかすその様子が、職務上はそうしなければならないのだと鼓舞しているように見えた。

そばでメモをとる若手職員も、あくまで仕事だからと自己正当化しているようで、誰とも目線を合わせないよう手元のノートに視線を落とし続けるさまに、思わず同情してしまった。もし、私がその立場だったら同じ振る舞いをしたかもしれないと。

マリオネット
写真=iStock.com/amphotora
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/amphotora

■招致断念で救われた人たち

9月末に、招致側のとある幹部が「30年招致の旗を降ろしたいのはやまやまだが、国やJOC、IOCと関係者が多く、降ろしたくても降ろせないんだ」と嘆いていたという(朝日新聞デジタル10月12日)。

この幹部はおそらく肩の荷が下りたに違いない。あの説明会で私が見た市の職員たちもまた、そうだろう。このたびの招致断念によって安堵したのは、反対運動にかけずり回った人たちのみならず、市民と向き合う現場で招致活動に携わらなければならなかった人たちもまた含まれるのではないか。

■批判の矛先は五輪主催者とスポンサーであるべき

市民団体の活動が世論を形成し、それが功を奏して招致を断念する結果となった。彼、彼女らの地道な行動は、一人ひとりのささやかな生活を守ったのと同時に、現場に近いところにいる招致サイドの人間の肩の荷をも下ろすことになった。つまりは生活者のあいだに横たわる分断を和らげたのだ。

敵対する相手側の心労も軽くした現実に思いをはせれば、粘り強く反対運動を続けた市民団体の方々には心からの敬意を表さずにはいられない。分断は社会の健全化を阻む。それを取り除けたことにこそ、このたびの招致断念の意義がある。

私たちが批判の矢を向けるのは、同じ生活者にではない。五輪の招致に躍起になり、その恩恵にあずかるIOCをはじめとする主催者およびスポンサーにこそ向けるべきなのだ。

■スポーツは社会と密接に関わりながら行われるべき

最後に、当のスポーツ界はどう受け止めたのだろうか。

札幌五輪への出場を目指していた選手および関係者が忸怩(じくじ)たる思いに駆られているのは想像に難くない。目標を失った若者たちの落胆は察するに余りある。だが、少し立ち止まって考えてみてほしい。

五輪が社会にどれだけの負担をかけるのか、また、招致を断念せざるを得ないほどの反対意見が社会に広がったのはなぜなのかについて、想像を及ぼしていただきたい。スポーツは、社会と切り離された場で行われるわけではなく、社会と密接に関わり合いながら、いや、社会のただなかで行われるものなのだから。

スポーツ界のなかで、スポーツの健全なあり方についての議論を深め、五輪に寄りかかることなく存続する方法を模索する。社会を構成するひとりとして、社会そのものにしかるべき関心を払わなければならない。さもなければ、スポーツ界は社会通念が及ばない世界として宙に浮き、生活世界と分断されてしまう。

分断を生み出し、社会に亀裂をもたらす五輪など、もういらない。

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平尾 剛(ひらお・つよし)
神戸親和大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。

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(神戸親和大教授 平尾 剛)

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