日本のクマより被害甚大なのに駆除できない…年4000頭の羊が食い殺されるドイツの「オオカミ襲撃」の深刻
プレジデントオンライン / 2023年12月7日 9時15分
■子供や女性を襲う狼を絶滅させたはずが…
日本ではヒグマやツキノワグマの駆除をめぐって、役所へ「可哀想だからやめて」という抗議の電話が鳴り止まないそうだが、ドイツでもやはり獣による被害が増えている。しかも、こちらは動物愛護を掲げる政権下で駆除が事実上不可能なため、被害は拡大する一方だ。
グーグルに「Wolf(=狼)」と入力して検索してみたら、狼に家畜が襲われたニュースばかりで、しかも、最初の6ページは、数時間から1週間前ぐらいの新着記事がほとんどだった。ドイツで狼の被害が増えていることは承知していたが、この頻度にはかなり驚く。
ヨーロッパでは中世以来、狼が人間にとって、身近で最大の脅威である時代が長く続いた。特にドイツは、ヨーロッパオオカミの主要繁殖地に含まれたため被害が甚大だった。そういえば有名なグリム童話でも、「赤ずきんちゃん」や「狼と7匹の子やぎ」など、子供や動物が狼に食べられてしまう話がある。
狼は犬と同じく非常に頭が良く、簡単に仕留められるとわかった獲物を狙うため、当時、動物以外で頻繁に被害に遭ったのは子供と女性だったという。そこで、17世紀の初めごろから施政者は狼の駆除に甚大な力を注ぎ、長い戦いの末、ドイツはようやく19世紀の半ば、狼の絶滅を宣言した。
■100年後に現れ、続々と増え続けている
ところが、1996年、旧東ドイツのラウジッツ地方で野生の狼が観察された。せっかく絶滅したはずの狼が帰ってきたのだ。しかも、それ以後、狼はどんどん増え続け、最近では冒頭に記したように、家畜が続々と犠牲になっている。なぜ、狼が増えたかというと、連邦自然保護法により手厚く保護されているからだ。
ドイツの環境省には、DBBW(狼のための連邦文書、および諮問機関・Dokumentations-Stelle und Beratungs-Stelle des Bundes zum Thema Wolf)という下部組織がある。DBBWは狼の生態調査に特化した機関で、個体数、生息場所、被害などについて正確な資料を持っている。ちなみに狼の統計年度は、5月から翌年の4月。
図表1は自然保護庁が各州の2022/23年の調査結果をまとめたもので、1マスが10km四方で、緑のところは狼が観察された場所。さらに黒い菱形の印の付いているのが、繁殖が確認された場所だ。狼は一頭で動き回っている場合は、行動範囲は広いものの増えることはないが、子供の狼や、乳腺の発達した雌狼が見つかると、すでに群れとして定着している証拠で、以後、その地域で頭数がどんどん増えることになる。
■ベルリン周辺が最大の繁殖地に
なお、この図によれば、ベルリン市(BE)を囲むかなり大きな州であるブランデンブルク州(BB)が、ドイツでの狼の最大の生息地、および繁殖地となっていることがわかる。多くは、お隣のポーランドから移動してきたと思われる。
では、肝心の頭数はというと、ブランデンブルク州の狩猟協会によれば、700~1000頭。このところ毎年30%の割合で増えているため、正確な数が掴みにくいという。
それに比してかなり正確にわかっているのは群れの数で、52組。群れの定義とは、少なくとも8頭の成獣からなり、そこに2組のペアと、前年、および前々年に生まれた若い狼が含まれていること。そして、群れを成さずにペアで行動している狼が10組。さらに、それに加えて、この統計年に生まれた子供の狼が約190頭いるとみられる。
こんな状態だから、ドイツ全体で何頭の狼がいるのかも正確には割り出せないのだが、DBBWの推計によれば1339頭。なお、下記のグラフは、群れ(赤)とペア(茶色)の数の、2000年から2022年までの変化を表したもの。どちらも2007年ごろを境に、急激に増えている。
■1回の襲撃で40頭の羊が殺されたことも
一方、狼による被害状況のほうは、DBBWが正確につかんでおり、それが図表3のグラフだ。黒が襲撃の数で、赤が犠牲になった動物の数。このグラフは2020年までだが、DBBWによると、2022年は4366頭で、前年比29%増だった。
狼の害は畜産農家にとっては脅威だ。ドイツには狼の天敵は存在しないため、何もしなければ増え続けるのは自然の理で、犠牲の9割が羊と山羊だ。その他、アルパカ、子牛、子馬、時には馬や牛の成獣までやられるというから、狼の威力はバカにできない。
狼の中には特別頭の良い個体がいて、それがリーダー格になって群れを引き連れ、陽動作戦なども使って次々と家畜を襲う。森の中で鹿やウサギを追うよりも効率はすこぶる良い。一回の襲撃で40頭の羊が殺されたこともあったという。しかも、狼は動くものがなくなるまで狩り続けるというから、事後の景色は凄惨(せいさん)な図になり、当然、農家のショックは大きい。
■環境省は狼の増加を「好ましい展開」
危機感を募らせた畜産組合では、狼の駆除を申請するが、それがなかなか認められない。保護柵の増強など、射殺の前にするべきことがあるはずだというのが環境省の考えだ。なお、防護を完全にしても被害が出た場合には、羊なら被害1頭当たり約300ユーロ(州によって差がある)の補償金が出るという。
そこで農家では、広大な牧草地に何キロにもわたる柵を作り、通電し、さらに赤外線望遠鏡を購入したり、センサーを仕込んだりするが、今度は、それらを常時完璧に保つことにエネルギーを要する。なお、そこまでしても、なぜか狼はどこかから必ず忍び込んできて、家畜を殺す。ちなみに家畜がやられても、防護に不備が見つかると、補償金が差し引かれたり、もらえなかったりするという。
一方、環境省のホームページを見ると、こう書いてある。
「21世紀初頭より、狼の数がすごい勢いで増している。これは、世界、およびドイツで、生物の多様性が危機に晒(さら)されていることを思えば、好ましい展開であり、厳格な狼の保護政策が効果を上げている証拠だ」「狼の数の増加、および、狼の生息地の広がりというポジティブな傾向は、今後も続く」
要するに、狼の増殖は環境省にとっては好ましいことらしい。環境省を仕切っているのは緑の党だ。
■さらに解決策は「ヴィーガンになればいい」
今年の6月、その緑の党のレムケ環境相が、狼問題についての多数の苦情を受け、協議の会を設けた。ところが、そこに招かれたのは、畜産農家の他は自然保護団体ばかりで、それも、過激な動物保護団体Peta(動物の倫理的扱いを求める人々の会)までがいた。一方、森の実態について一番よく知っているはずの狩猟連合会は除外。鉄砲を振り回すような人たちはお呼びではなかったのだ。
レムケ環境相は狼の駆除には絶対反対で、自然保護団体ももちろん反対。狼との共存こそが自然のあるべき姿と信じており、射殺などあり得ない。それどころかPetaの提案する解決法は、「ヴィーガンの食生活」だった。
ヴィーガンというのは、動物に関するものは、肉も魚も卵も牛乳もチーズもすべてNGで、革靴もウールのセーターも着ない。つまりPetaによれば、問題は狼でも羊でもなく、私たちが肉やチーズを食べることなのだ。こういう思想の持ち主と、ドイツの環境相は心を分かち合っている。
■環境相が出した駆除の“トンデモ条件”とは
11月28日、ニーダーザクセン州(図表1の地図の表記ではNI)のククスハーフェンで、2018年よりボランティアで、狼の生態を調査し、畜産農家のアドバイスをしていたクリスティアン・カットという人が、政府の環境保護政策に抗議して、職を退いた。ククスハーフェンでも、約10年前から狼が出没するようになっており、最近、家畜の被害が急激に増えていた。
氏が辞職に際して認めた文書には、政府に対する不満が満載だ。「美しい田園風景の中で働く人々と、その家畜を支えるために、政府は態度を明確にする必要があった」。しかし、「私がこの課題に取り組んでいた5年半の間、政府は何一つ持続的なことはしなかった」。
もっとも、氏の辞職の直接のきっかけは、10月になってレムケ環境相が持ち出した「狼の殺処分」だったようだ。というのもレムケ氏は、6月の協議の評判が悪かったためか、狼の射殺を例外的に認めるための条件を提示した。ところが、これでカット氏は、ついにぶちぎれたらしい。
どんな条件だったかというと、狼が羊を殺したことがわかれば、その後、21日の間に、その狼を射殺することが許される。その場合、これまでのように、その狼が本当に羊を殺した犯人であるというDNAの証明は不要になる。ただし、射殺場所は、狼が羊を殺した現場から1000m以内に限られる。
■猟師は放牧地を一晩中見張らなければならない?
カット氏は書く。「どの猟師が“犯行現場”である広大な放牧地を見張り続けるというのだ。しかも、狼が戻ってくるのは必ず夜で、猟師は月の光が必要となる。その他のところを探すとしたら、今度は1000mというのが足枷だ」。要するに実行不能であり、「これで住民を宥(なだ)められると思っているのか」と激しく非難している。
カット氏によれば、近い将来、狼の駆除は避けられないことは周知の事実だ。だからこそ、急激な増殖を防ぐため、他の野生動物の駆除と同じく、幼獣を殺さなければならない。そして、その上で、狼の行動に変化が現れるか、現在のような無遠慮な行動にブレーキがかかるかなどを観察しながら、最終的に受容可能な頭数を定め、計画的に駆除しなければならない。
とにかく、それを一刻も早く始めることが重要で、「それ以外はすべて無意味で、実行する意味がない」とカット氏。実は、森を散策していたら狼が異常に接近してきたとか、森で乗馬をしていたら、ずっと付いてきたというような怖い話も、すでにある。
ただ、環境省の見解は天と地ほどかけ離れている。再びホームページからの引用。
「現在、狼はドイツの一部で再び見られるようになったとはいえ、絶滅危惧種であることに変わりはない。目標は、狼の良好な保護状態を達成することである」
■次は人間の子供が殺されるのではないか
環境省によれば、若い狼は時に好奇心旺盛な行動をとることもあるが、通常、健康な狼は人間に警戒心を示し、攻撃的になることはない。しかも、もし、狼が人間に対して目立つ行動をとったり、十分に保護された家畜を何度も捕食したりした場合には、現在の法律は、その個体の排除を許しているので、問題はないとのこと。しかし、それが難しいから、今、皆が困っているのだ。
また環境省は、ヨーロッパ全体で狼の駆除が禁じられていると強調しているが、オーストリアもスイスも、放牧の家畜を守るため、一定の駆除を許可している。だから狼は国境を越えて、パラダイス“ドイツ”にやって来るのではないか。
しかし、カット氏は言う。「このままでは狼は増え続け、羊飼いは去っていく。去った羊飼いは、二度と戻ってこない。しかし、狼はどんな環境にも適応するから、食べる家畜がなくなれば、他のものを探すだろう」。カット氏は、赤ずきんちゃんが出ることを警告しているのだ。
すでに首都ベルリンの森でも狼は観察されている。緑の党は、森を切り開いて風車を立てるわ、長閑な放牧地を引き裂かれた羊の死骸でいっぱいにするわで、とても自然を守っているようには見えない。特に、森の散策が大好きな国民のことを、全然考えていないように思えてならない。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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