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「40億円超の豪華新居」はなぜ建設されたのか…「秋篠宮ご一家のぜいたくは目に余る」を徹底検証する【2023編集部セレクション】

プレジデントオンライン / 2023年12月2日 9時15分

天皇誕生日の一般参賀で手を振られる秋篠宮ご夫妻と次女佳子さま=2023年2月23日午前、皇居 - 写真=時事通信フォト

2023年上半期(1月~6月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2023年4月29日)
秋篠宮ご夫妻は今春から、増改築した赤坂御用地の秋篠宮邸に住まわれている。評論家の八幡和郎さんは「総費用が44億円に上ることが『贅沢だ』などと批判されているが、そもそもの発端は上皇陛下が退位された後、かつての東宮御所に戻られたことに伴うものだ。また、皇嗣殿下ご夫妻が海外の賓客を招待することを考えると、質の高い建物である必要がある」という――。

■秋篠宮家批判は客観性や公平性を欠いている

秋篠宮皇嗣殿下ご一家へのバッシングが止まらない。4月の約1カ月の間にも、国民の批判を煽るような記事が掲載されている。

秋篠宮ご夫妻 戴冠式への渡英費用は推定2.3億円も…英国民から“格下参列”に批判の懸念(女性自身、2023/4/25)

天皇家は大歓迎だが、秋篠宮家はイメージが悪い…海外での日本皇室の評価が兄弟でまったく違う理由(プレジデントオンライン、2023/3/26)

50億円の新居に一人だけ移らず…宮内庁に衝撃が走った秋篠宮さまと佳子さま「引っ越しバトル」の行方(FRIDAY、2023/3/17)

女性自身の別の記事では、英国王戴冠式への皇嗣殿下ご夫妻の出席を報じたデイリーメールの記事のコメント欄に英国人たちが歓迎する意見を投稿したのに対して、日本人が英語で眞子さんの結婚問題や悠仁さまの進学を揶揄するコメントを書き込んでいるとも指摘している。

そもそも、秋篠宮皇嗣殿下ご一家について、海外から否定的な評価はほとんどない。あったとしても、日本国内の報道やSNSでの発信を紹介している程度だ。

秋篠宮家への批判として取り上げられている話題は、ほとんど客観性や公平性に乏しい誹謗(ひぼう)中傷にすぎないが、今回はそのうち、秋篠宮邸改修工事について、批判がいかに見当違いのものであるか、検討してみたい。

■44億円超の新居は「玉突き大移動」の影響

平成の陛下(上皇陛下)のご退位に伴って、それぞれの引っ越しと邸宅の改修が行われたので、玉突き式の大移動が行われた。上皇陛下ご夫妻が皇居内の御所からいったん仮住まいの高輪皇族邸へ、今上陛下ご一家が旧東宮御所から御所へ、そして上皇陛下ご夫妻が旧東宮御所改め「仙洞御所」へ引っ越された。

それとは別に、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」となり職員が増えたことなどを受け、ご一家の邸宅の大改修が行われた。地上2階、地下1階の建物に私邸部分のほか、賓客の接遇などに使われる公室部分や職員らが勤務する事務部分などがあり、広さは約2倍(延べ床面積約1378平方メートル)になったという。

改修費用は、御所が約8億7000万円、仙洞御所が9億円ほど、秋篠宮邸が約44億円(仮住まい先の「御仮寓所」建設費含む)かかかったそうだ。これをもって、秋篠宮家を批判する人たちがいるのだが、本来は代替わりに伴って、旧東宮御所に皇嗣殿下となられた秋篠宮ご一家が入られるはずだった。

しかし、上皇陛下ご夫妻にとっては、皇太子時代に住まわれた旧東宮御所が好ましいということで、そちらに住まわれることになり、しかたなく皇嗣殿下は賓客などを迎えられる質と規模となるように、新館を増築されたというだけのことだ。

上皇陛下ご夫妻が、別の施設を使われる選択もあっただろうが、種々、検討して今回のような配置換えを政府と宮内庁が選んだということであって、秋篠宮家が非難される筋合いは全くないのである。

■御所・御用邸など「皇室のお住まい」の全容

このことを論じるために、皇室がもっておられるお住まいの全容を紹介しておこう。皇室のお住まいは、東京と京都の御所と那須、葉山、須崎の御用邸(別荘)がある。

京都御苑のなかには、明治維新以前の皇居であった京都御所のほか、皇族方の京都滞在に使われる京都大宮御所、そして現在は庭だけだが京都仙洞御所、桂離宮、修学院離宮がある。

東京の皇居内には、儀式に使われる宮殿、天皇ご一家が住まれる御所、現在は使われていないが昭和天皇ご一家や昭和天皇の死後に香淳皇后が使われていた吹上大宮御所がある。現在、東宮御所は設けられていない。

皇居全体図
皇居全体図(出典=宮内庁ホームページ)

そして、赤坂御用地には、仙洞御所(旧東宮御所)が北西側に、秋篠宮邸、三笠宮邸、三笠宮東邸、高円宮邸が青山通りに近い南側にある。さらに、常陸宮邸は渋谷区東に、高輪皇族邸(旧高松宮邸)は港区高輪にある。

赤坂御用地の略図
赤坂御用地の略図(出典=宮内庁ホームページ)

那須の御用邸は上皇陛下や今上陛下ご一家がしばしば滞在される。葉山の御用邸は大正天皇が愛され崩御された場所でもある。須崎の御用邸は、静岡県下田市にあって、貞明皇太后がお住まいになっていた沼津の御用邸に代わる「海の家」といったところだ。

■明治~昭和にかけてお住まいは何度も焼失

明治以来の歴史をざっと振り返ると、江戸城では1863年に本丸御殿が焼失し、本来は嗣子や大御所が住んでいた西の丸御殿に将軍が移っていたので、それを「東京奠都」、のちの御所とした。

だが、西の丸御殿も1873年に焼失したので、外観は和式で内部は洋式の明治宮殿(御所と儀式の場所である宮殿が隣接)を1888年に建設し、明治天皇は、工事の間は旧紀伊藩邸(迎賓館の場所)に住まわれた。

大正天皇のために皇太子が住まわれる東宮御所として建てられたのが、現在の迎賓館である。昭和天皇は、独身時代は高輪御所におられ、結婚後は東宮御所に移られた。

明治宮殿は終戦の年に空襲で焼失したので、両陛下は防空壕とつながっていた御文庫という建物に移られた。たしかに居住性はあまりよくなかったが、俗説でいわれる「地下の防空壕で我慢された」というのは都市伝説である。

■秋篠宮さまは結婚後も公務員住宅に居住

戦後しばらく両陛下は御文庫に住まわれ、宮殿には宮内庁庁舎の一部が使われていたが、1961年の昭和天皇還暦に際して吹上御所が新築され、1969年には現在も使われている新宮殿が竣工(しゅんこう)した。

一方、皇太子殿下(現上皇陛下)は、戦争から戦後にかけては転々とされたが、ご結婚前は現常陸宮邸に、結婚後は新築された現仙洞御所におられた。場所としては貞明皇太后の大宮御所だった場所である。

また、今上陛下は昭和天皇がご在位中は、赤坂東御所というところにおられ、平成になって現仙洞御所を東宮御所とされた。

秋篠宮皇嗣殿下はというと、結婚直後は赤坂御用地内にある公務員住宅に住まわれていた。これは、鷹司和子(昭和天皇皇女)が未亡人となられたあと、安全上の配慮で特例としてお住まいだった粗末な建物だった。眞子さん、佳子さまの誕生後、1997年からは旧秩父宮邸をリフォームした建物を使っておられたが、外国からの賓客をお呼びするには不向きだし、将来の天皇に予定される悠仁さまの誕生後はとくに不適切だといわれ続け、冷遇が問題になっていた。

そのような状況下、冒頭に説明した通り、平成の陛下のご退位に伴う引っ越しの中で旧東宮御所に移れなかったため、新館の建設が決まったのだ。つまるところ、総額約44億円の新居費というのは、ご退位とその後の体制のあり方の選択から発生したコストということになる。

宮殿東庭から見た長和殿
宮殿東庭から見た長和殿(写真=Øyvind Holmstad/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■公務の多い秋篠宮家の「無防備」ぶり

上皇陛下のご退位は例えてみれば、「社長・副社長・専務」といった関係だったのを、「会長・社長・副社長」という体制にしたようなものだった。もちろん、上皇陛下を「相談役」的な位置づけにすることもありえたが、そうはしなかった。民間企業でもこのような体制に変わったら、それなりにコストがかかるわけで、秋篠宮家の贅沢でも何でもない。

コストの問題はお住まいだけではなく、皇室のスタッフにも影響している。平成時代には、侍従職80人、東宮職50人、秋篠宮邸には20人だったが、令和になると上皇職65人、侍従職70人(医療スタッフが平成の時より少ないようだ)、皇嗣職50人ほどになった(コロナ後、少し変わっているかもしれない)。

また、皇宮警察の体制も、秋篠宮家より上皇ご夫妻の方に手厚くなっている。しかし、公務や通学などで外部との接触の頻度がまったく違うという危険の大きさからしても、守るべき人数からしても、秋篠宮家への希薄な警備は安倍元首相や岸田首相への襲撃も起こる世情のなかでひどく心配な状況だ。

■引っ越しされない佳子さまへの批判は理解不能

佳子さまが秋篠宮邸改修後も、以前の居室に住み続けておられることを批判する人もいるが、これもいかがなものか。29歳で数年以内に結婚して家から出る可能性が強い娘が、母屋を新しくしたからといって「これまで通りの部屋でいい」、あるいは、「親と一緒だと窮屈だから、玄関が別の離れのほうがいい」と希望されることのどこが批判されるべきことなのか理解不能である。

むしろ愛子さまが新型コロナ期間の3年間、外出もせず、ほとんど両親とだけの接触の中で生活されてきたのと比べても、より健全なことで、反抗的とかわがままだとかいう話ではまったくない。

新しい秋篠宮邸が贅沢だというが、吹上御所、現在の御所、仙洞御所でも完成したときは、贅沢だという批判はつねにあったものの、今回ほど意地悪なものではなかった。

皇后陛下の健康問題もあって、秋篠宮家が皇室外交の極めて大きな部分を分担してきたことは、篠塚隆氏との共著『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館)でも紹介してきた。

今後も、秋篠宮邸への海外の賓客の訪問は、天皇皇后両陛下の活動が上皇陛下時代と比べて控えめである以上、平成の時代の東宮御所より多くなるわけで、賓客が歓待されたと思っていただけるには、それなりに質の高いものであることは不可欠だ。

金色を少し増やすかどうかなどは趣味の問題であるが、ウィーンでの生活が長い紀子さまが欧州式の装飾を好まれて、すこしばかり自己主張されて何が悪いのだろうか。

■「秋篠宮さまは即位の可能性が低い」は本当か

「秋篠宮殿下は即位の可能性が低いのに……」とか言っている人もいるようだが、皇嗣となられたことを天皇陛下が内外に示される立皇嗣礼は正式に行われている。

皇位継承制度を改正して排除したいと論者が勝手に希望されるのは自由だが、実際に制度改正がされるまでは現行制度を前提にされるべきだし、制度改正をするにしても、現在の皇位継承順位を変更するべきでないと正式な機関で方向付けがされたばかりだ。

もちろん、ベルギー王室でも伯父(ボードワン元国王)から甥(フィリップ現国王)へ皇太弟(アルベール前国王)を飛ばして王位継承する可能性が議論されたこともあったし、日本でもありえないわけでないが、結局実現しなかった。

あくまで、今から20年ほどたった時点での陛下、皇嗣殿下の健康状態や悠仁殿下の家族の状況などを考慮した場合に、そういう可能性もありうるというだけの話にすぎない。

たとえ、秋篠宮皇嗣殿下が即位されない可能性があるとしても、これから少なくとも20年くらいは皇嗣殿下として皇室外交など公務をされることを無視した暴論である。

■「秋篠宮家は贅沢」は的外れである

そもそも、秋篠宮家の生活ぶりも贅沢といわれるようなものでなく、むしろ皇室メンバーの中でもっとも質素である。紀子さまや眞子さん、佳子さまが、ブランド物が好きでゴージャスなものを身に着けられているわけでない。悠仁さまも含めて、旅行や遊びも決して贅沢ではないし、一般国民を排除するようなかたちで何かをするということも好まれない(逆にもっと安全に気を使ってほしいくらいだ)。

当然のことながら、学習院よりお茶の水女子大学や筑波大学の付属校の方が授業料も安い。眞子さんと小室圭氏との結婚には賛成しかねるので私も反対したが、女性皇族が結婚したいというのを最終的には阻止するのは法律的にも無理である。そういうなかで、秋篠宮ご夫妻と眞子さんが1億数千万円の一時金を辞退するという見事な決断をして、けじめをつけられたのはむしろ賞賛するべきことだ。

また、別の機会に論じたいが、今回解説してきた御所の改築問題と同様に、秋篠宮家への批判はほとんどが的外れである。少なくとも、他の皇室の方々と比較しても、贅沢とか情報発信が足りないということもなく、極めて不公平なものというべきであろう。

皇室に対する批判はタブーである必要はないし、むしろもっとオープンな議論がされるべきだ。しかし突然、特定の方を取り上げてアンフェアな攻撃が行われることは、過去にもあったことではあるが、やはりいかがなものかと考える。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

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