20代の2人に1人が「パナソニック」を知らない…衝撃の調査結果を手に、経営陣が立ち返った松下幸之助の言葉
プレジデントオンライン / 2024年1月5日 13時15分
20代~60代の全体では80~90%台を保っているパナソニックブランドの認知度だが、2017年の段階で90%だった20代の認知度が、2021年には53%まで落ちている。(出所=『ブランディングという力 パナソニックはなぜ認知度をV字回復できたのか』)
※本稿は、上阪徹『ブランディングという力 パナソニックはなぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■この会社をサステナブルにすることが、私の仕事
――グループCEOに就任するにあたり、楠見さんがその根幹に据えたのは、一人ひとりの行動をどう変えていくか、だったんですね。
弊社はもともと、とりあえず利益が出たらいい、という考え方ではないカルチャーを持つ会社なんです。ただ、苦しい時期に直面して、まずは利益を、ということが社員に対しても言われるようになった。
「どれだけの営業利益を出さなあかんのや」、あるいは、「どれだけの販売いかなあかんねん」、ということが前に出た時期もありましたけれども、本来的にはそれはすべて結果なんです。
お客さまから信頼していただいて、どこの競合の会社よりも優れたご提案ができて、約束を守って、ご満足していただけて、喜んで対価を支払っていただく。そういうことができて初めて利益を得る、というのがもともとの我々の考え方なんです。だから、そういう原点に戻らないといけないと思いました。
また、我々の会社が何のためにあるのか、という点でも、社員一人ひとりが誇りを持てる考え方が伝えられてきていました。ところがいつの間にか、厳しい競争に勝つことだったり……いや勝つどころじゃないな、生き残ることが目的化してしまって、会社の存在意義を忘れかけていた。それが、この30年やと思うんですよね。
だから、この30年に失われていたものを取り戻して、一人ひとりが今はパナソニックですけど、創業以来の「松下」の社員らしい行動というのを、しかも今風にやっていただかないことには、会社はサステナブルにならない。
2年や3年で多少利益を上げるということよりも、この会社をサステナブルにすることが、私の仕事やと思っていますので。
■いつの間にか利益や売り上げが目標にすえられていた
――創業の原点に立ち戻ろうと考えたのは、どうしてだったのでしょうか。
30年間、成長していないからです。30年間、例えば、M&Aもたくさんやってきたわけです。
では、どうしたらいいのか。
かつての元会長、高橋荒太郎が口を酸っぱくして言ったことがあるんです。要は、誰にも負けない立派な仕事をして、お客さんに選んでもらうんやと。利益が出ていないというのは、そういう仕事ができていないということなんです。ほとんどの事業がそのような状況にありました。
私が就任直後に、まずは2年間は競争力強化に徹すると言ったのは、もう脇目を振らず、誰にも負けない立派な仕事ができるようになろうよ、というメッセージだったんです。誰にも負けないというのは、お客さまにお役立ちをするということです。お客さまに喜んでいただくということにおいて、誰にも負けない、と。
もちろん、商品そのもので喜んでいただくということもあるし、お客さまに対して誠意をちゃんとお示しするということもあります。そういうことを通じて信頼していただく。信頼していただいて喜んでいただくから買っていただけるというところにおいて、誰にも負けないということになれば、成長に転じることができる。
2年間ですべてできたかというと、できていないことも多いのですが、できているところがあればさまざまなステークホルダーから信頼されるんです。それがイコール、ブランドということにもつながると思うんですよね。
――ただ、従業員にこうすべきだ、こうしよう、というメッセージはさまざまな形でこれまでも発せられていたと思います。
メッセージといいますか、経営理念はありましたよね。あるけれども、身に付いてない。それは朝会がなくなって、「綱領」「信条」「七精神」を読まなくなったという理由もありますが、いつのまにか利益であるとか売り上げであるとかが目標にすえられるようになって、「それを達成せよ」ということになった。そして、達成しないと、達成できなかったことがとがめられるんですね。
本来はそうじゃなくて、なぜこれが達成できないか、自分たちでちゃんと振り返って反省すべきところを直さないといけないんです。もっと改善しよう、というコミュニケーションが起きればよかったのですが、経営的に厳しい状況においては、なかなかそうはならなかったんだと思います。
短期的な業績の回復で、多少株価が上がった時期もありました。私はこれまでの経過も見た上で、まずは短期的な成長をもたらす特効薬よりも、漢方薬の処方が必要だと思った。そして3年目には、漢方薬と特効薬の組み合わせをやろう、と。こういうことを考えたんですね。
■みんなでどこに向かうのか、がはっきり見えなかった
――取材のスタートにパナソニックミュージアムを訪問して、改めて松下幸之助という創業者のすごさを垣間見ました。
そうなんです。私たちは、それを入社直後から叩き込まれた最後の世代だと思います。私がちょうど入社した年、1989年に創業者が亡くなっているんです。4月の末、私は工場実習で奈良の大和郡山でガスの給湯器を作っていました。もう撤退した事業ですけれど。その工場でいきなりサイレンが鳴って、それからアナウンスが流れたのも覚えています。
幸之助創業者のメッセージには、弊社のいろんな研修で触れる機会があるんですが、こういう立場になる前は、そこまで深く考えていたかというと、違っていたかもしれないですね。それよりも、自分が担当しているオートモーティブ事業の赤字をなんとかしないといけない、といった目の前のことに気持ちは集中するわけです。
社長の内示を受けたときは、抵抗しました。「最低もう1年、オートモーティブをやらせてほしい。なんで今、社長せなあかんのですか」と。でも、すぐに陥落したんです。前任の津賀一宏に「俺のときとは違うんや」と言われましてね。
「俺は大坪さんにやってくれと言われただけやけど、今回は指名・報酬諮問委員会での決定やから」と。それはもう、どうにもしようがなかったんです。
そこからですね。いろいろ考え出したのは。すると、この会社はわかりにくいな、と気づきました。わかりにくくてもいいんだけれども、みんなでどこに向かうんか、がはっきり見えなかった。
それで、もともとこの会社は何を目指していたのだろうと考えながら、過去の資料を読んでいったときに気づくわけです。結局、行き着いたのは、1932年、創業から14年目の第1回創業記念式典でした。
そのときに幸之助創業者がみんなに伝えたことは水道哲学という名前で呼ばれていますが、その水道哲学と250年計画の手前に、とても重要な一文があったんですね。それが、「精神的な安定と、物資の無尽蔵な供給が相まって、初めて人生の幸福が安定する」という言葉なんです。物心一如です。
調べていくと、1946年のPHP研究所の設立のときの設立趣意書にも出ていますし、1979年の松下政経塾の設立趣意書にも出てくる。
幸之助創業者が目指したものとして、水道哲学はよく知られていますが、それは一面であって、本質は物心一如の繁栄ということに尽きるんじゃないかと。それを250年かけてやると宣言していたということは、我々はその25年1節の4節目を預かっているだけだと思わんとあかんねんな、と気づいたわけです。
■「地球環境ってイカンじゃないか」
そうしたとき、この4節から5節にかけて何をせなあかんのか。ここで大切なことは、創業者の目ざした物心一如の繁栄というのは社会全体を視野に入れたものなんですよね。ということは、当時は正直あまり関心がなかったのですが、「地球環境ってイカンじゃないか」と思うに至ったんです。
幸之助創業者の掲げた250年計画で考えると、ゴールの2182年は今から160年後です。そのとき、このまま地球温暖化が進んでいったらもう誰も住めないんじゃないか。火星に移住でもするのか。移住できなかったら、どうするのか。それで、これはまじめにやらんとあかん、と思ったんです。
かつて社長を務めた大坪が、環境革新企業を目ざす、と宣言したのも、おそらく彼もそういうことに気がついていて、そこに我々の価値を見出したんだと思います。ただ、残念ながらこれをまじめにやろうにも、環境関連の技術が当時はあまり整っていなかった。
2012年には巨額の赤字を前に、大坪から引き継いだ津賀も前任者を否定せざるを得なかった。加えて、プラズマテレビ事業が撤退するという、とんでもないことになりましたから、やりきれなかった。ただ、それによって何が起きたのかというたら、原価を突き詰めていくことが軽視されてしまって、余計に競争力を失ってしまったところがあったと思うんです。
幸之助創業者の時代は、少なくとも自分たちが、いかにお客さまや社会に役立つものを世に出していくか、を考えていた。そしてそこにおいて誰にも負けないということを目指していたんだと思うんです。
もちろん1950年代、60年代は今ほど便利ではない時代でした。まずは便利にしていく、70年代前半は2槽式が多かった洗濯機も、1槽式の全自動にしていく、テレビもカラーにしていく。
そういう利便性を追求していったら良かったんですが、それがある程度、家電については十分便利なものになっていった。その前兆があった中で、社長を務めた山下俊彦が多角化をしたわけですね。
多角化した結果、残ったもの、残っていないもの、いろいろありますけども、そこからは新しいものを生み出そうとしても、小手先なものが多くなっていってしまった。だんだんプロダクトアウトになっていったという側面もあると思います。
――原点に立ち戻ることについて、役員会含めて、周囲からはどんな反応がありましたか。
全員の腹に落ちたかどうかというのは、正直いうと、よくわからないですが、歓迎する声は多かったですね。「そこに戻らなあかんねんな」、とかね。OBからは、けっこう励まされました。「それ失ってたんや」、といわれました。
従業員は、目の前の仕事に追い回されながらですから、また何か新しい面倒くさいことをいいやがって、という側面はあったと思います。ただ、2割、3割の従業員は、すごく共感してくれたという印象があります。やっぱり、そういうことですよね、といわれたり。
今はコミュニケーションの方向もずいぶん昔とは変わっていて、ウェブサイトに仰々しいメッセージを載せるのではなくて、社内はSNSでやっていますから。双方向ですからね。
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パナソニック ホールディングス 代表取締役 社長執行役員 グループCEO
1965年生まれ。奈良県出身。89年京都大学大学院工学研究科応用システム科学専攻博士課程前期(修士)修了。同年松下電器産業入社。松下電器産業 コーポレートR&D戦略室 室長、パナソニック常務執行役員 オートモーティブ社社長などを経て、21年パナソニックCEO、22年パナソニック ホールディングス代表取締役 社長執行役員 グループCEO、グループCSO。23年より現職。
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ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。雑誌や書籍、Webメディアなどで執筆やインタビューを手がける。著者に代わって本を書くブックライターとして、担当した書籍は100冊超。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『マインド・リセット』(三笠書房)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)、『JALの心づかい』(河出書房新社)、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』(あさ出版)など多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。ブックライターを育てる「上阪徹のブックライター塾」を主宰。
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(パナソニック ホールディングス 代表取締役 社長執行役員 グループCEO 楠見 雄規、ブックライター 上阪 徹)
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