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60代以降に「もう徹夜はできない」と絶対口にしてはいけない…和田秀樹「家族に好かれる人に共通する態度」

プレジデントオンライン / 2024年1月9日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MarijaRadovic

高齢になっても毎日幸せに生きるにはどうすればいいか。医師の和田秀樹さんは「97歳で亡くなった画家の熊谷守一さんの晩年は、自宅の庭より外に出ずに、庭で草木、虫、鳥や空を眺めて、夜に絵を描いて過ごしていた。高齢だと少しずつぼんやりしてくるが、それを落ち込まないで日々の季節の移ろいや生活を楽しむために、ひきこもりの隠居になってもやれるインドアの趣味を50、60代から培っておくことが大事だ」という――。

※本稿は、和田秀樹『100歳の超え方』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。

■午前中は妻と碁を打ち、昼寝。夜はアトリエに籠る生活

私の好きな画家のひとりに熊谷(くまがい)守一(もりかず)さんがいます。晩年に描いた明るい色彩の蝶や鳥の絵があります。正直、子どもが描けるような線です。でも、そういう絵を見ているとほんわりとしてきます。

熊谷さんは、97歳で昭和52年に亡くなりました。『へたも絵のうち』(平凡社)という自伝がありますが、それは91歳のときに日本経済新聞の「私の履歴書」に掲載されたものです。晩年は自宅の庭より外に出ずに、庭で草木、虫、鳥や空を眺めて、夜に絵を描いて過ごしていました。

熊谷さんの晩年は『モリのいる場所』という映画になっていて、山﨑努さんが熊谷守一役、妻役は樹木希林さんが演じています。もし、まだならぜひ観てみてください。

熊谷さんは、朝起きて午前中は妻と碁を打ち、昼寝をして、夜にアトリエに籠(こも)るという生活を何十年も続けていたそうです。昼間は庭を眺めぼんやり過ごしていました。

忙しく働いてきた私たちは、ぼんやり過ごすことが苦手です。ぼんやりすることは無駄だと思いがちになっています。効率よく物事をこなしていく人が優秀だと思われてきました。そう考える癖がなかなか抜けません。

高齢になっても、あれやこれやスケジュール表に予定がないと安心しない。スケジュール表に「病院の予定しかない。情けないです」と落ち込む男性がいます。何かやらなくてはと、草取りをして片づけて孫のお祝いを買いに行って、1万歩歩いて、運動もして、と生活がノルマだらけになっていないでしょうか。

■50、60代からひきこもりの隠居になってもやれることを培う

忙しいことはよいことです。脳も活発に動き、交流があって生きがいになるでしょう。しかし、80代後半から90代になると、足腰が弱ってくるのも避けられないことです。草取りもウォーキングもできなくなる日が来るかもしれません。

ぼんやり時間を過ごすことが苦手な人は、たちまち落ち込んで、自分はダメな人間だ、役立たずだと悲観するようです。

寿命が延びたぶんの時間の過ごし方には、ぼんやり機嫌よく過ごすというやり方もあります。

90歳になっていきなり熊谷守一のような仙人にはなれないと思うでしょうが、大丈夫、高齢だと少しずつぼんやりしてくるものです。それを落ち込まないで日々の季節の移ろいや生活を楽しむ。それが隠居生活の醍醐味(だいごみ)です。

隠居生活を楽しむためには、インドアの趣味をひとつふたつ持っているといいでしょう。将棋や碁ができると施設などに行っても誰かと楽しめるかもしれません。

囲碁
写真=iStock.com/Masaru123
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Masaru123

映画を楽しんだり落語を聞いたり、ひきこもりの隠居になってもやれることを50、60代から培っておくことは大事です。

■人生100年を穏やかに生き切るなら「目指せ、隠居道」の境地へ

熊谷さんが先の本にこう書いています。

私はほんとうに不心得ものです。気に入らぬことがいっぱいあっても、それにさからったり戦ったりはせずに、退き退きして生きてきたのです。ほんとうに消極的で、亡国民だと思ってもらえればまず間違いありません。
私はだから、誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。監獄にはいって、いちばん楽々と生きていける人間は、広い世の中で、この私かもしれません。

地方の農村などに行くと、熊谷さんのようにいい顔をしたご隠居さんがいそうな気がします。都会でも、施設暮らしでも、ぼんやりと機嫌よく過ごす高齢者はいるものです。

「ああなったらつまらない」と思うのは、まだどこかで自分にノルマを課す習慣が残っているせいかもしれません。人生100年を穏やかに生き切るなら、「目指せ、隠居道」の境地も必要かもしれません。ぼんやりとしている時間が増えてくるというのは少しも悪いことではないのです。

熊谷さんが長年住んだ跡地(東京都豊島区)は、現在、熊谷守一美術館になっています。隠居道を学ぶために一度訪ねてみるのもいいと思います。

■「できなかったこと」を嘆くと、会話がつまらなくなる

若いときには楽々とできたことが、老いてくるとできなくなります。

ほとんどの人が60歳頃から自分の体力や知能の衰えを感じていきます。徹夜はできない。旅行から帰ってくると疲れて2、3日ダウンする、たくさん荷物が持てない、知っているはずの固有名詞が出てこない、できなくなっていくことをあげればきりがありません。

あなたのまわりにも、会えば「できない話」ばかり話す人はいませんか。

「もう、目がしょぼしょぼして、テレビ見るのもおっくうだし、本も読まないわ」と会えば同じ話をします。そういう人になってしまうと、友達も同じような人ばかり集まり、みんなでできないことの自慢合戦になることもあるでしょう。

ただ、こういう方は家族や若い人に疎まれやすくなります。

若い人には日々衰えていく肉体の感覚はわからないものです。同世代なら「わかるわかる」と盛り上がれる話でも、若い人は共感する術(すべ)はないのです。その結果、会話は退屈なものになります。

「子や孫がわかってくれない」と嘆いても仕方ないのです。彼らにはわからないのです。あなたが若いときに高齢者の思いを慮(おもんぱか)ることはできたでしょうか。

できれば、同世代以外の会話の中でできなくなったことを嘆くことはやめましょう。つまらない高齢者と思われるだけです。

■ひとり暮らしの87歳男性の日課「具沢山の味噌汁をつくる」

また、年上の人にもできないことを嘆いても、80歳以上の方はできないことの最先端を生きているので、「あなたなんてまだまだよ」とあしらわれます。

できなくなっていくのは生物学的に仕方のないこと。そこにこだわり続けていると、老人性うつ病になりかねません。

それよりも、いまできることを大切にしていきましょう。

できることがまだまだあるはずです。本が読むのがつらくなったら、オーディオブックという手もあります。手元の新聞や雑誌などにゆっくり目を通すのもいいでしょう。

新しい話題を仕入れてみる努力をしてみましょう。わからないことは調べたり、若い人に聞いてみたりします。そんな努力をしてみることが老いた脳には大事なのです。

自由な心で暮らすとは、いまの自分を肯定することです。昔の自分とは比べない。もう昔の自分はいないのです。でも、円熟したあなたがいます。まだまだ、あなたにはできることがあるはずです。それを喜んでいきましょう。

夜更かしできないのは当たり前のことです。脳は睡眠によって脳の老廃物をデトックスしています。認知症予防には睡眠は大事な要素になります。

「夜更かしできなくなった」ではなく「たくさん寝ている」ことを喜びましょう。「仕事がない」と悲観するより、「この収入でどうやりくりするか」の冒険の生活を楽しみましょう。

現在は便利なものがたくさん出てきました。それらの機器ができなくなったことを助けてくれます。

ある87歳のひとり暮らしの男性の日課は、具沢山の味噌汁をつくることです。それさえあれば、買ってきたお惣菜ひとつで心豊かな食事ができるそうです。いろいろできなくなってきたけれど、今日も味噌汁をつくることができた。

味噌汁
写真=iStock.com/Yuuji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuuji

そのことを話してくれるだけで、まわりの人に明るい気持ちを持たせることができるんだなと私は思いました。

ぜひ、今日は何ができたと話してみてください。できたことだけではなく、きれいな雲を見たとかトンボが飛んでいたとかでもいいのです。あなたの発見も話してみましょう。同世代の会話でも、違う流れが出てきますし、若い人もあなたの話に耳を傾けてくれるかもしれません。

■「ひとりを楽しめる自分」をつくる

先の記事でも触れましたが、100歳近くなると友達はまわりからいなくなります。

心配して訪ねてくる人はいても、孤独になっていくのは必然なことです。老齢期に入るときに必要なことはひとりでいる力をつける、ひとりでも楽しめる技を持つことだと思っています。

本当は、ひとりで楽しめる力は子どもにも必要です。

昨今、いじめやSNSの被害や若年者の犯罪のいろいろなものの底にはさびしさがあると思っています。人とつながりたいと友達やSNSに依存しがちになります。

「ぼっちが怖い」「ぼっちと思われたくない」という言葉もよく耳にします。こういう体質と性格のまま大人になり高齢になると、やっかいな高齢者になることでしょう。

そう考えると「オタク」というのは、生存的には強い性質を持っているのかもしれません。時流に流されずに好きなものは好きなのです。ひとりで自分が撮った写真を眺めていれば幸せです。思い出も蘇ってきます。

Fさんは若い頃から鉄道ファンでした。青春18きっぷで日本の鉄道は全部乗りました。

子育ても終わり、お金に余裕ができてからはカメラに凝りだして、珍しい写真を撮りに行きます。それをパソコンで整理して楽しんでいます。

写真を撮るシニア男性
写真=iStock.com/kumikomini
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kumikomini

■子どものような心と好奇心を持ち続ける

娘に言われたそうです。「そんなにお金をかけて写真を撮っているのなら、コンテストに出せば」と。でも、別に人に見せるためでもないし、人の評価がほしいわけでもないとFさんは答えました。

「それなら、せめて家族や友達に見せてよ」と娘さんに言われて、ブログの開設の仕方を教え込まれたそうです。四苦八苦してブログに写真をあげると、孫が「旅に出かけたくなった」とコメントをしてくれるそうです。

その後、病を持ち、ひとり暮らしの生活をすることに精いっぱいで、新たな写真は撮れなくなりました。今は、昔の写真を少しずつブログに載せて思い出をつづっているそうです。

「もしかしたら、これだけが私の形見になるかもしれないけど、けっこう大変な作業になっています」と話していました。Fさん亡き後も、Fさんの思い出はブログに残るのです。

簡単にひとりを楽しめる自分になるといっても、高齢になってからは急にオタクになれないと言われたこともあります。私も若い頃から趣味を持っていて継続しているのが理想とは思います。

しかし、70代でも80代でも何かにはまる人はいます。そのためには子どものような心と好奇心が必要なのかもしれません。

70代でアイドルや韓流ドラマに夢中になる人もいますし、囲碁を始める人もいますし、薔薇(ばら)を育てはじめる人もいます。どうぞ、ひとりの時間に機嫌よく過ごせる自分を開発していってください。

■施設に入れる安心感は誰のためか

身体がまったく動かなくなって医療的処置が必要だったら、施設へ入るのも仕方ないかもしれませんが、実際に身体が動かず医療的処置が必要なALS(筋萎縮性側索硬化症)の方が、訪問医療、訪問介護、訪問ヘルパーの支援の下に自宅で過ごしています。

動かせるのがまばたきだけになってもパソコンを操作しています。そういうことを考えると、施設に入るのも簡単に決断しないで、じっくり考えてほしいと思います。

有名な小児科医で文筆家である松田道雄さんが『日常を愛する』(平凡社)という著書で次のように書いていました。

自分の家から離れられないというのは、自分の日常から別れたくないからである。部屋、台所、戸棚、押し入れ、ふとん、食器、衣類、庭、すべてが、自分の美しかった日常の舞台であり、小道具であったのだ。そのひとつひとつが、柱のきず、壁のしみまで孤独の生を安定させるために必要だった。

どんなに狭くて汚くても我が家は我が家です。

高齢になると、家事も完ぺきにはできません。洗い物がたまっていたり、ものがきちんと片づけられていなかったり、シーツが汚れたりしています。

たまに来る子どもや福祉の人は顔をしかめ、「衛生的ではない」と言います。ひとりではもう家事は無理だから施設に入りなさいとすすめる人のほうが多いでしょう。

施設に入れば、清潔に暮らせて、食べることに心配はいりません。

施設に入所すると、「これで安心でしょう」と支援者は去っていきます。子どもはめったに来ない、行政の保健師さんやケアマネジャーさんが訪問してくれることもない。毎日同じスタッフがお世話をしてくれて、何もしなくてもよい。

「これで安心だわ」と言うときの安心は、高齢者の安心ではなく、まわりの安心なのでしょう。ひとり暮らしで孤独死をしてもらっては困る。子も行政も責められるからです。まずは施設に入れれば安心なのです。

車いすの女性
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

■日課の朝一杯の濃いコーヒーも飲めない

私は孤独死が不幸だとも限らないと思います。自分の城で死ぬのは本望と思う方は多いでしょう。孤独死を嫌がるのは、まわりの人です。迷惑がかかるからです。高齢者も迷惑をかけるのをおそれて、子どもや支援者たちの言う通りにしてしまいます。

でも、高齢者本人の自由は確実に奪われます。

朝は、濃いコーヒーを一杯飲みたいという人がいました。自分でのろのろとゆっくり動き、豆を機械で挽きドリップをしてコーヒーを淹(い)れて、朝ドラを見て家事をしてから10時半に朝昼兼用のご飯を食べます。夕食は5時に好きなものを食べ、寝る前にタブレットで映画や動画を見て寝ます。

そんな方が、大腿骨頸部(だいたいこつけいぶ)を骨折して入院したあとに施設に入れられてしまいました。リハビリのおかげで、押し車を使って歩けるようにはなったのですが、気持ちが落ち込んでいたために、まわりがすすめる施設入所を承諾してしまったのです。

しかし、施設には朝のコーヒーはありませんでした。朝、昼、晩と同じような食事を食べます。口に合わなくて残すと、「全部食べなさい」と食べさせようとします。インスタントコーヒーは許可してもらい、部屋で飲めるようになりましたが、いちいち施設の許可がいります。

■自分の自由を守るために在宅での暮らしを大事にする

さらには、施設にはWi-Fiが設置されていなかったのです。タブレットを持ってきても動画を見ることもできません。部屋にテレビもなく、みんなが集まる食堂でしかテレビは見られませんが、ほかの人が見ているのにチャンネルを変えてとは言えません。

一週間は我慢したそうですが、耐えられなくなり「家に帰りたい」と訴えて騒いで家に帰らせてもらったそうです。この方の子どもたちに理解があったので家に帰ることができました。

和田秀樹『100歳の超え方』(廣済堂出版)
和田秀樹『100歳の超え方』(廣済堂出版)

ときに、高齢者の「家に帰りたい」という希望は、認知症の不穏行動だと関係者に認識されて、向精神薬を服用させられたりして、施設に入ったら簡単には家に戻れない場合もあります。

ですので、施設に入るときはよくよく考えてほしいと思います。

できることなら在宅でどこまでできるか、自分で工夫してみましょう。私たちが自由に生きるために必要なのが自分の部屋であり、自分の勝手知ったる台所なのです。

自分の自由を守るためにも、在宅での暮らしを大事にしていってほしいです。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」

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(精神科医 和田 秀樹)

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