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音読をバカにしてはいけない…中世まで人類は「ぶつぶつ声を出して本を読んでいた」という知られざる事実

プレジデントオンライン / 2023年12月6日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kohei_hara

言語はどうやって生まれたのか。編集者の松岡正剛さんは「民族や部族によって言語が異なっていった理由や、音声と文字の関係など、言語をめぐる謎はまだ十分に解明されていない」という。数学者・津田一郎さんとの対談をまとめた『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)の一部を紹介する――。

■「心」と「言語」は似ている

【津田】さっき松岡さんは、言語にはマントラのような核があって、奥に蕾みたいなものがあって、それがパッと弾けて外に出ると言われましたよね。私が興味があるのは、心にはその蕾があるのかどうかということです。心について考えてみると、弾けたことで蕾があることが初めてわかるというか、蕾だったことが発現されるような破れ方をしているのではないかとも思える。

【松岡】うん、うん。

【津田】言語もそれに似てますよね。いや、心に蕾の破れがあるから、言語もそういうふうに捉えられたんではないかと思うんですよ。言語ってヘタに使うと閉じていく。人との関係性もそうだし、言語の創発性においても、うまくいかない。それで生成性がなくなるんだけど、でも「破れ目」をうまくつくって、弾いて外に放り出してあげるような機能をもてる言語であれば、いろんな意味を生み出せる。そのあたりをもう少し松岡さんに聞いてみたい。

■ヒトはどうやって言語を獲得したのか

【松岡】言語はもともと破れ目ができやすいようになっているんだと思います。というよりも、破れ目が言語を生じさせたようなところがある。自然環境の一画で定住を始めたヒトが集団性を感じるようになって、気候変動や穀物収穫や生老病死を前に互いにいろいろなジェスチャーや発声をしたわけですが、それはまだたどたどしい段階です。

けれどもやがて、そういう出来事の決定的な変化と、ヒトのプリミティブでぐずぐずした情報伝達のあいだに生じた破れ目みたいなものが、原言語を駆動させたと思います。このとき少数の母音に子音が多めに組み合わさり、知覚体験とSVOが対応するようになったり、名辞のネーミングがカンブリア爆発的にふえたり、「身ぶり」や「歌」が分節力をもったりしたんでしょうね。

で、これらのことから推測すれば、言葉を駆動させたのは「心」や「意識」を管轄することになる脳の活動でしょうから、その脳と心のあいだで蕾が破れるようなことがいくつもおこっていたということになります。

この蕾に似た「胚胎のモナド」のようなものについては、ギリシア哲学のプシュケー、ヒンドゥ哲学のプラーナ、古代インド言語学のスポータ、中国の「気」、東南アジアのピー、日本の言霊など、いろんな呼び名で議論されてきました。みんな似たようなものです。ちなみにスポータは「スポーツ」の語源ですね。スポーツはみなぎった状態が弾けるという意味です。

そして言うまでもなく、そういう心は脳が司っているのだろうから、脳にも蕾にあたるもの、破れ目と深い関係をもつものがなんらかのかたちで先行していたということになる。それは津田さんの推察どおりです。ただ、言語をめぐるめんどうな問題はここからです。たくさん問題が噴出する。

■言語には解明されていない謎ばかり

【津田】たとえば?

【松岡】たとえば、民族や部族によって言語(母語など)が異なっていったのはなぜかということ、「バベルの塔」はなぜ崩壊したのかということですね。またたとえば、音声と文字の関係はどのように対応したのかということ、これも難問です。ここには表意文字と表音文字の違い、書き言葉(文語)と話し言葉(口語)の分かれ方、方言やクレオールの多様性のこと、喃語の役割、オノマトペイアの効用、バズワードの流行などが入ります。

どのように言葉は鎖のように長く喋れたり、文章がつくれるようになったのかということもある。アーティキュレーション(分節)や関係詞や代名詞や句読点はどのようにできて、何のために形成されたのかということも、まだ十分にはわかっていない。

ギュスターブ・ドレが描いたバベルの塔
ギュスターブ・ドレが描いたバベルの塔(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

【津田】解明されていないんですか。

【松岡】いろいろ仮説はありますが、統合理論は皆無です。言語学はとてもおもしろい研究分野ですが、おおむね閉じていて、他の分野との連動や掛け合わせを大胆に試みません。言語っぽいものとノンバーバル・コミュニケーションの関連についても、言語学のほうからはめったに言及しない。

むしろ鳥のさえずりを研究している動物学者や「刷り込み」を研究しているエソロジストが言葉のことを考える。たとえば、分子生物学が解いてみせた遺伝子の文法がありますね。二重螺旋やコドンの活用や始発と終点の指示などで説明ができていますが、あのしくみは自然言語のしくみとはほとんど類縁性がない。けれどもあれは「生体系の言語学」ですよね。しかし言語学では、そうは考えられていません。

■言語が変化しても、言語学は変わらない

【松岡】これはぼくがときどき気になっていることですが、分子生物学のほうも文法的には解いていない。次から次へと新しい機能を発見して、それを別々の分子や機能用語にしている。イントロン、染色体のテロメア、メッセンジャーRNA、トランスファーRNA、ALDH2遺伝子というふうにね。

これは言語学でいえば次々に品詞をふやして説明しているようなもので、遺伝子言語学とはいうものの、そうはなっていませんね。けれども生体情報のしくみにはそうはならないところがあるんだと考えれば、従来の言語学のほうが考え方を改めて、これまでの分類や文法学に手を入れてもいいはずなんですが、そういうこともおこりません。

というようなわけで、いろいろ問題は山積しているのですが、21世紀の言語文化のための座標はぐちゃぐちゃなままだということです。

【津田】松岡さんはぐちゃぐちゃじゃないでしょう?

【松岡】ぐにゃぐにゃです(笑)。

【津田】そうですか?

【松岡】行ったり来たり。

■「声」を遠くに伝えるために文字が生まれた

【松岡】まあ、それでも何を考えようとしてきたのかと言いますとね、第一には「声」とは何かということです。なんといっても音声や鳴き声は生物的なシグナルです。身体が連動している。ただし音域が狭いので、これを遠くに伝えるために文字にした。文字は空間をまたいで運べます。そこで「耳のシグナル」を「目のサイン」にして、これを連動させたわけです。でも、文字文化の根底に「耳のシグナル」があったとしたら、言葉の問題はどこかで必ず「声」の問題に帰着するところがあるだろうと思うんですね。

第二には「トークン」はどんな役割をはたしたかですね。言葉は交わすもので、コミュニケーションのためのもの、何かの「代わり」をして、人間の交換行為を支えている。では、言葉がトークンだとしたら、何の代わりなのか、逆に何かの代わりとして言葉がこれほど普及したのかということです。たとえば貨幣もトークンで、かつ異様に普及したものですが、そのあたりの関係は説明つくのかということですね。

第三に「記録」と「記憶」と「表現」の関係です。言葉はこれらのいずれでもすばらしい力を発揮してきましたが、文明と技術の変遷のなかで、その座をさまざまなメディアに譲ってきた。文様、絵画、信号コミュニケーション、ダンス、演劇、そして数学的表現などにね。では言葉ならではの記録・記憶・表現としてどんなものがあるのかということですね。このためにぼくはいつも文学や歌やパスワードやジャーゴンを点検しています。

■言葉と「意味」が離れてきている

【松岡】第四に「意味」とは何かですね。意味は言語文化の歴史が持ち出した最大の価値観の系譜事例で、哲学の大半は意味をめぐる意味論だと言ってもいいほどですが、現代社会ではいまや言葉を離れて意味が交わされています。しかし、まだ意味の本質は探求しきれていないし、言葉がつくった意味ではない意味が広がってもいるので、その蝶番(ちょうつがい)を編集的に補いたいのです。ここには音楽やファッションやアートやデジタルメディアのいっさいが入ってくる。

そして第五にはやはり「情報」ですね。情報としての言語の正体を追いかけるのもありなんだけれど、ぼくが考えているのは、物理と数理と生理で説明されている情報的動向を、できるだけ言葉にしておこうということです。これはこの対話の冒頭から言ってきたことです。

【津田】いろいろ聞きたいことはあるんですが、やっぱり声と文字の関係が気になります。文字を持てなかった種族もいますよね。

■文字に意味を持たせる音声の作用

【松岡】そうですね。日本人も縄文時代以来、漢字がくるまで文字を持っていなかったわけです。声によるオーラル・コミュニケーションを1万年以上続けていた。しかし文字が入ってくるのはとてもマジカルな出来事で、たとえば「漢委奴国王」の金印をもって、これがキングからの「印」だと言われると、力を感じたんだと思う。白川静さんは一貫して「漢字には呪能があった」と言ってました。錬金術の記号が魔術だったようなものですね。

ぼくは「おまえの名前はこういう字を書くんだよ」と「正剛」という漢字を教えられたときは、かなり怖かった覚えがありますよ。セイゴーという響きが角々の線分であらわされた「正剛」ですからね。松岡正剛と四つ並べると、「岡」が二つも入っている。これ、親がまちがったんじゃないのと思いました(笑)。

【津田】音声はアナログで、文字はデジタルですから、デジタルのほうが圧倒的に記述能力は高いわけですよね。だけど一方で音声との対応なくしては文字は単なる記号です。「読み」がなければ意味を持たせることはできなかった。だから、音声がある種の触媒的な作用をしていたように思います。そう考えていいですか。

■「もう一度、音読社会を取り戻せ」

【松岡】はい、そのとおりです。文字が生まれた初期の頃は、すべての文字を音読していたわけですね。ルネサンスや17世紀後半ぐらいまでは、どんな文字も音読しないとわからなかったはずです。だからアコースティックな回路と文字の並びとは一蓮託生(いちれんたくしょう)だったわけです。しかし、活版印刷の普及によって文字と言語と意味が合体するようになって、音声が文字から離れて話し言葉の領域になっていったんですね。

では、それまで文字を読むときに音声が伴っていたのはなぜかというと、写本だったからです。写本をするときはAテキストをBに写すのですが、そのときぶつぶつ声をだしながら写していた。これは「カテーナ」(鎖)と言われていたもので、文章を声の鎖のようにしてAからBへ移していく。声にはその転移力があったんですね。

ですから長いあいだ、読書は音読が中心です。当時の図書館も大判の本が多いんですが、キャレルという閲覧ブースの中に入って、みんな声をぶつぶつ出しながら読んでいた。閲覧机の仕切りには隣りの声が邪魔にならないように衝立がしてあったものです。つまり、音読って「声の再生」だったんです。

声の力をいまなお堂々と告げているのはイスラムの『コーラン』(クルアーン)ですね。あれは声を出さないと読んだことにはなりません。しかもイスラムは世界史上初めて文字を持ってあらわれた世界宗教で、『コーラン』の第一節、第二節、第三節はナスターリックやクーフィックなどのさまざまな書体で書かれているんですね。音声と文字を一致させようとしている。ぼくは、「もう一度、音読社会を取り戻せ」と言っている。

古書
写真=iStock.com/BlackQuetzal
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BlackQuetzal

■声を出して読むと五感をもって感じられる

【津田】われわれも小学校のころは声を出してしか文字を読めなかったですよ。学校では「黙って読みなさい」と黙読を促されるんだけど、最初それはどういうことなのかよくわからなかった。音読しかできないので、黙読に戸惑っていました。

たしかに慣れると読むスピードは速い。ぱっと見て文字情報を入れられるから、情報を入れる速度は速くなる。音に出せば、当然ながら音のスピードでしか読めませんからね。だけど声に出すと、黙読のときとは全然違うものが感じられる。黙読だとさっと読んでしまうようなところが、もっと五感をもって感じられる。

私はいまでも黙読していても、アタマの中で音を出して読んでいます。だから読むのが遅いんです。アタマの中で声を出して読まないと、感じが掴めてこない。なんとなく黙読できるようになってはいるけど、実は文字通りの黙読はしていないようなところがあるんです。

■喋るときと書くときで別人になる理由

【松岡】それは津田さんの才能かもしれない。音読はリニアだけれど、「次から次」という展開軸がしっかり刻印できるということがおこります。黙読はスペーシヴで、文脈や場面の単位で読める。映像的で、プロジェクション型なんです。マンガがそうですね。

松岡正剛、津田一郎『科学と生命と言語の秘密』(文春新書)
松岡正剛、津田一郎『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)

しかし、こうしたことには言葉の歴史を通した文化人類学的な継続と転換があるんですね。また、聾唖(ろうあ)などの障害との関係もある。ぼくはおそらく日本で初めての試みだと思うんですが、目が不自由な人、読唇術で会話をする人、手話の人、筆談の人といったパネリストの中で、ぼく一人が健常者というシンポジウムをしたことがあるんですが、たいへん示唆深いものでした。

ちなみに津田さんはしゃべっていてもとてもリテラルだよね。だから書いていることと話すこととがあまり分離してない。書いているとすごいけど、喋ると何を言っているかわからない知識人はけっこう多いんですよ(笑)。実名を出しますが、吉本隆明は話しているときは共振状態というか、ハウリングというか、話がとてもポリフォニックでした。だから文字起こしするのがたいへん。でも書くと人が変わったかのように、すごく明晰(めいせき)になる。

【津田】きっとそこに「破れ目」が隠れているんです。それがどう弾けるのかということです。

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松岡 正剛(まつおか・せいごう)
編集工学研究所所長
京都府生まれ。オブジェマガジン『遊』編集長、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現在、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長。情報文化と情報技術をつなぐ研究開発に多数携わる一方、日本文化研究の第一人者でもある。おもな著書に『自然学曼陀羅』『外は、良寛。』『日本数寄』『日本流』『山水思想』『空海の夢』『知の編集工学』『遊学』『花鳥風月の科学』『フラジャイル』『ルナティックス』ほか。また『全宇宙誌』『アート・ジャパネスク』『日本の組織』『情報の歴史』など多数編集。

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津田 一郎(つだ・いちろう)
中部大学創発学術院教授
岡山県生まれ。大阪大学卒業、京都大学大学院博士課程修了。理学博士(京都大学)。九州工業大学助教授(情報工学)、北海道大学教授(数学)などを経て、現在、中部大学創発学術院教授・副院長、AI数理データサイエンスセンター長。北海道大学名誉教授。複雑系科学研究の先駆者のひとり。カオス力学系をベースに、脳神経系のさまざまなダイナミクスの情報構造の解明に従事している。神経回路網のダイナミクスに関する研究により、日本神経回路学会学術賞、HFSP Program Awardなどを受賞。著書に『心はすべて数学である』(文藝春秋)など。

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(編集工学研究所所長 松岡 正剛、中部大学創発学術院教授 津田 一郎)

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