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なぜ紫式部は清少納言の悪口を書き残したのか…「知識は未熟」「上っ面だけの嘘」とねちねち批判したわけ

プレジデントオンライン / 2023年12月2日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/coward_lion

来年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部はどんな人物だったのか。歴史作家の河合敦さんは「教養ある人物だったが、悲観的で他人からの評判ばかり気にする繊細なタイプだった。それゆえ、真逆の性格の清少納言に対し複雑な感情を抱いていた」という――。(第3回)

※本稿は、河合敦『平安の文豪』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

■日記からわかる紫式部の意外な性格

周知のように紫式部という名は本名ではない。紫式部の「紫」は、『源氏物語』に登場する「紫の上」からきているようだ。「式部」というのは、父の為時が式部省の役人「式部丞」だったので、その官職(役職)名からとられたものだ。

さて、ここでたびたび登場している『紫式部日記』に触れておこう。紫式部は、寛弘5年(1008)秋から寛弘7年(1010)正月までのことを回顧録の形にまとめている。これがいわゆる『紫式部日記』だ。ただ、その内容は、本人の備忘録や儀式の手順といったことを記した男性貴族の日記とは異なり、女房として仕えた彰子が長男を出産したさいのことが詳しく書かれている。

そういった性格から、おそらく藤原道長が公的な記録を残すよう紫式部に要請したのではないかと考えられている。しかし、単なる記録ではなく、紫式部独特の観察眼や心情なども書かれている。さらに不思議なのは、彰子の長男の誕生録の間に、紫式部が誰かに宛てた消息文(手紙)が挿入されたり、年次不明の雑録が入り込んだりしている点である。

とくに消息文のほうは、親しい知人に宛てたものだとか、娘の賢子に書いたものだなど、諸説ある。賢子が同じく彰子の女房として宮仕えをしているので、愛娘のために宮中の様子をこまごま教えてやった手紙ではないかと、私は考えている。

■皇后の出産における紫式部の働き

賢子は紫式部に似て大変な才女であり、後世、三十六歌仙の一人に選ばれている。親仁親王(彰子の妹・嬉子の子でのちの後冷泉天皇)の乳母となり、親仁親王が即位すると従三位の位階を与えられた。

ともあれ、この『紫式部日記』があるお陰で、私たちはこの女性が『源氏物語』の作者であることを知ることができるのである。もう少しいえば、それがわかる記述が出てくるのだ。

紫式部が宮仕えを始めて2、3年後、彰子は一条天皇の子を出産した。入内から9年後のことであった。入内したのは彰子が12歳のときだったから、数年間は子ができなくて当然だったが、その後20歳過ぎまで子に恵まれなかったのは、一条天皇が亡き皇后・定子を忘れることができず、他の女性を愛せなくなっていたからだという説がある。

事実、定子が次女を産んですぐに亡くなってしまってから、彰子以外の3人の女御との間にも、一条天皇は子をもうけていない。道長は娘の彰子が子宝に恵まれるよう、寛弘4年(1007)に金峯山に参詣している。その甲斐あって翌年、彰子は念願の男児(敦成親王)を出産したのだ。

彰子は実家(土御門第)で出産したが、紫式部ら女房たちも里帰りに同行した。いよいよお産が近づくと、安産のためにさまざまな読経や加持祈禱(きとう)などがおこなわれたが、大声でそうした儀式などへの指示を出していたのは道長自身だった。

■藤原道長の絶頂期

娘の出産にテンションがあがっていることがわかる。当時、出産は今の時代以上に命がけだった。難産や産後の肥立ちが悪く、定子のように亡くなる女性も多かったからだ。だから万が一のさい成仏できるよう、形式的に出家することが多い。

彰子の場合も少しだけ髪の毛を削いでその体裁をとった。これを見た紫式部は「くれまどひたる心地に、こはいかなることとあさましう悲しきに」と、心配のあまり悲嘆に暮れたことを日記に書き付けている。

実際、かなりの難産だったが、彰子は無事に出産した。だが、産婦はくたくたになっているのに、出産直後から毎日のようにさまざまな祝い事や儀式が立て続けに執りおこなわれた。これでは産婦は、たまらないだろう。紫式部も彰子が憔悴(しょうすい)している様子を描写している。

一方、道長は男児が誕生して外戚になれるということで、大はしゃぎである。昼も夜も関係なく赤子がいる部屋にやってきては、乳母の懐から孫を抱き取ってしまう。夜中や明け方にもくるので、寝ていた乳母が仰天することもしばしばだった。

あるときなど赤子が道長の衣におしっこをひっかけたが、それでも道長は嬉しそうに衣を脱ぎ、几帳の後ろで衣をあぶって乾かすよう女房に命じたという。親馬鹿ならぬ孫馬鹿である。

■天皇への土産は源氏物語

生後50日のお祝いも無事に済み、いよいよ彰子が内裏に戻る日が近づいてくる。女房たちがその準備に明け暮れていた頃、彰子が紫式部に「おまえには、御冊子(本)づくりを手伝ってもらいたい」と言ってきたのである。

じつは一条天皇へのお土産として素晴らしい紙や墨を用いた豪華な物語本をつくろうというのだ。その物語というのはもちろん、『源氏物語』だった。

原本は、なんと道長が紫式部の部屋から盗んだものだった。じつは紫式部は、自宅から『源氏物語』の草稿を持ってきて部屋(局(つぼね))に隠し置いていた。推敲(すいこう)や校正した原稿は人に貸したり、失くしたりしたが、草稿だけは大切に保管していたのだ。

ところが、である。道長が紫式部の留守中に勝手に部屋に入り込んで、その草稿を持ち出して次女の姸子にあげてしまったのである。プライバシーもなにもあったものではない。

今回の製本は、この最初の原稿がもとになっているので、「拙い作品だと人にそしられるのではないか」とヒヤヒヤしながら紫式部は製本にたずさわった。

■宮中ではバカのふりをする

このように紫式部は、悲観的で他人からの評判ばかり気にする繊細なタイプだった。かつていじめられたトラウマもあったせいか、宮中では、なるべく目立たないようにしていた。

とくに当時、女性に漢学の素養があるのは、「日本紀の御局」と陰口をたたかれたことでわかるとおり、生意気ではしたないとされ、非難の的になった。このため、驚くべきことだが、紫式部は「一」の字も書けない、屛風の漢詩も読めないといった、馬鹿なフリをし続けてきたのだ。

河合敦『平安の文豪』(ポプラ新書)
河合敦『平安の文豪』(ポプラ新書)

漢文に興味を持った彰子から白楽天の「新楽府」のレクチャーを頼まれたさいも、他の女房たちに悟られないよう、こっそり二人だけで講義した。露見したらすぐに悪口をいわれるからだ。もちろん『源氏物語』を読めば教養の深さはすぐにわかるわけだが、それでも紫式部は、決して人前では知識をひけらかさず、謙遜し続ける態度を守った。

そんな彼女とは、正反対の人物が清少納言だった。明るく積極的、堂々として強気で、自分の教養を隠そうとしなかった。清少納言は皇后・定子の女房だったので、紫式部が宮中でまみえることはなかったと思うが、清少納言の項で少し触れたように、紫式部は清少納言を『紫式部日記』で次のように批判している。

■批判の中にある本音

「それにつけても清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようでございますね。あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度ときたら、よく見ればまだまだ足りない点だらけです。
彼女のように、人との違い、つまり個性ばかりに奔りたがる人は、やがて必ず見劣りし、行く末はただ「変」というだけになってしまうものです。
例えば風流という点ですと、それを気取り切った人は、人と違っていようとするあまり、寒々しくて風流とはほど遠いような折にまでも「ああ」と感動し「素敵」とときめく事を見逃さず拾い集めます。でもそうこうするうち自然に現実とのギャップが広がって、傍目からは『そんなはずはない』『上っ面だけの嘘』と見えるものになるでしょう。
その「上っ面だけの嘘」になってしまった人の成れの果ては、どうして良いものでございましょう」
(山本淳子編『紫式部日記ビギナーズ・クラシックス日本の古典』角川ソフィア文庫)

かなり手厳しい批判であり、筆誅といえるようなこき下ろしようだ。教養をひたすら隠して宮仕えしている紫式部にとっては、平然と教養をひけらかし、なおかつ、いまだ宮中で評判が高い清少納言が憎々しく思えたのだろう。

ただ、そんな批判の中に、「本当は私もあなたのように他人を気にせず、自分をさらけ出してみたい」という羨望(せんぼう)の気持ちが見え隠れしているような気がしなくもない。

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河合 敦(かわい・あつし)
歴史作家
1965年生まれ。東京都出身。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。著書に、『逆転した日本史』『禁断の江戸史』『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』(扶桑社新書)、『渋沢栄一と岩崎弥太郎』(幻冬舎新書)、『絵画と写真で掘り起こす「オトナの日本史講座」』(祥伝社)、『最強の教訓! 日本史』(PHP文庫)、『最新の日本史』(青春新書)、『窮鼠の一矢』(新泉社)など多数

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(歴史作家 河合 敦)

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