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「自分が本当にやりたいこと」はどうすれば見つかるのか…フランスの高校生が学ぶ「哲学の教科書」にある答え

プレジデントオンライン / 2023年12月7日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PixelsEffect

「自分が本当にやりたいこと」はどうすれば見つかるのか、「本当の友だち」はどうしたらわかるのか。フランスの高校生は「哲学」の授業で、そうした問いへの考え方を学んでいる。フランスの哲学者シャルル・ペパン氏の著書『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』(草思社)より、一部を紹介する――。(第1回)

■「自身の内なる欲望に耳を傾けよ」は誤解

「本当になりたいものは何か、どうすればわかるのか」

哲学者にこんな質問をしたら、内省や論理的な考察を推奨し、世間の喧騒から離れ、自身の内なる欲望に耳を傾けよという答えが返ってくると思っている人が多いのではないだろうか。

だが、それは誤解である。デカルト、ヘーゲル、アラン、サルトルなど何人もの哲学者、いや、かなりの数の哲学者がそれを知るには、行動を起こすこと、その選択が正しいか否かを知るにはまずひとつの道を選んで歩き出すしかないとしている。

なぜ行動が推奨されるのか。すぐに浮かぶ理由は、考察だけですべての問題を解決できるわけではないからである(デカルト風に言うなら、悟性は限定的なものだからということになる)。

大学に行くか、専門学校に行くか、どちらを選ぶにしろ、人それぞれに理由はあるだろう。だが、「悟性」で想像しても限界はある。どちらの選択肢があなたの人生、その生き甲斐に直結するものかを断定することはできない。それでも、決めなくてはならない。知性ではなく、意志の力で「決断」するのだ。

アランは、デカルトが「行動の世界」と「形而上学的真理の世界」を区別していることを例にとり、「行動の秘訣(ひけつ)は、行動を起こすことだ」と書いている。行動の世界において、私たちはその選択の意味や結果を確信することはできない。だが、疑念を抱きつつも行動する勇気、つまり、はっきりしない部分に一歩踏み出すことが重要なのだ。

だから、私としてはデカルトと同様、あなたにこう言いたい。自分が何を目指すべきか本当の意味で知ることは難しい。でも、何が正しいかわからなくても自分で選ぶことはできる。それがあなたの強みなのだ。

■まず一歩踏み出すことが大事

一方、それに取り組むことが、あなたにとって、人間的な能力、知性や感性、想像力を伸ばすことが可能になるような分野があるなら、それがあなたの適性だと言える。自分とその分野の相性がいいということだ。

どんな出会いにも言えることだが(そしてまた、だからこそ出会いは美しいのだが)、人はあらかじめ、その出会いが自分の人生にどんな影響をおよぼすかを予想することはできない。そこに踏み込んでみないことには、それが「本当に自分がやりたいこと」に通じる道なのかを知ることができない。それでいいのだ。

最後にもうひとつ。「あなたが本当にやりたいこと」に少なくとも何らかの意味があるのかという問題だ。

それをやり遂げるには、「本質」つまり天性が必要かもしれない。サルトルなら、「本質」には意味がないというだろう。あなたは「実存」であって、「本質」ではない。実存は本質に先行する。それなら、あなたが何を本当にやりたいと思おうがかまわない。あなたはあれにもこれにもなれるし、自分がこれからすることが「あなた」を定義する。

あなたの悩む気持ちもわかる。進路の選択を間違うかもしれない。もしかすると一年を無駄にしてしまうかもしれない。確かにそうだろう。でも、それがプラスになったかマイナスになったかは、死ぬまで判断することができない。人生は毎日いつだって軌道修正が可能なのだ。死ぬまでずっと。

■アリストテレスの友情の定義

「本当の友だちってどうしたらわかりますか」

アリストテレスの友情の定義はきっぱりとしている。友人とはあなたをより良いものにしてくれる人。あなたを成長させてくれる人、その人と出会わなかったら眠ったままになっていただろう部分を目覚めさせてくれる人。アリストテレスが常に求めていたのは、機会を捉え、「可能態」にあるものを「現実態〔訳注:エネルゲイア、実現態と訳されることも多い〕」へと現働化することだった。

アリストテレスの像
写真=iStock.com/PanosKarapanagiotis
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PanosKarapanagiotis

「それぞれのものは、その終極実現態にある場合のほうが、可能態にある場合よりもよりすぐれてその当のものであると言われるからである」(アリストテレス『自然学』内山勝利訳『アリストテレス全集4』岩波書店)

友人もまた、現働化の「機会」のひとつなのである。ここでいう友とは、その友人自身の性格や才能は関係ない。その出会いが、私を現状よりも良い状態に引き上げてくれるかが重要なのだ。より正確に言うなら、友人その人ではなく、その人との関係が私を成長させてくれるかだ。

ユダヤ・キリスト教的な価値観からは意外に思われるかもしれない。友情を道具のように功利で考えることには抵抗があるかもしれない。だが、無欲であることは古代ギリシャにおいて美徳ではなかった。人生は大きな可能性を秘めたものであり、その可能性を最大限に活かす方法はどんなものであれ肯定的に捉えられていた。

■人生の友の見つけ方

さて、友人をしっかり正面から見てみよう。いや、それよりも友人とあなたとの関係を考えてみよう。その人とつきあうことで、あなたの才能、能力、長所、世界とあなたとの関係は良いほうに向かうだろうか。その人がいなければ未開発のまま終わっていただろうか。もっと簡単にいえば、その関係は自分の成長にプラスになっているだろうか。

危険を承知で問うなら、友の条件は、「この人を信頼できるか」ではなく、「この人といることで自分に自信がもてるようになるか」で決まる。その意味では、師匠が弟子にとって「友人」である場合もあるし、先生が生徒にとって「友人」であることもある。

人生は可能性に満ちているが、偶発的なものでもある。いつでも幸運が待っているとは限らない。もし、誰かのおかげで人生をより豊かで濃いもの、充実したものにできるのなら、その人はあなたにとって真の友、人生の友なのだ。

友情によって人生は豊かになり、発展していく。こうした広がりや成長は目に見えるものだ。十年待つ必要もなければ、友人が何を意図しているのか何時間も探る必要もない。ただ目を開いて見ればいいのだ。

友人の手を握る人
写真=iStock.com/Kobus Louw
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kobus Louw

■古代ギリシャ哲学における理想形

「哲学を学べばものぐさが治りますか」

あなたは「ものぐさ」なのだろう。

当然のことながら、どうして「活動」しなければならないのか、と不思議に思うかもしれない。誰もが意志的に行動すべきだと思われがちな現代において、ギリシャ哲学を想起させる良い問いかけだ。

ソクラテス以前の哲学者パルメニデスにとって、最高の価値「一者」(ト・ヘン)は完璧に不動であることだった。

そう考えると、人間の行動は意味のない騒乱にすぎない。常に変化し、多様性にあふれている私たちの住む下界は、プラトンにおいても永遠と必然性、不動の価値をもつイデアの空よりも「下」にあるとされている。

アリストテレスにおける活動のランク付けでも、揺るぎない存在であること、不動の真実を仰ぎ考察する識者の生き方は、政治活動よりも尊いものとされていた。政治活動もまた、原初的な欲求を満たすために「動きまわる」ことを意味する経済活動よりは、「上」であるとされた。

古代ギリシャにおいて人間的な行為に対し評価が低かったのは、彼らが「絶対」という価値を信じていたからであり、形而上学的な概念を基準に、人間的な行為を評価していたからだ。

つまり、人間的な行為を低く見ていたのは、そうした行為を無意味で空疎なものだとみなしていたわけではなく、あくまでも不動の永遠という理想を基準とした場合に、それよりも劣るという比較の問題だったのだ。不動が理想ならば、確かに人間の行為は価値が低いものとなるだろう。

■行動を高く評価したドイツの哲学者

さて、理想や神や絶対について考えてみよう。あなたが行動を起こせない理由は、もしかするとそこにあるのかもしれない。

「それはかつてあったのでも、いつかあるであろう、でもない。なぜなら『ある』は、いま、ここに一挙に、全体が、一つの、融合凝結体としてあるわけだからである」(パルメニデス、納富信留訳『西洋哲学史I』講談社所収)

一方、ヘーゲルは、行動を高く評価した哲学者のひとりである。人間の根底にある欲望、承認欲求や世界における自分の価値を客観的に捉えたいという気持ちを満たすための行為こそが人間の営みだと彼は考えた。

ところで、ヘーゲルは、絶対神を「精神」「理性」という言葉で表現する。これは不動のものではなく、「動く」ものであり、「歴史」と同様、移り変わっていくものである。彼にとって、歴史とは文明の進化のなかで神が徐々にその姿を現し、その存在を認識するに至る過程なのだ。

■哲学があなたにもたらす“ある力”

〈ヘーゲルにおける歴史と神の進化〉

「特定の民族精神が世界史のあゆみのなかでは一つの個体にすぎない、ということです。というのも、世界史とは、精神の神々しい絶対の過程を、最高の形態において表現するものであり、精神は、一つ一つの段階を経ていくなかで、真理と自己意識を獲得していくからです。各段階には、それぞれに世界史上の民族精神の形態が対応し、そこには民族の共同生活、国家体制、芸術、宗教、学問のありかたがしめされます」(ヘーゲル『歴史哲学講義』長谷川宏訳、岩波文庫)

シャルル・ペパン『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』(草思社)
シャルル・ペパン『フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書』(草思社)

こうして神の存在が明確になれば、人間の行動は、もはや単なる騒乱ではなくなる。行為の価値は見直され、ある種の業績とみなされるようになる。ここでいう業績とは、人間が、行動することによって不安を軽減させながら、神に近づこうとする過程である。行動、特に「善行」に価値をおくキリスト教では、神は創造主であり、天地を創造するために、「不動」の状態を脱し、わずかとはいえ行動せねばならなかった。

神、絶対、天上の法則、呼び方はさまざまだが、そうしたものを考えたところで、ものぐさが治るわけではない(そもそも哲学の目的はそこではない)。

でも、神や絶対の真理が形而上学的なものだということが、よりはっきりと認識できたはずだ。哲学はあなたに行動する力をもたらしてくれる可能性だってあるのである。

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シャルル・ぺパン 哲学者
1973年、パリ郊外のサン・クロー生まれ。パリ政治学院、HEC(高等商業学校)卒業。哲学の教鞭をとる一方、教科書、参考書のほか、エッセイや小説を多数執筆。映画館で哲学教室を開いたり、テレビやラジオ、映画に出演している。

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(哲学者 シャルル・ぺパン)

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