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研究者が「入力ミス」を疑うほど農地が急減…沖縄のサトウキビ農家の「大量離農」が止まらない根本原因

プレジデントオンライン / 2023年11月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/7maru

沖縄県の農地が急減している。この5年で経営耕地面積は2万4790ヘクタールから1万9475ヘクタールへと21.4%も減っている。とりわけ大量離農が起きているのがサトウキビだ。いったい何が起きているのか。ジャーナリストの山口亮子さんが取材した――。

■入力ミスを疑うほど農地が急減

日本は砂糖の原料となる「原料糖」を年間約100万トン輸入し、約70万~80万トンを国産で賄う。カロリーを基に計算するカロリーベース自給率でみると、2022年度に砂糖類は34%だった。沖縄で生産する原料糖は約8万トンで、全体の約4%、国産の約1割を占める。サトウキビを生産する沖縄と、鹿児島の南西諸島の農家は、概して零細で高齢だ。

そんな沖縄の農業に異変が起きている。農地も農家も減り、規模拡大すら進まない――。これまで農地と農家の減り方は、他県に比べて緩やかだった。ところが、5年に1度行われる農業版の国勢調査「農林業センサス」の2020年版で、いずれも半世紀ぶりの急減となっている。沖縄の基幹作物であるサトウキビは、国からの補助なしには成り立たない。政治で農家の収入が決まるという保護の手厚さが、かえって農業の停滞を招いている。

「なぜ沖縄の農地がこんなに減っているのか……。統計の入力ミスかなとも思うんですけど」

沖縄の農業を取材するきっかけは、農学の著名な研究者が農林業センサスの結果を前にこう言って考え込んだからだった。沖縄の調査結果に首をかしげる研究者は他にもいて、他県の動きや国内農業の常識とは異なる挙動をしていることに興味を惹かれた。

2020年の沖縄県の農家数と耕地面積は、15年に比べてともに2割以上減った。農家が高齢化して減っていくのは分かり切ったこと。けれども、農地が5年の間に21.4%も減ってしまうというのは、農学の常識では考えにくいことだった。

なぜなら、高齢の農家が離農しても、その農地は周囲の農家によって吸収されることが多いからだ。農地の減り方は、農家のそれに比べると緩やかになる。15年と20年を比べた農地の減少率は、全国平均で6.3%。地域別にみると、沖縄の次に高い四国は13.4%だった。

沖縄は、群を抜いて高い。統計結果を疑いたくなるのは、当然だった。

だが、取材を進めるうち、入力ミスではなく現実を反映していたと分かる。農地を大きく減らした原因の一端は、沖縄の象徴と言えるサトウキビにあった。

■農地の流動化が進まず、後継者もいない

農地が減る理由は、一般的に次の2つが考えられる。農家の農地に対する所有意識が強すぎて貸したがらず、農地の賃貸借や売買が行われる「農地の流動化」が進まないこと。そして、そもそも農業が儲からなくて農地の引き継ぎ手がいないこと。沖縄ではこの2つがどちらも課題となっている。

県内のJAグループを代表する機関であるJA沖縄中央会(那覇市)の会長を務める普天間朝重さんは、こう説明する。

「サトウキビの8割、肉用牛の7割という具合に、沖縄農業の重要な部分は離島が担っている。今の環境では、離島で担い手への農地の集約が進まないので、県全体でみても集約が遅れている」

進学や就職を機に離島を離れる人が多く、「親が農業をやめるとなったら、沖縄本島にいる子供が逆に親を呼び寄せる。将来の離農が見えている農家は、投資も規模拡大もできない」(普天間さん)

かたや、沖縄本島でも新たな道路や観光施設などの開発が続き、「農地の流動化がなかなか進まない状況」(普天間さん)にある。農地が転用されたり、転用を期待して売買や賃貸借が滞りがちになるからだ。

■2万4916円の生産費に対し、買取額はわずか5851円

もう一つの課題である農業が儲かりにくいことに関して、「付加価値の上げ方として、沖縄県でどういうことが考えられるんですかね」と尋ねたところ、沖縄の農業はサトウキビが中心になるとしたうえで、こんな答えが返ってきた。

「サトウキビは砂糖の原料作物として生産されていて、製糖工場が島に1つずつしかないなど制約が多く、独自に工夫しようとしてもなかなか難しい」

普天間さんがこう話すように、サトウキビは極めて制約の多い作物だ。農家の手取り収入は、実質的に政府が決めている。

2021年産のサトウキビを例に、1トン当たりの収支を見てみよう。

農水省によると、同年の生産費の平均は2万4916円だった。

サトウキビ農家は、生産量や糖度に応じて原料糖の代金を受け取る。沖縄県でその価格を決めるのは、JA沖縄中央会である。同会の組合員であるJAおきなわ(那覇市)は離島で6つの製糖工場を運営し、農家からサトウキビを買い取る。中央会が国際相場に基づいて決めた原料代は5851円で、生産費を大幅に下回る。国内外で生産コストに雲泥の差があるからだ。対して政府が支払う「生産者交付金」は1万6860円で、両者を足した農家の手取り額は2万2711円。

手取り額は過去最高額となったが、それでも2205円の赤字となる。交付金の算定基準が効率的な農家であるだけに、生産コストを抑えないと利益を出すことはできない。サトウキビは平均的な農家にとって儲からない作物になっている。原料代は農家の手取り収入の4分の1に過ぎない。残りの4分の3を占める交付金こそ、重要になる。

木で表した市場シェアの円グラフ
写真=iStock.com/Surasak Suwanmake
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Surasak Suwanmake

その農家の手取り収入を実質的に決めているのは政府、なかでも自民党だ。農水省は例年、交付金単価を同党の「野菜・果樹・畑作物等対策委員会」で示し、了承を得る。

普天間さんは、中央会を含むJAグループや団体で構成する「沖縄県さとうきび対策本部」の本部長という顔も持つ。農水省や自民党に交付金単価の引き上げを陳情する立場だ。

農水省は、沖縄で単価の引き上げを望む声が強いことをどう受け止めているのだろうか。サトウキビを担当する地域作物課は「生産する地域から、交付金を上げてほしいという要望は承っている。その額は基本的には、生産費と原料代の差を補うことで再生産を可能にするという、『糖価調整法』のルールに基づいて算定していくもの」と説明する。

■何もない沖縄の「ノー政」

「やっぱりサトウキビは、本土におけるかつての稲作になぞらえられるものだと思うんですね」

こう話すのは、東京農工大学農学研究院教授の新井祥穂さんだ。沖縄の各地で農業を実地調査してきた。

「県内のさまざまな地域で作られ、政策的な支持がある。その政策的支持にしても、ある時期においては産業政策としての農業政策というよりは、家計に、社会不安を払拭するような収入源をもたらす目的のもとで実施された。そういう点で、本土でのコメです」

コメと砂糖はいずれも、重要品目として高い関税で守られている。そして、ともに再生産を可能にするための価格支持や補助金の投入が続いてきた。

サトウキビの政治性が際立ったのが、沖縄の本土復帰前後である。そこに至るまでの戦後の沖縄農業を簡単に振り返りたい。

戦後、沖縄はアメリカ軍政府の統治下に置かれた。その農業政策は「ノー政」と呼ばれる。こう名付けたのは、沖縄の農業と地域経済の代表的な論客で、沖縄国際大学名誉教授である来間泰男さんだ。「何もない」という意味の「NO」と農をかけている。

アメリカにとって沖縄は自国の農産物の輸出先であればよく、その農業を振興するモチベーションは低かった。そのため農政は、防疫や肥料の取り締まり、農協の体制整備といった必要最低限の範囲にとどまった。積極的な農政がみられなかったことを揶揄(やゆ)して、ノー政というわけだ。

「戦前の沖縄には稲作が少なからずあったんですが、アメリカとしては稲作を復活させたくない事情がありました。カリフォルニア米をはじめ、自国の農産物を輸出していたから、農業にテコ入れはしなかった。防疫だとか、社会不安を起こさない程度にコメを確保するといった、沖縄の人々が飢えないように食料を流通させる政策はあったんですけれども、農業の振興にはつながらなかった」(新井さん)

■サトウキビブームの到来

農地を広くする基盤整備も、大型機械の導入も本土に比べて進まなかった。ところがこのノー政の時期に大きく生産を伸ばした品目が2つある。サトウキビとパイナップルだ。急成長の要因は、原料糖とパイン缶の需要が本土で高まったことと、日本政府による保護である。

日本政府は1965年、「沖縄産糖の糖価安定事業団による買入れ等に関する特別措置法」により、いまへと続くサトウキビの買い取りの仕組みを作った。

具体的には、糖価安定事業団(現在の独立行政法人農畜産業振興機構)が安価な輸入糖から調整金を徴収する。この調整金に国費も合わせて生産者交付金を支払う。調整金の分だけ輸入糖は高くなり、交付金の分だけ国産糖は安くなるので、国内で売られる砂糖の価格が同等になる。

なぜそこまでして国産の砂糖を生産するのか……。農水省地域作物課は、次のように説明する。

「サトウキビは台風や干ばつに非常に強い作物であり、そうした被害の多い沖縄、鹿児島において、代えのきかない重要な作物。農家だけでなく、製糖といった関連する工場もあり、地域の雇用と経済を支えている。そのような観点からサトウキビの生産を振興している」

【図表1】砂糖の価格調整制度の仕組み
農畜産業振興機構「日本の砂糖を支える仕組み」より

■サトウキビは「本土のコメ」の役割を期待された

1965年の特別措置法に話を戻す。

原料糖の輸入枠は沖縄産の購入実績に応じて決まることになり、製糖会社が沖縄産の原料糖を買う意欲を高めた。

沖縄の農家の農業所得を、広範囲に手っ取り早く引き上げるには、サトウキビ作・糖業の保護を強化することがもっとも効果があると考えられたと、新井さんは指摘する。

日本の農政はコメについて、価格を高止まりさせることで農家の所得を保障してきた。それと同じ手法を、復帰後の沖縄のサトウキビにも適用する。

「復帰直後、実質的にはキューバ危機などで世界的にサトウキビブームが起きたころの水準まで政策的にサトウキビの価格が引き上げられました。その後据え置かれましたが。とはいえ、復帰直後の伸びは、当時物価が上昇していた影響を差し引いても、極めて大きいものでした」

生産者価格が復帰直後の1972年産でトン7000円だったのが、74年産は1万5000円まで引き上げられた。新井さんはこの時期を「第二次サトウキビブーム」と呼ぶ。当時、「沖縄のサトウキビに期待されたのは、本土におけるコメの役割」(新井さん)だった。

■サトウキビの価格は「グレー」

サトウキビとコメは同じイネ科に属する。両者には類似点が多いと新井さんは話す。

「非常に近いですよね。ある時期まで10アールから上がる農業所得もほぼ一緒でしたし」

これら2つの作物では、生産者が多いぶん、国が価格を高く保つよう支持する「価格支持政策」を行えば、農家所得を引き上げることができた。

「世界的に価格支持政策ができなくなる中で、サトウキビの価格っていうのは非常にグレーなんですよね。稲作ではもうできなくなったようなことをいまだに続けているわけですから。『構造改善』をしているとアピールしないといけない」(新井さん)

構造改善とは、農業経営の規模が零細な日本の農業構造を農家の経営規模を広げて、改善することを言う。ところが現実には、サトウキビは構造改善と遠い結末に至ろうとしているようだ。それをあらわにしたのが、冒頭で示した農林業センサスの最新版だった。

■「サトウキビブーム世代」が大量離農

2020年に沖縄県の経営耕地面積は、15年に比べ21.4%の減少となった。これは、本土復帰する前年の大干ばつとその後の混乱から離農が激化した1970~75年の23.7%減に次ぐ下げ幅だ。

ここまで減った理由の1つが、農業人口の多い世代が高齢化で離農していること。新井さんは1935〜54年生まれの世代を第二次サトウキビブーム世代と呼ぶ。復帰後から1980年代半ばにかけて、サトウキビの生産者価格が大幅に引き上げられた際、離島部を中心に第二次サトウキビブームと呼べる状況が生まれ、就農者が多かったのだ。

ただしブームは10年足らずで収束する。1990年代になるとサトウキビから得られる農家の手取り収入が減り、次の世代の就農は頭打ちになった。

「第二次サトウキビブーム世代が高齢化し、いよいよ農業から退出している。その下でバトンを受ける世代の少なさが表面化した格好だ。さらに本島部では定年後に就農する『定年帰農』が、見えなくなっている」(新井さん)

定年帰農が減った理由としては、「再雇用をはじめ農業以外での高齢者の就業機会が増えたのかもしれない」という。

2020年までの5年間に沖縄県の農業経営体は24.7%減った。その結果、放出された農地を吸収するような経営体が足りず、経営耕地面積まで落ち込んでいる。

高齢の農家
写真=iStock.com/claudio.arnese
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/claudio.arnese

■サトウキビ畑は近い将来見られなくなるかもしれない

「ユイマール」という沖縄の言葉がある。「ユイ」は「結い」を意味し、助け合いや相互扶助などと訳される。もとはといえば、共同作業で行うサトウキビの収穫こそ、ユイマールだった。

離島を中心に収穫機の導入が進み、収穫は共同作業ではなくなりつつある。そうではあるが、サトウキビにはいまでも共同性が避けがたくついて回る。

新井さんは言う。

「サトウキビで1つ不幸なのは、収穫後すぐに加工しなければならず、製糖工場が近くにあることが必須になること。地域全体の生産量が減って製糖工場が消失したら、個別に意欲ある農家がいても、生産がかなわない。サトウキビに力を入れたい、あるいは減らしたいというのは、農家個人の思いだけでは実現しないんですよね」

地域として一定の生産量がないと、製糖工場は運営できなくなる。製糖工場がなくなっては、サトウキビを生産する意味がない。

「稲作であれば、強力な農家が現れて、乾燥調製施設を自前で持って生産から流通、販売まで自前で行うこともできる。でも、サトウキビでそれをやるのは限界があります」(新井さん)

沖縄でサトウキビを見かけると、濃い緑色の葉をきらめかせて風になびく姿に、すがすがしさを感じる。だが、見た目と違って、その生産の内実は厳しい。

沖縄と同じように、農地の流動化が進まず、農業が儲からない都府県は少なくない。とくに、九州を除く西日本がそうだ。農地の急減に直面する沖縄は、そうした地域の将来を一歩先に体現しているのかもしれない。

サトウキビの交付金単価の高さには、財務省が毎年のように注文を付けている。交付金の財源が未来永劫(えいごう)に確保できるとは限らない。

ほかの作物が台風の被害に遭っても収穫できるサトウキビは本来、農家のリスクを減らす作物のはずだ。このままでは、サトウキビに依存することの方が、大きなリスクになりかねない。

サトウキビで農家が儲かるようになるには、農地の流動化を進め、規模の拡大を促す必要がある。ただし、沖縄本島では優良な農地ほど米軍基地として接収されていて、農地が限られる。

目端の利く農家ほど、果樹や野菜といった面積当たりの収益性が高い作物を作っている。

沖縄は、サトウキビとの向き合い方を考え直す時期に来ているのではないか。

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山口 亮子(やまぐち・りょうこ)
ジャーナリスト
京都大学文学部卒、中国・北京大学修士課程(歴史学)修了。雑誌や広告などの企画編集やコンサルティングを手掛ける株式会社ウロ代表取締役。著書に『人口減少時代の農業と食』(ちくま新書)、『誰が農業を殺すのか』(新潮新書)などがある。

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(ジャーナリスト 山口 亮子)

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