なぜ無差別殺人の実行犯は、何かにつけて「人のせい」にするのか…自分の人生を「自分のもの」と思えない理屈
プレジデントオンライン / 2024年1月6日 13時15分
※本稿は、戸谷洋志『親ガチャの哲学』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■自分の人生を「自分のもの」と思えない人たち
自分の人生を自分の人生として引き受けられない。それは、言い換えるなら、自分の人生が他者に決定されたものとして理解される、ということです。そしてここから二つの帰結が導き出されます。
一つは、自分の人生に「功績」を感じられなくなる、ということです。
たとえば「私」が厳しい受験戦争に勝ち抜き、難関校に合格したとしましょう。多くの場合、「私」はそれを自分の功績だと思いたくなります。そのとき「私」は、自分の力で、自分の意志によって努力し、その結果として大学に合格したと考えようとするからです。言い換えるなら、「私」の強い意志がなければ、大学に合格できなかっただろう、と見なすことを意味します。
ところが、「私」が自分の人生を引き受けられないとき、大学に合格できたのは「私」の意志によるものではなく、「私」が置かれていた環境によるものだと理解されます。すなわち、両親が教育熱心であり、進学校や予備校に通わせたり、参考書をいくらでも買ったりできるような経済力を持っていたからこそ、「私」は大学に合格できた――そのように考えることになります。
恵まれた環境のパワーに比べれば、「私」の意志が果たした役割など、ほんのささやかなものでしかありません。つまり、大学に合格できたのは「私」の功績などではなく、両親の手柄になってしまうのです。
■子どもは親の教育に対して無力である
そして、功績と同様に無効化される概念が、「責任」に他なりません。
たとえば、親から「テストのときに分からないことがあったらカンニングしなさい」と教えられて育った子どもを考えてみましょう。その親は、子どもがカンニングせずにテストで悪い点数を取りでもしたら、「なんでカンニングしなかったんだ」と言って、子どもを殴るとします。
この子どもは、親の言うことを信じ、テストのときに分からないことがあったら、何の悪気もなくカンニングをするようになるでしょう。では、その責任はその子どもにあるのでしょうか。おそらくそうはならないはずです。その子どもがカンニングした責任は、その子どもをそのように育てた親にあるに違いありません。このとき子どもは、親の教育に対して無力なのであり、自分の行為に対して責任を持つことができないのです。
功績と責任は、ともに、人間の自由な意志を前提にしています。反対に、自由な意志が否定されるとき、功績も責任も成り立たなくなってしまうのです。そして経済格差や虐待の問題は、ある種の無力感を催させることで、人間から自分の人生を自分の人生として引き受ける可能性を奪ってしまいます。
■「無敵の人」は自分の人生を外部から静観している
「無敵の人」が起こす自暴自棄な犯罪には、そうした、自分の人生に対する無力感に基づく、特有の無責任さが伴っているように思えます。自分で恐ろしい犯行を起こしながら、どこかで、自分がその犯行を起こしている責任は、そうせざるをえない状況へと自分を追い込んだ環境にあるのであって、自分のせいではない、という感覚です。
そうした無責任さに飲み込まれるとき、人間は、いわばすでにエンディングが決定している映画を眺めるように、自分の行動を外部から静観するかのような感覚に陥るのではないでしょうか。そしてそのとき、これは他ならぬ自分の人生なのだから、大切にしなければならない、尊重しなければならないという気持ちも、湧き起こらなくなるのではないでしょうか。
■「秋葉原通り魔事件の実行犯」の人生観
自暴自棄型の犯罪と、自分の人生への無力感、そしてそれに基づく無責任さの関係は、秋葉原通り魔事件の加藤のうちにも見出すことができます。
事件の背景には加藤の極端な価値観があり、そしてその価値観は母親からの影響によって形成されたものでした。その自己認識が、彼にとって何を意味していたのかを考えるために、彼が獄中で執筆した著書『解』における証言を見てみましょう。そこでは、何かにつけて「人のせい」にするという自らの性格について、次のように述べられています。
何故このようなものの考え方になったのかと考えて自分の人生をさかのぼってみましたが、最初からそうだった、としか考えられません。このような考え方に変わったきっかけになる出来事等は無く、こうして自己分析するまでは、この考え方は当たり前のこととして、何の疑問も持っていませんでした。
とすると、これは幼少の頃の親、特に母親から受けた養育の結果だということになりそうですが、このように書くと、人のせいにしている、と批判されるのでしょう。
つまり、自らの母親のもとに生まれてきた、ということが、彼にとって自らの性格を決定する唯一の出来事だったのです。だからこそ彼は、自分がなんでも「人のせい」にするということは、自分のせいではないと訴えます。
■なぜ「死刑になる」とわかっていて、犯行に及んだのか
加藤は、自分が「母親のコピー」になることは、自分の責任ではないと考えています。当然のことながら、仮に彼が言う母親からの教育がすべて事実であったとしても、それによって彼の刑事責任が相殺されることはありません。そのことは彼も理解していたはずです。
そもそも彼は、犯した罪によって自分が死刑になることを予見していました。それでも犯行を思いとどまることができなかったのは、なぜなのでしょうか。その背景には、上記の無責任さに基づく、自分自身への関心の希薄さが見え隠れしています。
なんでも「人のせい」にする彼は、紛れもなく無責任です。しかし、そのように無責任であること自体に、彼は責任を負いません。もしかしたら、無責任である自分がどうなろうが、その責任は自分にはない、と考えていたのかも知れません。無責任さは、自分自身への関心の希薄さと表裏をなしているのです。
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関西外国語大学准教授
1988年、東京都生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。『ハンス・ヨナスの哲学』『未来倫理』など著書多数。
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(関西外国語大学准教授 戸谷 洋志)
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