晩年の家康に最も愛されたヨーロッパ人・三浦按針とは…将軍にも忖度しない態度を貫いた男の生涯
プレジデントオンライン / 2023年12月2日 8時15分
■村雨辰剛の演じる三浦按針ことウィリアム・アダムスとは
今年の大河ドラマで取り上げられた徳川家康が注目されている。これまでの狸(たぬき)おやじのイメージが打ち破られ、有能な側近に支えられた新しい家康像が提示されている。そうした側近の一人が村雨辰剛の演じるイギリス人舵手の三浦按針(本名ウィリアム・アダムス)だった。ドラマではさほどの出番はないようだが、家康が晩年そばにおいたこのイギリス人が日本の歴史に大きな影響を与えたことをご存じだろうか。
関ヶ原合戦の半年前のこと。豊後国(現・大分県)臼杵の領海に謎の軍艦がたどり着いた。当時のアジア海域で使われていたジャンク船でもなく、ポルトガル人が毎年長崎に寄港させていた巨大なカラック船でもなかった。数少ない乗組員はみな衰弱しきっていて立ち上がることもままならず、臼杵の民衆が積み荷を盗もうと船に乗り込んできても抵抗できなかった。また、言葉も通じない。
翌日には臼杵城主・太田一吉が遣(つか)わした役人が船内を調査した。役人からの報告を受けた一吉は首を傾(かし)げた。貿易目的で来航した南蛮人の商船かとも思われたが、船には大砲をはじめとする大量の武器が積み込まれ、船員たちも商人というより兵士の風体を帯びていたからである。
■1600年、謎の軍艦に乗って大分の臼杵に漂着したアダムス
一吉は報告のため直ちに長崎奉行の寺沢広高に書状を送付した。一吉の書状を受け取った広高はすぐさま検使を臼杵へ派遣し、船を調べさせた。検使が作成し、広高に提出した船の積荷目録によると、大型の大砲19門のほかに大量の武器が積まれていた。明らかにほかの船を攻撃するためのものだった。
ちょうどそのとき、外国船が来航したことを聞き知ったイエズス会士が臼杵に到着した。彼らは最初スペイン船が漂着したと思い込んでいたが、船員と面会したところ、オランダ人であることを知った。イエズス会士はすぐに臼杵城に向かい、「あの船は海賊船だ。船員たちは即刻処刑すべきだ」と一吉に進言した。また、長崎にいたイエズス会士たちも奉行の広高に書状を認め、「漂着した船は海賊船であり、船員たちはポルトガル人とすべてのキリスト教徒の敵である」と訴えた。
検使の報告とイエズス会士の書状を受け取った広高は、その内容をまとめて、大坂城にいた徳川家康に報告書を送り、その処遇についての判断を委ねた。2年ほど前の豊臣秀吉の死後、五大老の首座だった家康は権勢を強め、事実上の天下人として大坂城西の丸で政務を執っていた。この時期の日本の政治的状況は非常に不安定だった。いつ騒乱が起こっても不思議ではなかった。そうしたなか、謎の軍艦の来航についての情報が家康のもとに届いたのである。
■報告を受けた徳川家康はアダムスらを大坂に召し出す
海賊船であれば、直ちに処刑を宣告すべきである。しかし、どうやらこの船は普通の海賊船ではなさそうだ。スペイン・ポルトガルのほかにも、日本に来航できる「南蛮」の国があるようだ。そのように家康は考えたのではなかろうか。長崎奉行に任せず自ら調査することに決めた家康は、さっそく家臣を豊後に遣わすとともに、当該船の主立った船員二人を大坂に連れて帰るように命じた。
18人しか残っていなかった乗組員のうち、船長は病で動けなかったため、船長に次ぐ階級であった舵手と一人の商人が代わりに大坂へ向かうことになった。舵手は、オランダ人に雇われた有能なイギリス人航海士ウィリアム・アダムスで、彼に同行する商人はオランダの名家の出であるヤン・ヨーステンであった。大坂に到着してすぐにアダムスとヨーステンは家康の前に召し出され、尋問を受けた。
最初は身振り手振りを交えて尋問したが、思うように伝わらないため、ポルトガル語が話せる人を通訳にして質問をすることにした。その尋問から家康の世界知識が一気に広がった。それまでアジア諸国についてはある程度の情報を得ていたが、そのほかの情報としては、さらに遠方にあるポルトガルとスペインという国々からアジアへ定期的に船が往来していること、ポルトガル人はインドのゴアや中国のマカオに拠点をもち、スペイン人はアメリカ大陸やフィリピンを植民地にしていることぐらいしか分かっていなかった。
■宣教師を派遣したスペイン・ポルトガルとイギリス・オランダは戦争中
そこに、さらに遠いところにイギリスとオランダという国々があって、それらの国々がイベリア諸国と戦争状態にあるということをアダムスは家康に伝えた。ここで初めて軍艦が武装している理由も判明した。アダムスが乗っていた艦隊はアジアへ航海する途中、交戦相手国のスペインとポルトガルが支配する海域を通過する必要があり、敵と戦うために武装していたという。
艦隊所属の5隻のうち、日本にたどり着いたのはリーフデ号1隻だけだった。リーフデ号の乗組員は総勢110人いたが、この時点で生き残っていたのは18人だけだった。全渡航期間は2年もの年月にわたり、航海中は伝染病の蔓延、食糧不足やイベリア人との闘いを経験し、想像もつかないほどの悲惨な渡海であった。
■家康は世界情勢についてアダムスらを質問攻めにした
質疑応答は真夜中まで続いたようである、政務に多忙な家康がこれほどの時間を費やしたことにアダムスたちへの興味の深さが窺える。2日後、家康はアダムスたちを再び呼び出し、世界情勢について質問攻めにした。家康から気に入られたように思われたアダムスだったが、それから1カ月以上呼び出しはなく、アダムスたちが軟禁されていた場所には外の情報も一切入らなかった。「このあいだ私は毎日のように磔にされると思っていた」とアダムスはのちに書いた「未知の友人」宛の書状で当時抱いた不安を振り返っている。
実はこの間、イエズス会士たちは家康やその側近に、「リーフデ号の船員たちを生かしておけば家康や日本の不利益になる」とその処刑を訴え続けていた。疑い深い家康に対するこのような働きかけは逆効果を引き起こし、イエズス会士に対する不信感を募らせる結果を招いた。
家康はついに「今のところ、彼らは、私あるいは日本の誰にも危害や損害を与えていないので、彼らを処刑するのは道理や正義に反する。双方が互いに戦争をしているのであれば、それは彼らを死刑に処する理由にはならない」と回答した(アダムスより「未知の友人」宛書状)。この回答から、家康が当時のカトリック諸国とプロテスタント諸国とのあいだの対立状況をよく理解していたことが窺(うかが)える。
■家康はアダムスを気に入って厚遇したが帰国は許さず……
アダムスに三度目の呼び出しがかかったのはそれから41日後のことである。家康は再び様々な質問をし、尋問が終わりに近づくとアダムスに「あの船に乗って同胞に会いたいか」と尋ねた。「ぜひとも喜んで」とアダムスが答えると、「では、そうしてくれ」と家康は言った。この瞬間、アダムスは何とも言えない安堵(あんど)感を味わったことだろう。実はこの時、家康はリーフデ号とその船員たちを堺に移動させていた。アダムスたちは涙を流して再会を喜んだという。
とはいえ、その後も、家康はアダムスに出国することを禁じた。アダムスがいくら懇願しても許されなかった。それどころか、アダムスは家康の家庭教師のような存在となり、幾何学、数学やそのほかの学問の初歩を教えた。学問に少なからぬ関心を示していた家康は大変喜び、アダムスとの距離がどんどん縮んでいった。アダムスを師として尊重するあまり、家康はすべてをアダムスから言われた通りに受け取るようになったという(アダムスより「未知の友人」宛書状)。こうして家康とアダムスのあいだに揺るぎない信頼関係が築かれた。
■家康は将軍相手でも忖度しないアダムスを高く評価した
この時代、家康に面会できる人といえば、旗本以上でないとまず不可能であった。船乗りだったイギリス人のアダムスが旗本の位と三浦半島にある逸見の領地を与えられ、常に家康の側に仕えるようになったことは並大抵のことではない。なぜそのようなことが可能だったのだろうか。それが家康の性格と政治手腕に起因していると筆者は考える。
当時の史料を読むと、アダムスは豊富な知識をもった真面目で誠実な人であったようだ。また、相手が誰であろうと、納得がいかないことは受け入れず、自分の立場が悪くなってもそれを正直に相手に伝える性格の持ち主だった。人のために尽力と骨折りを惜しまず、最後まで使命を果たそうとする姿勢を示していた。
こうした気質は家康からの評価が高く、有能な人材を自分の周りに置くことを心がけていた家康にとって是非とも側近として迎えたい人物であった。家康はアダムスをあまりにも気に入ったため、晩年にアダムスによる出国のさらなる請願に屈した後でさえ、自分の側から離れないようにアダムスに懇願した。それほど家康はアダムスを寵愛(ちょうあい)していた。
■西洋の列強に対抗するためアダムスに洋式帆船を造らせた
対外政策を進める家康にとってアダムスは必要な人材だった。グローバル化が進むなか、西洋列強が次々と船を日本に派遣し始めた。家康は自由貿易を促進することで国内経済を活性化しようとしていた。そのために、アダムスを通じて世界情勢について情報を収集したかった。
また、日本の造船技術を高めて、日本人によるさらなる海外進出を可能とする基盤をつくろうとした。アダムスとその仲間のオランダ人の船大工に2隻の洋式帆船を造らせることで、西洋の造船技術を積極的に採り入れ、朱印船貿易で使用されるジャンク船の造船にその技術を活用した。さらに、オランダやイギリスの使節が家康のいる駿府城を訪れると、アダムスがその仲介役をつとめ、両国とも平戸で商館を設立することになった。
■スペイン使節が江戸湾を測量する危険性を家康に訴えた
家康が特に熱望したのはスペインとの交易であった。スペイン使節は貿易の実現と引き換えに、当時スペインの戦争相手だったオランダ人を日本から追放することを家康に強く要請し、揺さぶりをかけた。家康はこのスペイン側からの揺さぶりをうまくかわしながら、中立的姿勢を保った。とはいえ、辛抱強く交渉を続けた。
その過程でスペイン使節のセバスチャン・ビスカイノが「江戸湾の測量」を願い出た時には、その許可を与えた。これはスペイン船が安全に江戸湾に入ることができるために必要な申し出だったが、これを知ったアダムスは、若かりし頃スペイン艦隊が母国イギリスを侵略しようとしたときのことを思い出した。そのスペイン艦隊との海戦の際、アダムスはイギリス艦隊の補給船の船長として戦いに参加していた。
アダムスは家康のもとに駆け付け、「スペイン人が江戸湾を測量する目的は、いずれ大艦隊を率いて侵略するための準備だ。私の母国であるイギリスならば、他国による海岸の測量は絶対に許さない」と進言した。家康が「今さら断るのは面目が立たない。たとえ攻め込まれても防衛のための兵力は十分にある」と弁明すると、アダムスはさらに「まず宣教師を送り込み、その国の多数の国民をキリスト教徒に改宗させ、その後スペイン人がそのキリスト教徒と共謀してその国を征服し、スペイン国王の領有地とする」のがスペイン人の策略なのであると訴えたという(スペイン使節ディエゴ・デ・サンタ・カテリーナの報告書)。
■家康がキリスト教禁教令を出すきっかけを作った
すでにキリスト教布教に疑念を抱いていた家康は、その直後に駿府城に多くのキリシタンが存在することを知り、禁教令の布告に踏み切った。のちに秀忠と家光が進めていく鎖国体制への第一歩であった。
その後、家康から帰国の許しが出たにもかかわらず、アダムスが母国イギリスへ戻ることはなかった。イギリス東インド会社重役宛の書状では「現金を貯めてから帰りたい」と書いているが、日本に完全に馴染んでいたアダムスは同胞から「帰化した日本人」と呼ばれるほど日本人になっていた(イギリス使節ジョン・セーリスの航海日誌)。日本では家康の側近として重要な役割を果たしていたが、イギリスに帰れば一介の船乗りに戻ってしまう。そのような認識があったのか、アダムスは帰国を先延ばしにし続けた。
■二代将軍・秀忠の時代になって影響力を失い55歳で死す
1616年に家康がこの世を去った。息子の秀忠は家康の側近たちから距離を取り、独自の政治を行うようになった。家康が出していた禁教令を強化しながら、外国人が貿易できる範囲を長崎と平戸に限定した(二港制限令)。家康が考えていた自由貿易とは真逆の政策を打ち出した。アダムスは納得できず、自由貿易の重要性を幕府の高官たちに訴えたが、聞き入れてもらえなかった。
秀忠には謁見(えっけん)することすら許されず、ついには外交顧問からも外されてしまった。それまで家康から寵愛を受けていたアダムスは急速に影響力を失った。その後は、イギリス人とオランダ人のために尽力しているが、貿易条件の改善が得られないまま、家康の死からわずか4年後の1620年5月16日に55歳でこの世を去った。
■テレビドラマがきっかけだった三浦按針との出会い
筆者が小学生だったときにアメリカのテレビドラマ『将軍』が放映されていた。『将軍』はイギリス人のジェームズ・クラベルの小説に基づき、徳川家康、ウィリアム・アダムス、細川ガラシャの生涯をモデルにしてつくられたフィクションのドラマである。まさに本稿で扱ったアダムスが日本に到着した時から関ヶ原合戦までの時期を描いている。
このテレビドラマを観た筆者は、日本の歴史に興味をもった。歴史家の道を歩むようになり、いつの間にか家康、アダムス、ガラシャの研究に没頭するようになった。2024年2月に『将軍』のリメイクが放映される(ディズニープラスで配信される「SHOGUN 将軍」)。筆者はその時代考証全般を任された。四十数年前に日本の歴史を研究するきっかけとなった『将軍』の時代考証を担当することになるとは当時思いもしなかった。運命とは不思議なものである。
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1970年、ベルギー生まれ。京都大学で博士号(人間・環境学)を取得。専門は戦国文化史、日欧交渉史。著書に『ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針』(ちくま新書)、『明智光秀と細川ガラシャ 戦国を生きた父娘の虚像と実像』(共著、筑摩選書)、『オランダ商館長が見た江戸の災害』(講談社現代新書)、『戦乱と民衆』(共著、講談社現代新書)などがある。
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(歴史学者、国際日本文化研究センター教授 フレデリック・クレインス)
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