ユニクロ柳井正が「退職の手紙」を送った唯一の相手…今も語り継がれる「イオンを創った女」の経営論
プレジデントオンライン / 2023年12月30日 9時15分
※本稿は、笹井清範『店は客のためにあり 店員とともに栄え 店主とともに滅びる 倉本長治の商人学』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「イオンを創った姉弟」は40坪の呉服屋から始まった
その人は日本の流通業界の豹(ひょう)のような存在といってよい――。
「日本商業の父」といわれ、小売流通現代史に名を刻む商人たちを育てた倉本長治に、こう言わしめた商人がいる。倉本はその著『此の人と店』(1975年・商業界刊)で、イオン名誉会長相談役(当時・ジャスコ代表取締役社長)を「若き俊英」と表現し、次のような思い出を披露している。
戦争が終わり3年ほど過ぎたころ、倉本はある知人の紹介で三重県四日市の岡田屋呉服店を訪ね、千鶴子、卓也という姉弟と出会う。祖父の店を売り、戦後に開通したばかりの新道沿いに40坪ほどの店を建てて間もないころだったが、さらにそれを2倍の規模に拡張工事中であったという。
「商品供給も十分ではないのに、それほど大きな店舗が必要だろうか」と、倉本は増築中の足場を渡りながら姉弟に訊ねた。すると、「これからはどんどん商品が出回るし、生活用品やいまや何でも不足しているのですから、店は大きければ大きいだけ有利であり、お客様にも便利ではありませんか」と卓也が勇ましく答えたという。
倉本は「いかにも自信に満ちていて、見るからに名人が鍛え上げた短剣に接するような感じを与える。末頼もしい青年だった」と述懐している。
■名物経営者を多数輩出した「商人の道場」
その後の1951年、倉本が商人の学びの場として「商業界ゼミナール」を開催するようになると、岡田姉弟も参加。以来、生涯にわたって倉本はこの姉弟を導き、姉弟は倉本を商売の師として慕い続ける関係となる。
後に商業界ゼミナールは「商人の道場」といわれ、最盛期には3000人超の商人が全国から集った。そこでは若き日のダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ニチイの西端行雄、長崎屋の岩田孝八、セゾングループの堤清二、ユニーの西川俊男らが席を並べて学んでいた。岡田卓也が後に合併を果たすフタギの二木――と出会い、親交を深めていくのもまた商業界ゼミナールであった。
倉本をして「豹」と言わしめた岡田卓也とは、商人としてどのように出発したのだろうか。それを如実に物語るエピソードが『岡田卓也の十章』(2007年・商業界刊)にある。卓也20歳のときのことである。
■卓也がチラシに記した「焦土に開く」の意味
卓也はいまから260年以上前に創業した岡田屋という老舗呉服店の7代目として生まれる。大学在学中に軍隊入隊を余儀なくされ、20歳のときに茨城県鹿島で終戦を迎え、故郷の三重県四日市へと帰ってきた。
復学すると同時に、姉の千鶴子たちと一緒になって家業を復興しようと、学生のまま社長に就任した。戦争で店舗は焼けてしまったが、先祖代々が守ってきた「岡田屋」という暖簾、つまり無形の信用だけは焼け落ちることはなかった。
卓也は先祖代々ずっと商売をしてきた店の跡地に、バラックのような40坪の店をつくった。1945年の9月から、資材を集めるだけでも半年かかったという。従業員5人からの再出発だった。
学生社長だった卓也は、東京の大学に夜行列車で行き、また夜行列車で帰ってきては、週の半分以上を岡田屋で励んだ。そして、営業再開を知らせるチラシに卓也はこう記した。
焦土に開く――。
■イオンが「平和産業」を掲げた原点
日中戦争以降、暮らしは統制経済下に置かれ、国民の生活は一貫して統制経済下にあった。商人は自由にものを売ることができなかったし、チラシをまくこともできなかった。それゆえ、チラシを見た多くの客が岡田屋を訪れ、中には「やっと戦争が終わったんですね」というなり、涙を流す人もいた。
終戦の事実は何度もラジオで放送され、新聞でも報道されていた。しかし、それでも庶民にとって戦争終結の実感は薄かった。しかし、卓也がまいた一枚のチラシが、本当に平和が戻ったことを告げたのだ。
その日以来、卓也は「小売業は平和産業である」と確信。それがイオンを創った男の出発点となった。ここから9歳離れた姉、千鶴子との二人三脚が始まった。
■“最底辺”とされた商人の地位を変えたい
「良き商人とはすなわち良き人間のことである」と倉本は言ったが、卓也ほど「公」と「私」を峻別した商人は珍しい。創業者利益をほとんど「私」にせず、ほとんどの財産を教育や環境財団という「公」へと注いだ。日本の近代商業史を見渡したとき、こうした例は少ない。
また卓也は、小売業の社会的地位の向上にその人生の大半を尽くしてきた商人でもある。これは戦後のチェーンストア志向企業創業第一世代に共通する認識でもあるが、卓也にはその傾向が強かった。「士農工商はいまだ終わっていない」と常々口にするが、それには四日市時代の次のようなできごとが起因している。
四日市の商工会議所は工業都市であったためか、会議所の全議員55人中、小売業の評議員はたった2人しかいなかった。そこで卓也は商業部会長となると同時に、小売業者から10人を議員にしようと、10人が当選できるだけの委任状を集めて回った。議員選挙で商業部会から立候補する10人が全員当選するとなると、他部会から8人の議員におりてもらうことにある。
■「小売業なんて雑魚じゃないか」
「岡田君、小売業なんて雑魚じゃないか」
年配の工業部会担当の副会頭に言われて侮辱されるものの反発し、会頭が他部会を説得して9人まで議員を辞退させた。そして、商業部会も1人立候補を辞退するよう卓也に諭すと、「これだけ会議所を混乱させたのですから、私が降ります」というと、「君は降りるな」と会頭。卓也は会長推薦議員となり、小売業者から10人の議員が誕生することになった。
以来、卓也は士農工商と闘い続けてきた。そのためには小売業の社会的地位を高めなければならない。商業は平和産業であり、平和の中で価値を創造し、社会の豊かさ、生活者の暮らしの豊かさを支える産業でならなければならない。これがイオンを創った男の原動力となった。
卓也は倉本についてかつてこのように語っている。
「私は四日市の商人の家に生まれ、終戦後これからの生涯に何に力を入れようかと悩んでいました。そのとき、倉本長治主幹にお会いする機会があり、商人、小売業とは何か、さらに商人である前に人間としてどう生きるべきかなど、数多くのことを学びました。(中略)
近年、企業の倫理観の欠如が問題に上がっています。これは、今日の日本の繁栄を築いた基本理念が忘れられているためであり、あらためて倉本主幹の教えを学ぶことはたいへん有意義なことだと思います」(倉本初夫著『倉本長治 昭和の石田梅岩と言われた男』推薦文より)
店は客のためにある――。卓也が倉本から学んだ精神がその商いの根本にある。
■イオンを創った女・千鶴子に見る「商売の本質」
イオンを創ったもう一人の商人、卓也の姉、小嶋千鶴子について倉本はこう書き記している。
「その昔、岡田卓也君よりもむしろ、その姉君なる小嶋さんが総体の采配を振るう店主ででもあるかと思った。その女丈夫らしい女性が実にてきぱきと万事を指揮しているのを見て、岡田屋はじつにこの婦人が弟を援(たす)けかばうようにして築いたのであるという印象を強く受けた」(倉本長治著『此の人と店』)
千鶴子もまた卓也と同じく原理原則の人である。こんなエピソードがある。
四日市の岡田屋時代、千鶴子も店に立っていた。そこに母親と小さな子どもづれの客がやってきた。その親子は、弁当箱の売場の前でずっと何か迷っている様子だった。すると母親がレジに来て、「ありあわせのお金が足りないので、まけてもらえないでしょうか」と言った。
聞いてみると、親子はその店から相当遠いところから歩いて来ていて、「お金を取りに戻るのはとてもじゃない。明日はこの子の遠足なので、弁当箱がどうしても欲しい」という。
■着服したレジ係と庇った店長を両方クビにした理由
かつて倉本長治は、「売価は実印を押すつもりでつけよ」といい、戦後の闇市商売が横行していた中で、人によって売価を変えないという「正札販売」を提唱し、全国の商人から絶大な支持を得た。
人によってまけるのは公平の原則に反することになる。気の強い人はまけてもらって安く買えるが、気の弱い人は買えないことになる。だから「正価」は守らなければならない。千鶴子はそれを倉本から学んでいた。
「申し訳ありませんが、うちはまけることはできません」と千鶴子がいうと、親子は恨めしそうな顔をしてとぼとぼと夕暮れの中を帰っていった。千鶴子は後を追いかけて、懐から財布を出し、言った。
「値段はまけることはできませんが、これは私が個人でお貸しします。今度来られたときにいつでもお返しくださればけっこうです。これを足してお買いになってください」
また、あるときは従業員のレジ係の女性が不正を行い、売上金を抜いていた。店長はそれを知り、自分のポケットマネーでそれを埋めていた。千鶴子はこれを見つけると、「抜くのも入れるのも不正だ」と店長を処分する。しかし、千鶴子はこの店長の就職をとことん斡旋してやるのである。
原理原則は曲げない。しかし、商売には情も必要だ。情に流されて原理原則を曲げたら、公平校正の原則に反する。情と理を並び立たせるには、原則を守るという厳格さが必要になる。これが小嶋イズムである。
■戦災で紙くずになった商品券に対する“神対応”
時代はさかのぼり戦時中のこと、戦災で四日市の中心部が焼け失せたとき、岡田屋もまた全焼する。しかし、主たるお客様である郡部の人たちの多くは岡田屋の商品券を持っていた。それなのに、岡田屋が焼けてしまったと聞いたら、大損をしたと思い、商品券などあてならないと不信感を抱くだろう。
これは岡田屋の名誉にもかかわるが、それ以上に四日市のすべての商人の信用のためにならないと千鶴子は考えた。すぐさま、すべての商品券を現金と交換するという新聞広告を出す。お客様たちは「さすが岡田屋さん」とますます店に対する信頼を強くしたという。
その後、卓也が出征してからというもの、四日市の廃墟にも似た焼け跡には日に日に敗戦の影が濃くなっていった。しかし、岡田屋再建の種子はそのときすでに廃墟の灰の中にまかれていたのである。
また、千鶴子はたいへん勉強熱心な人だった。だから、商業が他の産業に伍して基幹的な存在になるためには、知識教育を行い、しかるべき人勢を育成することが必要だと考えた。だからどこよりも早く学卒を採用し、業界に先駆けて「オカダヤ・マネジメントカレッジ」を開講。一般大学の教養課程講座を中心にカリキュラムを組み、教養を身に着けさせることで人間としての成長を促した。
■あの柳井正氏も、千鶴子にだけは手紙を書いた
教育によって、社員一人ひとりのレベルを向上させることができれば、お客様により高い満足を感じてもらえ、結果として企業力も高まるという千鶴子の教育者としての信念がそこにはある。このDNAはジャスコ、そしていまもイオングループに脈々と受け継がれている。
さて、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が大学卒業後、ジャスコに入社したことは拙著の冒頭に記した。じつはそのときに面接を担当したのが、人事部長であった千鶴子であった。ところが、柳井は10カ月でジャスコを退職することになる。
「それでも退職するときに、小嶋さんにだけ手紙を出しました。こういう理由で退職しますという手紙を書いたんです。この人だったらひょっとして僕の気持ちをわかってくれるんじゃないだろうかと思ったのです。それぐらいジャスコでは印象深い人でしたね」
柳井と岡田姉弟との縁はまだある。1994年、ファーストリテイリングが広島証券取引所に上場して間もないころ、倉本が主筆を執った「商業界」誌面上で岡田卓也と柳井が対談する機会を得た。そのとき柳井は倉本が唱えた「店は客のためにある」は「店員とともに栄える」と続くことを岡田から教わる。
以来、ファーストリテイリングは「個の尊重、会社と個人の成長」を重要な価値観の一つとして掲げ、社内人材育成機関「FR-MIC(FR Management and Innovation Center)」など従業員一人ひとりの成長と自己実現をめざし、能力開発に向けたさまざまなプログラムを提供している。「店は店員とともに栄える」という倉本の思想は、小嶋千鶴子から柳井正へ確実に受け継がれている。
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商い未来研究所代表
商業経営専門誌「商業界」で現場取材を重ね、2007~2018年まで編集長を務める。中小独立店から大手チェーンストア、小売業から飲食・サービス業、卸売業、農業、製造業など25年間で4000社超の企業、業種を取材。そこに共通する“繁盛の法則”の体系化をライフワークとする。2018年より、多くの商業者を育成・輩出してきた「商業界ゼミナール」を運営している。2020年、暮らしを心豊かにする事業に関わる人たちへの支援を目的に、「商い未来研究所」設立。研修やコンサルティング、講演や執筆に取り組む。商人応援ブログ「本日開店」では、取材から学んだ“商いの心と技”を発信。座右の銘は「朝に礼拝、昼に精励、夕に感謝」。著書に『売れる人がやっているたった四つの繁盛の法則』(同文舘出版)。
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(商い未来研究所代表 笹井 清範)
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