生きている間は絶対に売らない…11億円で「アジアで唯一のフェルメール」を落札した経営者の投資哲学
プレジデントオンライン / 2024年1月12日 9時15分
※本稿は、野地秩嘉『ユーザーファースト 穐田誉輝とくふうカンパニー 食べログ、クックパッドを育てた男』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「儲かりそう」ではなく、価値が上がるものに投資する
日本の総合商社の株を大量に取得した世界屈指の投資家ウォーレン・バフェットは投資についての自らの哲学をこう語っている。
「農場を買収しようとする場合、毎日その値段ばかりを見る人はいません。買い値に対してどれくらいの生産高が見込めるのかというところを見るでしょう。株式投資もそれと同じです」
穐田の投資に対する考え方も同じだ。値上がりするだろうからという予測で投資するわけではない。対象が持っている価値に比べて評価されていないものを買う。加えて、いつになっても価値が変わらないもの、価値が上がっていくものに投資をする。
Zaim、キッズスター、みんなのウェディングに出資したのは価値が上がっていくと判断したからだ。その後も、チラシ情報サービスのトクバイを個人で買収し、さらに住宅、不動産サービスのオウチーノを買収している。
買収した会社は成長している。
むろん、それぞれの会社の社員たちが仕事をした結果だが、買収した当時の価値が割安だったこともある。彼の投資は一般の目に留まっていない価値のあるものを見つけるところから始まる。
そして、成長のアシストをする。あるいは直接、経営して価値を上げる。値段よりも潜在的な価値に注目している。
■10億8600万円のフェルメール作品を落札
潜在的な価値に目を付けた典型的な買い物が《聖プラクセディス》だろう。オランダの画家、ヨハネス・フェルメールが描いた作品だ。フェルメールの作品は世界で37点とされている。アジアにあるのは穐田が所有しているこの1枚だけだ。
2014年当時、クリスティーズのオークションで落札した価格は10億8600万円(加えて手数料15~29パーセントと税金)だった。真作かどうか、まだ評価が分かれていた頃だから、その値段で済んだ。
2023年、この作品はオランダのアムステルダムで行われた「フェルメール展」で真作として展観された。評価が定まったわけだ。すると、この絵画の値段は同じ画家の《真珠の耳飾りの少女》の推定150億円まではいかないだろうけれど、次に取引される場合は10億円では買えない。
会社に対する投資だけでなく、穐田は美術作品の買い物でも成功した。
彼が美術品を好きになったのはカカクコムの代表になった後、奈良美智の作品を300万円で買ったことがきっかけだった。本物を見て、買ってみたことからコレクションを始めた。それ以降も奈良作品を手に入れ、今では20点以上も持っている。他の作家の絵画や工芸品も所有している。
しかし、彼は作品を展示していない。すべて美術倉庫に預けていて頼まれたら展示することもある。
■アジアに1枚もないのなら、自分が買う
さて、フェルメールという買い物について、である。
むろん、フェルメールのことは知っていた。希少な作品だから、海外出張で時間があれば作品を見に行っていた。IRで海外の投資家を訪ねた時はフェルメールのある美術館に足を運んだ。ニューヨークであればメトロポリタン美術館とフリックコレクションに行った。ワシントンではナショナル・ギャラリーへ見に行った。
ロンドンではナショナル・ギャラリー、パリではルーヴル美術館。ロンドンからスコットランドのエディンバラに飛んで、スコットランド国立美術館へも行った。
穐田は自分が好きと感じた美術品は好きだ。しかし、情熱的な収集家ではない。この絵を見せたら、喜ぶ人は誰だろうと考えるところから始まる。フェルメールを買ったのは、日本、アジアには1枚もない作品だから、誰も買わないのであれば、自分が買うという気持ちだった。命よりもフェルメールが大事という収集マニアではなく、ここでもまたユーザー目線のコレクターだ。美術品に対しての愛情は持っている。
しかし、フェルメールの作品に頬ずりしたり、「棺桶に入れてくれ」と親族に頼んだりするような人間ではない。フェルメール作品が好きな日本とアジアのファンのために、責任感で預かっている。
■弾丸でロンドンに飛び、「55」のタグを渡されて…
フェルメールが競売されると知ったのはオークション当日の10日ほど前のことだった。
新聞に「フェルメールがロンドンのオークションに出る」と記事が載ったので、その場で「行こう」と決めた。買えるとは思わなかった。あまりに高額であれば会場にいても、ビッド(入札)できない。世界中からコレクターや美術館が参戦してくるだろうから、落とせる自信はなかった。ただ、その場に行って目撃者になりたいというのが彼の気持ちだった。
付き合いのあったクリスティーズの日本支社に連絡し、「参加したいんです」と伝えた。すると、あっさり「いいですよ」と言われた。そこでチケットとホテルを取り、ひとりでロンドンへ出かけていった。1泊3日の弾丸ツアーである。会場に行ったら、ビッドナンバーは「55番」だった。
55と書いてあったタグを渡され、席に案内された。
オークションに参加すること自体は難しくない。クリスティーズが認めたら、誰でも参加できる。そして、オークションでやることも単純そのものだ。壇上にいるオークショニアが「この値段で買いますか?」と問いかけたら、手元のタグを掲げて「イエス」を伝えればいい。
何人かがタグを掲げたら、値段が上がっていく。欲しければずっとタグを掲げておけばいい。そして、最後にひとりだけ手を挙げている人間が落札者だ。オークションが始まった。値段は淡々と上がっていく。ただし、参加者は多くなかった。
■「生きている間は絶対に売らない」
ほんの5分ほどの間、穐田は黙ってタグを掲げ続けた。そうしているうちに、ハンマーが鳴った。オークショニアが告げた。
「ナンバー55」
周りに座っていた人たちは「落札したのは日本人だな」という視線を送ってきた。居心地はよくない。
フェルメールさえ終われば帰ろうと思い、席を立った。すると、クリスティーズの社員が近寄ってきて「取材の方が来てますよ」と告げた。
穐田は首を振った。新聞に自分の笑顔とピースマークのポートレートが出ることは避けたかった。
ひとこと「いいえ、このまま帰ります」とだけ言った。
社員は裏口へ案内してくれたので、そこから抜け出て、ホテルの部屋に戻り、置いてあったリュックだけ手に持ち、空港へ向かった。
機内で、彼は考えた。「買っちゃった。さて、どうしよう。うちに置くわけにもいかないし」どうやって10億円を払おうかという算段もした。そして、「せっかく買えたのだから、生きている間は絶対に売らない」と決めた。
やはりユーザーファーストだ。日本のどこかにフェルメールの絵を飾っておけば、誰か欲している人間が見にくる。インバウンドの観光客も見にくる。日本に金が落ちる。普通の美術コレクターが考えることとは違う。彼はフェルメールを日本経済の活性化に使おうと思った。
いわゆる美術コレクターの考えではない。
■「変えるべきサービス」を数えたら100を超える
くふうカンパニーの中ではもっとも長く穐田と働いている新野将司は、アイシーピー時代の穐田について、こう話した。
「アイシーピーは発足した当時、大勢の優秀な人材を集めていました。それこそ興銀(日本興業銀行、現・みずほ銀行)や総合商社やコンサルから来ていました。アイシーピーは投資だけをしようとしたわけではなく、投資と事業をつくることの両輪でやっていこうと決めていたからです。
あの時、僕は26歳。穐田さんは31歳でした。穐田さんは長髪の茶髪で全身Gucci。本人は『これがオレたちの会社のブランディングなんだ』って言ってましたね。『オレたちはチャラチャラしてるけど、ガーッと働いてるやつらだと世の中に思わせればいい』って。まあ、僕もチャラチャラしてましたね、あの頃は。
アイシーピーがやろうとしていたことははっきりしてました。現状の生活に不満があったから、ネットで生活を改善するサービスをするんだ、と。穐田さん、口を開けば『こんなサービスは使いづらいからダメ』と言ってました。
ネットを使って変えるべきサービスのリストをつくっていて、100以上はありましたね。レストランの口コミやレシピのサイトはそのなかから生まれてきたんですよ。
■買うのは好きだが、売るのは大嫌い
穐田さんってふわっと仲間を集めるのが上手なんです。仕事にギアが入ったような人たちを集めるのがうまい。それで、アイシーピーの話ですね。アイシーピーにずっといた人っていないんですよ。今もある会社ですけれど、投資をした会社で働いているうちに、そのままそこで社長になったり、独立して会社を始めたり……。
僕自身もカカクコムへも行ったけれど、その後、アルチェっていう女性向けオンラインメディアの会社に行って取締役になり、成長させたところでライブドアに売却しました。アイシーピーにいた石坂(茂)さんはIBJ(結婚相談サービス)を始めた。
穐田さんはとにかくエグジット(株式を売却して現金化すること)を嫌います。大嫌い。絶対反対。
とはいえ、ファンドなので儲けないといけないのではと問うと、『儲けなんて関係ない、もっといい会社になるのに何で売らなきゃいけないんだ』って言い返してくる。アルチェをライブドアに売ったのも穐田さんとしては嫌で嫌で仕方がなかった。
今、くふうカンパニーにたどり着いたのは、会社を売るのが嫌だから。自分がオーナーでいるのであれば、成長させて、ずっと会社を持っていられる。だからオーナーをやる。仕事をしたい仲間とずっと一緒にいることができる。ずっと仲間でいたいから自己資本でやっている。
■金より何より、成長を続ける価値に投資する
話を戻すと、フェルメールの絵を見て、喜ぶ人がいる。その人たちを相手にしたビジネスが生まれて、経済が活性化することの方が面白い……。
ポップアートのひとり、アンディ・ウォーホルはかつて「最高のアートはビジネスアートだ」と言った。
アンディ・ウォーホルの言葉を体現したのが彼だ。
そんな彼はフェルメールを売らないだけではない。本来はカカクコムもクックパッドの株も売りたくなかった。カカクコムの株は約1000倍の価格になった。クックパッドの株もまた一時は1000倍になった。同じくらいに上がった。ただ、経営から離れたので、すべて売り払って、他の会社の株を買う資金に回した。それでも彼は一度、持ったものを売るのは嫌いだ。
現金よりも土地よりも宝石よりも、成長を続ける価値を持っていたい。成長を続ける価値が好きだ。
それもあって投資した会社の株もフェルメールもこれからは手放すつもりはない。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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