元プロのプライドが邪魔だった…戦力外通告を受けた元甲子園優勝投手が「お茶売り」として再び輝けたワケ
プレジデントオンライン / 2023年12月6日 9時15分
■野球に見切りをつけ、会社員になる選手たち
野球選手にとって、競技引退後のセカンドキャリアは、必ず訪れる。それは、プロに限らず、アマチュアも例外ではない。
昨年10月。JR東日本野球部で投手として活躍していた山口裕次郎さんは、監督からシーズン終了と同時に勇退を告げられた。当時24歳。現役の道を模索することもできたが、「悔しい気持ちはありましたけど、自分の実力不足で終わるなら、もうJRで現役を終わろうかなと。未練はなかったです」と現役を引退し、JR東日本の社業に就くことを決断。研修を経て、2023年1月から御茶ノ水営業統括センターに配属され、現在は御茶ノ水駅で改札業務などを行っている。
「野球部の頃は支社にいて、駅にはいませんでした。それまでずっと野球をやってきてアルバイトもしたことがなかったので、最初はどうなるのかと思いました。でも、やっていくうちに野球で学んだことを生かせたというか、駅も1人だけじゃなく、全員で連絡を取り合って緊急事態などにも対応していく。野球をやっていたからこそ、いい意味で違和感なく入っていけました」
■「ドラフト4位以下なら行かない」と言っていたが…
山口さんは大阪・履正社高時代、最速146キロの直球を武器に、エースの寺島成輝さん(元ヤクルト)と左腕2本柱を形成。2016年夏の甲子園出場に大きく貢献した。高卒でプロ入りしたい思いもあったが、同時に社会人野球への魅力も感じていた山口さんは、同年のプロ野球ドラフト会議にあたり、調査書が届いた11球団に「ドラフト4位以下であれば社会人(JR東日本)へ進むので、指名を遠慮してもらいたい」という意向を伝えていた。
しかしドラフト会議当日、日本ハムから6位での指名を受けた。「家に帰る直前に6位指名を伝えられました。まさかという感じでしたね」。山口さんは熟考の末、日本ハムに断りを入れ、社会人球界からプロを目指すことを選択したが、フォームを崩し、本来の投球を見失ってしまう。結局、プロはおろか、アマ最高峰の大会である都市対抗野球大会での登板も果たせないまま、夢半ばで静かにグラブを置いた。
山口さんより一つ上の順位となる日本ハム5位指名の高山優希投手(大阪桐蔭高)は、契約金3000万円、年俸520万円(金額は推定)で入団。ただ、プロ6年間で一度も1軍のマウンドに上がることなく、山口さんと同じタイミングで球団から戦力外通告を言い渡された。もし仮に山口さんが日本ハムに入団していれば、同じ高卒左腕の高山さんより低い条件からスタートしていることになる。
■「夢」と「安定性」を天秤にかける選手たち
同学年の山本由伸投手(宮崎・都城高)はオリックス4位指名ながら、日本を代表するエースへと成長。ポスティングシステム(入札制度)を利用して移籍を目指すメジャーリーグでは、数百億円規模の契約が予想される。
ドラフト順位に関係なく、活躍によって年俸は青天井で上がっていくが、そういった選手は一握りの世界。そもそも、1位と6位では、契約金や年俸から差をつけられ、与えられるチャンスの回数も違ってくる。山口さんのように、プロで夢を追うよりも、日本の大企業であるJR東日本に入社したほうが、将来の安定性という点でははるかに上だろう。
今年のドラフトでは、高校通算62本塁打の真鍋慧(けいた)内野手(広島・広陵高)、東京六大学リーグの名手・熊田任洋(とうよう)内野手(早稲田大学)が3位までの順位縛りをした。結果的に2人とも指名されることなく、真鍋選手は大学進学、熊田選手はトヨタ自動車に進むことを表明している。来年以降も、自らの将来の“保険”として、順位縛りをする選手が一定数出てくることが予想される。
プロ野球選手がセカンドキャリアを考える上で、アマチュア野球界での現役継続や指導者を目指すのはごく自然な流れだろう。ただ、プロとアマの間には、かつて高い障壁が存在した。
■“出禁”が解かれるまで何十年もかかった
1961年のシーズン中、中日が社会人野球の中心打者であった柳川福三外野手を強引に引き抜いた「柳川事件」が引き金となり、社会人側がプロとの関係断絶を宣言。これに日本学生野球協会も同調したことで、プロとアマの交流は長らく途絶えることとなった。いったんプロ入りすれば、アマへの復帰や指導の一切が禁じられた。自分の子どもすら教えるのもままならない、極めていびつな規定は、こうした背景から生まれた。
双方の雪解けは極めてゆっくりと、段階的に進んだ。1984年、教員歴が10年を経過すれば、高校野球部の指導が可能となった。教員歴は1994年に5年、1997年には2年にまで短縮。そして2013年からは、教員免許を持っていなくても、数日間の研修を受ければ、学生野球資格が回復できるように大幅緩和された。
かつてドラフト1位で指名された大越基(もとい)さん(元ダイエー)や喜多隆志さん(元ロッテ)、杉本友さん(元オリックスなど)は、教員免許を取得し、それぞれ早鞆高(山口)、興国高(大阪)、宝塚西高(兵庫)の監督に就任。2017年にはプロ野球選手会と国学院大学が「セカンドキャリア特別選考入試」の協定を結び、教員免許取得や野球指導者を目指す元プロの学び直しの機会も提供された。
■実家の鹿児島でお茶を売る元甲子園優勝投手
オリックスやメジャーリーグで活躍したイチローさん(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)は研修を経て、全国の高校球児を指導している。このように、元プロのアマ指導が容易となり、セカンドキャリアの選択肢に幅が広がったことは好ましいことだといえる。
華々しいキャリアを辿りながら、野球界とはまったく別のセカンドキャリアを歩む元プロもいる。鹿児島県南九州市頴娃(えい)町で祖父・勲さんが創業、父・和幸さんが1972年に設立した「下窪勲製茶」で働く下窪陽介さんだ。下窪さんは鹿児島実業高のエースとして、1996年の選抜高校野球大会で全5試合を一人で投げ抜き、鹿児島県勢初の甲子園優勝投手となった。その称号は、今もなお下窪さん一人だけのものだ。
進学した日本大学では右肩痛の影響もあり、3年から打者に専念。社会人の日本通運で打撃の才能が開花すると、4番打者として6年連続で都市対抗野球大会出場に貢献し、インターコンチネンタルカップ日本代表も経験。2006年、大学・社会人ドラフト5巡目で横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)から指名を受け、プロの門を叩いた。
ただ、プロの一流投手が投げるボールはアマとレベルが違った。中でも、当時、中日に在籍していた台湾出身の左腕、チェン・ウェイン投手に衝撃を受けたという。
■「何で俺がいらっしゃいませとか言わないといけないのか」
「チェン投手が投げるストレートは、わかっていても前に飛びませんでした。軽く投げているのに、ボールがホップする感じ。左投手は得意だったから、それを打てなかったのがショックで、そこからバッティングが狂いました」
プロ1年目の2007年こそ72試合に出場したが、2年目以降は2軍暮らしの日々が続き、4年でシーズンが終わった2010年オフ、球団から戦力外通告を言い渡された。12球団合同トライアウトにも参加し、練習を続けながら吉報を待ったが、獲得する球団はなく、現役を引退。サラリーマン生活を経験したのち、2015年から故郷に戻り、家業の「下窪勲製茶」で働き始めた。
プロ野球選手のセカンドキャリアとしては非常に珍しい製茶業の営業担当として、デパート側と交渉して催事場や物産展で出店し、知覧茶などの自社製品を販売する。家業のため、幼少から親しみはあったが、いざ自分がその職に就いてみると、慣れない接客業に戸惑った。「甲子園優勝投手」「元プロ野球選手」のプライドが仕事の妨げになることもあったという。
「最初は抵抗がありました。プライドが邪魔をして『何で俺がいらっしゃいませとか言わないといけないのか。買いたいのなら勝手に買っていけばいい』とか『そっちからこいよ』と思ったこともある。でも、そんな態度じゃまず売れませんよね」
■プライドを捨て、営業先に頭を下げて回った
プライドと現実の狭間で揺れる日々。そんな葛藤の中で、下窪さんは『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子、幻冬舎文庫)という一冊の本に出合う。そのエッセイを読み終えた時、これまでの価値観が一変した。
「不平不満を言わずに、置かれている場所で根を張って頑張りなさいという内容で、今の自分のことを言っているんだ、と思いました」
そこから始めたことは「プライドを捨てること」だったという。
「まずはデパートに入らないことには仕事にならないし、勝負できません。そうしたら頭を下げてでも仕事を取るしかありません。従業員も含め、みんなが一生懸命作ったお茶には自信があるので、自信を持って説明することもできる。しつこいと思われたりもしますけど、一生懸命やっていれば誠意は伝わります」
知覧茶本来の甘味と旨味を試飲してもらうために、品種によって茶葉の量やお湯の温度を変えるお茶の淹れ方も研究。三越や伊勢丹、高島屋などの老舗百貨店にも出店依頼の電話をかけ続けた。実直な仕事ぶりが認められ「デパート側から『催事に出店してください』と言われることも増えた」という。今では年間で30週間ほど全国を飛び回り、営業売り上げ5500万円を稼ぐ“トップセールスマン”へと成長を遂げた。
■「野球だけではなく、何でも経験したほうがいい」
そんな下窪さんが「永遠のテーマ」と話すのが、全国の生産者がお茶の出来栄えを競う「全国茶品評会」での最高賞獲得だ。下窪勲製茶は昨年、特別賞を受賞したが、まだ1位を獲得したことはない。
「父や兄を含め、従業員の方たちもしっかりとやってくれています。頑張ればいつかは1位が獲れると思っています」
お茶の世界でも“全国制覇”を成し遂げた暁には「どこかのタイミングで野球の指導にも携わってみたい」と話す。投手で甲子園優勝、野手でプロ入り、サラリーマン、そして製茶業の営業担当を通じて培った経験は、野球指導だけでなく、元プロのセカンドキャリアの参考にもなる。
「野球だけではなく、何でも経験したほうがいいと思います。自分は社会人(日本通運)時代、オフシーズンはトラックに乗って配達もやったことが、今の営業にも生きていると思っています。野球を引退した後は鉄鋼業もやりました。何が何だかわからないところに行っても、教えてくれる人は必ずいる。ずっと野球をやってきたんだから、違う仕事だってきっとできます」
■「金銭感覚を戻すのに苦労した」という声も
11月15日に行われた12球団合同トライアウトには、2016年新人王の高山俊外野手(元阪神)や、2015年ドラフト1位の高橋純平投手(元ソフトバンク)ら59人が参加も、NPB球団に支配下登録で復帰した選手は11月終了時点でゼロと狭き門。
引退後に監督やコーチとして現場に残れるケースはごく稀で、ほとんどは球界から離れ、セカンドキャリアの場を探し求める。「金銭感覚を戻すのに苦労した」「乗っている外車を売らないとやっていけません」といった声も多く聞く。
野球の道のみを極めることは決して否定されるべきではないが、セカンドキャリアとは表裏一体。その事実から目を背けず、現役時代からしっかりとした対策が必要になる。
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スポーツライター
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社ではプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツビジネス全般を行う。
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(スポーツライター 内田 勝治)
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