「大きなクルマが自慢」はもう日本人ぐらい…豊かになったベトナム人が自動車よりスマホにカネをかける理由
プレジデントオンライン / 2024年1月14日 7時15分
※本稿は、川島博之『歴史と人口から読み解く東南アジア』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■月収5万円以下なのに高級スマホをもつ若者たち
筆者はベトナムを見ているが、ベトナムでは日本以上のスピードでスマホが普及したように感じる。現在、全ての若者がスマホを持っていると言ってよい。今でもベトナム人の賃金は高くない。ベトナム人は安月給を補うために副業を行っているが、それでも平均的な労働者の収入は副業をあわせてハノイやホーチミン市などで1カ月に4万円から5万円、地方では2万円程度だろう。
しかし、そんなベトナムで10万円もするスマホを持っている若者をよく見かける。もちろん格安機種を持っている人が多いのだが、格安機種でも3万円程度はするから、それは月収に相当する。どうやって購入するのだろうか。日本人は不思議がっているが、それほどまでに猛烈なスピードでスマホは普及してしまった。また、新しい機種が出ると買い替えも盛んである。
■新聞もテレビも面白くなく、娯楽はスマホだけ
ベトナムには本屋が少ない。大都市にはあるが、地方で本屋を見かけることはまずない。新聞も少ない。ベトナムの新聞としてニャンザンが有名だが、それは共産党の機関紙である。そんな新聞を読んで面白いわけはない。だから、ベトナムの人々には日本人のように新聞を読む習慣はない。本も新聞も読まない。テレビは普及しているが、全てがNHKのようなもので、共産党の宣伝色が強くて面白くない。そんな社会でインターネットとスマホは急速に成長した。
ベトナムは経済成長が軌道に乗り人々の生活に余裕が出始めた時期と、スマホが普及する時期が重なった。中国では固定電話が普及する前に携帯電話が普及したと言われたが、ベトナムでは携帯電話が普及する前にスマホが普及した。
スマホは世界を大きく変えている。それはベトナムなど東南アジアにおいて顕著である。その結果、今後、東南アジアにおける経済発展は日本など従来型の発展とは大きく異なる可能性がある。
■自動車が「富の象徴」だったのは過去の話
スマホをいじっていると時間が潰れるので、スマホ以外のものを欲しがらなくなると言われるが、それは日本だけの現象ではないようだ。筆者が最も興味を持って見ているのは、東南アジアにおける自動車の普及である。工業生産の中で自動車が占める役割は大きい。自動車は裾野が広い産業である。
一人当たりGDPが3000ドルを超えると自動車が急速に普及すると言われる。2021年現在、東南アジアではインドネシア(4333ドル)、ベトナム(3756ドル)、フィリピン(3461ドル)などがその時期を迎えている。しかし、スマホが普及した現在、そのような過去の経験則はあまり役に立たないと考える。
自動車は移動手段であるとともに富の象徴だった。人はお金持ちになると、押し出しのよい大きな車に乗りたがる。日本でも車には富の象徴としての役割があった。私が覚えているCMに「隣の車が小さく見えます」、「いつかはクラウン」などというキャッチフレーズがあった。自家用車は移動手段であるとともに、見栄を満たすものでもあった。
それは中国でも同じだった。中国人は日本人よりももっと見栄っ張りだから、どの国の人よりも自動車を欲しがった。それも大きくて豪華な車。中国では、小型車は人気がないと聞いた。
■自転車や自動車のシェアは定着しなかった
しかし、そんな中国でも変化が起きている。2017年頃から車の販売が低迷し始めた。エコノミストはその原因を経済の減速によって説明しようとしているが、筆者はちょっと異なる現象が起きているのではないかと思っている。
車が売れない原因はスマホの普及にありそうだ。中国のスマホの普及は日本以上である。スマホが普及すると、新たな現象がいくつも起きる。その一つがシェア自転車であった。これは一時のブームで終わったようだが、それでも一時はすごい人気であった。
スマホはシェア経済に向いている。自動車のシェアも普及し始めた。ただ、シェア自動車はそれなりに面倒臭い。シェア自転車で問題になったように、管理が難しいためだ。みんなで所有するものは管理が難しい。社会学でいうところの“コモンズの悲劇”である。中国のシェア自転車のブームがあっと言う間に去ったように、シェアは経済の主流にはならないと思う。
その一方で移動手段に革命が起きている。それはウーバーやグラブに代表されるスマホを用いたタクシー・システムである。これは、東南アジアの交通事情に革命的な影響を与えている。
■自動車後進国ベトナムの「タクシー革命」
東南アジアでは、本格的な自動車の普及はこれからである。ベトナムでの自動車の普及は日本より50年、中国より20年は遅れている。現在、ベトナムの年間自動車販売台数は約50万台に過ぎない。それは日本が445万台、中国が2683万台であることを考えると、極めて少ない。
そんなベトナムではスマホを利用したグラブに代表されるタクシー・システムが急速に普及した。数年前まで、ベトナムのタクシーは信頼できなかった。遠回りをしたりメーターを改造したり、外国人だけでなくベトナムの人々もその柄の悪さを嫌っていた。
![タクシーのイメージ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/3/1200wm/img_b353274e96fba7cd3ff12bcef19f5114950607.jpg)
しかし、数年前からスマホを用いたシステムが普及し始めると、状況は大きく変わった。ここで重要な役割を果たしたのが白タク(免許を持たない一般人が運転するタクシー)である。ベトナムでは、誰もがスマホを用いてタクシー業を始めることができる。その結果、自家用車を持っている人が暇な時間を利用して、小遣い稼ぎを始めた。また、自家用車を貸して、借りた人がタクシーとして使うことも増えた。
一般の人がタクシーを安心して使えるようになった。スマート・タクシーでは動いた道筋が記録に残る。決済もスマホで行うことができる。現金で払ってもよいが、現金を使わなくてもよい。そんなシステムでは過大な請求をされることはない。
■白タクの登場でみんながハッピーに
人件費が安いこともあり、ベトナムのタクシーは安い。それに加えて、白タクがライバルになったために、プロのタクシーはよほどサービスを良くしないと、白タクにお客を奪われてしまう。
シェア経済の良い面が出たようだ。まだ地下鉄が一路線もないベトナムでは、人々は常に移動手段に困っていた。そんなベトナムでは、スマホを用いたタクシーが急速に普及した。
それはプロのタクシーの運転手にとっても、悪い話ではなかったようだ。なぜなら、流しでお客を探す必要がなくなったからである。料金が安いこともあって、すぐに客からスマホに連絡が入る。具体的なデータは知らないが、空車率は下がったと思う。その結果、観光地での強引な客引きも減った。
日本ではタクシーが信頼できるものであり、かつタクシー業界が過当競争気味であることから、スマホを使った白タクが許可されることはなかった。しかし、ベトナムではタクシー業界が幼稚な段階にあったために、スマホを利用した白タクが許可されて、それは交通手段に革命的な変化を及ぼした。
■運転手付きのマイカーを持っているようなもの
現在はベトナムでも自動車にクーラーが付いている。高級なホテルではなく一般の飲食店で食事をした後でも、スマホでタクシーを呼ぶと5分から10分ほどで店の前にタクシーが現れる。会計を済ませる前にタクシーを呼んでおいて、会計しながら待っていればよい。暑いベトナムでは、店の前までタクシーが来てくれるのは何よりのサービスである。これなら専用の運転手付きの自家用車を持っているようなものだ。
余談になるが、ベトナムではいつまで経ってもハノイやホーチミン市のモノレールや地下鉄が完成しない。それには役人の汚職が関係していると噂され、市民の怒りの対象になっていた。しかし、昨今、それを怒る人はめっきり減ったという。なぜなら、モノレールや地下鉄を利用する際には、駅まで歩いて行かなければならないし、駅を降りてからも目的地まで歩く必要があるからだ。暑いベトナムでは人々は炎天下を歩くのを嫌う。
そんなことから、店の前まで冷房の効いた車が来てくれて、料金も安いスマホ・タクシーが大変な人気である。もはやモノレールや地下鉄が完成しても利用する人は少ないのではないかとまで言われている。
■人口密度の高いアジアでは車は「お荷物」
このスマホを利用した交通システムは、東南アジアの経済発展の行方も左右しそうだ。それは駐車場の問題とも関連する。東京がそうであるようにアジアの都市は人口密度が高い。
![都市のイメージ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/1200wm/img_634fac3f425a8368b2e071138c2e94081055189.jpg)
アジアの都市にはロサンゼルスのように巨大な田舎と表現される人口密度の低い都市はない。そんな都市では地価が高い。そのために中心部では駐車場が少ない。そんなわけで自家用車で移動しても駐車場の確保に苦労する。専用の運転手を雇っていなければ、中心部を自動車で移動することはできない。
しかし、グラブなどのシステムを用いれば駐車場の確保を心配することはない。これもウーバーやグラブなどが好まれる理由である。
ほぼ全ての家庭が自動車を保有し、自動車が富や地位の象徴ではなくなると、自動車の保有は苦痛である。普通の勤め人が自家用車を利用するのは休日だけである。それでも子供が小さい時はドライブなどに出かけるが、子供が大きくなればドライブにも行かなくなる。バッテリーが上がることを心配するようになる。わが家ではそのような状況がここ10年ほど続いている。
■自家用車ブームはもう起きないかもしれない
モータリゼーションが訪れる前にスマホが普及したベトナムでは、人々の自動車に対する感覚が日本や中国とは異なってしまったようだ。多くの人が、自動車は所有するものではなく使用するものと考えるようになった。
一般の人にとって自動車はいまだに高価である。そんな自動車に対してローンを組んでまで手に入れようと思う人は少なくなった。
スマホが普及すると、日本でもメルカリに代表される中古市場が活性化するなど、人々の行動パターンが変わったが、ベトナムでは自動車に対する感覚が真っ先に変わってしまったようだ。
ベトナムの一人当たりGDPは、2022年には4087ドルになった。一人当たりGDPが3000ドルを超えたのに、ベトナムではいまだ自家用車ブームは起きていない。たしかに街を行き交う自動車は増えて渋滞が発生するようになったが、20年前にタイで経験したどうしようもない交通渋滞は今のところ発生していない。タイや中国での経験とベトナムはどこか異なる。
■「自動車産業なき経済発展」が主流に
10年ほど前にインドのタタ自動車が日本の軽自動車などよりも小さな車を発売したことがあった。しかし、庶民がそれほど自家用車を欲しがらないのであれば、小型車が人気を博することはない。
![川島博之『歴史と人口から読み解く東南アジア』(扶桑社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/a/1200wm/img_0ae0cdd00af014e38a2d5f8b7dfc26fa220198.jpg)
ある程度の収入がある人は、中型車を購入して、休日や空いた時間に白タクを走らせて収入を得たいと思うはずだ。東南アジアで日本の軽自動車は売れないだろう。
ここに書いたことは、今後の東南アジア経済を考える上で、とても重要だと思っている。我々日本人の頭の中には、経済発展とは工業化、その中でも自動車産業が花形という思いが強く刻まれている。
しかし、スマホが普及した現在、全てのものに対して、所有よりも使用が重視されるようになった。ヤフーオークションやメルカリがブームを起こしたように中古品も抵抗感なく流通する。それは工業部門が経済発展をリードする時代ではなくなったことを意味している。
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ベトナム・ビングループ主席経済顧問
1953年生まれ。1983年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授を経て現職。Martial Research &Management Co. Ltd., Chief Economic Advisor。工学博士。専門は開発経済学。著書に『中国、朝鮮、ベトナム、日本 極東アジアの地政学』(育鵬社)、『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』『習近平のデジタル文化大革命』(いずれも講談社+α新書)、『「食糧危機」をあおってはいけない』(文藝春秋)、『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』(日本経済新聞出版社)など多数。
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(ベトナム・ビングループ主席経済顧問 川島 博之)
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