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ベッドに寝たきりで外出できず、持ち前の社交性も発揮できない…そんな98歳の老婦人が見つけた"楽しみ"

プレジデントオンライン / 2024年1月10日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SilviaJansen

後悔しない人生を過ごすにはどうすればいいか。精神科医の和田秀樹さんは「長生きして後悔する人は『やればできたことをやらなかった自分』を悔やんでいることが多い。年を重ねてあきらめが生まれたり、自分にブレーキをかけるのではなく、むしろ180度考え方を変えて『いましかできない』と気づけるかが大切だ」という――。

※本稿は、和田秀樹『100歳の超え方』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。

■70代になっても「いましかできない」と気づけるか

70代80代くらいになった頃でしょうか。人生がわかったような気になることがあります。

自分にできることとできないことの判断がつくようにもなります。

「どうせ無理」とか「いまからやっても間に合わないだろう」といったあきらめが生まれたり、「たぶんつまらないだろう」「疲れるだけだ」というように自分にブレーキをかけたりするようなことです。それまでの経験からある程度の結果予測ができるようになるのです。

でもそういう「老いの経験値」が役に立つことはありません。

結局、何もしなくなったら結果も出ないのですから、頭の中がもやもやしてくるだけでスッキリしないのです。

それくらいならむしろ、180度考え方を変えてみましょう。それは「いましかできない」と気がつくことです。

「どうせ無理」と考えるのは、自分の老いを意識するからです。

「これからは毎年、身体が動かなくなっていくんだし」と考えるのも、老いが加速することだけを想像しているからでしょう。

でも、体力も気力もこれからますます下り坂というのでしたら、「いまがピーク」という考え方もできます。下り坂を見下ろす頂点にたっているのが「いま」です。

だとしたら、やってみたいことや試してみたいことがあるなら、むしろ「いまならできる」という考え方があってもいいはずです。

■「もう10年、せめて60代だったら」とブレーキをかけてしまう

海外にアパートでも借りてそこでひと月ほど暮らしてみるとか、自分には才能がないとあきらめていたけれど憧れだけは残っているようなこと、たとえば絵を描くとかギターやピアノを習ってみるとか、あるいは、いままでは観るだけ、読むだけで満足していた映画や小説を自分で創作してみるといったようなことです。

こういうことは、ほとんどの場合、思いついたとしても、「あと10年若かったら」と打ち消してしまいます。

でも、10年前にもし思いついたとしても同じです。やっぱり「もう10年、せめて60代だったら」とブレーキをかけていました。

その結果、どうなったでしょうか。

自分の人生にいくつもの悔いが残っています。「あのとき、少しぐらい不安があっても、やるだけやってみればよかったんだ」と悔やみます。「だって、いまよりまだ若かったし、まだ元気だったんだから」。

つまり、長生きして後悔する人は、やりたいことができなかったことを後悔するよりも、「やればできたことをやらなかった自分」を悔やんでいることが多いのです。

外を見ている老人
写真=iStock.com/PonyWang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PonyWang

■とにかくやりたいことを始めてみる

几帳面な人ほど、新しいことに手を出してもその入り口でつまずいたり、なかなか先に進めなくて結局、あきらめてしまうことがあります。

どうしても教わった通りにできないことがあったり、自分が納得できるようにいかなかったりするときは、そこから先に進めなくなってしまい、「私には向いていない」とあきらめることが多いからです。

でも、入り口であきらめてしまったら、どんなことでもいちばん楽しい部分や憧れていた瞬間を味わうことができません。何かを習えば発表の場があったり、何かをつくっても完成の瞬間があったりして、そこで「続けてきてよかった!」と喜びに包まれるからです。

70代80代になって、やってみたいことが見つかった場合でも同じです。「好きだから」「楽しそうだから」「ずっと憧れてきたから」、理由はなんでもいいのです。とにかくやりたいことを始めてみる。

最初はうまくいかなかったり、イメージと違っていたりと苦労することが多いでしょう。

そういうときでも、「やっぱり無理かな」と考えるのでなく、「最初はこんなもんだろう」と軽く受け止めましょう。

■雑になることはたくましく生きるということ

「いまがいちばん苦労する時期だからしょうがない」と考えれば、「ここさえ乗り切れば」と自分を励ますことができます。

そこでもし、「いまからこんなじゃ」と先を案じる気持ちになってしまうと「この先はもっと大変だろう」としか考えません。どうしたって「やっぱり無理かな」と弱気になってしまいます。

その点で「最初はこんなもの」とか「これだけできれば上出来」という緩(ゆる)い自己採点は強いです。

「それじゃ、結局失敗するんじゃないか」と思う人がいるかもしれませんが、80歳過ぎて何か始める人に完成度を求める人なんかいません。たいていは「あの歳でよくあそこまで」と感心してくれます。

それに、どんなに覚えが悪くなっていても、だてに歳はとっていません。いざとなれば「アタシはこれでいいの」と開き直ることだってできます。畑仕事に熱心なおばあちゃんでも、いよいよ身体が動かなくなってくると意外に手を抜くそうです。

「若いころは草一本取り残すのは嫌だったけど、なあに、少し雑草が生える速さと競走したほうが野菜の味がよくなるんだよ」とカラカラ笑います。

100歳でも元気に動いている人には、そういう雑さが自然に備わってくるような気がします。それがたくましさというものでしょう。

農園を楽しむシニア女性
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

■自分に厳しい人は、身体の老いを受け入れられなくなる

身体の衰えは、嫌でも老いを実感させます。「まだ若いつもりだったけど、歳には逆らえないものだな」と感じるのは、やはり体力の衰えやさまざまな運動機能の衰えを知るからです。

でも、そこで「もう昔のようにはいかない」とあきらめてしまって、身体を動かさなくなると、衰えはますます加速されます。

「昔のようにはいかない」といっても、何もかもできなくなるわけではありません。時間はかかっても、完ぺきではなくても、できることはまだまだあるはずです。そのできることだけでも続けられるかどうか、それが大事になってきます。

そのとき、気持ちがポキンと折れてしまう人と、あきらめないでしぶとくできることを続ける人に分かれます。

ポキンと折れてしまう人は、「昔のようにいかない」というだけで自分に失望するような人です。あきらめない人は、同じように「昔のようにいかない」と思っても、「この歳でこれだけできれば、まだまだ立派なもんだ」と自分をほめて自信を取り戻せる人です。

両者の違いがどこから来るかというと、私は自己採点の厳しさ、甘さの違いではないかと思うことがあります。

自分に厳しい人には「こうでなければいけない」とか「こうあるべきだ」という思考法、いわゆる完ぺき主義が強く残されています。若いときからそういう傾向があったのでしょう。

それが年齢を重ねても変わらず残されていると、自分を責めたり苦しめたりすることになります。

逆らえない身体の老いにまで完ぺき主義を当てはめてしまうと、身のまわりにできないことだけがどんどん増えてしまいます。

その点で、自分に甘い人は老いも自然に受け入れ、上手に身をかわすことができます。

■少しずつ「雑さ」に慣れていこう

できないことがどんなに増えてきても、できたことだけ数えますから「まだ捨てたもんじゃない」「おや、わたしも大したもんだね」と上機嫌です。これなら身体を動かし続けることも苦痛ではありません。

60代70代であっても、もちろん同じです。もう仕事の第一線からは退いたのですから、完ぺき主義から抜け出すように心がけてください。

そのコツをひとつだけアドバイスします。

いろいろな作業や家事、料理でも掃除でも洗濯でも、「ちょっと雑だったかな」と思うぐらいのレベルだけ受け入れるのでなく、「しかしあまりにも雑すぎるな、笑ってしまうわ」くらいのレベルまで受け入れてしまうことです。

完ぺき主義の人の「ちょっと雑かな」は、そうでない人から見れば「これでどこが雑なのよ、キチンとしてるじゃない」と思われることが多いのです。

その証拠に、そういう完ぺき主義の人が知人の自宅に招かれると、「ずいぶん散らかっているなあ」とあきれます。招いた知人は、「あなたが来るから、さっきあわてて掃除したのよ」と言います。「普段はもっと散らかっているよ、これでも片づいているほうだよ」と笑っています。

高齢になったら楽に、気持ちよく生きていくのがいちばんです。雑さに慣れたほうが楽だし、それで本人が気持ちいいなら言うことなしなのです。

掃除を楽しむ年配女性
写真=iStock.com/kumikomini
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kumikomini

■楽しみを残してそれをいつまでも味わい続ける

好きなことややりたいことに夢中になって気がつけば100歳、という人たちだってさすがにだんだん体力や気力が衰えてきます。

勤勉だった人が終日、庭を眺めてぼんやりしていたり、どこにでも出かけていた人が出不精になったりするようなことです。絵を描いていた人でも、画風が変わってきたり、長い小説を書いていた人が、淡々とした身辺雑記しか書かなくなるようなことです。

でも、好きなこと、やりたいことをやめてしまうことはありません。作風が変わろうが小品が多くなろうが、やはり好きなことはやめません。

つまり、できることはやり続けるという生き方は死ぬ直前まで変わりません。

この好きな世界に生き続けるということも、老いがいよいよ進んできたときの指針になってくるような気がします。つまり無駄な体力や頭脳は使わずに、楽しみを残してそれをいつまでも味わい続ける生き方です。

野山を歩くのが好きな人でも、庭の草花を育てて満足できるようになったら、それはそれで楽しみを味わい続けることができます。

施設に入ってほとんどベッドに寝たきりになった98歳の老婦人がいます。

彼女の若い頃からの趣味は、着物を着ることと旅行や外食でした。人前に出るのが好きで社交性があったのです。

でも、寝たきりになってしまうと、さすがに着物姿にはなれません。外出もできなくなれば社交性も発揮できません。もちろん外食もできませんから、だんだん元気がなくなってきます。

■できることが少なくなっても大きな楽しみは育っていく

ところが、ときどき訪ねて話し相手になっていた娘さんが驚いたそうです。

久し振りに会ったら元気いっぱいで見るからに若返っていたのです。会話も弾んで昔話が次々に飛び出します。理由はすぐにわかりました。98歳の母親のサイドテーブルにお化粧の道具が一式そろっていたからです。どうりで若返って見えたはずです。

「いまはお化粧するのがいちばん楽しみだね。もう歳だからきつい化粧は似合わないけど、鏡を見ながら『もうちょっと濃くしてみるかな』『紅はこの色がいいな』と考えながら試しているとほんとに楽しいね」

和田秀樹『100歳の超え方』(廣済堂出版)
和田秀樹『100歳の超え方』(廣済堂出版)

「楽しみができてよかったね」と娘さんは頷いたそうです。

「そうだよ、もうお化粧ぐらいしかできることはないけど、身体が動かなくてもこんなに楽しめるんだからよかったよ」と母親も答えます。

たぶん、鏡を覗き込むたびに、自分が若かった頃の楽しい思い出が蘇るのでしょう。私はそういう100歳なんて素敵だなと思います。

できることがどんなに少なくなっても、100歳まで生きる人はその中に楽しみを見つけ、自分で育てていくことができる人なのでしょう。

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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」

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(精神科医 和田 秀樹)

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