独立リーグ選手時の報酬は月10万…4度の指名漏れを糧に慶大野球部出身30歳が六本木で責任者として稼ぐ年収
プレジデントオンライン / 2024年1月11日 11時15分
■慶大野球部卒“4度の指名漏れ”30歳の現在地
2023年のプロ野球ドラフト会議では独立リーグからの指名選手が過去最多の支配下6人、育成23人が指名された。なかでも四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックス(以下、徳島)からは支配下3人、育成3人で、11年連続の指名となった。これは球団がいい選手を育て、経営が順調で素質のある選手が集まってくるという証しだろう。
谷田成吾さん(30)は、この徳島で19年12月から23年1月までの3年間、球団代表を務めた。赤字経営だった球団で就任1年目から利益を出し、3年間黒字経営を貫いた。
谷田さん自身も選手として徳島に在籍していたことがある。18年のことだ。自身はNPB(日本プロ野球機構)の選手になることを目標にし、ドラフトでの指名を待った。しかし結局、夢を果たすことはできなかった。ただ、これが縁で経営する立場になって戻り、恩返しをしたことになる。
強打の外野手として慶應義塾大学(商学部)の野球部で活躍した。それまでの球歴も、リトルリーグで世界大会準優勝、シニア(中学時代)の3年間で6回の全国大会出場と輝かしい。慶應義塾高校時代は惜しくも甲子園出場は逃したが、高校日本代表に選ばれ、AAAアジア選手権の優勝メンバーにも選出された。
慶大では1年春から公式戦に出場。4年間で15本のホームランを放っている。端正な顔立ちでスター候補生として「由伸二世」と言われた。大学の先輩で巨人の主力選手として活躍後、監督も務めた高橋由伸さんになぞらえられ、プロ野球界が注目したのだ。
15年のドラフト会議で上位指名候補として取り上げるメディアもあった。
そのドラフト当日、寮の仲間とテレビを見ていたという。同期の山本泰寛(慶大―巨人、阪神、来季より中日)、横尾俊建(慶大―日本ハム、楽天、来季から楽天バッティングコーチ就任)が指名される中、自身の名前は呼ばれず、まさかの指名漏れとなった。
「バッティングは飛ばすことは評価されていたと思いますが、三振も多く、足りないものばかりでした。足もアピールするほど速いわけではなかったですし、守備はイップスがあって、マイナス評価だったと思います」
■26歳で「野球で食っていく」ことを断念して選んだ道
大学を卒業して2年間、JX-ENEOSで社会人野球を経験しプロへの道を探る。しかしレギュラーに定着できず、ここでも指名は見送られた。厳しいなという状況は自分でも認識できていたという。
次の視線の先はアメリカだった。メジャー関係者と親交のある後輩を通してプレーの映像を送ると、キャンプに参加してテストを受けてみないか、という反応があった。
迷惑をかけることになるためENEOSを辞めて退路を断った。メジャー6球団のテストを受けたがうまくいかなかった。これで3回目のプロ挑戦を逃したことになる。
滞在期間、懸案となったのが経費だが、後輩の助言もあってクラウドファンディングで240万円を集めることができた。滞在費、通訳への謝礼、返礼品や報告会などをそれで賄う手腕を発揮できたが、プロへの道は遠かった。
最高峰の舞台で野球を、という自分の夢をどうするか。いっそ諦めるのか。熟慮を重ね、帰国して独立リーグから挑戦すると決めた。入団したのが徳島だった。
18年はプロへの挑戦ラスト年。「やりたいように自由にやらせてもらいました」。しかし、ついに指名されなかった。4回目の指名漏れ。26歳にして、「野球で食っていく」ことを断念した。
当然失意の底に落ちるところだが、ここから新たな人生が動き出すから面白い。
谷田さんには底知れぬバイタリティがあったのだ。最後のドラフトで自分の名前が呼ばれなかった直後から、切り換えよく就職活動を始めたという。こういうときに強いのが高校、大学の先輩後輩のつながりだ。有名企業からの誘いもあったが、慶應義塾高校野球部の先輩が当時、役員をしていた会社に入社する。ショーケース・ティービー(現ショーケース東京・港区)というwebマーケティングの会社だ。
「それまで一般的な社会人というものを経験していないわけです。ショーケースでは企業人としての最初の基礎を学びました」
入社早々、先輩役員からかけてもらった言葉に谷田さんは感謝している。
<「〇×社の谷田です」ではなくて、「谷田成吾です」と自分の名前で生きていってもらいたい。将来は独立してもいいし、会社にいてもどっちでもいい。プロ野球ではなくて、ビジネスのプロとして名を上げてほしい>
「最初から『独立していいよ』と言って、採用してくれる人はいないと思うんです。(その恩に報いるためにも)実力をつけてステップアップしていくぞ、と思いました」
■徳島の赤字球団を代表就任1年目で黒字化に成功
実際、入社1年間は充実した会社員生活を送ることができた。ところが、野球の神様がまだ谷田を手放さなかった。在籍していた徳島から「経営スタッフとして戻ってきてほしい」と勧誘されたのだ。実はチームのオーナーとは退団後も定期的に強化方法などを話していた。ならば、さまざまな発想を直接実現してくれ、となった。商学部卒という学歴も功を奏したのかもしれない。
「球団を強くする、黒字化させることには興味がありました」
当時のショーケースの部長も先輩役員も、そういう思いがあるなら行ってきたらと、背中を押してくれたという。
肩書は取締役球団代表。部下4人でスポンサー営業が主な仕事だ。地方の独立球団のスポンサーになってくれる企業は多いとはいえない。何に対してならお金を出してくれるか。
「チーム動画のこの枠に広告を出しませんか」
「アスリートのこういうデータを生かして一緒に商品開発をしましょう」
そんな提案をしていった。徳島県知事とも面会し、ビジネスチャンスを探った。
YouTubeチャンネルもいち早く立ち上げ、再生回数を稼いだ。当時、コロナ禍で球場への入場規制もありYouTubeで試合中継の配信をしたのは独立リーグでは初めて。チャンネル登録数が当初は独立球団では1位だった。配信へのCM出稿も約15社が名乗りを上げたという。
いろんなトライが評判を呼び、現場の人材を募集するとインターン希望の全国の多くの学生が集まった。球団代表に就任した際、赤字が続いたままなら球団は継続できない、という瀬戸際だったという。文字通りの背水の陣で、コロナ禍での2、3年目も困難続きだったが、黒字化目指してがむしゃらに邁進した。
「めげることはなかったです。めげていてもお金は集まってこないので。思いついたことはやってみるという感じでした」
徳島の選手時代のファンに地元の経営者を紹介してもらったり、既存のスポンサーや関係者の力を借りて営業をしたりして、つながりを作っていったそうだ。そんな地道な努力が実って黒字のまま一区切りとして退任することになった。オーナーら関係者からは大いに感謝されたそうだ。
次へのステップはどうするか。
「徳島を立て直した立役者」に対して多くのアプローチがあった中、IT企業グリーの子会社、アウモ(東京・港区)への事業参画を決断した。23年7月のことだ。
徳島で暮らしてヒト・モノ・カネが循環すれば地方が活性化されて暮らしが豊かになることを実感した。自分が手掛けるビジネスが、歴史が浅いながらもエネルギッシュなアウモで生かせるのではないかと考えたのだ。
同社は「aumo」として国内最大規模のお出かけ情報(旅行や観光、ニュース、グルメなど)を開発・運営している。ユーザーは月間1700万人。急成長していて、さらに伸びる余地がある。Fintech事業部責任者に抜擢され取引先企業や自治体の集客、販促施策を中心としたデジタルマーケティング支援を主に担当している。
■選手時代の報酬は月10万円で極貧、今は…
夢破れてもタフに動き続ける。停滞せずセカンドキャリア、いやサードキャリアの階段を上り続ける。何が谷田さんを突き動かすのか。
「以前、JX-ENEOSを辞めた後は大きな組織で働いていません。いろんな能力を持っている人、才能のある人と仕事をしてみたい。そんな気持ちがありました。ENEOSを辞める時は勇気を振り絞りました。日本を代表する大企業ですから悩みましたが、最後にはこう考えを転換したんです。『僕の人生は当初、思い描いていた大手で長く働くものではなくて、何年かごとにキャリアを重ねていくことになっていくだろう』。それは逆にチャレンジングで面白いなと思えたんです。そうやって実績を積み重ねていこうと」
アウモで働く傍ら、自身でも会社を経営している。sandpickというウェブサイトや動画などを手掛けるクリエイティブ制作会社だ。徳島時代に街の人々と行き来するうちに、仕事を請け負うようになって起業している。今は徳島と東京にオフィスがあり、全国から問い合わせもあるそうだ。
それに加えて、野球の「さわかみ関西独立リーグ」の専務理事になって運営に携わっている。「関西独立リーグ」はまだ小さなリーグで、上位組織の一般社団法人日本独立リーグ野球機構への参入を目指して大局的な陣頭指揮を執っている。
キャリアアップすれば自身の評価、収入も上がっていく。
選手時代の報酬は月に10万円で極貧だったが、徳島の球団代表当時で年収は大学同期に少し劣る程度にまで引き上った。そして今は慶應卒の同年齢の一流ビジネスマンと同等の年収があるのではないか、という。
「今後の目標? 今はいろんな経験をさせてもらって、アウモの数字を伸ばすことに全力集中です。そこから開けてくるものはあるだろうから、その先の目標を見つけたいです」
行きつくところは自身でITの会社を作るのではないか。そんな将来を思わせる。
最終的にはグリーのような会社を作りたいのではないですか、と聞いてみた。
「そうですね、こういう会社を作れたらいいですけど、自分が何に適してるのか、感じながらやってます。人生ずっと模索です。事業を立ち上げるのがいいのか、既存事業を伸ばしていくのが向いているのか。先頭に立つのがいいのか、上の人をサポートするのがいいのか。組織の中で得意な立ち位置がたぶんあると思うんです。刺激と経験をもらいつつ、自分の適性を見極めたい」
23年夏、母校の慶応義塾高校が甲子園で優勝を果たした。決勝など2試合を現地で観戦したという。自分もこの学校の部活にいたんだ、と幸せになったという。ただ、野球をプレーすることへの未練はない。「野球の経験が生きていること? 体力ぐらいですかね」と笑う。
「徳島の後輩選手たちには『将来、社会人として働くとき、野球が生きることなんて何もないよ。一から勉強だから』と言ってました。(生きていくのは)大変なのは当たり前だよって(笑)」
困難な状況に陥ってもめげない。野球をやっていたからこそ学んだ胆力かもしれない。どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
筆者は約5年前、谷田さんがショーケースに入社が決まったときに六本木の喫茶店で初めて会った。IT企業に入社したのにパソコンに不慣れ、と苦笑いしていた。スーツ姿は初々しかったが背筋も縮こまっていて、不安を感じているな、という印象だった。
それから4年経って、そのうち3年は四国でもまれた。2度目の取材で訪れると同じ六本木の芋洗坂を下りきったオフィスビルに通された。Macbook Airを抱えたTシャツ姿には風格があって、そこから自信が伝わってきた。
「深く考えずに、やってみたいと思ったことをやってます」
とにかく踏み出してみる。至極単純な欲求が推進力になっている。
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フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。
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(フリーランスライター 清水 岳志)
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