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「#医療従事者に感謝」は欺瞞でしかない…骨折で初めての入院を経験したライターが痛感した違和感の正体

プレジデントオンライン / 2023年11月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vejaa

■腕の骨折で人生初の入院生活を送る

2020年、新型コロナ騒動が開始して以来、SNSでは「#医療従事者に感謝」なるハッシュタグが多数書き込まれた。だが、私はこのハッシュタグに対し、ずっと違和感を覚えてきた。

実は先日、人生で初めての骨折を経験した。左上腕の骨を折ってしまい、その治療のために入院したのだが、担当してくれた看護師が口にしたある言葉により、私が常々抱いていた違和感の正体を確信したのである。

退院の折、「本当にはお世話になりました。ありがとうございます」と謝意を伝えた私に、その看護師はこう言った。

「いえいえ、順調に回復されてなによりです。あ、『#医療従事者に感謝』なんてハッシュタグもいりませんからね(笑)。この街の城(唐津城)も『医療従事者に感謝』の気持ち表すとかなんとかで、夜に青いライトアップをしていましたが、『そういうの、不要なのに』とずっと思っていました。東京では『感謝』を目的にわざわざブルーインパルスを飛ばしたそうですね? 正直、いらなかったのではないでしょうか」

私のように、コロナに対して「騒ぎ過ぎ」「過剰な感染対策は不要」といった意見を表明し、毎度ボコボコに叩かれてきた人間だけでなく、当の医療従事者も「#医療従事者に感謝」に対する違和感を持っていたのだ。

■「#医療従事者に感謝」は欺瞞

コロナ期間中はとにかく「マスクとワクチンは至宝」「感染対策をしない人間は公衆衛生の敵」「マスクをせず、ワクチンを打たない者はバイオテロリストで犯罪者」といった論調が完璧にできあがっていた。しかし今、人々はしれっとマスクを外し、7回目のワクチン接種率はおよそ10%(11月21日時点)である。

いや、われわれ「無意味なマスクやワクチンを強制するな」「自分の頭で冷静に判断し、1日も早く以前の生活に戻るべきである」と主張する者たちを叩き続けた大多数の国民の皆さんよ、欠かさずマスクを付けて、ちゃんと7回目のワクチンを打ちなさいよ。両方とも素晴らしいものなんでしょ? お医者さんが「マスクとワクチンが大事」って言い続けていましたよね? 私と個人的に付き合いがある他の医療従事者も上記の看護師と同様の感想を述べていたのだが、本稿では「#医療従事者に感謝」というハッシュタグの欺瞞(ぎまん)性と、医療従事者に対して本来どのような態度で接するべきなのかについて書いてみる。

■医療に携わる人々の仕事ぶりに感銘を受ける

私が今回のケガで強く認識したのは「#医療従事者に感謝」というフレーズには欺瞞性が拭えない一方、「#私を担当してくれた医療従事者に感謝」という言い回しであれば、素直に同意できるという感覚の違いである。

今回、骨折をして入院したことにより、病院という場所の役割とそこで働く人々の貢献を深く知ることができた。誰もが実に見事な仕事ぶりで、いやはや、なんと誠実なプロ集団だろうと感じ入った。

まず、自分を搬送してくれた救急隊員の迅速な動きにより、夜間でありながらもすぐに病院に受け入れてもらうことができた。病院では、放射線技師が即座にレントゲンを撮影してくれて、外科医が基本的な処置を施し、ギプスを巻いてくれた。そして週末を挟んだ3日後、再び病院に出向き、今後の手術日程や治療方針を伝えられた。

実際に入院してみると、看護師が定期的に検温等にやってきては体調を尋ねてくれる。「痛さについて、最も痛いときが10とした場合、今はどれぐらいですか?」といった質問もあり、痛みが激しい場合は痛み止めの薬を用意してくれた。また私の場合、全身麻酔での手術だったため、担当の麻酔医が手術前日に注意点などをレクチャーしてくれたのだが、こちらの不安を察してわかりやすく解説してくれたことも印象深い。

著者の左上腕部レントゲン写真。右が手術前、左が術後。
筆者提供写真
著者の左上腕部レントゲン写真。右が手術前、左が術後。 - 筆者提供写真

■「#私を担当してくれた医療従事者に感謝」であれば納得

手術当日は執刀医が見事な施術で無事に処置を終えてくれた。骨を棒状のチタンとボルトで固定したので、あとは骨がくっつくのを待つのみである。術後の経過も順調で、ほどなくリハビリがスタート。担当してくれたPT(理学療法士)と私は妙に気が合い、腕を動かしてもらうリハビリの最中、ヘンな言い方だが毎日楽しかったのである。

曜日や時間によって看護師はさまざまだったが、患者ごとに情報がすべて共有されており、誰が担当しようと全員が私の置かれた状況を把握していた。申し送りが適確で、何に苦しんでいるかを知っているから、患者への向き合い方がとても丁寧なのだ。現在、私は手術を受けた総合病院を退院し、別のリハビリ病院に通っているが、こちらも同様に丁寧である。こうした一連の経験を通じて「#私を担当してくれた医療従事者に感謝」であれば納得できることに思い至った。

■傲慢な一部の医療従事者に対する不信感

では、なぜ「#医療従事者に感謝」に違和感を覚えてしまうのか。それは、コロナ騒動のなかで一部の医療関係者(主に医師)がひどく傲慢(ごうまん)に立ち回っていたからである。

テレビや新聞といったメディアに登場した医師たち、そしてX(旧ツイッター)などSNSで「医クラ(医療クラスター)」とも呼ばれた医師たちは、一般社会に対してあまりに扇動的な生活指導を展開した。そのさまは、有無を言わさずに制限を課す権力者、暴君のようですらあった。

たとえば日本医師会の中川俊男前会長は、2020年12月21日に「医療はあらゆる産業で一番重要だと私は思っている」とまで言い放っている。また、町田市医師会の佐々木崇氏は、町田市医師会報第553号に「不要不急の商売は次々と潰れていく」というタイトルのコラムを寄稿。自身が訪れた理容院の感染対策が不十分だと指摘し、理容院を「不要不急」扱いした。ここにも「医療こそ至高」という考えが透けて見える。医師は選民だとでも言うのか?

コロナ騒動を通じて強化された発言力に気をよくしたのか、医師たちは以下のような要求を国民に突き付けた。

・家にいましょう
・県をまたぐ移動はやめましょう
・会食はやめましょう
・マスクを着けましょう
・レジではビニールカーテンをつけましょう
・席にはアクリル板を設置しましょう
・給食は黙って食べ、14分59秒以内に終わらせましょう(15分を超えると濃厚接触者になってしまう可能性があります)
・おじいちゃん、おばあちゃんを守るため、帰省はやめましょう
・コロナに感染させて殺すのは大ごとなので、高齢者の見舞いはやめましょう
・他人のために「思いやりワクチン」を打ちましょう
・酒は20時までの提供とし、4人以下で飲みましょう。制限時間は2時間です
・文化祭、体育祭、授業参観、修学旅行、入学式、卒業式等学校行事は中止です
・祭をしてはいけません。人が集まる行為はどこかの誰かの大切な人を殺します
小池百合子知事が3密を避けるよう訴える動画がアルタビジョンに映っている
写真=iStock.com/Fiers
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Fiers

■「お願い」「奨励」を「強制」「義務」と解釈する社会

これらは表向き、あくまで「お願い」「推奨」という形をとっていた。だが、権威とされるものを簡単に信じて従順なイヌのごとく付き従い、空気ばかり読んですぐ同調圧力に屈してしまう日本国民は、“コロナ相互監視社会”を見事なまでに完成させた。そうして「お願い」や「推奨」を、「強制」「義務」と解釈し、従わない者を徹底的に糾弾した。こんな異常な社会で、われわれは約3年半もの時間を無為に過ごしてきたのだ。

コロナ騒動を煽る医療従事者からは、連日のようにテレビの情報番組などに出演するスター解説者(笑)も多数輩出された。また、SNSの医クラ連中も、居丈高に感染対策の強化やワクチン接種を強要し続けた。なかには「マスクをしない人は高圧放水で攻撃してもいい」といったことまでのたまう医者もいた。

■一部の不遜な医師が、真っ当な同業者の評判を落とす

このような、傲慢で高圧的な医療従事者が鼻に付くようになり、コロナ騒動の実情を冷静に見極めようとする人々のあいだで、彼らへのヘイトがたまっていったのである。「なんでお前の患者でもないのに、お前は私の人生を不自由なものにするのだ」「医師はまず、自分の患者に向き合うのが仕事だろう。なぜ全国民に対してお前が制限を課すのか」「特別な権限でも持っているつもりなのか? 何様だよ」といった医療従事者への不信感がやがて怒りとなり、SNSやYahoo!ニュースのコメント欄を中心に、彼らへの非難が多数書き込まれるようになったのだ。

これらの動きに気分を害したのか、はたまた引っ込みがつかなくなったのか、一部の医師たちはSNSに「医者に対して文句を言う人間は、体調不良になっても、コロナに感染しても、病院にかかるな!」といった暴論まで書き込むようになる。なんとおごり高ぶった発言であろうか。われわれ現役世代は、数ばかり多い高齢者のために多額の社会保険料を支払っている。医療業界はこの原資により成り立っているのだ。なにが「病院にかかるな!」だ。あなたのような不遜な医者が、大多数の真っ当な同業者の評判を落としていることに気付け。

さらには最近、X(旧ツイッター)を中心に、「真っ当な批判」であっても「誹謗(ひぼう)中傷」である、といきり立ち、開示請求と訴訟を明言する医師が続出している。被害者モード全開で「39件開示請求」などと述べる者さえ出る始末である。

■親身に対応してくれた医療従事者に抱く敬意

今回、入院を経験したことで、このように思い上がった医療従事者はごく一握りであることがよくわかった。私を担当してくれた人々は、いずれも優れた人間性を備えていた。夜間に救急搬送で病院に担ぎ込まれた私は、レントゲンを撮ってくれた技師に対し「夜分に申し訳ありません」と恐縮した。すると技師は「いえいえ、そのために私はいます」とだけ口にして、「はい、息を止めてください~」とスピーディーに撮影をしてくれた。皆、そんな調子なのである。

だから「#医療従事者に感謝」でなく、あくまで「#私を担当してくれた医療従事者に感謝」なのだ。さらに言い換えるなら「#目立ちたがりの医療従事者は黙れ」といったところか。メディアやSNSで傲慢な発言をする、縁もゆかりもない医者からさんざん制限を課されたと感じている人間は、とてもじゃないが医療従事者全般に対して感謝などできない。しかし、自分が直に接し、見返りや称賛などを求めることもなく、ひたすら親身に対応してくれた医療従事者に対しては、人間として心からの感謝、そして敬意を抱くことができるだろう。医師と患者(というか市井の人々)の関係性とは、本来そういうものだと思うのだ。

■退院できるのに、しない人々がいることを知る

骨折・入院・手術・リハビリを経て、「#医療従事者に感謝」に対する違和感の正体がわかった。そして、私を看てくれたすべての医療従事者に、ここで改めて感謝の意を伝えたい。本当にありがとうございました。

最後に余談を少々。今回の入院経験で若干、違和感を覚えたのが、長期入院者のなかには病院生活を楽しんでいる雰囲気の人が少なからず存在する、という点だ。

今回、私の入院期間は8泊9日だった。仕事があること、さらには貴重な病床を本当に困っている人に譲りたいとの気持ちから、当初3週間~1カ月程度と提示された日程を短縮したのだ。しかし、同様の手術を受けた患者のなかには2カ月入院している人もいた。高齢者のため、私より治りが遅いといった点は考慮すべきだろうが、さすがに8泊と60泊では差があり過ぎる。

1日1回リハビリを受ける、という大義名分はあるものの、リハビリだけなら通院でも対応可能である。だが、同室の人々と仲良くなって茶飲み話をしたり、定期的にやってくる女性看護師が優しく接してくれたり、話し相手になってくれたりするのがうれしいのでは、と感じた。

そうした感情を抱く入院患者はわりと多い、といった話は看護師からも聞いた。実際、退院しようと思えばできないこともないのに、入院の継続を希望する患者もいるという。本人が入院生活を続けたいと言っている以上、病院側も無下に追い出すわけにはいかない。こうした患者に多額の社会保険料が使われている実態も目の当たりにした、今回の骨折騒動であった。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」

・コロナ騒動下で流布された「#医療従事者に感謝」には違和感しかなかった。しかし初めての入院生活を経て「#私を担当してくれた医療従事者に感謝」であれば素直に納得できることに気づいた。

・「#医療従事者に感謝」が欺瞞に映るのは、コロナ騒動で勢いづいた一部の医師たちの振る舞いが、極めて傲慢で不誠実だったからである。

・大多数の医療従事者は、見返りや称賛を求めることもなく、目の前の患者に親身に対応している。そのプロフェッショナルな仕事ぶりに敬意を表したい。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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